腐草化して蛍となる、いとおかし

 【越山若水】清少納言が著した「枕草子」は平安時代の名著。季節の移ろいや風物を描く情趣豊かな文章は秀逸で「をかしの文学」といわれる。その冒頭、夏の魅力についてこう書いている▼「夏は夜。月の頃はさらなり。闇もなほ蛍(ほたる)の多く飛びちがひたる。また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くもをかし。雨など降るもをかし」。新月の闇夜にホタルがたくさん飛び交う光景がいい。1匹、2匹ほのかに光りながら飛んでいくのも趣がある▼電気の明かりのない時代、夏の夜を彩る光の乱舞は幻想的で、また静かに揺れる光の明滅にも魅了される。音ひとつしない夜のしじまに降る雨の響きも情緒があり、まさに「いとをかし」の境地だろう。清少納言が称賛した景色は、ズバリこの時季の日本列島である▼さて今は、七十二候の「腐草為蛍(ふそうほたるとなる)」を迎え、ホタルが飛び交う頃合いとなった。農薬や護岸改修などで一時激減したホタルも近年は復活してきた。しかし、新たな危機が迫っていると聞く。真夜中も明るい街灯や店舗照明など人工光害である▼ホタルの発光はもちろん求愛行動だが、成虫の寿命はわずか1~2週間と短い。“光の会話”を邪魔され相手を探し出せない個体が増えているとか。事態は切実らしい。「鳴く蝉(せみ)よりも鳴かぬ蛍が身を焦がす」のことわざ通り、ホタルは何も語らぬが…。(福井新聞On Line・2021/06/12)

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 「枕草子」も、高校時代の古典の授業で習った記憶(正確には「習わなかった、授業で触れたことはあったかもしらぬが」という記憶)がかすかに残っています。担任教師は古典文学研究の泰斗だった人(池田亀鑑)の娘さんでした。(このことについては、どこかで触れています)授業で扱うとなると古典であれ、現代文学であれ、まことに中途半端なものだったという後味の悪さだけが残存しているという風でした。だから「枕草子」も味わうどころの話ではなかった。一学期をかけて読みつづけるというなら、別の方向が見えたでしょうに。細切れどころか、ミンチのように切り刻んで、何が「古典鑑賞」なものかと、今でも呪いたくなります。その作者の清少納言に関しても、今でも十分にわからないという。おそらくそうでしょう。千年以上も昔の人物の履歴が、かりに分かっていたとしてもかなり怪しいとみて差支えないとさえ、ぼくは思っているのです。「法隆寺の建造者は?」と聞かれて、皆目わからないというのが本当でしょうし、だからこそ(誰が作ったかわからないけれど)法隆寺はさすがだねえと、わけもなく言えるのかもしれません。

 法隆寺の五重塔の心柱に設計者や大工の銘が掘ってあったら、ぼくなどは興醒めします。現代における奇体な建造物の証明・見本のような「国立競技場」の設計者はわかっているし、それをいかにも誉のようにふるまう設計者がいるのも、いと悪し、ですね。(壊された前競技場はTK氏の設計だった)自然の景観など、誰が作ったといって、固有名を挙げられないものばかりです。「那智の滝」の設計者は✖✖だと言われたら、ぼくは逃げ出しますね。あるいは張りぼての細工物たるディズニーランドを想起します。悪趣味の最たるもの。東京ドーム、なんというグロテスク。スカイツリー、いい加減にしてくれ。というように、作者が誰だかわからないから、そこに神秘を感じたり奇跡を認めたりするのでしょう。清少納言は、実は男だったという結論にならぬとも限りません。性別を超えて、古典はいいのだと受け取れば、それはそれでいいのであって、特別に何も言うことはありません。

 コラム氏の記事の中に「「腐草為蛍(ふそうほたるとなる(七十二候の一つ)」という洒落た表現が出ています。これもまた、中国由来の、一種の俚諺知識の類でした。「腐草化して蛍となる」ということが実際にあるとは思われません。 このことに関していろいろと愚考を重ねたのですが、なかなかしっくりくるものに恵まれませんでした。腐草は「くちくさ」とも読み、ほたるの別名でもあるのです。そのほたるは「火垂る」「火照る」「星垂る」と、いかにも嘘くさい字があてられています。

 ・草の葉を落るより飛ぶ蛍哉  芭蕉  

 ・己が火を木々の蛍や花の宿  芭蕉  

 ・大蛍ゆらりゆらりと通りけり  一茶  

 詮索はもっと暇な折にすることにして、さて「枕草子」です。だいいち、この「枕」が何を指しているのかわからない。何かと駄洒落のような解説や解釈がありますが、ぼくは感心しません。漱石の「草枕」はどうなんでしょうか。これも解釈は自由です。草を枕にということか。草を材料にした枕もある。

 頭をのせる「マクラ」であることは確かで、「寝るときに頭をのせる寝具。「枕が変わると眠れない」「氷枕」「ひざ枕」 寝ている頭の方。また、頭のある方角。「東を枕に寝る」 寝ること。宿ること。「旅枕」 長い物を横たえるとき、下に置いてその支えとするもの。「枕木」 物事のたね。よりどころ。「歌枕」 話の前置き。落語などで、本題に入る前の短い話。「時局風刺を枕に振る」 地歌・箏曲(そうきょく)で、手事(てごと)の導入部分。また、義太夫節で、一段の導入部分。(デジタル大辞泉)と多様多彩な解説がついています。

 この場合は「枕草紙」「枕冊子」の類で、「」がそれにあたるのではないかと、ぼくは勝手にみている。柳多留に「きよらかな枕は親の前で見る」というのがありますよ。今も昔も「きよらかでない枕」は、親には秘密・内緒にするのがキモだったんですな。

 清少納言は謎の人物ですね。早熟の人だったか。扱われる範囲は実に多彩です。およそ三百の章段が数えられており、多くの解説では「類聚章段、日記的章段、随想章段」などに分類されています。細かいところは専門家に任せておいて、ぼくは勝手気ままに読み散らしては暇をつぶしているのです。「ただ過ぎに過ぐるもの。帆かけたる舟。人の齢。春、夏、秋、冬」(第二四五段)というあたり、いったい何歳の文章かと、感心したり、驚嘆したり、そんな読書の際に生じる、わが感情の起伏が面白いと言ってみたくなります。さて、まずは「蛍」です。蛍を愛でた少納言ですから、お米のご飯も堪能したのでしょうね。

