人生は 見えない段差 多すぎる(豊治郎)

(⇦ ワクチン接種でのミスを謝罪する遠藤清院長(中央)ら=奈良県生駒市立病院で2021年5月12日午前11時57分、加藤佑輔撮影)

 奈良県生駒市立病院(同市東生駒1、遠藤清院長)は12日、85歳以上の高齢者と病院職員ら計54人を対象に4月に実施した新型コロナウイルスのワクチン接種で、いずれか1人に誤って生理食塩水を接種したと発表した。病院は誤接種による健康被害の可能性はないとしている。/ 同病院では4月28日午後2~4時、院内の講堂・交流センターで接種を実施。米ファイザー社製ワクチンが入った「バイアル」(ガラスの容器)9個にそれぞれ生理食塩水を注入して希釈し、できた薬剤を54本の注射器に充てん、接種する手順だった。/ ところが、途中で未使用のバイアル1個が残っているのを女性看護師が発見。注射器を確認すると、6本に生理食塩水だけが入っていたため、それらを取り除き、薬剤を入れた注射器6本を加えて接種を継続したが、終了後に薬剤入りの注射器が1本余ったという。

 記者会見した遠藤院長は「取り除いた生理食塩水入りの注射器のうち1本が再びミスで混入し、接種に使われたとみられる」と説明。当日は看護師5人が薬剤の準備や接種に当たっていた。病院は今後、接種者にウイルスの抗体検査を実施し、抗体価の低い人に改めてワクチンを接種する。/ 小紫雅史市長は12日、「あってはならない事故で多大なご心配とご迷惑をおかけし、市民、関係者の皆様にご不安を与えたことをおわびいたします」とのコメントを発表、再発防止策の徹底を指示した。【加藤佑輔】毎日新聞 (2021/5/12 18:14)(最終更新 5/12 22:21)

 

 神戸市がワクチン960回分廃棄へ 誤って常温保管し使えず

 神戸市は12日、保冷が必要な新型コロナウイルスのワクチン192瓶(960回分)が接種会場で常温のまま約2時間保管され、使えなくなったと発表した。配送業者の受け渡しミスで、ワクチンは廃棄される。/ 市によると、配送業者が11日午前10時ごろから、高齢者向け接種がある同市東灘区の御影公会堂など3カ所にワクチンを保冷箱に入れて運搬。本来は保冷箱のまま2~8度で保管し、正午に来る市職員が会場の冷凍庫に移す手順だった。/ しかし、業者が誤って箱から出して会場の業者に常温状態で渡し、職員が約2時間後に来た際にミスが判明した。ワクチンは後日使う分で、この日の接種には影響がなかったという。/ 花田裕之・市健康局長は「貴重なワクチンを無駄にしてしまい申し訳ない。今後は市職員が直接受け取るよう改める」とした。【山本真也】(毎日新聞 2021/5/12 21:08)(最終更新 5/12 21:08)

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  報道されないだけで、これと似たような事例はどこにでもあるのでしょう。「本来あってはならない」という弁解が、連日のように目白押しです。なんといっても政府と官僚の「泥縄政治・行政」対応が出鱈目のかぎりをつくしており、しかも問題は人民の生命に直結するだけに、あだやおろそかにはできないのです。役人や医療従事者を批判したり非難するのは、ぼくの本意ではない。かかる事態を惹起した張本人の無計画や無能さ加減が、このようなドタバタを引き起こしているのです。毎日五十人も六十人も、時には百人超の人々が失わなくてもいい命を落としていく地獄の様を横目でにらみながら、馬鹿の一つ覚えで、「安全安心、国民の命と健康を守っていく」と、何を訊かれてもこのワンフレーズをくりかえす、その無能さが異様、底なしのなソーリの自己防御。「何も言わなければ、失言しない」という鉄則があるのだな。一刻も早く去ってほしい。百害あって一利なし。

 コロナには「イソジン」が効果的だと、報道陣を集めて宣言した「痴児」がいた。政治運営というものを完全に錯覚しているに違いない。まさか、イソジンで「一山」あてようとしたのか、それはわからないが、中らずとも遠からずだと思われるところが、情けない。いったん緩急あれば、救いの神が颯爽と登場と思いきや、驚く勿れ、要路についている者がすべて無知無能で、武器(権力)だけをやたらにふりまわしているという、世紀末の図が浮かび上がります。無知や無能の限界を突破してしまった人間どもが、権力ごっこをしているのです。

