「五輪」&「コロナ」に起死回生策はあるか

 東京オリンピック・パラリンピックの中止を求めるデモが5月10日、Twitter上で展開され広がりを見せている。/ 立憲民主党の枝野幸男代表が同日開かれた衆議院予算委員会で、五輪開催について「不可能と言ってもいい」と菅義偉首相に質問したことなども影響したとみられ、ハッシュタグ「#東京五輪は中止します」が日本のトレンドとなった。(以下略)(2021年05月10日)(https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_6098c00ce4b012351602dcee)

 「人々の命と暮らしを守るために、東京五輪の開催中止を求めます」

 現在、国際オリンピック委員会(IOC)、国際パラリンピック委員会(IPC)、政府、東京都、および公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会は、2021年の東京オリンピック・パラリピック開催を強行しようとしています。/ ところが、周知のように東京都のみならず、国内各地、さらには世界各国では今日に至るまで新型コロナ感染拡大はまったく止まっておりません 。昨年末から開始されたワクチン接種も、現在のところ欧米などの一部地域で普及しているにすぎず、感染防止の決定打とはなっておりません。(以下略)Change.org  

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 先日、上記のような添え書きのついた「署名依頼」のメールが[change org.]から届きました。ぼくは、最初から五輪招致には反対でしたから、今に至ってもなお「開催」を論(あげつら)っていることには怒りすら覚えますので、即「署名」しました。この招致運動は前回もそうだと言えなくもありませんが、今回のは、いっそう露骨に「五輪」の政治利用の実例となりました。五輪招致に蠢く魑魅魍魎たちは、それぞれの「自利・自得」に躍起になって、ご都合主義の開催目的をでっち上げ、賄賂まで使って「招致」にこぎつけたのでした。以来、幾多の天変地異や人災があり、人民の苦しみの尽きる暇もない中で、昨年以来のコロナ禍の危難の最中に、今も予断を許さない危機的状況にありながら、虚仮の一念というべきか、IOCと現政権の金目当同士連合が、五輪開催合唱が醜悪なだみ声をあげているのです。

 手の付けられないハレンチ、このようにいうほかありませんし、他国のメディアの「五輪開催中止」報道には、この島社会の堕落や退廃ぶりが余すところなくあぶり出されています。ここに来て多くの人民が声をあげて「開催反対」に立ち上がったの見て、猛然と「姦計・策略」めぐらして、意図的に混迷を深める「目論見」が遂行されつつあります。「目くらまし」です。なぜ、どうして、誰が? いずれ、この間のとんでもない「でっち上げ」は明らかになるでしょう。また明らかにしなければならないと、ぼくは考えています。

 今回の五輪招致から開催に至るまでのすべてのプロセスを「取り仕切った」のは「D✖✖TSU」です。反対運動の発生や政治権力の「窮地」を救うべく、今回の一発逆転を企てたのも同社です。それに五輪担当大臣や出版社(竹槍広告をうった。これは政権批判を騙った陽動作戦じゃないですか)、この✖島社はD社のグループで、これを配信したのは時事通信、これも、満州事変以来、同社の手下です)、元・現アスリートたち、そのすべてといいませんが、直接間接にD一家とかかわりを持つものでもあるのでしょうか。

 かかる見え透いた、しかし巧妙な「策略・謀略」が白昼、臆面もなく遂行されるとは、この島国も相当に焼きが回ったのか、さらには、どこでどのように「手抜き」があったのか、もはや「全体主義劣島」にひた走りです。個の暴走を止めることはできるのでしょうか。身を挺して、この暴力を止めなければならないのです。このよう謀略・陰謀の事例に充満していたのも「満州事変」でした。かような手口ややり口、つまりは「策略・謀略・陰謀」なるものは、一方の側(権力とそれに連なる、連なりたい勢力)にとっては、どうやら万世一系のようでもあります。悪逆の連鎖は途切れなくつづくのです。

 当今、世界のいたるところで「陰謀論」が猖獗を窮めていますけれども、ここに展開されているのは論ではなく実際なんですね。作・演出、監督・主演・助演・カメラ・音声などなど、いずれ具体名を挙げられる時が来るでしょう。それほどに手の込んだ、大時代的な「作戦」なんだと、ぼくは言いたいほどです。表向きは「民間会社」で、実態は「国策会社」、表向きは「公人」で、実際は「私人」という「逆さま物語」が進行中ののであり、明日。この島国は「傀儡政権(表)」が「黒子・後見(裏)」に動かされているのです。

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投稿者:

dogen3

「上を思えば限りがないと、下を見て咲く百合の花」になれるものなら、という想いです。それこそ、「高嶺の花」ですが。「昨日は俗人 今日は僧、生涯胡乱(うろん)これがわが能」と自称した一休さんは、一面では「相当な人物」だったと、歳をとるとともに思わされています。