○ 清少納言 せいしょうなごん=?-? 平安時代中期の歌人,随筆家。清原元輔(もとすけ)の娘。橘則光(たちばなの-のりみつ)と結婚したが離婚,正暦(しょうりゃく)4年(993)ごろより一条天皇の中宮の藤原定子(ていし)につかえ,約10年間女房生活をおくる。漢詩文の教養と才気と機知により宮廷に名をはせた。著作に「枕草子(まくらのそうし)」,家集に「清少納言集」。【格言など】夜をこめて烏の空音ははかるともよに逢坂(あふさか)の関は許さじ(「小倉百人一首」)(デジタル版日本人名大辞典+plus)

○ ふそう【腐草】 化(か・け)して蛍(ほたる)となる

(「礼記‐月令」の「腐草為蛍」による) 腐った草が変化して蛍になるという古代中国の俗説。腐草蛍となる。《季・夏》※菅家文草(900頃)二・路次観源相公旧宅有感「応知腐草蛍先化、且泣炎洲鼠独生」(精選版日本国語大辞典)

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 二つばかり、「唱歌」あるいは「童歌(わらべうた)」を以下に出しておきます。この歌に関しても、ぼくはよく歌ったという思いがします。もちろん、田舎での記憶です。「蛍」は小学校で覚えたものか。もう一曲はどこで歌ったものか、いつとは知れず口にしていたように思います。これはどんな歌なのか、ひょっとして「ナンパ(軟派)の歌」だったか。蛍狩とも言ったそうです。砂糖水を以てほたるを追いかけたことがあったかもしれない。「あっちの水は苦いぞ、こっちの水は甘いぞ」と、いかにも誘ってるんですよね。これは今でも都心部で、さかんに歌われている「勧誘の歌」なのかもしれない。今時のほたるは「屋内専門」なんでしょうね。コロナ禍もものともせず、「蛍」「ゲンジボタル」をさかんに誘っている声が、こんな山中にも聞こえてきそうです。

 「蛍」の作詞にあたった井上赴は文部官僚で、主として国定教科書編纂に関わる。古典文学の教科書への導入にも尽力した人でした。作曲の下総皖一は作曲家であり、音楽教育者でもあった。東京芸大の教授を務めた。(かみさんは彼のことを「シモカンは…」などと不信・不審な顔をして話したことがあります)。門下には團伊玖磨・芥川也寸志などがいます。ぼくは若いころに彼の著した「楽典」や「音楽理論」を読んだ記憶だけが残っています。この唱歌の初出から、もう一世紀が過ぎようとしているのですね。隔世の感、といえるのかもしれない「浮世の変わり方」です。ほたるも呆れてどこかへ行ってしまった。それを一所懸命に探している奇特な方々が各地におられます。「あっちの水は苦いぞ」「こっちの水は甘いぞ」「川の目高が 夢見る」というんですね、「むれて蛍の 大まり小まり」、ほたるは友達のように親しそうです。

    
1	
蛍のやどは 川ばた楊(やなぎ)
楊おぼろに 夕やみ寄せて
川の目高(めだか)が 夢見る頃は
ほ ほ ほたるが灯をともす


2	川風そよぐ 楊もそよぐ
そよぐ楊に 蛍がゆれて
山の三日月 隠れる頃は
ほ ほ ほたるが飛んで出る

3	川原のおもは 五月(さつき)の闇夜
かなたこなたに 友よび集(つど)い
むれて蛍の 大まり小まり
ほ ほ ほたるが飛んで行く

作詞  井上 赳
作曲 下総皖一	  
新訂尋常三年(昭07)	4年生(昭22)

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○ ホタル/ほたる / 蛍 / firefly=昆虫綱甲虫目ホタル科 Lampyridaeに属する昆虫の総称。広く世界に分布しており、およそ2000種が知られているが、とくにアジア、アメリカの熱帯地域に種類が多く、日本にはこのうち40種余りが産する。ホタルといえば一般には発光するものと思われているが、ほとんど光らない種が多く、日本産でよく光るのは10種ほどである。ホタルは体長4~30ミリメートル前後の小・中形の甲虫で、体は普通多少とも長めの楕円(だえん)形、両側がほぼ平行の種類が多いが、海外には卵形などの種類もある。一般に体は軟弱で、とくにオバボタルのように扁平(へんぺい)な類で著しい。色彩は日本では黒色で前胸が淡紅色の虫を思い浮かべるが、全体が黄色のもの、はね先が黒いもの、黒くて外縁が黄色のものなど、黒色ないし褐色と黄色ないし赤色の2色の組合せのことが多い。発光器がある腹部後方の節は普通淡黄色ないし淡紅色。扁平な種類は普通、頭が前胸下に隠れ、マドボタル類などでは前胸の前方に1対の透明部をもち、雌ははねが退化して上ばねは小片となり、幼虫型を呈することが多い。ツチボタルglow-worm (ver luisant)とよばれるのは、このような雌と発光する幼虫をあわせたものであろう。触覚は普通左右が基部で接近しており、糸状ないしのこぎり状が多いが、櫛(くし)状や両歯の櫛状のこともある。中脚の左右の基節は近接し、発光器は腹部後方の2節前後にある。成虫は普通ほとんど摂食せず、雌は草の根際(ねぎわ)やコケ、または湿った土上や土中などに産卵する。 (日本大百科全書・ニッポニカ)

○ 蛍狩(ほたるがり)=夏の夜の涼みがてらに、ホタルをとらえる遊び。いつごろからこの名称がつけられたかは明らかでない。ホタルの名所としては古来滋賀県石山寺が有名で、宇治川のホタルと並び称せられ、関東では埼玉県の大宮公園が知られていた。童唄(わらべうた)に、「ほー ほー 蛍来い あっちの水は苦いぞ こっちの水は甘いぞ」というのがあるが、これは全国各地に少しずつ異なった形で伝承されており、いずれもホタルに「来い」と呼びかける蛍狩の歌である。この歌の伝承の分布の広いことによっても、全国的にホタルが生息し、蛍狩が夏の夜の風物詩であったことが知られる。(日本大百科全書・ニッポニカ)

