本市への来訪はお控えいただきますよう

 こいのぼり800匹、気分も虹色 埼玉・川越の「大正浪漫夢通り」      ◆16日まで

 こどもの日(5日)を前に、埼玉県川越市の商店街「大正浪漫夢通り」で、約800匹の色鮮やかなこいのぼりが、通りいっぱいを埋めるように風になびいている。地元の商店街が14年間続けている。/ こいのぼりは、例年、保育園や幼稚園の園児らが作ったものと、春先のイベントで観光客らが作ったものとを合わせて掲げられてきた。/ 商店街幹部の須賀栄治さん(50)は「去年よりずっと多くのお客さんが来てくれている。歩きながら空を見上げることで気分が明るくなれば」と話していた。16日まで。(木口慎子)(東京新聞・2021年5月1日 21時22分)

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 毎年五月近くになると、このような「手合い」が各地で出現します。ぼくには興味がありませんから捨て置いてもいいようなものですけれど、なにか勘違いしているんじゃないかという小言をいいたくもなるのです。「どうだ、凄いだろ!」とか「いかにも参ったろう!」という破廉恥(ハレンチ)組です。高く上りたがるのは、煙ばかりじゃありませんね。「高く泳ぐよこいのぼり」という風景は大空高くという印象ですが、この街中の狭い路地空間では「酸欠」状態に、こいのぼりも人間もなっているんじゃないですか。まして、このような災厄の状況にあるのに、です。「 「去年よりずっと多くのお客さんが来てくれている。歩きながら空を見上げることで気分が明るくなれば」 という自他への激励の気持ちもあるのでしょう。でも、ちょっと違うぞ、といいたい気もします。これはまるで「花見」気分で参加する「鯉見」とでも称する風狂ですな。

 ぼくは川越市になにか悪感情を抱いているのではありません。なかなかの地域だとさえ思っているほどです。かなり前ですが、彼の地に遊んだことがあります。どうして行ったか理由は忘れましたが、川越城址(太田道灌とその父の手になるとされる)、「喜多院」や「大手町」筋などを歩きながら、往時をしのんだように記憶しています。この「大正浪漫夢通り」はまだなかったか。あったとしても、先ずぼくは足を踏み入れなかったでしょう。なんですか、このローマンカイドウって。町の歴史が泣きますね。

 少年時代まで京都の嵐山を遊び場にしていましたから、「観光地」というものがどんなに「浪漫」でも「夢通り」でもないということを嫌になるほど知ることになっていたからです。表現はよろしくありませんが、川越の誇らしげな街づくりは「張り子のトラ」「張りぼて」のように見えた気がします。正直に言うと、映画撮影所のセットですね、申し訳ありませんが。ゲームセットとならないように。

 この「800匹のこいのぼり」、なんという悪趣味でしょう。商店街の頭上に「こいのぼり」とは、本物の鯉が聞いたら呆れるでしょうね。これは「端午の節句」とは何の関係もない、商店街の人寄せ作戦ですね。こい(鯉)をパンダに見立てているんですか。それはそれでいいが、その作戦にまんまと乗っかって「去年よりずっと多くのお客さん」というのも、ぼくには呆れる外ない現象です。こんなことだから、世界中で、あるいは自分ちのすぐ隣に苦しみ、死に行く人がいても「五輪開催」を念じる呆けた輩がいるのもうなずけるし、そのような人民をうまくおだてて(心底虚仮にして)、(寄らしむべき、知らしむべからず)と言わぬばかりの政府の悪行・悪辣ぶりが正当化されるのでしょう。愚かのかぎりの政府筋と張り合わなくてもいいじゃないか。似た者同士とは、なんとも情けないですな。

 このコロナ禍にあって、いくつもの不祥事(表に出れば、そうなります)が潜航しつつ進められています。ワクチンはけっして「切り札」じゃないということ、「万能策」ではないことを、ぼくたちは肝に銘じておく必要があります。川越に悪態をつくのではありません、念のために。商売熱心は理解の上ですが、この程度の人寄せ策は、百害しかないかもしれません。県も市も、感染防止を呼び掛けています。緊急事態宣言も出ています。「いらっしゃい」などと呼び込む方、それに応じても呼び込まれる方も、どうかしているね。ちょっとは静観していても「バチは当たらない」とぼくは言いたいですね。まずこの危機を乗り切ること、他人を引き込まないように、です。

