建物の中でなにが行われているのか

【正平調】きょうもその門をくぐり、廊下を歩き、教室で学んでいる子がいるというのだから、何ともうらやましい。西脇市立西脇小学校の木造校舎が、国の重要文化財に指定されることになった◆1934(昭和9)年などに建てられた計3棟で、現役校舎の重文は全国で3例目という。しゃれた洋風の意匠が凝らされた校舎は、「おめでとう」の声にぽっと頬でも染めそうな上品なたたずまいをしている◆その見事な風格に世界的建築家、丹下健三さんの言葉を重ねたい。「美しきもののみ機能的である」。使いやすさを重んじ、余分なものをそぎ落とした建物は見た目が美しいし、美しい建物もまた長く愛されるがゆえ使い慣れていく-ということだろう◆西脇小の校舎は老朽化のため取り壊しを検討されたことがある。反対の声が上がったそうだ。親しんだ学びやへの愛着や郷愁はもちろん、「美しきもの」を次代に残したいという気持ちの表れだったに違いない◆いろんな後押しもあって保存が決まった校舎は、バリアフリー化や耐震といった現代風の機能を施され、ますます美しさに磨きがかかった。いまや郷土のみならず、日本の財産である。よくぞ残していただいた◆「ありがとう」。校舎もきっと照れくさそうにそう言っている。(神戸新聞NEXT・2021/05/26)

 見るからに、威容・威風堂々としたというべきでしょう。コラム氏がいかにも誇らしげに書かれている、その気分はよくわかると言いたいのですが、いや、そうじゃないね。「いまや郷土のみならず、日本の財産である」というに至っては、この島はそんなに「財産」に乏しい社会なんですかと、反対に問い返したい。さらに「ケチ」を付けるわけではないのですが、ここに「世界の丹下」を担ぎ出して、「美しきもののみ機能的である」という彼の(嘘くさい)言葉を添えています。いかにも安っぽいんじゃないですか。わざわざ丹下を持ってくるのも、彼の「薄汚れた権威」を借りようという魂胆ですね。(丹下さんの表現は適切であろうけれども、彼の建築したものには当てはまらないという謂いです)

 ぼくは丹下健三に含むところがあるものではありません。しかし、彼が残したいくつかの「レガシー」(というのか、建物です)を実際に訪れてみて、「なんという異様な、どうしようもないグロテスクな、環境破壊そのもの」というほかなかったからです。「コケオドシ」とはこれを言うのかと思いました。毎日のように東京がニュースネタになると、きっと都庁の映像が流れます。何度か、野暮用で呼び出されたことがあったので、まんざら知らない建物ではない。「いかにも丹下」という感じそのままに、その内部は何とも機能的ではないと思ったのでした。もう何十年も前、文京区の関口教会に出かけたことがありました。カトリックも「粋な」を通り越した、「破壊的な教会」を建てたものだと感じたのでした。

 どうして「現代建築」に設計者の個人名を冠するのか、その理由はよく知りません。建物を残したいのか、名前を残したいのか。それらはいずれも百年以上は持続しない代物です。ここに、法隆寺を持ちだすまでもありません。ぼくが敬愛する前川國夫氏は「建築家の風上にも置けない輩」と大学同期だったかの「世界の丹下」を切り捨てています。丹下の設計による建物は、周囲を圧倒するというのか、周りを睥睨する気味のある風貌です。権威と権力が合体したような建造物がどうしてもてはやされるのでしょうか。「醜悪なもののみ非機能的である」という実例でした。どうして巨大な建物が求められるのでしょう。無用の長物に莫大な金をかけるのは、悪趣味を通り越して、もはや犯罪でしょう。

 この島の各地には実用に耐えて、今も健在な木造建物は数知れません。築百年は赤子みたいなもので、築二百年は若造と言っていいほどに、木造が現役で機能しているのは、どういうことでしょうか。世界の丹下(に代表される)の設計になる建造物は半世紀がやっとだとは、どうしてでしょうか。西脇小の校舎をだれが設計し誰が建てたのか、ぼくはまだ調べていないので分かりません。しかし、それを顕彰するなら、先ずその人々から始めるのが順序ではないですか。長野の開智学校(写真上)は、たった一人の大工さんにより建てられた。名前は判明しています。渡米し、西洋風の建築技法を学んで帰国。村民の大層な寄付によって建てられた。西脇小の「国の重文指定」は目出たいことかもしれないが、さらに大事なのは、そこで学び、今も学んでいる多数の子どもたちがいることです。どのように機能してきたか、機能しているか、それを語らないのは「湯船のお湯」が漏れていく感じがします。「山高きがゆえに尊からず」と言います。でも百年に満たない建物の存在に、何か誇るものがあるのかしらという感想が、ぼくにはありますね。