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 一千年以上も昔の文章が、曲がりなりにも、何とか読めるというのも不思議といえば不思議です。当然そこに書かれているほたるも、ミレニアムの時間を生きていると言えば、愛おしくなる。その愛おしい生き物を、ものの見事に絶滅寸前にまで追い込んだのが近代社会に求められた「毒薬」でした。いつも歩く田圃道に「雑草」が生い茂り、歩くたびに背を伸ばしています。それを田の持ち主は機械で刈り(切り)取っている。今のところ、「雑草」には除草剤は撒いてはいないようです。なぜなら、イネに除草剤が少しでもかかれば大ごとだからです。そのせいか、田圃の中にはオタマジャクシから孵化した小さな蛙がうじゃうじゃといます。草を殺し、虫を殺し、挙句にはたくさんの生物を絶滅させてきたのが人間社会でした。それをはたして「進歩」というのでしょうか。今は、すべての田んぼが電気柵で囲われています。変われば変わる、世の習い、ですね。

 稲の分げつが盛んに進んでいます。やがて、もう一月もすれば、そこから稲穂が顔をのぞかせるのです。一日一日、稲の生長が見られるというのも、不思議なことです。この時期、毎日毎日、田の水の調節をこまめに繰り返す作業が見られます。器械に頼れなかった昔は、水回り(当番)をきめて見張りをしていたのです。一番草(田の草取り)も始まっています。「我田引水」という言葉が頭をかすめます。水が農業にどれほど大事であるか、今は忘れられているとは思えませんけれど、水を制する者は国を制すると言われてもいたのです。利水・灌漑のことを思えば、稲の栽培が人間集団の性格を生みだし、決定してきたともいえるようです。その重労働に、花を添え興趣を掻き立ててきたのがてきたのが、ほたるであり、カエルたちだったとも言えます。ぼくが歩く田のほとりの水辺には、ほたるの影は見えてきません。近々、夜にでも歩こうと思う。

○ 分けつ・分げつ(分×蘖)=[名](スル)《「ぶんげつ」とも》稲・麦・トウモロコシなどで、茎の根に近い節から新しく茎が発生すること。また、その茎。株張り。(デジタル大辞泉) 

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 蛇足です。 コラム氏は《「鳴く蝉(せみ)よりも鳴かぬ蛍が身を焦がす」のことわざ通り 》と断っておられますが、「諺(ことわざ)」ではありません、念のために。こんなことわざがあったら、喜ぶばかりか、怒る人も出るに違いありません。実際のところは「民謡」というのがホントらしい。なんか、侘しすぎるような「民謡」ですねえ。

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 千里の道も一里から。さあ、初めの一歩を!

三重県の外国人イラスト、不気味 差別批判受け、サイトから削除

(⇦ 外国人の不法就労や不法滞在の防止に関する三重県のウェブサイトに掲載されたイラスト)

 外国人の不法就労や不法滞在に関する三重県のウェブサイトに掲載されたイラストが「不気味な表現で、外国人への差別や偏見を助長する」との指摘を受け、県が削除したことが28日分かった。県は「県民が不快に思うイラストは削除すべきだと判断した」と説明している。/ イラストは、灰色の肌に黄色の目をした土木作業員や接客業、工場作業員とみられる男女3人が「在留資格無資格」などと書かれた紙を掲げて薄ら笑いを浮かべている様子が描かれている。/ 県広聴広報課によると、イラストは県警の依頼で、出入国在留管理庁の「不法就労外国人対策キャンペーン」の期間に合わせて6月から掲載を始めた。(共同通信・2021/6/28)

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 このような問題がいつでも生じているし、その証拠を列挙するのに苦労はしないのです。地方公共団体のHPに掲載されたというのは、そのイラストを何十人何百人もの人が目にした挙句、ということでしょう。このイラストは、かなりヤバいと見た人がいたろうし、いやそれ以上に「不法就労等の問題」を指摘しているからOKだという人もいたのでしょう。その結果、賛成する側の意向が強かったから、問題なく県のネット広報に出たというのでしょうか。発信元は県警というようですから、大本の偏見醸成は県警にあったとも言えます。このようなストレートな表現が具象化されるというのは、普段からの「理解」「認識」がそのままイラスト化されたわけで、もし別の方向でとらえられていたら、これとは異なったものになっていたはずです。それにしても、なんとも意地悪く、侮蔑感満載のイラストです。

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 以下の伊勢新聞の記事、書かれている内容が事実であるとして、いかにも県庁職員の自覚というか、問題意識が希薄であり、さらにそれの上手を行ったのが警察です。「 (炎上は)想定外だった」だって。この程度の問題理解だから、偏見はいたるところに充満しているのでしょう。氷山の一角というのか、なんともお粗末で、恥ずかしい限りの事案ではなかったか。 ことは、けっして三重県だけではありませんね。

 三重県HP イラストに「悪意」と指摘 外国人不法就労の啓発 ネット炎上で削除

 三重県が外国人の不法就労や不法滞在の防止を目的としてホームページ(HP)に掲載していたイラストを削除したことが28日、分かった。イラストを「悪意がある」などと批判するコメントがインターネット上で相次いだため。県に掲載を依頼した県警は「(批判は)想定外だった」としている。/ 県が削除したのは、作業着や防護服、ドレス姿の男女3人が「在留資格 無資格」や「在留資格 留学」などと書かれた紙を手にしているイラスト。3人の肌は灰色、目は黄色で描かれている。

 削除のきっかけは稲森稔尚県議(草の根運動いが、2期、伊賀市)の投稿。25日夜、このイラストと共に「差別や偏見があおられると考えないのか。官製ヘイトだ」などと、自身のツイッターに投稿した。/ イラストを知った人からは「あまりにひどい」「悪意がある」などと批判が続出し、リツイート(引用)は千件を超えた。HPの管理を担当する県職員が〝炎上〟を発見し、26日にHPから削除した。

 県によると、県警からの依頼で、出入国在留管理庁の「不法就労外国人対策キャンペーン」に併せて今月上旬からHPに掲載。雇用主に対し、在留資格の確認や不法就労の情報提供を呼び掛けている。/ 県庁内では掲載に慎重な声もあったが、最終的には「県警の判断」として掲載したという。広聴広報課は「ツイッター上の指摘を踏まえ、差別を助長しかねないイラストだと考えて削除した」としている。/ 県警によると、イラストは県外の警察関係者が作成したフリー素材だったという。生活環境課は「あくまで不法就労の防止を啓発するためのイラストで(炎上は)想定外だった。今後は使用しない」としている。(伊勢新聞。2021/06/29)

