ボウフラも蚊になるまでの浮き沈み

【卓上四季】信念ある就活を 昭和の名人古今亭志ん生は落語家という職業について「まるっきり馬鹿(ばか)じゃできない商売。利口じゃこんなことやる奴(やつ)ぁない」と笑いを誘った▼もう一方の名人桂文楽にはこんな逸話も。弟子入り志願の若者が来たが、自分の噺(はなし)を聞いたこともないという。あちこちに入門を頼み込む「常習犯」だった。「今の若い人はわれわれと違って教養もあろうが、信念がなさ過ぎます」と嘆いた(「芸談あばらかべっそん」ちくま文庫)▼今の世はその逆か。多くの企業にエントリーシートを提出し、内定を確保するのが就職活動の常道だ。希望の仕事に就けるとは限らず、まずは入社して数年後に次の道を探す人もいるらしい▼あすから、来春卒業する大学生の面接が解禁となる。コロナで対面方式が難しくなり、ウェブを活用する企業も多い。今春の大卒就職率は大幅な低下を記録した▼逆風の中の就活である。不採用通知が届けば、心も折れかけるだろう。それでも信念は持ち続けてほしい。人生かけて成し遂げたい理想や、学生時代に熱意を注いだ活動が、きっと心の支えとなる▼志ん生が得意とした「唐茄子(とうなす)屋政談」の若旦那は道楽が過ぎて勘当され、おじに拾われる。行商を命じられ、みっともないからと嫌がると「どんなものだって売って、口銭上げりゃ立派なお商人(あきんど)だ」と一喝される。働くことは尊く、職業に貴賎(きせん)はない。それが基本である。(北海道新聞・2021/05/31)

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 昭和の大名人といってもいい落語家、志ん生と文楽。ぼくは寄席で聞いたことはありませんが、残された記録で、ほぼすべての演目を聞いたと思っています。落語を聴くのに講釈はいらないのは当然で、聞く側の感受性の有無の問題なのかもしれない。落語というのは単なる勧善懲悪でもなければ、積善・善行のすゝめでもありません。その証拠に、落語の登場人物は教科書には掲載される気遣いはなさそうです。ひそやかな人情の機微、それがあらゆる場面で効いているのが、落語の真骨頂ではないでしょうか。二人の芸を比較しても始まりません。いずれも、耳にタコができるまで聞き通すことでしょう。そうしてようやく、二人の芸風というものが見えてくるのだと、ぼくは考えています。落語は大好きで、おそらく小学生のころから聴いていたと言っていいでしょう。もっぱらラジオでした。今では落語史に名前が残っているだけという人がほとんどでしたが、関西(上方)も東京(江戸)も、これまた比較を絶して面白さが際立っていました。今を去ること、七十年も前の話です。今、やられているのは落語ではないね。一種の一人語りに過ぎない。

 ぼくが聴いていたのは、最初は当然のように上方落語が主でした。名人上手が星のきらめきのように輝いていた時代でした。いまとは比べるべくもない、(戦後)落語の最盛期であったかもしれません。落語ブームなどという紙風船のような根無し草ではなかった。落語は語りです、生きられた人間像を明らかにする語りです。同じ話を別の落語家が演じるのが当たり前の世界ですから、たとえて言えば、古典音楽の同じピアノ曲を異なった演奏家が弾くのに似ていると言えるかもしれません。かたや「芸」で、こなた「芸術」というのはご愛敬でしょうか。「職業に貴賤はない」という、コラム氏はどのようなつもりで書かれているのか、ぼくには腑に落ちないというか、なんだか釈然としません。

 いまどき「貴賤」という語が出てくること自体が、どういうことなんでしょうか。【貴いことと、卑しいこと。また、身分の高い人と低い人。「職業に貴賤なし」「貴賤貧富」】(デジタル大辞泉)面倒なことを言うようですが、「貴賤がある」から「貴賤なし」というのではないですか。「貴賤はないけれど、貧富はある」というのはどうでしょう。「貴賤貧富」は否定できない現実なんですね。それを一応は「~はない」と言って見る。つまりは建前です。職業には貴賤はないのだから、どんな職業でも、身に備わった能力で選ぶがいい、そんなニュアンスがありはしませんか。「働くことは尊い」、それは言うまでもありません。そここそが基本であろうと、ぼくは考えます。個々人によって、職業には好き嫌いはあるし、合う合わないというのは、どんな場合でもあるでしょう。でもそれだけを基準にしていては、仕事に就くことは困難です。

 ぼくは、他の人よりは、多くの若い人を見てきたし、付き合ってきたと、自分なりに思っています。就職の相談をされたこともしばしばでした。大企業ならどこでもいい、官庁なら選ばないという人には助言の機会もありませんでしたが、何かと迷っているような人にはそれなりに「亀の甲より年の巧」(といえるかどうか、自信はありませんでしたが)で、それなりにことばをつくしたという思いはします。でも、それでじゅうぶんだったかとなると、今でも分かりませんね。もっとも大事なことだと考えてきたことは、何をしたいか、時間をかけて探せばいい、企業に勤めることでもいいし、アルバイトのような不規則な仕事でも構わない。人間、一人で生きていくには、なんとかなるのもだから、好きなものを見つける、それが人生かもね、そんな忠告とも助言ともつかない、あやふやな言葉をかけてきたように思います。いきなり全力でというのは無謀、何事も助走が必要です。給料を稼ぎながらの助走、それを勧めていたのではなかったか。その内に、助走に力が入って、やがて本番につながる(スライドする)とも限りませんから。

