いづくにもあれ、暫し旅立ちたるこそ、目覚むる心地すれ。

その辺(わた)り、ここかしこ見歩き、田舎(ゐなか)びたる所、山里などは、いと目慣れぬ事のみぞ多かる。都へ便り求めて、文(ふみ)やる、「その事、かの事、便宜(びんぎ)に忘るな」など言ひ遣るこそをかしけれ。
さやうの所にてこそ、万に、心遣ひせらるれ。持てる調度まで、良きは良く、能ある人、容貌(かたち)良き人も、常よりはをかしとこそ見ゆれ。
寺・社などに忍びて籠(こも)りたるも、をかし。(「徒然草 第十五段」)(島内既出)
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さしずめ、補助金なしの「go to キャンペーン」でしょうか。およそ七百年前の「旅のすゝめ」です。兼好についてはこれまでにもいくつか触れてきましたが、この「徒然草」一冊こそ、ぼくには格好の「旅への誘い」だと、早くから親しんできました。兼好さんについてもさまざまな評価がありますが、ぼくは単なる一読者であるという範囲を超えようとは思ったこともない。読んで楽しい、なるほどと感心する、いつの世も、人間は愚かさと賢さの合成物なんだ、そんなとりとめのないことを読み取っては、一人で感心したり、相槌を打ったり、そんな読書なのです。ぼくたちと少しも変わらない、「一人の中年」がそこに確かに生きていたという痕跡を見出しているのです。

この「第十五段」も取り立てて言うことはなにもありません。どこであろうが、しばし旅に出るのは、目の覚める思いがする。もちろん、七百年前にも「観光地」はあり、そこはいかにも俗化していたにちがいありません。兼好は、もちろんそんなところには行かない。彼には物見遊山というのか、いかにも寸暇を惜しんでという、世帯染みた観光人の気性がなかったのかもしれません。あちこちを見て歩き、田舎や山里にでも足を伸ばせば、見慣れないことだらけ。他人を頼んで都に手紙をやり、「 その事、かの事、便宜(びんぎ)に忘るな」 (何くれとなく、都合次第で済ませるといい」などと書き送るのも面白いことじゃないか、こちらは暢気に息をついているからさ、というのです。
旅の効用は、少しでも普段・日常の煩いを離れて、解放感を味わう機会になるということです。旅先まで持参した品々も、いいものはやはりいいと感じられるし、いっしょに来た人も、有能な人、見目麗しい人も、旅先だから、空気の水も変わるから、一段と有能で、かつよく見えるということもあるのだ、と。「 常よりはをかしとこそ見ゆれ」
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○ 徒然草=鎌倉時代後期の随筆文学。兼好作。2巻。元徳2 (1330) ~元弘1 (31) 年成立か (前半の一部は 1319年成立か) 。「つれづれなるままに…」に始る小序のほか 243段。内容は人生論,仏教信仰論,人間観,女性論,住居論,趣味論,自然観照を綴った随想,挿話・奇譚の類,物語的な小文,備忘録的な雑記など多岐にわたっている。早く室町時代の正徹 (しょうてつ) に注目されたが,江戸時代になると人生教訓の書としてもてはやされ,多数の注釈,研究書が生れた。俳諧その他後代文学への影響も大きい。(ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説)
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今では、兼好のような「旅」は不可能だとみていい。「 いづくにもあれ、暫し旅立ちたるこそ、目覚むる心地すれ」という僥倖は、どう転んでも得られないからです。当たり前の話でしょう。徒歩で出かけるということは滅多に見られないようですし、車や電車での旅も「普段の人混み」から、目新しい「観光地という人混み」に心身を洗われる(疲れさせる)ために行くようなものです。それ以上に旅行は「消費」という経済の枠内でしか見られていないのですから、「 目覚むる心地すれ 」などという境地には逆立ちしても至れないのです。すべては高価で「目をむく」ことはあるのでしょうが。
「旅は道連れ、世は情け」と、以前は言いましたが、今では、薬にしたくともそんな経験(道連れや持ちつ持たれつ)はでき難いでしょう。「旅では道連れのあることが心強く、同じように世を渡るには互いに情けをかけることが大切である」(デジタル大辞泉)という気味です。然るに、今日は、他人といっしょというのが流行らないし好まれない時代です。「自分一人」になりたいと願う世人の「旅の心得」は、それと真反対ではないでしょうか。むしろ「旅の恥は掻き捨て」というのが相場です。ぼくは「観光地」にはまず出かけないことにしていますけれど、いやでも目に入ってくる場面は、混雑の上に混雑であり、兵どもの夢の跡というべきか、落花狼藉の狂態であり、興醒めですね。どこにいっても「自分さえよければ」という、いたるところゴミ箱化主義の傍若無人ぶりです。