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 数年前にシリア難民を中傷したポスター(イラスト)が問題視されたことがありました(⇧)。詳細は省きますが、「言いたいこと、書きたいことを表現して、どこが悪い」という開き直り、一種の確信犯の所為ではなかったか。指摘されれば無理を通そうとする、あるいは見苦しい弁解に逃げ込む(「本当に救われるべき難民に紛れてやってくる偽装難民を揶揄したもの」)。その実、けっして問題の根本をみようとはしない。だからくりかえされるのです。

 いずれにしても、このような問題が連続して生じるのは、この島社会に厳として存在する「外国人差別上等」(烏合の)衆に支えられているからだといって、まちがいありません。やりきれないとはこのこと、「日本には日本人だけが住んでいる」と思い込んでいるのですかね。あるいは「日本には日本人だけしか住んではいけないんだ」とみているなら、開いた口が塞がらない。おそらく、そのような(観念的)国家・国民至上主義の発現なのではなく、ただ、感覚的な「外国人に向ける偏見と、そこから生まれる差別意識」の発露になっているのが、今流のネット社会だというのでしょう。どちらにしても、悍(おぞ)ましいし、許しがたいハレンチ行為であると糾弾する必要があります。

 日本は日本人だけのものであり、理由のいかんなく、そうでないものは居てはいけないのだという、まるで戦時下の「一億一心」の再現ですし、「日本人は、たがいに助けあうが、外国人は助けるに及ばない」という、壊れた排外意識が闊歩するのです。今はそれを通り越して日本人の間にすら「自助」だか「新自由主義」だか知りませんが、醜い生存競争が演出(煽動)されているし、それを政治権力が後押ししているという、狂気の事態も進行しています。だから外国人への偏見や差別が、一層強固に叫ばれるのでしょう。

 個々人の意見表明の結果がもたらした差別現象も看過できないが、それが公共団体や官庁によって堂々と顕示・堅持されているところに、この島社会の閉塞状況が現れていると、ぼくは見ています。何気なく揶揄したのではなく、気に入らない、気に喰わないから、漫画やイラストで侮辱したのだと、あるいは少し舞い上がった神経のなせる業、さらには確信犯的な輩の仕業かとも思います。

 人間は「進歩の歴史」を歩いてきたのではありません。こと人間性に関して、進歩は無縁であるとさえぼくは考えているのです。犬猫にも劣る、あるいは「鬼畜」などと言われるように、人間存在そのものは、まことに取りつく島のないような無防備であり、手がかりも、標識もまったくないような曲折した道を歩いてきたのでしょう。今でも歩いているのです。野球の打者の成績で「打率」「打点」というのがありますが、「人間の歴史」の歩行は、さしずめ「打率」です。どんなに優れていても四割の成功は、まず覚束ない。せいぜいが二割五分。上首尾は四回に一回程度、残りは過ちであり、失敗です。何かの拍子にだんだん悪くなることさえある。人間全体がスランプに陥るということだって、過去には数えきれないほどあった。

 人間というのは「ドクタースランプ」じゃないですか。その中には個人の一方的な過失もあれば、人間集団の過ちもある。「偏見と差別」という反道徳観は、どうあっても認めるわけにはいかないし、そのために何をすべきか、すでに答えは出ているのです。あとは、その答えを自らの胸中に育て上げることばかりです。「千里の道も一里から」という、気の遠くなるような行程がまっているのですが、なに、かなりの部分がその行程に足を踏み入れているのだと、他者に励まされる、そんな冷静な心持を失いたくないですね。

 「県民が不快に思うイラストは削除すべきだと判断した」 と当局は、暢気でノーテンキなコメントを出しています。実に奇怪なものいいだし、まことにいい気なものですね。「県民が不快に思わない」なら、削除はしない。県民以外が何を言っても相手にはしないということですかね。三重県は、まんざら無縁の地ではありませんから、なおさら、この程度の「問題意識で」行政をやっているとは、見上げたもんだなあ、というほかありません。三重県に限らず、島社会にはさまざまな「差別事件・事象」が続いてきました。まだまだ続くでしょう。「人間意識」は進歩なんかしないんだ。進歩ではなく変異、まるでウィルスと同じレベルですね。もとより、「脳細胞」の成り立ちは、どれだけ歴史がかさねられようとも、まず変化はないんですから。一人一人の「自我意識」の育ち方のほうこそが問題にされなければならないんでしょうね。

 「差別はダメ」「偏見は持たないで」と言って、どういうことになるのか。それでうまくいくなら「警察はいらない」のですが、その警察が今回の事案の発信元。何のことはありません、「元から絶たなければダメ」と、出発点に戻ったのです。(大多数が偏見に毒されていると、それが差別を生む、差別そのものだという判断は働かないのです。社会通念というか、社会常識と言われるものの多くは、そのような危険性をもって出来上がっているのに、大多数がそれを受け入れているので、偏見や差別と自覚されてこなかったのです)(「なんか問題があるんですか?みんなそう言っているじゃないですか」という具合に)(みんなが「偏見と差別の実践者」あることを知ろう・認めようとしないままでいるから、このような問題や事件はいつでも起こるのです)(ぼくにも多くの「偏見」がある。それをまったくもたないで生きることは不可能だと言ってもいい。しかし、だからといって、偏見から「差別」へ一足飛びに行くということだけは戒めてきたのです。その意味では、「偏見」は、ぼくの行動の「試金石」なんです)

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 「学ぶ」側の合意を要する、実は弱い立場なのだ

 「教育方法」について

 「教える―学ぶ」という関係を、権力関係と混同してはならない。実際、われわれが命令するためには、そのことが教えられていなければならない。われわれは赤ん坊に対して支配者であるよりも、その奴隷である。つまり、「教える」立場は、ふつうそう考えられているのとは逆に、けっして優位にあるのではない。むしろ、それとは逆に、「学ぶ」側の合意を必要とし、その恣意に従属せざるをえない弱い立場だというべきである。(柄谷行人『探求Ⅰ』)

