
【北斗星】しばらく夜の繁華街から足が遠のいている。新型コロナウイルスの感染が収まらない状況では仕方ない。休業、あるいは閉店した飲食店もある▼朝の通勤時に秋田市の繁華街・川反を歩きながら、なじみの店主の顔を思い浮かべる。ふと路地に目をやると、見慣れた顔が見えた。猫である▼餌には不自由していないのだろう。とらじまで体格もよく、貫禄十分。通行人を見ても動じる気配はない。川反には他にも地域に愛される猫が何匹かいて、たくましさを感じる▼解剖学者の養老孟司さんは昨年12月、愛猫まるとの別れを経験。その模様を先日の本紙「くらし欄」で語っていた。死の数日前、まるは姿を消した。慌てた養老さんは捜して家に連れ戻す。まるはその後、お気に入りの縁側で死んだ。猫は死期を悟ると人目を避けて死に場所に向かうとされる。「余計なことをしたかもしれない」との言葉が印象深い▼猫好きの養老さんと犬好きの医師近藤誠さんによる対談集「ねこバカ いぬバカ」(小学館)はペット医療から人の死生観まで内容豊富。2人はペット相手には言葉が要らないことを重視する。現代人は常に他人の言葉に反応するよう求められて疲れる。ペットは話をしないから楽だという▼人もペットも寿命は延びたが、別れは必ず訪れる。近藤さんはあとがきで「みとり方次第でペットが幸せにも不幸にもなるし、みとった側に心の傷が残ることもある」とつづる。飼い主の心構えを考えさせられる。(秋田魁新報電子版・2021年5月19日)

もう何年になるか、二十年ほど前だと記憶しています。たった一人で(ぼくは旅に出かけるのはたいてい単独行)、秋田に出かけた。大した用件でもありませんでした。取材を兼ねて、二泊ほどした気がします。秋田には土地勘はまったくありませんでしたから、秋田駅から賑やかな方へと歩いて行き、川沿いに連なる、大きな繁華街に出た、それが川反でした。これで「かわばた」と読ませるそうです。江戸時代にはこのあたりは武士の町だったそうで、その後、それは近間に移住するようになり、後から住み着いた人々が、どういうわけだか「川反」と読んだらしい。ぼくは、このあたりの呑み屋に入り、ゆっくりとお酒と肴少々、比内地鶏などを楽しみました。
それよりもさらに前、若気の至りではしゃいでいたころ、秋田のお酒を飲むために出かけたような気がします。高清水とか両関など、まだ各地に出回っていない時代で、現地まで出かけて飲む必要がありました、というか、そんな必要なんかない人もいますから、まことに意地汚い呑兵衛根性だったと思います。秋田には何度か出かけましたが、殆んどが野暮用だった。学校を訪れたり、旧師範学校を訪ねたり、あるいは戦時中の教師たちの履歴をたどったり。それを本にするつもりでしたが、いつしかやる気を失って放棄してしまいました。「北方教育」の歴史に触れることが出来ただけでも、ぼくには幸いだったと言っておきます。

本日のコラム「北斗星」氏は「ペット」なる語を多用しています。それはコラム氏ではなく、養老さんや近藤さんの使っているのをそのままに引用されているのかもしれません。どちらにしても「ペット」という語にはなじめないというか、まるで「おもちゃ」「玩弄物」の雰囲気が拭い去れないのです。「うちでは犬を飼っている」「猫を飼うつもりです」などと、殆んどの犬・猫「好き」は当たり前に言っています。それで構わないし、間違っているわけではないのでしょう。ぼくが猫たちを連れていく動物病院も「ペット病院」と名乗っている。それが普通じゃないですかと、変な目で見られそうです。ぼくは「ペット」も「飼う」もあえて使わないようにしてきました。「家には子どもがいます。ペットとして飼っています」という人がいれば、よほど変人か、奇人かのどちらかでしょう。たまに目にしますが、「ペットショップ」、ケージの中の犬や猫が、ぼくにはまるで人間の子どもじゃないかと思われてくるのは、なんとも風変りですかね。ちょっとした昔(明治のある時期)、この島ではケージの中に「生身の人間」が入れられて、見世物にされていたことがありました。
買い物に出かける街道筋に「柴犬、赤ちゃん入荷!」「赤柴、大安売り」などと看板を掲げた店があります。時には「無料で差し上げます」という張り紙が出ていたりします。いっそ、その店の(邪魔者扱いされている)「売れ残り」「無料犬」を引き取ろうかなどと考えたりしながら、いつも通り過ぎています。拙宅の付近は山林が多く、その林間を利用してリゾート用として開発された施設もあります。時にはよそから「ペット」を棄てるためにやってくる輩もいます。リゾートは動物の捨て場ではありませんし、ましてや粗大ごみや家庭ごみの集積所でもない。広大な施設内のいたるところに「動物の遺棄は虐待です」という警告文が張り出されています。

