

【越山若水】「水温(ぬる)む」の季語はもともと池や沼の早春の様子を指す。ただこんな句もある。「いつからとなく水道も水ぬるむ」(右城暮石)。コロナ禍で毎日手洗いに励む身には実感が伴う▼学校の手洗い場に温水設備はまだ行き渡っていない。冬の間、子どもたちは先生の手洗いの指示をけなげに守りつつ、冷たさに歯を食いしばっていただろう。ここしばらく暖かな日があったから、ようやく解放されたはず▼コロナ第4波は県内も厳しい状況にある。マスクはもちろん必須アイテムながら、基本は症状の有無にかかわらず「うつさない」ための道具だと心得たい。「うつらない」機能もあるが、どちらかといえばみんなが正しく着けることで、うつす機会を抑えていくもの▼「うつらない」ためにはやはり、こまめな手洗いもしくは手指消毒が大事だ。「マスクをしていたのになぜ」。感染についてそんな疑問も目にするけれど、一つの対策で万全ということはなく、マスクも手洗いも組み合わせていくしかない。これらのことは内閣官房のサイトに比較的分かりやすい問答集がある▼変異株は児童も感染しやすいという。怖い話だが、今は幸い、ぬるんだ水が手洗いを容易にした。子どもたちを学校に送り出すときに声を掛けたい。「車に気を付けて」「それから手洗いをしっかりね」。子どもらはきっと、ちゃんと分かってくれる。(福井新聞ONLINE・2021年4月26日)


茶摘 文部省唱歌 1.夏も近づく八十八夜 野にも山にも若葉が茂る あれに見えるは茶摘ぢやないか あかねだすきに菅(すげ)の笠 2.日和つづきの今日此の頃を、 心のどかに摘みつつ歌ふ 摘めよ摘め摘め摘まねばならぬ 摘まにや日本の茶にならぬ
++++++++++++++++++++++

コロナ禍、二年目の夏が近づきつつあります。まもなく「八十八夜」。立春から八十八日目に当たる、今年は五月一日だそうです。「野にも山にも 若葉が茂る ♪」と、「せっせっせ」と女の子と手を打ち当てながら遊んだ記憶がかすかに残っています。本来は女の子の「遊戯」だったそうですが、ぼくが小さいころは女の子といっしょに遊んだ。「君はませていたな」というのではなく、この時代(小学校の低学年頃までは)、男も女もない、まだジェンダーが始まっていない時期だったと思う。人間の短い生涯の中でも「平和な」「差別のない」、そんな幼年時代だったと思う。やがて陽水の「少年時代」になると、何処かしらよそよそしくなり、大人びてくるのではなかったでしょうか。(https://www.youtube.com/watch?v=yVHtEXiWYDU)
もう十年以上も前になります、ある夏の時期に、静岡に行きました。「駿府学園」という国立の教育施設でした。そこの責任者(園長)と親しくしていただいたこともあって、お招きを受けたのです。収容されていたのは男子ばかりでした(全寮制)。自給自足というのではなかったけれど、炊事・洗濯・掃除などはすべて子どもたちでやっていました(授業料は無償)。その園の裏山が「茶畑」で、生徒たちの丹精をこめた成果が何とも豊かに実っていました。ぼくも一杯、お相伴に与った。「お茶」は各地で栽培されていますが、それぞれが「名産」を競っています。今は辞めていますが、京都の姉は「お茶」のお店を出していたことがあります。その縁からか、ぼくはお茶にはうるさい方の人間になったようです。

ぼくは一人前に「お茶」が大好きです。今でも一日にかなり飲みます。起き掛けに朝日にむかいながら、まず一服。それは何年もずっと「静岡産」です。これでなければならぬというのではありません。飲みつづけているうちに何十年も過ぎているという、まあ言ってみれば「浦島太郎」です。なんでもかんでも「パット中から白煙」「太郎はたちまちおじいさん」というわけで、「だれのあこがれにさまよう」のではなく、「青空に残された私の心は晩秋」なんですね。
夏が過ぎ 風あざみ
誰のあこがれに さまよう
青空に残された 私の心は夏模様
「少年時代」は二度と戻ってこないことを、陽水さんはとても素敵な声量と声音で歌いきっています。ぼくはそれほど彼の歌に入れ込んだことはないのですが、この曲をはじめとして、よほど心に響くように感じ入ることがあります。若い女性からしきりに勧められたことを覚えています。多分、女性にはたまらないのかな、陽水調は、きっとそうなんでしょうね。