 教室で教師が「話す」、それをぼくたちは「教える」と理解しています。「話す」と「教える」は等価だという具合に受けとるのです。あまりめんどうなことはいわないつもりですが、はたしてそれは同じかどうか、熟考してみる必要があるようです。コミュニケーション、あるいは対話(ダイアローグ)という視点から教室の風景を眺めてみれば、なおさらこのことを強調したい気がします。教室では、いったいなにが行われているのか。多少の差異があるとも言えますが、一貫してこの島の学校教育史では「教師は教え、生徒は学ぶ」というチャラい言葉を使ってきました。実際にはどういうことが行われて来たのか。 

  柄谷さんのいう「権力関係」とは「権力の行使が支配と服従の関係において行われる」ととらえてみます。教師―生徒関係において、教師は立場上、生徒よりも優位な関係にあるという程度の意味です。法律の領域ではふたつの「権力関係」が存在するとされます。その一は「一般権力関係」といわれるもので、国家(権力)と国民との法律や同意をもととした支配と服従の関係をさします。その二は「特別権力関係」といわれるもので、具体的な法律の規定にもとづかないでも合理的な範囲内で、支配と服従の関係をとることができるとされます。

 こまかな議論は省略しますが、公立学校における制服の着用に違反した生徒に対して学校(校長や教師)は着用命令を出すことがあります。そのような場合をさして学校と生徒は「特別権力関係」にあるのだからとされるのです。 もちろん、柄谷さんがいうのは、そのようなこむずかしい話ではなく、ものを教える人間は教えられる人間に対して優位にあるどころか、その反対であって、教えられる側の同意や恣意につき合わなければならないというのでしょう。赤ちゃんにものを「教える」場合や、未習の外国語をだれかに「教える」場合を想定してみればいい。わからないからといって、怒ったところで始まらない。(このことについては、英米で活躍した哲学と数学の教師だったホワイトヘッドが、これと同じような教育方法論を述べていたことを、どこかで紹介しました)

 教えることを理解しないからと、近年では赤ちゃんや幼児を虐待する親が後を絶ちません。それはまるで、できのよくない生徒に対する教師の仕打ちのように残酷な行為だといわなければならない。教育という通念の名を借りた「暴力」であり、「犯罪」そのものです。物事を教えようとしているのか、それとも暴力を振るって支配しようとするのか。まるで、ある種の「親ー子」や「教師―生徒」は特別権力関係(支配と被支配)にあるのではといいたくなります。つまるところは、「学ぶ」側が納得しなければ教えたことにはならないという、きわめてあたりまえのことをいっているにすぎないのです。

 多くの教師は生徒に対して優位な関係にあると考えているのかもしれないが、事実は反対、というよりは権力関係など成立しないところで教育は行われるとみるほうが、教育の可能性に符合しているとぼくは考えるのです。もっと言えば、自分の位置をそのようなところにおいて置き換えなければ、やはり「権力関係」といった誤ったところでしか「教育」をとらえられないのです。教えるというのは伝えることでも、命令することでもない。いままでよくわからなかった問題が相手によって納得される、了解される(わからなかったことが「わからない」と自覚できる)ということを含んでいるはずで、教師のひとり相撲ではおぼつかない行為でしょう。

  馬の耳に念仏という俚諺(りげん)があります。あるいは兎に祭文(さいもん)とも、犬に論語ともいいます。いずれもその価値やありがたみがわからないのだから、言い聞かせても無駄だという意でとらえられています。学校教育であつかわわれるものがすべて子どもたちにとって念仏や祭文や論語だというつもりはありませんが、まったく似たところがないともいえないようです。これに加えて、庶民に般若心経ですか。

  馬や兎や犬にとってさいわいなのは試験がないという点です。試験や成績評価という鞭があればこそ、教師は子どもたちに対して優位に立つことができるからです。教師と生徒の関係は権力関係ではないという意味は、けっして簡単ではないので、誰にでも直ちに理解できるとは言えませんが、そのことをじゅうぶんに、根本からとらえる、とらえなおす必要がありそうです。「教える―学ぶ」(その実は、「話す―聞く」)という〈教師―生徒〉関係を機軸とした教育制度においてもっとも「望まれる伝統・文化」とは、教育を受ける側に私的な(自由・勝手な)領分や余地を残さないことにあるのです。「静かにせよ」という、それは勝手にしゃべるなという格率でしょう。教師の許可を得なければ、話してはならないというのです。つまり、はなから子どもたちの人権を無視しているということです。

 どのような学校にも日常的に見られる「処分・処罰」は、一面では排除(非同調者を認めない)の作用でもあり、他面、一罰百戒という観点にたてば、それは集団の文化への同化をうながす過程でもあるのです。「いい子にしてないと、処分されるよ」そのような同化(や異化)の過程は教育制度の基盤を維持するため、つまりは〈教師―生徒〉関係に求められている「教育という交換関係」を成立させるための有効な手段となります。教師が生徒に教える見返りとして、生徒は教師に服従するという構図です。これは明らかに間違いですね。時代錯誤というより、教育の根本問題の立て方が間違っているんです。

 冒頭に引用した柄谷さんも言われているように、教師の立場は弱い立場であり、学ぶ側(児童・生徒)の同意や合意を得なければ、何事も成就しない仕事なのだと、改めて言いたいですね。一見して、何事もなく、教師づらできているのは、「教える」が成立しているからではなく、試験や点数で抑圧しているから、自分の優位な立場が成り立っている、それだけです。だから、殆んどの教師は錯覚しているんですよ。「おれは教えてやった。あとはお前らの責任だ」と一丁前の理屈を言って、赤ん坊を放置していると児童虐待になるんじゃないですか。それと同じような危険な行為を教師は日常的にやっているんだ。

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 以上のようなことは、ぼくが大学を卒業して以来、ずっと考えてきたことです。何をいまさら、寝言を言ってるんじゃないよと、謗られそうです。それ(誹謗中傷の類)を防ぐ手立てはぼくにはありませんが、学校教育が重大な危機に瀕している(あるいは、すでに分岐点を超えたと言えるかもしれません)、この事態にかかわりのある人は、もっとも単純なところから、現実のありようを疑ってみたらどうか、そのためにつっかえ棒にはならぬが、何かの足しにはなるでしょ、そんなつもりで、目覚めているにもかかわらず「寝言」を言っているのです。

