たのしさと さびしさ隣る 瀧の音

若葉みずみずしく、水清らか 由利本荘市・亀田不動の滝

 鳥海山・飛島ジオパークの一つ、秋田県由利本荘市岩城滝俣の「亀田不動の滝」で、周囲の木々の若葉がみずみずしさを増し、初夏の到来を告げている。/ 滝の落差は約25メートル。ごうごうと大きな音を立てて清らかな水が流れ落ち、辺りにしぶきを上げている。「柱状節理」と呼ばれる規則的な割れ目ができた岩壁も特徴的だ。5日は午前中から青空が広がり、時折差し込む陽光で若葉が輝いていた。/ 滝は岩城地域と秋田市雄和を結ぶ国道341号沿い。道路脇を下ってすぐの所に展望台もある。付近は道幅が狭いことなどから、県由利地域振興局は通行に注意を呼び掛けている。(秋田魁新報電子版・2021年6月6日 掲載)

 もう何年前になるか、ある夏の一日、ぼくは由利本荘まで出かけたことがある。秋田市から日本海側を山形に向かってひた走った。山形との境界にあったいくつかの建物や風景を写真に収めただけでありました。およそ取材とは言えない旅でしたね。戦前期、秋田・宮城・岩手・福島・山形などの地域一帯で「北方教育」運動を展開していた教師たちの一人の事績を訪ねるためだった。その時には、所謂名所旧跡は一つも訪ねなかった。実に味気ないものだったのは、ぼくの性分から言えば当然というほかありません。物見遊山とか観光というもの自体に興味がないのですから、どうしようもない。後になって、この「滝」を見ておけばよかったのにと、後悔することもない。もう行く機会はないだろうが、この新聞記事の写真で満足という、実に安価にできている人間なんですね。

 ぼくはいくつの時に「滝らしい滝」を初めて観たのだろうかと、振り返る気になった。そもそもの観はじめはどこの滝で、いつだったかわからないが、小学生の高学年頃には近所だった「清滝」に出かけた記憶がある。そこには同級生の家が旅館を営んでもいた。どこに「滝」がと言いたいのですが、土地全体が清滝なんだから、へえ、そうなんだという程度で終わった。その清滝から愛宕山登山道を歩くと、すぐに「空也の滝」に出る。空也上人の修行地だったと言われています。その前を通ると、ひんやりとした風に当たるように思われた。落下の高さは大したことはないが、薄暗く、こんなところで修行するんだから、なんと物好きなという気もしたし、空也さんにも大いに関心を抱いたのは余得でありました。

 後年、愛宕山には何度も登りましたから、「空也の滝」とはすっかりなじみになったほどです。この空也さんとの出会いが、少年のぼくをあちこちの山寺めぐりに導いた契機になったともいえそうです。高尾や周山、嵐山や西山、その他遠近の山々を歩き回った。それがいまだに懐かしく思い出されます。今から考えても、よく怪我にも事故にも遭遇しないで過ごせたものだと、驚いているのです。怖いもの知らずというか、空也さんの加護があったからか。といっても、いっこうに信仰心は芽生えなかったが。生来の「罰当たり」なのかもしれません。とにかく、この島の山には「信仰」が結びついているんですね。いわゆる「山岳信仰」というもので、開発者は役小角(えんのおづぬ)さん。

○ 空也(903-972)=平安時代中期の僧。延喜(えんぎ)3年生まれ。尾張(おわり)(愛知県)の国分寺で出家。諸国をめぐり,阿弥陀(あみだ)念仏をとなえ,橋をかけ,井戸をほるなどの社会事業をおこなう。天慶(てんぎょう)元年から京都市中で庶民に念仏と浄土信仰を説き,市聖(いちのひじり),市上人,阿弥陀聖などとよばれる。天暦(てんりゃく)2年比叡山で受戒し,貴族層にまで布教を拡大した。応和年間に西光寺(のちの六波羅蜜寺)を建立。天禄3年9月11日死去。70歳。法名は別に光勝。「こうや」ともよみ,弘也ともかく。(デジタル版日本人名大辞典+PLUS)【格言など】忍辱(にんにく)の衣厚ければ,杖木瓦石(じょうもくがせき)を痛しとせず(「一遍上人語録」)

○ 役小角 えんの-おづぬ?-?=飛鳥(あすか)時代の呪術(じゅじゅつ)者。大和(奈良県)葛城山にすむ。文武天皇3年(699)妖言によって人をまどわすと弟子の韓国広足(からくにの-ひろたり)に中傷され,伊豆に流される。「日本霊異記」の説話にもみえ,真言密教の呪法をおさめ,神仙術をおこなう人物となっている。平安中期以降山岳宗教の修験道(しゅげんどう)とむすびつき,やがてその開祖とされた。通称は役行者(えんのぎょうじゃ),役優婆塞(えんのうばそく)。(同上)

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 ・雲の中 瀧かがやきて 音もなし(山口青邨)

 ・滝落ちて 群青世界 とどろけり(水原秋桜子)

 ・たのしさと さびしさ隣る 瀧の音(飯田龍太)

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 いわゆる「名瀑」というものをいくつか、誰彼に誘われて見学に出かけたことはありますが、落ちぶれた記憶のなかに「名勝」として残っていない。というより、当たり前に過ぎますが、そこには常に人だかりがしていたのです。わざわざ群衆の一人になり切るためにか、滝の音ばかりを聞くためにでかけてきたのか、そんな困惑の想いが、滝の好印象を残さなかったに違いありません。人のいないとき(かなり早朝だった)に出かけた軽井沢の「白糸の滝」(上の写真)にはうっすらとした幻影染みた姿が残っています。いかにも「書き割染みて」いたという舞台装置が目に付いたのも事実でした。でもいずこも同じような、「滝枯れ現象」に慄いているようでしたね。上に挙げた飯田龍太氏の「たのしさとさびしさ隣る」という感じが、そのままに響いてくるようです。落下する水の音、焚火の燃え盛る音、いずれも「物寂しい」感情を催してくるんですね。

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投稿者:

dogen3

「上を思えば限りがないと、下を見て咲く百合の花」になれるものなら、という想いです。それこそ、「高嶺の花」ですが。「昨日は俗人 今日は僧、生涯胡乱(うろん)これがわが能」と自称した一休さんは、一面では「相当な人物」だったと、歳をとるとともに思わされています。