現下のコロナウイルスには「季節性要因」というものがあって、夏と冬に猛威を振るうとされています。地球ではしたがって、一年中、どこかしらで猖獗を窮めることになる。劣島の各地では「第三次緊急事態宣言」が発令されました。「灯火管制」「酒類販売禁止」、更には「歌舞音曲」もだめとか、まるで戦時下、「一億一心」で「コロナ撲滅に突撃」という勢いです。かつての戦時同様に、要路に立つ面々は、感染は必ず防ぐ、一人の国民も犠牲にしないと言いながら、日々感染者は増大し、それによる死者は増え続けているのです。昨年の今頃は「コロナはただの風邪」「病院に行くな」「検査はしない方がいい、やると感染者が増える」と、およそ医者や科学者とは思えない口吻を吐いていた面々が、まことしやかに「自粛、自粛」と吠えています。どの面下げて、いえるのかね、と言いたいですねえ。「誠実のかけらもない」とはこういった連中です。大事なことはきっと、どこかに隠されているんです。

情けなくて「涙も出ない」という心境に、ぼくは置かれている。あるいは、腸(はらわた)が煮えくり返るとも言いたい。いつでも口を開けば「嘘を吐く」、そんな連中の「要請」「お願い」にだれが耳を傾けるというのでしょうか。さらに問題になっているのが、ワクチン接種が遅々として進まないという事態です。ここにも「嘘」がばらまかれています。しかしすでに接種した人の感想は「痛くなかった」と報道ばかりがされていました。どうしてですか。それ以外の感想はなかったのかどうか。「まったく痛くない」「そんなに痛くない」と、ことさらに言い触れるのはなぜか。
ところが、ここに来て、感染研や厚労省は「副反応」・発生・発症の異常な高確率を、まったく目立たないところで発表しています。その報告書の見づらいこと、読みづらいことは、半端ではありません。ここにも真面目さが見られないのです。何のため、誰のための報告なんでしょうか。
#######
*********************
予防注射やワクチン接種が、何の反応も起こさないということはあり得ません。まして体内に「抗体」を作るのですから、外からの異物に対して身体は反応するのは当然ですし、それが場合によっては危険な場合もあるのは、これまでのワクチンや予防接種の事例を見れば直ちに理解できます。ワクチンは安全であるというのではないし、それなりの副作用(副反応)が生じるのは避けられないのです。今回のケースでもかなり重い部類に入る「副反応」が相当程度に出ている。「痛くなかった」というのは嘘ではないとして、その後にどのような症状が出て、治るまでにいかなる経過をたどったか、どうしてその部分をも丁寧に知らせないのだろうか。知らせたくないのか、知らせる必要性を認めないのか。「倚らしむべし、知らしむべからず」とは、なんと生意気な態度かと思う。

薬害問題は、これまでにも深刻な事態を引き起こしてきました。それに対して厚労省はじめとする担当部局は事前の通知や事後の報告を怠って来たし、行ったとしても偽りに満ちていたのが、いくつかの裁判で明らかになっています。一日も早く、コロナ禍から解放されたいのは、だれしも同じです。それなのに、他国と比較して、この島では対策はうまくいっていると言い募りつつも、人民を見殺しにするという、みたくもない風景があちこちに蔓延しています。緊急事態宣言と言えば、コロナは気を利かして(権力に忖度して)、あるいは降参したくなったといって、殊勝にも退散などはしてくれないのです。

やがて立夏(五月五日)です。屋根より高く鯉のぼりが泳ぎ、茶摘みは最盛期を迎えるというのに、「自粛と要請」に任せきりで、コロナ禍をよそに見て、ひたすら自己拡大を図っているのが、殆んどの政治家です。守らないのは人民のせいだというのです。ぼくたちは、こんな不誠実な連中に、この島の政治を略奪されていたのですね。昨日、広島で参議院補欠選挙がありました。買収資金をたらふくばらまいた政治家を擁していた政党の、今回立てた候補者が対立候補に「惜敗」したと報じられています。広島の選挙民だけがとやかく言われるのではなく、この劣島は、「大きな広島」なんですよ。選挙がすべてとは思いませんが、腐敗と税金泥棒を容認するような選挙民であるなら、この島は沈没してもいいんじゃないですか。
投票率が低いのは、政治に少しも期待しないという人が多いことを意味するでしょうし、そういう無関心は、かならず「政治」をあらぬ方向に導いてしまうのは避けられないし、それでもいいじゃんという選挙民が沢山いるという証拠にもなるのでしょう。「あらぬ方向」とはどこを指しているのか、ほとんどの人は知っているんです。その多くは「いつか来た道」と言うに違いありません。
_____________________________