 ぼくが卒業した小学校は慶応年間に始まります。何度か触れたように思いますので詳細は省略。京都市立嵯峨小学校(左写真)。いまもその形骸のみは残されているようです。変な表現をしますが、いわば「換骨奪胎」です。ぼくが在学していた当時、校門から見て最も近い校舎の二階は広々とした畳敷きの部屋でした。(左写真の入り口屋根の真後ろ)そこで、かしこまって「テレビ」を観たような記憶があります。(錯覚かもしれない)また、当時、実際にこれを観た覚えはありませんが、太政官から小学校へ「高札」が出されていたようです。この学校でも、いい思い出などは微塵もなかったといいたくなります。矯正・強制、それが教育の別名の如くに執行されていたのですから。

 

一 人たるもの五倫の道を正しくすべき事

一 鰥寡(かんか)孤独廃疾のものを憐むべき事

一 人を殺し家を焼き財を盗む当の悪業あるまじき事 慶応四年三月 太政官

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 まず何よりも学校は「礼儀作法」というのか、「五倫」を徹底して教え込むことを第一義としていたことがよくわかります。学校は教育施設であると言われますが、むしろ「矯正施設」「処罰制度」と言い換えた方がその性格を言い表しているように思われるのです。性はすこぶる従順でなかったぼくはやがて、学校教育の感化主義を呪いたくなるような掟破りに意を決してゆきます。その素地を作ってくれたのが小学校であり、そこの教員たちでした。感謝もしなければ恨みもしませんけれど、今思い出しても嫌なところだったなあという実感がわき出してきます。

 集団を統率する手法は、学校以外にもあるようですが、もっとも近似しているのが少年院・少年刑務所でした。建物の外観が酷似しているというのは、その中で機能するシステムもよく似ている、あるいは瓜二つだからです。さらに加えて病院、工場などと挙げていけば、国の近代化に求められた制度や組織、システムは多様な場面で「同様・同一の原理」で動かされてきたのです。建物が古くなったから尊いのではなく、その中でどのようなことが行われてきたか、それを吟味しないで何かを語るのは、森を見て木を見ないような、肝心かなめの機能を忘れているといいたいのです。

 左と右下の写真は、奈良少年刑務所の建物です。昨年、ホテルに業態を変えて、ただ今は盛業中とか。卒業生たちが利用しているのでしょうか。この建物の設計意図もまた、学校建築に転用できるようなものでした。その逆も真なり。いろいろな視点からとらえられますが、学校も刑務所も、さらには病院も、そこに働く機能は同様なものといえます。まず「分類」「選別」「賞罰の利用」「進級」「落第」などです。試験やテストも導入されていますから、この訓練を経験すれば、何処に行っても迷わずに順応できるのです。そこに企業が加われば、近代化の過程(課程)に必要な要素は完成します。

  次の引用は、すでにどこかで触れたと記憶しています。大切な指摘でもあり、この問題に密接にかかわっていると判断しますので、再度引用しておきます。

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 ある雑誌のインタビューで、フーコーは次のような質問を受けた。

 ― 現在私に非常に重要だと思われる考え方があります。それはあなたご自身やその他例えばドゥルーズなどが提示しているさまざまな形態の監禁の間の関係、学校、軍隊、工場、刑務所の類似という考えです。

 確かにこれらの施設の中には類似性が存在します。しかしそれは偶然だったり外面的な類似でしょうか。それとも本質的な類似でしょうか。確かにそうした施設は人々が一定期間閉じこめられている場所です。しかし閉じこめる原因や目的はもちろん異なりますね。(M・フーコー「監獄的監禁について」聞き手はクリヴィンとランジェラム)(1973年)

 上の質問に答えて、フーコーは以下のように述べます。

 ― あなたがおっしゃった「本質」という言葉には少しひっかかりますね。事柄を最も外面的に見る必要があります。そうですね、十九世紀のなんらかの施設の規則をあなたにご紹介したら、それがどこの規則だかお分かりになるでしょうか。一八四〇年のある刑務所の規則か、それとも同時代の中学、工場、孤児院、あるいは精神病院のものでしょうか。言い当てるのはむずかしいですよ。つまり機能の仕方は同じということです(建築も部分的には同じです)。何が同一なのでしょうか。これらの施設に固有の権力構造が本当のところまったく同一なのだと私は思います。本当は同一性が存在するのであって、類似性が存在するとは言えません。同一のタイプの権力で、同一の権力が行使されています。(同上)

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 近代社会は「監視と処罰」を教義として開始され、今日まで続いてきました。その一つの象徴が「西脇小学校」の「重文指定」です。指定された理由は別のところにあるといわれるでしょうが、それにかかわらず、学校建築が国家の文化政策の「シンボル」とみなされたことには深い意味があるのでしょう。「監獄の誕生」を公刊したたフーコーは、その副題に「監視と処罰」と明示しました。今日はそれよりもはるかに先に進んだと思われそうですが、「監視と処罰」がIT化されただけであり、まぎれもなくぼくたちの日常のことごとくが監視下に置かれているのです。生身の人間である「お巡りさん」や「デカ」はもう不要になった。「監視カメラ」は一瞬も休むことなく、権力に歯向かう不埒な存在の監視に、これ務めているのです。やがて、学校のいたるところに監視網が張り巡らされることでしょう。なあに、もうとっくにカメラは回っているよ、という囁きが大きくなりました。それを回しているのは、いったい誰だ?

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