 ぼくは「感心する」ばかり、「皆さん、勇気があるな」と。この勇気は根拠も何も無いもの、自分は大丈夫と言う「蛮勇」がかかる行動をとらせるんでしょう。すこしはまともに、「現状」を受け止めてもいいんじゃないですか、「観光客目当て」の商店街幹部さまへ一言、という寸法ですけれど、どうやら余計なお世話ですかな。新聞報道にも、一段の工夫というか、確かな知恵が求められそうですね。(四月末の川越市の「感染者数は約1300人弱です)

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観光客の皆様へ 埼玉県は、まん延防止等重点措置を実施すべき区域として公示され、川越市ほか12市町は、まん延防止等重点措置区域(期間は4月28日から5月11日)となり、飲食店に対して営業時間短縮や感染防止対策が要請されております。
感染拡大を防止するためには、不要不急の外出・移動の自粛や混雑している場所を避ける行動が重要であり、ゴールデンウイーク期間中前後は多くの観光客の皆様で混雑が予想される本市への来訪はお控えいただきますようご協力をお願いします。
また、マスクを外して他の人が近くに居る中で食べ歩くという感染リスクのある行動が問題となっております。観光客の皆様におかれましては、そのような行動はお控えいただき、購入した品物は持ち帰り(テイクアウト)、ご自宅で飲食して頂きますよう、まん延防止のご協力をお願いします。(https://www.city.kawagoe.saitama.jp/welcome/oshirase/minasama.html)

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 なんでも賑やかなのはいいでしょう。でもそれには適不適や限度というものがあります。賑やかであれば、どんなことでもやりますというのは、政治でも商売でも何でもありません。ぼくは決して「川越市」に対して恨みつらみをもつものではない。古くからの歴史をを踏んできたこの街にして、この無様がなさけないというばかり。もっとも「こいのぼり」を商店街に泳がせたっていいじゃないかという意見には、あえて反対はしません、この災厄状態でなければ、ですね。このような愚行を敢然と挙行しているのは、今のところでは「五輪聖火リレー」に尽きます。だから、川越の商店街様よ、五輪組織委や日本政府と「愚かさ」「馬鹿さ」加減を競う必要はないでしょ、競ったところで勝てっこないんですから。身の丈に合った節操をと、他人にも自分にも願いたくなるのです。

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 霧島市の交通整理職員3人感染 聖火リレー関連、県内6人に 新型コロナ・鹿児島

 東京五輪・パラリンピック組織委員会は1日、鹿児島県内で4月27日にあった聖火リレーで交通整理業務に従事していた6人の新型コロナウイルス感染が判明したと明らかにした。霧島市は同日、職員3人が感染したと発表。残り3人は既に公表された奄美市職員。/ 霧島市によると、3人の所属課はいずれも別。27日正午から午後3時、それぞれ別の場所で、市民にマスク着用を呼び掛ける表示板を持って立っていた。マスクを着けており、市民と会話をすることはほとんどなかった。28~30日にPCR検査で陽性と判定された。/ 市は「個人の特定につながる」として具体的な場所、職員の年齢や性別を明らかにしていない。感染が広がる状況ではないと判断し公表した。/ 1日に判明した霧島市のサービス事業者のクラスター(感染者集団)発生との関連はない。(南日本新聞・2021/05/02 08:00)

 (この状況下で、このリレーをやらせるのも、リレーに参加するのも、またそれを見に来るのも、いずれ劣らぬ「阿波踊り連」ですね)(「同じ阿保なら、…走らにゃ、ソンソン」というらしい)(その阿波踊りですら、昨年は中止しました。踊りは中止したそうですが、開催をめぐる主導権争いは「佳境に入った」とか。この件についてはいずれ)

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投稿者:

dogen3

 毎朝の洗顔や朝食を欠かさないように、飽きもせず「駄文」を書き殴っている。「惰性で書く文」だから「惰文」でもあります。人並みに「定見」や「持説」があるわけでもない。思いつく儘に、ある種の感情を言葉に置き換えているだけ。だから、これは文章でも表現でもなく、手近の「食材」を、生(なま)ではないにしても、あまり変わりばえしないままで「提供」するような乱雑文である。生臭かったり、生煮えであったり。つまりは、不躾(ぶしつけ)なことに「調理(推敲)」されてはいないのだ。言い換えるなら、「不調法」ですね。▲ ある時期までは、当たり前に「後生(後から生まれた)」だったのに、いつの間にか「先生(先に生まれた)」のような年格好になって、当方に見えてきたのは、「やんぬるかな(「已矣哉」)、(どなたにも、ぼくは)及びがたし」という「落第生」の特権とでもいうべき、一つの、ささやかな覚悟である。(2023/05/24)