 もちろん、誰に指摘されるまでもなく、こんなことは大した考えでもないし、他人(ひと)さまにお勧めできるような上等なものでもありません。でも、ぼく自身が小学校入学以来、学校や教師に対して不信の念を絶やさなかった一番の理由が、「教師は教え、生徒は学ぶ」という「垂直・上下関係」の内在させている嘘八百でした。「ホンマに教師は教えているんか」と、いつでも疑っていたし、それがいつの日か、確信に変わったのです。「そのものがなんであるかを知らないのに、どうして教えられて、理解できるのか」という懐疑が、ぼくの心中に居座っていたのです。このことは親子の関係についても言えそうです。親は子どもを育てるんであって、何かを教えているのではないんだという、狭い了見をぼくは手放さなかった。(そのために親父に対して、じゅうぶんに敬意を持つことが、高校を卒業するまではできなかった。ぼくの小さくない過誤でもあったと思う)

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 リンゴを口にする人間を恐れたんだ

 【小社会】 新聞の葬式

Staff members of Apple Daily and its publisher Next Digital react on the day of the newspaper’s final edition in Hong Kong, China June 23, 2021. REUTERS/Lam Yik

 香港から届く報に土佐人なら思い浮かべた人もいるだろう。1882年に行われた新聞の葬式だ。立志社の機関紙だった当時の高知新聞が、政府批判の言論で発行禁止処分を受けた。◆〈我ガ愛友ナル高知新聞ハ一昨十四日午後九時絶命候(そうろう)ニ付…〉。「高知自由新聞」が死亡広告を出す。発禁号を納めたひつぎを中心とした葬列は、高知市中心部から五台山へ。会葬者は記帳した人だけで2千人超。実際は5千人とも。◆県出身の作家、故坂東眞砂子さんは、土佐人は政府の弾圧に抵抗するか、あきらめるかの二者択一ではなく「おちょくり返した」と述べている。当時の高知新聞は現在の本紙と直接的なつながりはないが、土佐人らしい反骨精神を今に伝える逸話だ。 ◆ 中国に批判的な香港紙、蘋果(ひんか)日報(リンゴ日報)が廃刊に追い込まれた。むろん明治日本とは時代も背景も異なる。ただ、「言論の自由が失われる」と嘆き、最終号を買い求める市民の長蛇の列もまた「葬列」に見えて仕方がない。◆ 国際社会に約束したはずの一国二制度、自由と民主主義が次々に踏みにじられていく。習近平指導部は、人権弾圧への非難も「中国流の民主主義がある」と意に介さない。5月に指示したという「愛される中国のイメージ」づくりも、大国らしい振る舞いがあってこそだろう。◆ 土の下に埋葬されたリンゴの種は再び芽吹くことがあるのかどうか。芽吹かなくてはなるまい。(高知新聞・2021.06.26 )

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 中国政府はどこに行こうとしているのか。圧政権力は、いずれにあっても同じような足取りをたどる。どの権力政治もが犯したまちがいや誤りをきっと繰り返すのだ。香港「りんご日報」問題は、単なる一地域に限らず、中国全体にその影響、悪影響を及ぼすはず。力を少し持てば、すこしだけ、その力を試したくなる。大きな権力を持てはより大きく、それを使いたくなる。権力は腐敗するとよく言われるが、腐敗するのが権力だと言っていい。小さな香港に対して、全国家権力を注入して「自由の息の根」を止めにかかったのが、その偽らない証拠となろう。今回はさらにその感を強くする。発行部数十万部というのは、香港では大きな新聞社に属するのだろうか。それとも、やはり中小の報道機関に過ぎないであろうか。どちらにしろ、その新聞社を全体重をかけて踏みつぶしたのである。なぜか、権力は直感的に、個々人は小さいが、「意見を持っている」人間集団を恐れたのだ。放置できないと直感したのだが、その「反応・反作用」は必ず来るとぼくは信じている。しかも、実はこの「リンゴ」は死んではいない。来年あるいは五年後に復活するか、あるいはもっと先に再生するのか。いずれにしろ、いったん死んだからこそ、生き返ることが出来るのだ。「一粒の麦、もし死なずば」を想起する。ジッドによって書かれた「伝記」は有名であるが、そのもとになった聖書の本文を以下に示しておこう。

 「人の子が栄光を受ける時がきた。よくよくあなたがたに言っておく。一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる」(日本聖書協会刊 口語訳聖書)

「蘋果日報」(ひんかにっぽう、Apple Daily・アップルデイリー)の創業者であり発行人でもあった黎智英は「もしアダムとイブがリンゴを口にしなかったら、世界に善悪はなくニュースも存在しなかっただろう」と、「りんご日報」命名の由来を語った。一粒のリンゴはもぎとられ、地にすてられた。しかし、その「死んだリンゴの種」からまた、不死鳥の如く「りんご日報」は甦るだろうか。きっと。

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 改めて政治(政府)と新聞について思いを巡らせている。アメリカの大統領だったジェファーソンは「新聞」に関して「二律背反」ともいえる体験からの感想を伝えている。一つは、新聞を読む人と読まない人の「真実への距離」の違い、そこには新聞を、明らかに愚弄する姿勢が見て取れる。もう一つは「新聞のない政府か、政府のない新聞か」という二択である。このどちらも、ぼくたちの社会の状況、政治権力と報道の関係に何かを示しているのだろうか。あるいは、それはまったく別の国の話で、この島社会は「新聞のある政府」でうまく行っているというのだろうか。(かなり旧聞となったが、なに、こんな愚かしいことが延々と「政治と報道」で続いてきたのが、この島社会なんだ、という事例として、以下に古いコラムを出しておく。この島社会に「一粒のリンゴ」は存在しているのだろうか)