 54人のどなたが、運悪く「生理食塩水」を注射されたのか、結果は簡単に判明します。「即座に亡くなった方」がそうです、そんな恐ろしいことが現実に発生しているのです。ずいぶんと昔、学校の水泳の授業で、一人で三十人以上の子どもたちを指導している教師に、「安全策は?」と聞いたところ、「万全です。手首にロッカーのカギを付けており、プールから上がったら、それを番号札の場所に掛けるルール。鍵が番号札にかかっていない子を探せばいい」と言ったそう。犠牲者がいなかったことを祈るばかりでした。これが実話です。「事実は小説よりも奇なり」と地で行く話です。今回は「抗体の有無」が決め手となるというから、まずは一安心ですが、それにしてもイソジンといい食塩水といい、何を飲まされ、何を注射されるかわからないというのが浮世です。

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 ワクチン接種後 20人死亡 “因果関係 評価できずか評価中”

 厚生労働省は、新型コロナウイルスのワクチンの接種を受けた人のうち、新たに20人の死亡が確認されたと発表しました。接種との因果関係については評価できないか、評価中だとしています。/ これは、厚生労働省が12日開いた専門家部会で報告しました。/ 死亡したのは、今月6日までにファイザーのワクチンの接種を受けた20代から90代の男女20人です。/ 医療機関などからの報告では、接種後に脳出血や心不全などが見られ、2人は老衰と診断されたということです。/ 接種との因果関係については、いずれも「情報不足などで評価できない」か「評価中」だとしています。

今月6日までに高齢者や医療従事者などに行われた接種は合わせて423万回余りで、接種後に死亡したのは39人となりました。/ また、今月2日までに報告された接種後の症状のうち、国際的な評価指標でアナフィラキシーに該当したのは107件で、およそ3万5700回に1件の割合でした。/ 全体の4割近くが40代だったということです。/ 厚生労働省の専門家部会は「現時点で接種体制に影響を与える重大な懸念は認められない」として、引き続き接種を進めていくことを了承しました。

 専門家「体調優先して 接種延期なども検討を

厚生労働省の専門家部会の委員で、埼玉県立小児医療センターの岡明病院長は、接種後の死亡について「高齢者の死亡は一定の確率で起きるので、どのように評価して伝えていくかは非常にデリケートな問題だ」としたうえで「具合が悪いときに接種を受けると、状態が悪化するリスクなどがある。接種を焦らず、体調を優先して延期することなども検討してほしい」と述べました。(NHK・2021年5月12日 22時09分)

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 貴重なワクチンを棄ててしまったという事例もあちこちで起きています。これも単純なミス。ミスはすべてと言いたいほどに、単純なミスから起こります。どんなミスも人為が起こしているのです。神戸の事例は「他山の石」となるのか。あわや五千万回超のワクチンが腐りかけていたという謎がありました。有効期限が迫っていたので、間一髪で廃棄を免れたのかどうか。「一日百万回」の接種がこれから始まるという。出鱈目の見本のようなお粗末です。「私が先頭に立って」と無能無知ソーリが「白衣を着て注射器を」という悍(おぞ)ましい漫画が描かれるに違いありません。ぼくは、素人ですから勝手なことを言います。「コロナ感染症に一定のかたが付く」には五年はかかるとみている。およそ一年半たちましたから、残りは三年半ですよ。そこまで生きながらえられるか。いつでも出たとこ勝負ですけれど、無理をしないでのんびりと、それが大事だなあと。

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 ある団体が主催する「シルバー川柳」です。「柳に風」が合いますけれど、川に柳はもっと似合う。あるいは「馬耳東風」とも。いや「馬の耳に念仏」かな。それとも「猫に小判」「豚に真珠」かも。亡くなった三遊亭圓生は「とかく浮世は生きにくい、四角い世の中円く生き」とかいうのが信条だったそうですね。いいたいのは、「国家社会」などという大それた問題に耳を貸さない口を出さない、「柳に風」であり、「糠に釘」と行きたいものだと、いつも願うのです。ぼくは柳であり、糠ですね。それなのに、気が短い、怒りん坊の欠陥人間そのものです。平気で嘘をつく、悪行がバレているのに白を切る、そんな奴は許せないんだね。それをわかった上で、なお「柳に風」あるいは「川の柳」と生きたいもんだ。

・人生は 見えない段差 多すぎる     田林豊治郎(89)  

・家族から 戦力外と 冷たい目     高沢照夫(78)

・畑仕事 時々立って イナバウァー     佐藤 勉(76)

・ポストまで 迎えに来てる 墓地チラシ   菅野 芳(72)                 

                          (http://silvernet.la.coocan.jp/senryu/index.html)

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投稿者:

dogen3

「上を思えば限りがないと、下を見て咲く百合の花」になれるものなら、という想いです。それこそ、「高嶺の花」ですが。「昨日は俗人 今日は僧、生涯胡乱(うろん)これがわが能」と自称した一休さんは、一面では「相当な人物」だったと、歳をとるとともに思わされています。