

発表から少しばかり時間が経ちましたが、「いとしのムーコ」の作者・みずしな孝之さんのポスターです。約一か月半前に生まれた子猫が七人(二人の母親から三+四=七です。うち一人は引き取り手が連れて帰りました。もう一人も引き取ってくれる人がいます)。ぼくは特別の猫好きでもなく、動物愛好・愛護家でもない。もちろん人間好きなんかでないのはいうまでもない。しかし、いのちを授かっているものを目にして、見過ごすこともできないし、それ(捨てられている猫たち)が「俺だったら」という変な意識が、ぼくにはこびりついていますので、家に住んでもらっているだけです。何かと大変なのは当然で、医者通いもしょっちゅうだし(「動物保険」がありますが、場合によっては人間のものよりも上等で掛け金も高額)、食事(授乳も)の世話も結構手がかかる(ホームセンターと宅急便に親戚があればと思うね)。トイレの始末や洗濯ものの手入れ・片付けなど、やらなければならない仕事は、まるで人間と寸分も変わらないほどの「日常茶飯事」です。家に居る、いることになる予定の猫たちは、もともとが野良育ちだし、その子どもたちでもありますから、なかなか家にゆっくりと落ち着いてはいない。今も順番に「ワクチン」接種に通っています。人間(高齢者用)の方は、まだ未定です。

ある女の子猫は、避妊手術した次の日に、どこかで外泊する。昨日も一人(避妊・中絶手術から)帰ってきました、いや迎えに行ったのです、ぼくが。とにかく、生後半年かそこらなのに、夜遊びが凄い。寝ずの番などしていられないので、戸締り。結局は「朝帰り」。まるで、ある時期までの「自分自身」を見ているようです。(締め出されて、屋根から二階の自室に侵入したこともある)本日は、新規に生まれた「四人組」を車庫ではなく、母屋(リビング)に移住させる予定です。外の野良さんが車庫に入って「脅したり」「追いかけたり」と、放置できない状態が出てきましたので、「軒を貸して母屋を取られる」という寸法です。やがて、ぼくとかみさんが「車庫」に住むことになるのかもしれません。それも「部屋代」を払ってということになりそう。(今は、車を動かすこともできないまま)
とにかく、猫と付き合っていて気づくのは、まず男親(誰だかわからないのですけど)が「子育て」を一切しないという点です。まるで何種の「オス」そのものです。産ませるだけ産ませて、その後は知らぬ存ぜぬなのです。「慰謝料」も「養育費」もどこ吹く風、まったく人間世界の身勝手な「一つの性」にそっくりなのは、なんとも情けないというか、穴があったら入りたいくらいです。あるいは「私は猫になりたい」と言いそうになります。これも人間がそうなのではなく、猫や犬から引き継いだ「文化」なのかもしれない。その仲間には猿もいるでしょう。いかにも人間は動物だし、中でも「男性」性は身勝手なんですね。

動物学者の意見をいろいろと聞くと、人間の(集団)生活すべては、「類人」と言われる種族の現実の生活の中にそっくり残されている、いや機能しているというのです。家族や核家族などの問題も、おサルさんの生活場面に如実に観察できるそうです。「子育て」も。「育児休暇」なんか、これは人間どもの発明なのかどうか怪しい。このあたりには特に関心がありましたので、ぼくは割合と熱心に学習しました。そう小学生の頃からです。だから、半世紀以上前から学び続けてきました。人間研究の基本となり核心部分がそこにはあると思われるからです。いつまでも興味は尽きません。「嘘をつく」「白を切る」「仲間を裏切る」「子どもを棄てる」などなどの理由で、まったく「人間」が道を外れたのはどうしてか、動物を見ていると分かりそうになるのです。だから、動物類から逸れ、動物種を超えたと勘違いしている「人間族」が好きになれません。かみさんや娘(二人)や実姉(二人)は別です。
反対に人間がそこから出てきたとみられている「動物」には大きな関心を持ってきました。犬や猫は、身の回りにいるせいか、なおさらそうです。この先どうなるか、まことに不確実・不透明ですけれど、とにかく付き合えるだけは、手も気も抜かないで付き合っていきたいですね。(本日は、猫親子の引っ越しを兼ねて、車庫の大掃除が控えています。首尾よくいくかどうか。「子を守る親」の姿勢には驚愕すべき根性があります。見習いたいものですね。「だからさ、雨よ降らないでくれ!」)

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