I do feel like the rules are quite outdated in parts

(2021/05/31)

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 スポーツは、自分でするのも、他人がしているのを観るのも大好きでした。今は、以前ほどには興味を持たないでいます。若いころは、自分でも野球やラグビーをしていたから、それなりにスポーツマインドというものがあると、自分では考えています。スポーツの世界で生じる問題は多様であり、多彩です。だから、一つの事象に対していろいろな見方や批判があるのでしょう。山登りを好んでいた時期もあり、冬場のスキーにうつつを抜かしたこともあります。しかし、どんなスポーツ(あるいは運動)も、ぼくは徹底した自己(我)流でした。水泳も自転車乗りも、ともかく体で覚え、そのままの流儀を通してきた。スクールに通って泳ぎ方や乗り方を教えてもらおうと一瞬だって考えたことはありません。スキーにしても山登りにしても「我流」で一貫していた。つまり「人生は我流」で、それがぼくの信条でした。いい悪いの問題ではありません。誰かに教えてもらって人生を送るならば、それはそれで、また別種の「生活の流儀」があるのでしょう。賢くなろうとしてきたのも、学校で学んだものではない。(この点は、きっとどこまで行っても未完成です)

 現役時代もそうだったし、監督になってからも徹底して「俺流」を通したのが落合博満さん。彼についてもどこかで少し触れたような気がします。野球人生の中で、他人から野球を教えてもらうことはあったのかなかったのか。彼の野球理論は球界随一だとぼくはみていました。彼と並ぶのが野村克也さん。甲も乙もないとは言いません。比較するのは愚ですから、ぼくはしません。野球を知っているという意味では、選手の時も監督になってからも、落合氏は少しも変わらない観察眼を持っていました。相手を見抜く、選手を知り尽くす、そんな「人間通」が落合野球を玄人好みにさせたのだと言えます。選手時代もぶっきらぼうだったが、それが監督になってから、一段と不愛想になったように見えた。試合終了後の記者会見拒否はしょっちゅうではなかったか。記者に対して「お前ら、もっと野球を勉強しな」というのが口癖のようになっていました。だから、世間では評判は悪かった。選手として抜群の成績をもってしても、あるいは監督手腕がどれほど秀逸であっても、世間の彼に対する評判・評価は高くならなかったのです。

 何を言おうとしているのか。何が言いたいのか。スポーツの世界で生じたことについては、スポーツマインドから発言し、スポーツマインドで判断すべし、それだけです。それ以外の何がいるのですか。日常世界において生じる事柄には「日常生活の感覚」で答える外に何がありますか。ぼくはテレビや新聞の「コメンテーター」や「評論家」と称される人物たちの意見をまず尊重できないのは、言うためにしか言わない、批判するための批判というのか。台本通りの発言だから、話にならないのです。テレビや新聞は、多くは「ヤラセ」になっていませんか。そんなことにどれだけ時間をかけ言葉を尽くしても、終わってみれば(時間が経てば)、何一つ記憶にも残らない、言わなくてもいいことを、さも重大そうに言い触らしているだけ。そんなゴミのようなっ連中に付き合っていられますか。そんな暇があったら、ぼくは猫と遊ぶね。

 「お前えら、もっと野球を勉強しな」という落合流。それはあらゆることに通じましょ。素人とか玄人の違いではなく、知りもしないで、他人から命じられて言うだけの話です。こんな情報番組や新聞記事ばかりがいったいどれだけ続いてきたのか。そのあいだに、すっかりこの島の知能・知識水準が頽落してしまいました。「もっと野球を勉強し」た記者なら、莫迦な質問も「恥ずかしくて」できない相談です。ぼくが大坂なおみさんの「記者会見拒否」の報道を聞いて考えたことは、上で述べたこと以外にはありませんでした。まるで偉そうに「プロなら、会見すべきだ」と言っていた、元テレビ局アナウンサーがいた。莫迦も休み休みに言え。「うつだったなら、最初からそう言うべきだ」というに至っては、つける薬どころか、張り倒す棒切れもないさ。でも、殆んどはこの「元アナ」の類でした。問題となっている人に対する「尊敬心」が足りないか、まったくないんだね。

 今回の問題で、もっともバカな正体を暴露したのが「全仏の主催者」でしたね。この手合いの典型はIOCです。自分たちは高みの見物を決め込んで、選手を手足の如くに動かして「てら銭」を稼いでいたのです。テニス協会もご同慶の至りだった。選手がいなければ、何事も始まらないのに、いつの間にか、選手を手駒のように動かす。それで大枚を稼いでいるのです。「他人の✖✖で相撲を取る」というたぐいまれな、詐欺師じゃないかな。そのお先棒を担ぐのは、いうまでもなくマスコミとその周辺のゴミどもです。現下の五輪開催問題でも、このゴミが嫌でも目に付く。

 この問題に関して各地の新聞「コラム」がさっそく反応していました。でもみんな「帯に短し、襷(たすき)に長し」、役に立ちませんなあ、という次第。いっこうにわけの分からない比喩をつかいますのも、見当違いじゃないか、何処を見て、記事を書いているんですか、と言いたいためです。スポーツマインドが欠けているのに、それに気が付かないという二重のバカっぷりでした。購読料を取って新聞を売っているのですから、「こう書けば、読まれる」「この記事なら、気に入られよう」という気持ちがあるのは当然ですが、でも「空振り」が多かったとぼくが見たのは、正義感を主張したり、プロならこうあるべきという教条主義だったり、自分の読み違いを「先に、ほんとのことを言えよ」「そうすりゃ、もっといい記事が書けたのに」と、大坂さんにいちゃもんを付ける輩まで。手に負えない代物です。「秘すれば花」という言い草がありますよ。