 【余録】「真実もあの毒された器(である新聞)に入れると怪しくなる。新聞をまるで読まない人間は読む人よりも真実に近い」。こんなことをいう米国大統領といえば、今ならばメディアを「偽ニュース」とののしるあの人を思い浮かべるだろう▲ところがこれ、米国の建国の父で第3代大統領、報道の自由や人権を定めた憲法修正条項(権利章典)の生みの親ともいえるトーマス・ジェファーソンの言葉という。その彼にして奴隷の女性との間の隠し子スキャンダルを追及する新聞がよほど憎たらしかったのか▲奴隷制に反対しながら、大農場で多くの黒人奴隷を使役していたように白黒矛盾した面のあるジェファーソンだった。新聞についても先の言葉とは正反対の「新聞なき政府か、政府なき新聞か。いずれかを選べと迫られたら、ためらわず後者を選ぶ」との言葉もある▲こちらは一部メディアを「国民の敵」と断じ、共和党の重鎮からも「独裁者はそうやって物事を始めるものだ」と非難されたトランプ大統領だ。だがその後も報道官の懇談から一部のメディアを締め出し、記者会恒例の夕食会の欠席を表明するなど対決姿勢を崩さない▲入国禁止令を司法に葬られ、人事も迷走する新政権である。今やメディアとの対決は「トランプ劇場」の貴重な当たり演目なのだろう。だが建国の父の醜(しゅう)聞(ぶん)を追った昔からメディアの方もヤワでなかった。もうこの先、安定した政権運営は望んでも得られなくなろう▲言論と報道の自由は権利章典の第1条が掲げる米国文明の魂である。新聞をくさすのはともかく、自由を守る闘いを侮っては大統領も長くはつとまるまい。(毎日新聞 2017/2/28)

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 香港の「一新聞の死」を対岸の火事とみているのが、この島の各新聞社ではないか。凄いことが起ったが、こっちは安心安全だ。なぜなら「政治や政治家を批判するなどという愚かしい(危ない)ことはしないんだから」と、同僚と、あるいは政治家と杯を傾けながら談論している図が見えてくる。挙って、五輪のスポンサーになり、人民の被害や苦しみを歯牙にもかけない屑政権に加担している「新聞社」である。芸のない話だが、ジェファーソンの顰にならうなら、今どきこの社会では「新聞を読まない人民」が多数を占めているから、いっそう事態の真実に接近しているのかもしれないと、いえるのか。ならば、どうして屑政権が何代も続くのか、理解に苦労する。さらに「新聞のある政府」という状況は、表面的には本だろう。だが、その内情・内実は、これが新聞だなどと義理にも言えない代物で、はっきり言えば、ある政党や政府の広報紙であり、機関紙ではないかという怨嗟(非難)の声もあちこちから聞こえてくる。

 時の権力に「よいしょ」「ご機嫌取り」というような、頽廃いちじるしい「忖度記事」が満載とは言わないが、ツボを心得て書かれている。なぜこうなったか。その背景や理由は多々あるに違いない。そのことを踏まえて言えば、マスコミ自体が「権力の一員」だと、自己欺瞞を犯しているということだろう。「新聞は第四の権力」と言われるが、三権の堕落や独走をペンの力で指摘し糾弾しうるから、その意味では、三権に伍して(引けを取らないで)対峙しているという意味でのことだろう。それをいかに誤解しているとはいえ、「自らが権力の側にいる」という、そのおのれを知らぬ恥ずかしい自己認識が諸悪の根源ではないかと、ぼくは見ている。ぼくは、とっくの昔に、この島の新聞は死んでしまった、そう確信していた。いまでも、そのことを微塵も疑っていない。今回の「五輪」騒動やコロナ禍に際しての、時の政府の不手際・不誠実・不真面目・不謹慎・不明朗…、後に続く言葉がないほど、出鱈目のかぎりをつくしている惨状を目を開けてみていられない。なれ合い、同じ穴のむじな、人民の苦しみを放置する汚さでは、仲良く隊列を組む「政府と新聞」である。そんな新聞も政府も、ぼくは、まったく存在価値も認めていないし、その必要性すら感じないのだ。新聞のない政府のない社会、それは果たしてなり立つか。まるでアナーキーで、それで結構と言いたい気もするのだ。

 現下、アメリカを凌ぐ国家となった中国当局は、たった一人であっても「知恵の実(であるリンゴ)」を口にする人間がいることを恐れたのだ。多様性が崩れると、単一の価値観が強いられる。「同じ景色を見ろ」「右に同じといえ」と言われることは必定である。しかし、やがて、その単一性はほころびを見せるのだ。政治という暴力で人間の心根を押しつぶすことが出来そうで、実はそれは不可能だということを、(これまで何度も繰り返し見せられてきた政治劇だ)またもや中国当局は全世界に向かって、(当事者は望んではいないだろうが)教えているのだ。この暴挙をやらなければ、「自ら」が危ないという、内部の「権力闘争」の一端・一齣なんだろう。

 この世に「善と悪」があると知る知恵は、善と悪を判断する(識別する)力を持っているという意味になる。知恵は感覚であると同時に、経験から学ぶ謙虚な姿勢(思想)を指す。自ら獲得しようとしなければ、得られないものなのだ。その判断力こそが、自らのよって立つ基盤でもあり、根源でもあると、ぼくは考え抜いてきた。

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 団結を強いる集団は、人間の集まりとしてどうか

 「多数派と多様性」について~バラバラであることが、集団の生き永らえる道です

 普通(ordinary)・みんな誰でも(in a body)・平均点主義(average)という考え方。このような観念(ものの見方)を主張することはまちがいじゃないけれど、それを強制するのは一種の全体主義(totalitarianism)だと思う。きゅうくつな感じがしますね。「普通」というのはどこにもないのに、一種のかたまりとして想定されています。頭の中にだけあるような考え、それは観念です。「鰯の頭も信心から」というのも観念主義です。「般若心経」もまた、壮大な観念主義です。観念主義が悪いというのではありません。ともすると、その観念(空想)の中に、閉じ込められて身動きが取れなくなることを警戒したいんです。

 「お前、普通じゃないよ」「わたしは普通の日本人です」とか。そのかたまりの一部になることが「徳」(よいこと)とみなされてきたし、また、そうするように、個々人を訓練するように期待されたのが学校教育の仕事だったと思う。いわば、かたまりのなかにみんなを閉じこめること。逆に言えば、「普通」という架空の土俵からはみ出ることを恐れるように訓練するっていうこと、ね。仲間外れを恐れ、仲間意識を強化する、それがこの近代化の歴史の中で学校教育が果たしてきた役割です。今でもその延長のような、時代遅れという以上に、人間破壊教育が行われていることに、ぼくは脅威を感じます。

  「みんないっしょ」とか「人はだれでも」というように、みんな(だれでも)のなかに自分を入れることに対して、わたしたちはあまり疑問をもたないんじゃないかな。疑問を持ってはいけないように強いられてきたとも言えます。むしろ反対に、自分がみんなから孤立するのを恐れる場合が多いでしょ、たぶん。どうしてでしょうか?「わたし」と「みんな」の見分けがつかなくなるのは、多数派をつくるという点ではいいことかも知れないけど、「わたし」が「わたし」である理由が消えちゃう。

