臣夙ニ鉱毒ノ禍害ノ…見テ憂悶手足ヲ措クニ処ナシ

 海洋放出と正造

【雷鳴抄】足尾鉱毒事件の被害民救済に奔走した田中正造(たなかしょうぞう)が佐野市で生まれて今年で180年。人権や環境を軽んじる近代文明と明治政府を痛烈に批判し、現代に通じる数々の名言を残した▼その一つが「少しだも 人のいのちに害ありて 少しくらいハ よいと云(い)うなよ」。天皇直訴後、激化する運動を抑えるため政府が設置した調査委員会の答申を読み、日記に書いた▼銅山が鉱毒を渡良瀬川に垂れ流し、下流の被害は深刻を極めた。なのに答申は「被害はない。少量の銅は乳児の発育に良い」。正造は激怒した。「素人に分かるのになぜ」▼2013年、没後100年の小紙連載「今、生きる正造」で紹介した言葉だ。その2年前、東京電力福島第1原発事故が発生。政府は放射能被害について「直ちに影響はない」と繰り返した。誰もが不信と不安を抱き、正造に共感した▼事故から10年。増え続ける処理水を、政府が海洋放出する方針を決めた。トリチウムなど一部の放射性物質が含まれる。本格操業が見えてきた地元漁業者が反対するにもかかわらず「人体への影響は少なく、薄めて海に流すのが合理的」という▼あぜんとした。安全だという保証はどこにもなく、涙を流すのは決まって罪もない市井の人たちだ。いつになったら過去の過ちに学ぶのか。正造が激怒する事態がまた起きた。(下野新聞SOON・2021/04/14)

 上の写真は「汚染水」を貯蔵するタンク群です。今回の政治決定は最初から読みこまれていたものです。いきなりの海洋投棄は、いくらバカな人民でも怒るだろうから、クッションを置く、それが貯汚染水タンクの設置でした。これには莫大な建設費や維持費がかかる「望外の公共事業」でした。しかし何年か後には、にっちもさっちもいかなくなるのは目に見えていたことですから、頃合いを見計らって「海洋投棄」する、予定通りの筋書きは「原子力村の選民(エリート)たち」が書いたのです。間違いなく、これからもこの事業には気の遠くなるほどの銭金が投入される。国破れて、金権亡者蔓延るという、これまでにも何度も見せつけられてきた悪魔の構図です。加えて、現下、コロナ禍もまた、りっぱな、かつ割りの割りのいい公共事業だと、喜んでいる商売人がいるし、五輪もまた右に同じです。国が完膚なきまでに滅んでも、カネの亡者はその骨肉にしがみついているのです。「毒を食らわば、皿まで」というんですね。

 田中正造が足尾鉱毒事件を「直訴」という直接行動で、明治天皇の「 鳳駕ニ近前スル其罪実ニ万死ニ当レリ 」と死を賭して訴えてから、本年は百二十年目に当たります。奇しくも、現政府は福島原発事故由来の「汚染水」を海洋に投棄する決定を下しました。権力者たち(それは決して単独者ではなく、無能者を中心にして(囲い込むように)、その周りを何重にも取り巻いて、いかにも権力集団と化した強盗無法者たちをいう)は、足尾銅山開発者の古河市兵衛と同じく、すべての害毒を地に埋め、水に流して「愚民」を翻弄愚弄し、その命を踏みにじった足下で莫大な利益を貪っていたのです。人民の生き死にには一顧だに払わず、海洋に流して「すべては終わる」という宣言を下したのです。

 ぼくはまだ学生の頃ですから、もう半世紀以上も前になります。都内文京区の本郷に住んでいたので、近所をよく歩きました。駒込を越えて、北区中里に向かい、「古河邸」といった大きな屋敷地に入ったことがあります。公開されていたのです。これが古河工業の経営者が作った住居と庭の跡でした。そこは、サツキやツツジ、あるいは幾種類ものバラが咲き乱れる、豪勢な庭園でした。古川が何者であるか、まったく知らなかったが、邸内の説明を見て初めて「足尾事件」がぼくの関心に入ってきたのでした。それ以来、ぼくは二度と古河邸には足を運ばなかった。肝を冷やすとはこういうことか、そんな度肝を抜かれる経験をしたのでした。明治期の政商と呼ばれた実業家であり、政治家をねじ込むのは手もない業だったというほどの敏腕・辣腕の商売人だった。これに進んでねじ込まれたがった政治家もいた。井上毅というのは、熊本出身の志士で、教育勅語作成に深くかかわったりした、なかなかの有司ではあったのです。