この張り紙を見るたびに(そこは、ぼくの「一日漫歩」のコースです)、画家の奈良美智さんの話を思い出す。彼がまだ小さかった頃、父親と二人で「愛犬?」を連れてドライブに出かけた。実は「犬」を棄てるために出かけたのだ。あまりにも頻繁に「吠える」ので、近所からクレームが来ていたからだという。犬は何も知らないで(だったかどうか、きっと察知していたと思う)、車の中でも尾を振っていた。やがて人里離れた山間に着いて車を止めた。親子は犬と一緒に降り、近くを散歩するふりをして、犬を嗾(けしか)けた。大喜びで(だったかどうか、犬は知っていたのだろう)、あちこちを駆け回った。その犬が、大きな木の陰に回り込んだすきを狙っていた親子は、犬の姿が消えた瞬間に車に乗ってその場を離れたという。
「汚いことをする奴らだなあ」とぼくは怒ったことを覚えています。このエピソードは奈良さん自身が書いていた。絵を描きだしてから何年もたって、いつとは知れず「絵の中に犬が現れだした」と彼は述懐しています。実にやり切れないできごとだったと、いまだに不快感まじりの印象を彼の絵に見てしまうのです。嫌いであるというのではなく、ぼくはかなり奈良さんの絵を見ている方でしょう、だから好きなんですが、この「捨て犬物語」が彼の絵とくっついているから、すっきりした気分では見られないんです。

「猫は死期を悟ると人目を避けて死に場所に向かうとされる」 と言われるのを、ぼくも聞いたことがある。でもそれが本当かどうか疑っています。ぼくはこれまでに何度も家にいた猫の死に立ち会ってきた。ぼくの膝の中で亡くなったものもいた。つい最近、三つ子を産んだ(そのお産を少しは手伝いました)親猫が、子育ての最中に、帰ってこなくなった。子どもは、生後一か月ほどでした。何日かすれば、戻ってくると暢気を装いながら(心配もしながら)待っているのですが、今もって帰らない。これは何なんでしょう。赤子を残して蒸発したのか。事故に遭ったかもと考えたりしました。でも近所にその形跡はなさそうです。
言い伝えられてきたように「死期を悟」って、自分で(姥捨て山に登った?)姿を消したのか。ぼくにはわからないけれど、何らかの災難に遭ったのだと、今は考えています。いや、戻ってくるかもと、待ってもいる。「揺れ揺れて、ウキシマよ」です。その親猫は、ぼくの「ペット」なんかではまずありえない。服を着せる気も絶対になかったのだ。無二の仲間とでもいうほかないように、ぼくは勝手に思い込んでいるのかもしれない。しかし、…。(左上の写真は、ぼくが歩いている田圃の風景の一部です。このような田圃道で捨てられている猫に出会います。以前に住んでいた土地では、捨てられている猫に遭遇するのが怖くなって、しばらく散歩を止めたほどでした)
「 2人 は ペット相手には言葉が要らないことを重視する。現代人は常に他人の言葉に反応するよう求められて疲れる。ペットは話をしないから楽だという 」とは、ぼくは考えない。お二人の家に居る犬や猫は「ペット」という位置づけだからそうなんだろうと思うのです。ぼくは「仲間」だとみていますから、どうしても言葉が欠かせない。人間の言葉が通じるとか通じないというのではない。犬や猫に伝わる音声や身振り(それをも「言葉」といっていい)があってはじめて、ぼくは猫とつながっているという気持ちがするのです。これはぼくの小さな経験ですので、それを一般化するのではありません。「ペットは話をしない」んですか。沈黙を守る猫や犬をぼくは知らない。あるいは泣いたり怒ったりしている様は、「人間の言葉ではない」のだから、耳に入らないとでもいうのかしら。そんな風にも「話をしない」ネコやイヌに遭ったことがありません。というのはイチャモンでも何でもない。ぼくにとって「猫は先生だ」からね。

