的外れで間が抜け、でも自分を売るのは達者だ

 字を間違えました【水や空】まず、一つおわびを。17日付の本欄で「鍛冶屋さん」の「冶」の字が「さんずい」の「治」になっていました。執筆者による変換ミスの見落としが、いろいろなチェックの目を擦り抜けてそのまま紙面に出てしまいました。申し訳ありませんでした▲さて、気を取り直して-。17日の記事で話題にしたのは、鍛冶屋さんの作業音が由来の「とんちんかん」だったが、会話の際のリアクションをいう「相槌」も、元々は鍛冶仕事のパートナーを指す言葉なのだとか。「槌」は鍛冶仕事に欠かせないハンマー▲もう一つ、鍛冶屋さん関連ワードですぐに思いつくのは「鉄は熱いうちに打て」。人は柔軟性や可塑性に富んだ若いうちに鍛えるのが大切、物事は実行する時期を逃すな…というあの教えだ。こちらは、実は外来のことわざらしい▲さて、初めて対面での首脳会談に臨んだ菅義偉首相とバイデン米大統領、会話はうまく弾んだか、就任直後、熱の冷めないうちに顔を合わせた効果はあったか▲首相の最大のお土産は米国の製薬会社から新型コロナウイルスワクチン追加供給の約束を取り付けたことのようだ。ただ、こちらの相談は電話で済んだもよう▲感染の“第4波”は日ごと深刻度を増している。訪米の余韻に浸る時間がないことだけは念押ししておきたい。(智)(長崎新聞・2021/04/20)

 とんちんかん【水や空】物事の辻褄(つじつま)が合わないことや、的外れで間が抜けていることをいう「とんちんかん」は鍛冶屋さんの仕事場から聞こえてくる槌の音がそのまま語源になった言葉だ▲どうにも優先順位を間違えているような気がしてならない。国会で新型コロナへの現状認識を問われ「全国的なうねりにはなっていない」と“第4波”を否定して米国へ。菅義偉首相はきょう、バイデン米大統領との首脳会談に臨む▲1月に就任して以来、バイデン氏が外国の首脳と対面で会談するのは初めてだという。日米の結束の証し、日本重視の表れ。額面通りにそう考えていいのだろうか。各国の首脳が「時期が悪い」「かえって迷惑だろう」「それどころじゃない」と訪問を自重した3カ月ではなかったか▲カナダの首相とバイデン氏が2月にオンラインで会談している。画面越しに笑顔で「カナダ以上に親密で重要な友人はいません」。とてもスマートな印象を受ける▲「まん延防止措置」エリアが次々に拡大、移動抑制の呼び掛けが強まっている。そのさなか、県境どころか国境を飛び超えて…「とんちんかん」にしか見えないのは当方の「外交」への理解が不足しているのか▲不要不急のお手本…無遠慮なコメントがネットには飛び交う。悪評を吹き飛ばす成果は待っているだろうか。(智)(長崎新聞2021/04/17)

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○ とん‐ちん‐かん【頓珍漢】[名・形動]《鍛冶屋(かじや)の相槌(あいづち)の音を漢字を当てて表したもの。その打つ音がそろわないところから》1 物事のつじつまが合わないこと。見当違いであること。また、そのさま。「頓珍漢な受け答え」2 間のぬけた言動をすること。また、そのさまや、その人。「頓珍漢な奴」「この頓珍漢め」(デジタル大辞泉)

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 長崎新聞のコラム「水や空」2題です。もちろん執筆者は同じ人です。三日前に書いた記事の誤りが見つかったのは発刊後、というわけで、その謝罪ではなく、お詫びかたがた、さりげなくコラムの続きを書くという手法です。まず、「鍛冶」の変換ミスで「鍛治」となった点について。もともと、鍛冶と書いて「たんや」と読ませていたはずです。鍛は「きたえる」、「冶」は溶かすです。また鉄を打つことを「かなうち」「かぬち」「かじ」と変化したといわれます。それが「鍛治」という字を当てて、「鍛冶」と同じ意味を持たせることになったというのでしょう。いつしか混同されたまま使われてきたということのようです。これは別の話題ですから、ここで止めておきます。(いつの日か、もう少し掘り下げて書いてみたいと思う)