 「今の若い人はわれわれと違って教養もあろうが、信念がなさ過ぎます」という文楽師匠の評価は確かですね。いつだって、どこだって「信念」というものが根っこにないと、何事もうまく行かないからです、というよりまず最後まで続かない、挫折が待っている、そんな気がするのです。文楽さんが言われたのは、自らの経験をもとにしての言でしょうから、生半可な覚悟では、まずかなわないという趣旨がはいっているでしょう。「 今の若い人はわれわれと違って教養もあろうが 」と言われたのは、今から半世紀以上も前の話です。「教養」というのは「学歴」と言い換えてもいいような塩梅で、もちろん大学卒業だから、いいとか悪いとかいうのではありません。要は、人間の「中身」の問題です。

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 「唐茄子屋政談」という噺は、長いもので、滅多に全編はやられないようです。ある意味では人情噺でもあります。ぼくはいろいろな噺家でこれを聴いてきました。お茶屋遊びが過ぎて、若旦那は勘当、いかにも江戸の大店の、よく見かける風景です。唐茄子というのは南瓜(カボチャ)で、大店の若い旦那がカボチャを担いで行商なんて、「叔父さん、そんなみっともないことを」と思わず口にして、叔父にどやされます。やっとのことで叔父に拾われたのに、また追い出されそうになる。「おめえみたいなろくでなしは、もう一度、川に飛び込んで死んじまえ」叔父が浅草の吾妻橋まで来たら、若いもんが今まさに飛び込もうとしている。それが「若旦那」だった。「おめえだと知っていたら助けたりなんかしなかったんだが」「おめえか、死んじまえよ」そういう事情があっての唐茄子売りです。詳しいことはどなたかの高座(口演)で聞かれることをお勧めします。

 落語が「人情の機微」を色濃く反映していると言いました。ひるがえって、この落語の世界でもっとも貴重なものとされてきた、「人情」そのものが、まるで紙風船のように軽く、あるいは皆無になったのが、この現代ではないかという気もするのです。人間の社会から「人情」が失われたら、その社会は社会ではなくなります。烏合の衆と変わらない。ここで繰り返し「人情」と、ぼくが喧しく言うのは、他人を敬う(心遣い)「惻隠の情」でもあり、それが著しく欠けているとぼくは深く気に病んでいるからです。他者に対する少しばかりの尊敬心。それは血中に必要とされるいささかの塩分のように、その尊敬心が欠けたところでは、人との交わりはなり立たないからです。

 「職業に貴賤はない」と高飛車にいうのではなく、「 どんなものだって売って、口銭上げりゃ立派なお商人(あきんど)だ 」という志を失わないことこそ、ぼくたちの社会で、たがいが認め合うことが出来る「心情」でもあるのでしょう。この心持ちは、けっして「商売」にかぎりません。勤め人であろうと、自営業であろうと、どのような職業であれ、それで飯を食っているのなら「立派な職業人だ」と言いたいですね。

 石の上にも三年と言います。どんなにつらくても、三年我慢しなさいよという、親心なのかもしれません。でも「冷たくて固い石の上に」「長い長い三年も」、そんなのたまらないじゃないかと、たちどころに飛び降りたくなるのも、辛抱の足りない時代の風儀です。どんなに好きでも、あるいは得意でも、けっして無理をしないこと、それが長続きの元手です。まあ騙されたと思って三年坐っていなさいな、かならず温まってくるからさ。その上で、「好きこそものの上手なれ」となるのです。ヒトとでもモノでも、ひとめぼれというのは、怪しいね、勘ちがいがほとんどだから。好きになるにも辛抱というか、ある程度の時間がいるんだな。志ん生さんは「まくら」として、よく語っていました、「ボウフラも蚊になるまでの浮き沈み」だって。さらに「惚れて通えば千里も一里、長い田んぼも一跨(また)ぎ」も。これは醸成に行かれる例ですが、何職業であっても似たようなものです。千里も一里にしか思えないほど、燃えるというかエネルギーが溢れてくるんですね。これが続くと、しめたものですね。

 最期に。志ん生師匠のお得意に「おかめ団子」という語りがあります。古い画像ですが、ネットで、今でも鑑賞できると思います。ぜひとも聞かれることをお勧めします。(こんな「人間」たちが、いたらいいなあ、そんな願いや憧れが、落とし噺(落語)になったのでしょう。主役は英雄でも才女でもない。当たり前の、泣いた笑った、滑った転んだという、ありふれた風貌の「町人」「職人」「遊び人」たちばかりでした。その人々の当たり前の「一挙手一投足」を聞いて、留飲を下げたり、声涙を下したり。「笑う門には福来る」「笑って損した者はなし」と。学校じゃ教えられないですね。

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投稿者:

dogen3

「上を思えば限りがないと 下を見て咲く百合の花」になれるものなら、という想いです