○ 足尾鉱毒事件【あしおこうどくじけん】=栃木県足尾銅山鉱毒流出で1880年代後半から渡良瀬(わたらせ)川沿岸農地が汚染された公害事件。地元からの数次の建議,上申にもかかわらず改善がみられなかったため,1897年以来たびたび農民が大挙上京して抗議行動を起こし警官と衝突,一大社会問題となった。代議士田中正造は1891年に議会に訴えて世に被害の惨状を知らせたが,さらに被害民の鉱毒反対運動が大弾圧をうけると,1901年天皇に直訴した。直訴は失敗したが,これを機に世論は沸騰し,社会主義者やキリスト教徒らの支援が活発化した。これに対し政府は1902年鉱毒調査会を設置し,鉱毒問題を治水問題にすりかえて,事態の鎮静化をはかった。おりから世論の関心が日露戦争へ向かう中,甘言と強権により下流の谷中村を破壊し,ついで渡良瀬川改修工事に着工,田中正造の死などによって鉱毒問題は表面上終わった。しかし汚染源対策が不十分なため,鉱毒被害も足尾山地の荒廃もやむことはなかった。(平凡社百科事典マイペディア)

○古河市兵衛 ふるかわ-いちべえ(1832-1903)=明治時代の実業家。天保(てんぽう)3年3月16日生まれ。小野組の番頭として生糸取引に従事。小野組清算後,明治10年足尾銅山を買収。さらに官営の院内・阿仁鉱山の払い下げをうけて事業を拡大。鉱山王とよばれ,古河財閥の基礎をきずいた。明治36年4月5日死去。72歳。京都出身。本姓は木村。幼名は巳之助,幸助。(デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説)

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「直訴状」(田中正造)

     謹奏

田中正造 草莽ノ微臣田中正造誠恐誠惶頓首頓首謹テ奏ス。伏テ惟ルニ臣田間ノ匹夫敢テ規ヲ踰エ法ヲ犯シテ鳳駕ニ近前スル其罪実ニ万死ニ当レリ。而モ甘ジテ之ヲ為ス所以ノモノハ洵ニ国家生民ノ為ニ図リテ一片ノ耿耿竟ニ忍ブ能ハザルモノ有レバナリ。伏テ望ムラクハ

陛下深仁深慈臣ガ[狂→至]愚ヲ憐レミテ少シク乙夜ノ覧ヲ垂レ給ハンコトヲ。

伏テ惟ルニ東京ノ北四十里ニシテ足尾銅山アリ。[+近年鉱業上ノ器械洋式ノ発達スルニ従ヒテ其流毒益々多ク]其採鉱製銅ノ際ニ生ズル所ノ毒水ト毒屑ト[久シク→之レヲ]澗谷ヲ埋メ渓流ニ注ギ、渡良瀬河ニ奔下シテ沿岸其害ヲ被ラザルナシ。[而シテ鉱業ノ益々発達スルニ従ヒテ其流毒益々多ク加フルニ→加フルニ]比年山林ヲ濫伐シ[+煙毒]水源ヲ赤土ト為セルガ故ニ河身[+激]変シテ洪水[頻ニ臻リ→又水量ノ高マルコト数尺]毒流四方ニ氾濫シ毒[屑→渣]ノ浸潤スルノ処茨城栃木群馬埼玉四県及[+其下流ノ]地数万町歩ニ[及ビ→達シ]魚族[絶滅→斃死]シ田園荒廃シ数十万ノ人民[+ノ中チ]産ヲ失ヒ[+ルアリ、営養ヲ失ヒルアリ、或ハ]業ニ離レ飢テ[泣キ寒ニ叫ビ→食ナク病テ薬ナキアリ。]老幼ハ溝壑ニ転ジ壮者ハ去テ他国ニ流離セリ。如此ニシテ二十年前ノ肥田沃土ハ今ヤ化シテ黄茅白葦満目惨憺ノ荒野ト為レ[リ→ルアリ]。