 コラム氏は、ニスイがサンズイになったままで印刷され公刊されたと詫びられているのです。「 執筆者による変換ミスの見落としが、いろいろなチェックの目を擦り抜けてそのまま紙面に出てしまいました 」当然、使いたい漢字を、気づかないままで似通った字を使い、それを本来なら発見・指摘してくれると期待されている「校正係」までが見逃し、さらに、…と、「誤用」のママで公刊されてしまったのです。活字になったのを見て肝を冷やされたから、三日後に「訂正とお詫び」をされたのでしょうか。誤りは人の常、でも「過ちを改めるのは、早いに越したことはない」と「論語(学而)」は言います。「子曰。君子不重則不威。學則不固。主忠信。無友不如己者。過則勿憚改。」現総理もまた「君子にあらず」ですから、「君子」に準(なぞら)えていってみても始まらないのは確か。まず、彼は「間違い」を認めない。自分は正しいという「嘘」の一点張りです。馬鹿に付ける薬はないし、無能と来た日には、何を言っても無駄。選挙で変えるほかに手はないのです。

 どんなに注意していても必ず間違いはある、それを承知して文章を書き、活字にするしか仕方がありません。間違いが皆無であることを求めて、しかし、必ず誤りはあるという結論を受け入れるのです。ぼくは本を出版することはあまり好みませんでした。それでも物好きと言われそうで気が引けるのですが、10冊に及ぼうかという無駄本を書かされました。内容の如何を問わないでいえば、誤字脱字「ダラケー」というとんでもない事態になりました。後悔というのか、いまさらに恥じ入っています。校正は二度三度と行ったし、それに腕利きの編集者もいたにもかかわらず、間違いは防げませんでした。まあ、あんまり気にしない方ですから、如何(どう)ということもありませんでしたと、済ませておきたいのですが、なかなかそうはいきませんで、まことに「後味」の悪いこと、おびただしいものがあります。本を出すことは、ぼくにとっては「恥をかく」ことと同義でした。

 「水や空」というコラムは愛読しています。今回の内容に関しては(可もなく不可もなし)と、偉そうに言っておきます。つまりは扱うテーマ(主題)が、そもそも「コラム」の記事に馴染まないということが第一の理由です。ごまかしや嘘八百を垂れ流し、一日でも長く「権力の座」にしがみついていたい、それだけしか眼中にないような気の毒な人物が主役なら、どんなに名人上手が書いたところで、「様」にはならない。記事にしていい話題と、してはならないテーマははっきりと存在していると、ぼくは改めて、他人の記事を読みながら納得したのです。「以て他山の石とすべし」と言っていい場合でしょうか。それとも、書いても碌な記事にはならないのだから、書くのは無駄と切り捨てるべきだったか。

 そもそも、国難とか何とか言われている最中に、何をするためにのこのこ出かけたのかしら。時の総理大臣が「頓珍漢」であっても結構ですけど、困るのは下駄を預けている人民だとするなら、即刻退場を願うほかはないではありませんか。頓珍漢なうえに、人間が「唐変木( bigot)」と来た日には「目も当てられない」とはこのことでしょう。自省や自覚が働かない人が、世の中にこんなにたくさん、しかも枢要の地位を占めているとは、驚天動地であり、頓珍漢山の唐変木満載ですね。自分の名誉や地位を守るためなら、会社であろうが、組織であろうが、果ては国家だって、売り飛ばすのですから、実に見上げたもんです。五輪もワクチンも、すべからく自らの餌食にしてしまうという「破天荒」。なんともはや、言葉を失います。_______________________

 

投稿者:

dogen3

 「名もなく貧しく美しく」、ぼくにとって、それは生きる姿勢(流儀)の理想型ではありますが、現実には「名もなく貧しく醜悪に」、せいぜいがそんなところでしたね。「美しく」どころではなかったけれど、「名もなく貧しく」は断固として一貫してきたと思う。とても自慢できませんがね。