 「人並み(十人並み)」ということをいいます。いいかえれば「普通」ということか。「人並みの生活」「十人並みの器量」「普通のおばさん」なんてね。でも、よく考えれば、「人並みの生活」や「普通のおばさん」はどこにもないし、どこにもいない。あるのは頭の中だけの、空想の類です。あるいは「平均値」を体現するような存在や実態がどこかにあるのかしら。人は互いに違う。きっと、それぞれはどこかにちがうところが認められる。しかし、そのちがい(交替不能で、かけがえのないこと)を認めることは以外にむずかしい。  

 ここで、十人十色という言葉を使いたい。他国では So many men, so many minds. 三人三色でもかまわない。違いは違いとして、自分を消さなければ、「だれでも」にならない。「日本人なら✖✖だ」と言いがちなのはわかります。でも一人の日本人が一億以上もいるんだし、それぞれが異なった存在の意味や価値を体しているともいえるのです。日本人なら、夏は浴衣だ、と言いたいのは着物屋さん、あるいはデパートでしょう。でもいろいろなものを身にまとっている、たくさんの人がいて、それが日本人。初めに言いましたね、一億一心という、あり得ない観念主義に足元を掬われないことが大事です。集団にとって大切なありかたは、全員一塊ではなく、バラバラ、まとまりを欠いていることが、集団を救うことになるんです。現下、「東京五輪」開催に関して、民意は、おそらく四分五裂しています。それには理由があります。災厄の最中に、それをさらに酷くすることには賛成できないという人が多いからでしょう。人民の考え方を無視して、権力を以ているから、何でもできると考えることは救い難い誤りです。それは歴史に対する反逆です。

   「育てる」を支えにして「教える」がなり立つのだと、ぼくは考えてきました。。「教育」という言葉をみてください。そこには、「教える」と「育てる」という、二つのはたらき、それぞれに異なるねらいがありますね。教と育と。「多数派」をつくるのはどちらのはたらきですか。「多様性」を生みだすのは「教」ですか「育」ですか? あんまり言葉にとらわれない方がいいでしょうね。「教育」には多様な可能性があり、けっして「こうあるべき」という観念で始末できるものではないんです。

 ここで、どなたにも質問します。学校は「教える」ところか「育てる」ところか。たとえば「一致団結」とか「一糸乱れず」「全員一丸となって」などと、いかにもおそろしい掛け声がかけられたりします。また、島国の近い過去には「億兆、心を一にして」などと、ありえないことを叫んでいた時代もありました。そうすることで、個人というか、「わたし」を消してしまおうとしているのでしょう。自分のなかに世間(みんなの考えや態度)を受け入れるということです。これを徹底するのが学校教育の役割でした。今はどうなんですかね。

 ただでさえ「自分」と「他人」がくっつきがちなうえに、それをさらに強めるような風潮が学校や社会にあったし、今でもあるでしょう。「右へならえ」という雰囲気です。そして、たいていの場合は「右にならう」ことがいいことか、正しいことかと考える(判断する)手間がぬけているんです。「男は黙って、×××だ」と、何の疑いもなく、男らしさを主張できる時代ではなくなっているのです。あるいは女性であっても同様だし、男だけ女だけではやり過ごせない問題が歴史の中にはっきりと存在していことを、ぼくたちは認めることを求められているのです。つい最近、最高裁で「夫婦は別姓」と求める人たちの起こした裁判で、「夫婦は同姓」は憲法違反ではないという判断が出されました。最高裁と雖も、時代の進み行きに、はるかに置いて行かれているのです。


 こんな言葉がいまでも使われていますか。「寄らば大樹の陰」「長いものには巻かれろ」「和をもって尊しとなす」「親方、日の丸」などなど。しかし、どこまでも「自分」と「他人」はちがうのだという自覚から、すべての物事をはじめたい、というのがぼくの生き方だし、デモクラシーの原理にかなっているのではないかと思う。大きなもの、強いもの、自分が寄りかかる「傘」を、ぼくたちはいつでも求めているのでしょうか。自分の足で立つ、自分の頭で考える、それが可能になるような、個々人がバラバラに存在していて、初めて集団は健全であるともいえるのです。少数意見を認めるというのは、簡単なことではなく、その意見を表明する人間の存在に敬意を払うことです。

 100対0は救い難し。99対1の1はぼく、そんな存在になりたいと願ってきたんです。かんたんに「多数派」に身をまかせないことが大事じゃないですか。あることがらについて、こんな見方がある、あんな見方もできるという経験を重ねることによって、自分のものの見方に広がりや幅が生まれる。自分と他人はちがうのだというところから、新しい自分の成長(発見)が期待される。それも自分とは異なる主体である他人がいてこそ、です。多様性というのは、たんに「バラバラ」ということではないのですね。「つるまない」「自分を無にしない」という意味です。自分を殺すことなく、他人の存在をも認めるということです。デモクラシーというのは、いわば「見果てぬ夢」のようなもので、一歩近づいたと思えば、一歩遠ざかる。なかなか手中にすることはできない集団における生活態度でもあるのでしょう。そろってほしいけど、そろいすぎると「全体主義」に陥る。実に危ういし、脆いものですね。

 そこにデモクラシーのむずかしさ(到達し得ない課題)があるのかも知れませんね。今日、「多様性」はあちこちで、多様に使われていますが、その傾向が強まると、きっと反動が来ますね。「男は黙って、…」というね。「女なら、…」とも。「日本人だろ」というように、ね。この島に住む「日本人として」、ぼくたちはどのような方向を目指すのか。日本人だけが、この島に住んでいるのではないということを、どれだけぼくたちは自覚し、意識しているでしょうか。日本人ではない、他の国籍を有する人たちが数多く居住しているのは事実です。だから、「日本人として、この道を行こう、全員で行くのだ」という掛け声は、それだけではまちがいであり、「歴史の現在」における事実を誤認しているのです。一例ですが、在日韓国・朝鮮人が(すべてであるとは言えないにしても、多くの人々は)「自らの文化や歴史」を服膺しながら、自己の解放を求めつづけているということも、ぼくたちは忘れるべきではないはずです。 

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