ぼくが今西錦司さんや河合雅雄さん、あるいは伊谷純一郎さんなどから学んだのは、人間とおサルの交流・交友というのもでした。すべてのおサルさんに固有の名前を付けるのは、個体を識別する、当たり前の方法ではないでしょうか。ペットに名前を付けるのではなく、ものに名をつける(命名する)ことによって、はじめてそこに「世界」が作られる。名を付けた相手と自分の関係が生まれます。それを「世界」というのです、ぼくは。そこにいる「あなた」という名無しではない、それが眼前の猫であり犬なんです。けっして「擬人化」なんかではないとも考えています。霊長類学で学んだのは、動物を人間に引き付けて「あっ、笑った」「むつかしい顔をして、考えている」「辛そうだな、悩みの最中だ」などということではなく、むしろその反対です。人間の生活で、時に躓いたり、うまく行かなくなった場合、その理由や背景を「動物の行動」から学ぶことによって、危機的な場面からの逃げ道や活路が見いだせるのではないか、そういうようにぼくは学んだと思っています。
話が飛び飛びで、一貫性がありませんし、書かれる文章も「支離滅裂」です。すなわち駄文であり、雑文である証拠、などといって開き直るのでもありません。これがぼくの正体であり、これ以外にぼくの何ものもないのです。「自主トレ」を開始して、約一年三か月ほどになります。自主トレで力を蓄えて、いざ本番という段に、飛躍的に秀でたものが書けるという期待も根拠も、ぼくにはありません。要は、この(誤字脱字、意味不明、不明確な脈絡の連続する)「自主トレ」こそが、ぼくの姿なんですね。滑って転んで、また明日。こんな明け暮れに、ぼくは生涯を懸けて(送って)いるんでしょうね。そのような生活ぶりは、犬や猫と変わるところはありません。だから、彼や彼女たちはぼくの仲間。でも彼らは、ぼくを「仲間や」と認めてくれているかどうか、まことに怪しいね。

可愛がる、仕付ける、訓練する、このようないくつもの「動詞」は、たいていは「飼育用動物」に対して使われます。そのほとんどが「ペット」と称されているんじゃないですか。とすると、主役はだれ?飼ってやっているご主人様の愛情や慈悲が、売り物みたいになっている。時に、これと同じことが「人間の子ども」に対してもなされているような錯覚を持つことがあります。「この子は素晴らしい才能を持っている、わが最愛のペット」と、幼時からしつけに勤しんでいる親たちがどれだけいることか。その親たちと同じくらいに「可愛がられて=仕付けられて」いる子どもたちがいることでしょう。つまり「ペット化の時代」の深まりを見る思いがします。霞が関や永田町に棲息している御仁たちは、幼少の砌(みぎり)から「わが最愛のペットたち」と親たちに飼いならされてきた「選良(エリートというらしい)」のなれの果てだと思いたくもなる。
もう半世紀以上前になります。大学を卒業したばかりの頃、卒業した学部の教員が「商品に手を出してはダメだよ」などと言っていた。よく聞いて見ると、そいつは男の教師で「商品」というのは女性の学生だと分かった。なんという情けないことを口にする「屑野郎」かと、教師を一層軽蔑するようになった。その後に知り合った、別の大学教師も「ぼくは女性学生をペットにしない」という「戒律」を自慢していたように思われた。あーあ、と声を出してぼくは呆れたことを覚えています。いやな社会だし、時代だというほかありません。そういう嫌な輩のことごとくが「男性」だと知って、同性であるぼくは、身の処し方だけは誤らないようにと固く誓ったというと、少しばかり大げさですが、そんな心持ちで、生きていこうとしてきた。

我が子はペット、煮て食おうが焼いて食おうが「勝手次第」という親が、少なからずいることがぼくにはにわかに認められない。猫たちの暮らしぶりを丁寧に見ていると、歩いたり走ったりしている、目に見えない「人道」から、多くの人々が「定められていそうな埒」をずっと逸れていくのが見えてくるのです。その異様な「コース外走行・斜行」をさらにひた走るように、子どもたちに鞭を当てながら推し進めているのが「学校教育」であるとしたら、どうしたらいいのか。それはまるで「競走馬の調教」そのものに思われてくる。ならば、学校を壊すか、学校を拒否するか。教師の性的犯罪は少なくなっているのかどいうかわかりませんが、いかにも報道が絶えそうにない。それにはいろいろな背景や理由があると思われますが、要するに、「一人の人間」に対する「敬いの心(尊敬心)」が著しく欠けているのでしょう。「ペットなんかを敬うことはない」「猫かわいがり」などという、その同じ気分が「児童や生徒に向かう」とすれば、何処に原因があるか、熟慮するまでもなくわかるのではないですか。

「可愛いから、飼う」「飽きたから、捨てる」、ペットは玩具、そんな受け入れ方しかできないから、是が非でもほしい、飽きたから捨てる、水が高いところから低いところに流れるのと同じように、わがまま放題の人間には平然とできるのです。そのような現象が事実と認められるなら、なんとも嫌な、あるいは、不遜傲岸な「人間(自己)優位」の時代に、ぼくたちは生きていることになる。「好きだから結婚しよう」「嫌いになったから別れる」、すべてとは言いませんが、ある種の人間も動物も、ともに受難の時代(ペット化され、アイドル化される時代)に生きねばならなうというのでしょうか。
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