人がいないところで解放されるのを望むのではなく、人の集まるところに集まりたいという、現代人の「習性」「群衆の中の孤立主義」の表現なんでしょうね。「あつまれどうぶつの森」は「「何もないから、なんでもできる」でした、ところが「何でもあるから、何もできない」というのが今風の「旅の風情」で、「いざ帰ろう、いかにも疲れた、二度と来ないさ」という、「一見(いちげん)」論の大流行というのが、今日の「旅」でなしうる「せいぜい」「関の山」です。
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昨日でしたか、ある人から電話があり、お芝居を見に来てくださいというお誘いでした。「旅の誘い」ではなかったけれど、まあ都内へ出かけるのですから、ぼくには立派でもない、ちょっとした探検、宇宙旅行のようなものです。「森閑から混雑へ」とは、まあ無理です、と丁寧にお断りしました。今月の二十一、二日、都内は杉並区高円寺の「座高円寺」で行われる公演のお誘いでした。「一人芝居」の女優さんからのなつかしいお声が聞こえてきました。(お暇で、興味のある方はご覧になるといい)この人とは機縁が取り持つつながりです。彼女はっきりした姿勢を貫かれてこられました。公演される芝居についてはまた別の機会にでも触れてみます)

松川真澄ひとり舞台「おりん口伝」伝時間 | 14:00, 19:00
会場 | 座・高円寺2
お問合せ | 松川事務所
Tel:03-3396-6030
Eメール:katarite_m@yahoo.co.jp
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「おりん口伝」は松田解子さんが書かれた「自伝」本です。松田さんの母上の生涯を描かれたものでした。ぼくは縁あって、生前は何度も松田さんにお会いし、貴重なお話を伺うことが出来ました。まさしく「かけがえのない旅」でもあったと、今でも感謝しています。その「堂々とした」風貌は、今でも明瞭にぼくの脳裏に焼き付けられているのです。ぼくにとっては、尊敬する心を一瞬たりとも失うことがなかった大先輩でした。その松田さんも「帰らない旅」に立たれて、ずいぶんと時間が経ちました。

○ 松田解子(読み)まつだ ときこ(1905-2004)=昭和-平成時代の小説家。明治38年7月18日生まれ。大正15年上京し,労働運動家大沼渉と結婚。日本プロレタリア作家同盟にくわわり,「戦旗」「女人芸術」に小説,詩,評論を発表。昭和42年鉱山に生きる一女性の苦闘をえがいた長編小説「おりん口伝」で田村俊子賞をうけた。ほかに「地底の人々」「土に聴く」など。平成16年12月26日死去。99歳。秋田県出身。秋田女子師範卒。本名は大沼ハナ。(デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説)
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兼好さんの「旅の効用」に誘われるようにして、いろいろな人や物がぼくには甦ってきました。甦るというのは、小なりとはいえ、ぼくも、しばし「旅」をしているということでしょう。「記憶」はあるが、その記憶を救い出す機能が「故障する」と、物忘れが始まるという。何度か言いましたが、ぼくのこの雑文・駄文の山は「故障した」記憶救済装置の修繕作業であり、回復点検行為の痕跡でもあるのです。「車検ならぬ、能検」といったところです。いろいろな思い出や記憶が(思い出さなくていいものも含めて)順不同気味に出てきています。いましばらく、この「目覚むる心地」を楽しみたいですね。つまりは出鱈目な駄文の山をさらに高くしようという魂胆です。
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