 世阿弥です。「秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず」(「風姿花伝」)と。能の舞台の話ですが、実人生でも変わらないんじゃありませんか。さて、その「花」とは?「花伝」を読むほかなさそうです。ほかに、世阿弥には能楽論として「至花道」「花鏡」「却来華」があり、いずれも「花」を主題として追い求めているのです。「秘すれば花」とは、言うまでもなく「幽玄」の境地の探求です。「秘すれば花」と題された著書がたくさん公刊されています。もう何十年も前に、ぼくは立原正秋さんのエッセイ「秘すれば花」を読んだことを、今思い出しています。まさに「秘すれば…」というにふさわしい(この表現は歪曲しているかもしれません)生涯を送られたのが立原さんでした。彼には「秘すべき」人生の諸相があったのかもしれないと、ぼくはみていました。はたして「花」という「幽玄の境」に、立原さんは栖(すみか)を見つけられたのでしょうか。(この「幽玄」論なるものについても、また一つの主題として書いて見たくなりました。いずれどこかで)

 どんな世界にも「ルール」があります。だから、秩序維持のためには、基本の態度は規則を守ることです。それにしても、「規則」に異を唱えるのは間違いであるという論調には、もっとも肝心な核心が見えていません。「悪法も法なり」と言われてきました。その真意はどこにあるのか。(この場合、「悪法」「法」とは、それぞれの世界において認められてきた「規則」「ルール」の類です。「たとえ悪い法律であっても、法は法であるから、廃止されない限りは、守らなければならない」(デジタル大辞泉)なんと愚かしい説明でしょうか。本気かよ、と言いたいですね。「廃止されない限り」と暢気に構えていますが、自然現象の如く「ようやく梅雨が明けた」という具合に「悪法は、予報通り、自然に改正された」というのですかな。

 これは悪法だ、と異議を唱える人が出てきて、それに応える人がさらに多数になれば、「悪法は悪法として」廃止されるのです。今回の場合、事情の如何を問わず「記者会見に応じなければならぬ」というのが、ある人には「悪法だった」から、異議を呈したのでしょ。その異議を唱えた背景が「いやだから」という気分ではなく、辛い状態にある「病状・病症」だったとしたら、それはよくわかると、みんな前言を忘れた振りをして「つらかったね」「元気になるように」などと腑抜けたことを言うのです。最初の「発言」から分かりなさいよ、彼女はそういってるんだからさ。

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【正平調】大坂なおみさんが豊かな表現力や強い意志を持ったテニス選手であることは、時にユーモアを、時に反差別の思いを発するその語り口からも知られるところだろう。それだけに全仏オープンでの会見拒否はやや唐突な印象だった◆深い理由を、できれば本人も公にはしたくなかったのではないかと今にして思う。3年前に全米オープンで初優勝し、一躍時の人となった頃から心の不調に悩んできたことを、大坂さんがツイッターで告白した◆会見拒否は自分を守るためだったと述べている。批判の声が聞かれても翻意できぬほど23歳の心は疲弊していたのか、騒動が広がると初戦突破していた全仏の棄権を決めた。しばらくコートを離れる意向という◆トップアスリートだって鋼の精神を持っているわけでない。重い問題提起にテニス界が揺れるなか、ある海外選手のメッセージが目にとまった。「あなたの傷つきやすさを尊敬する」。繊細でいいじゃないかと◆心すり減らした仲間をそっといたわる言葉に触れ、小熊秀雄の詩が浮かぶ。〈人間は心を洗う手はもたないが/心を洗う心はおたがいにもっている筈(はず)だ〉(「乾杯」)◆告白の最後に、みんなが元気でありますようにとつづった大坂さんである。優しき人の回復を祈っている。(神戸新聞NEXT・2021/06/02)

 【筆洗】「まったく、弱点がありません」。一九九五年の日本シリーズ開幕前、当時ヤクルトの野村克也監督は対戦するオリックスのイチロー選手についてスコアラーからこんな報告を受けた。この年のイチロー選手の打率は三割四分である▼頭を悩ませた野村監督は記者団にうそをつくことにした。「イチローの弱点は内角だ」。取材を受けるたびに言い続けた。こうしてイチロー選手に内角攻めを意識させた上で試合では外角を中心に配球。結果、その打撃をある程度封じ、ヤクルトは優勝した▼勝利のため、プレスを巧みに利用する監督もいれば、記者会見さえ苦手という繊細な選手もいる。テニスの全仏オープンに出場中の大坂なおみ選手。試合後の記者会見に応じない考えを示し、大会主催者と対立している▼意見は分かれるだろう。会見による選手の心の負担を考慮してほしいという大坂選手の主張は分からぬでもない。一方、すべての選手が会見に応じている以上、大坂選手の拒否は身勝手であり、競技の公平性も守れないという主催者側の言い分ももっともだろう▼このまま拒否するなら四大大会への出場停止につながる危険もあると主催者側は警告する。変革を求めた強烈なサーブに対して主催者側のリターンも厳しい▼大坂選手と主催者側はよく話し合い、打開策を探るしかない。こんなラリーをファンは望んでいない。(東京新聞・2021年6月1日)

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 スポーツマインドを微塵ももたない輩が「スポーツ」を食い物にしています。これは明らかな詐欺であり、地位を利用した汚職そのものです。「犯罪」じゃないんですか。汚い手段で「いい想い」をするという根性が、そもそも「スポーツ」には馴染まないんだ。春夏に甲子園で野球を主宰している「新聞社」なんかもその徒党組だと思うね。(大坂さんはテニスだけの人生だなどと、まったく考えていないように、ぼくには思われます。しばらくではなく、ずっとコートを離れたままかもしれませんね)

 <people have no regard for athletes mental health> 

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