臣夙ニ鉱毒ノ禍害ノ滔滔底止スル所ナキト民人ノ痛苦其極ニ達セルトヲ見テ憂悶手足ヲ措クニ処ナシ。嚮ニ選レテ衆議院議員ト為ルヤ第二期議会ノ時初メテ状ヲ具シテ政府ニ質ス所アリ。爾後[-毎期]議会ニ於テ大声疾呼其拯救ノ策ヲ求ムル茲ニ十年、而モ政府ノ当局ハ常ニ言ヲ左右ニ托シテ之ガ適当ノ措置ヲ施ス[+コト]ナシ。而シテ地方牧民ノ職ニ在ルモノ亦恬トシテ省ミルナシ。甚シキハ即チ人民ノ窮苦ニ堪ヘズ[+シテ]群起シテ其保護ヲ請願スルヤ有司ハ警吏ヲ派シテ之ヲ圧抑シ誣テ兇徒ト称シテ獄ニ投ズルニ至ル。而シテ其極ヤ既ニ国庫ノ歳入数十万円ヲ減ジ[+又将ニ幾億千万円ニ達セントス。現ニ]人民公民ノ権ヲ失フモノ算ナクシテ町村ノ自治全ク[破壊→頽廃]セラレ[飢餓→貧苦疾病]及ビ毒ニ中リテ死スルモノ亦年々多キヲ加フ。

伏テ惟ミルニ

陛下不世出ノ資ヲ以テ列聖ノ余烈ヲ紹ギ徳四海ニ溢レ威八紘ニ展ブ。億兆昇平ヲ謳歌セザルナシ。而モ輦轂ノ下ヲ距ル甚ダ遠カラズシテ数十万無告ノ窮民空シク雨露ノ恩ヲ希フテ昊天ニ号泣スルヲ見ル。嗚呼是レ聖代ノ汚点ニ非ズト謂ハンヤ。而シテ其責ヤ実ニ政府当局ノ怠慢曠職ニシテ上ハ

陛下ノ聡明ヲ壅蔽シ奉リ下ハ家国民生ヲ以テ念ト為サヾルニ[因→在]ラズンバアラズ。嗚呼四県ノ地亦

陛下ノ一家ニアラズヤ。四県ノ民亦

陛下ノ赤子ニアラズヤ。政府当局ガ

陛下ノ地ト人トヲ把テ如此キノ悲境ニ陥ラシメテ省ミルナキモノ是レ臣ノ黙止スルコト能ハザル所ナリ。

 伏シテ惟ルニ政府当局ヲシテ能ク其責ヲ竭サシメ以テ

陛下ノ赤子ヲシテ日月ノ恩ニ光被セシムルノ途他ナシ。渡良瀬河ノ水源ヲ清ムル其一ナリ。河身ヲ修築シテ其天然ノ旧ニ復スル其二ナリ。激甚ノ毒土ヲ除去スル其三ナリ。沿岸無量ノ天産ヲ復活スル其四ナリ。多数町村ノ[破壊→頽廃]セルモノヲ恢復スル其五ナリ。[+加毒ノ鉱業ヲ止メ]毒水毒屑ノ流出ヲ根絶スル其六ナリ。如此ニシテ数十万生霊[ヲ塗炭ニ→ノ死命ヲ]救ヒ[+居住相続ノ基ヘヲ回復シ]其人口ノ減耗ヲ防遏シ、且ツ我日本帝国憲法及ビ法律ヲ正当ニ実行シテ各其権利ヲ保持セシメ、更ニ将来国家[-富強]ノ基礎タル無量ノ勢力及ビ富財ノ損失ヲ[予防→断絶]スルヲ得ベケンナリ。若シ然ラズシテ長ク毒水ノ横流ニ任セバ臣ハ恐ル其禍ノ及ブ所将サニ測ル可ラザルモノアランコトヲ。

 臣年六十一而シテ老病日ニ迫ル。念フニ余命幾クモナシ。唯万一ノ報効ヲ期シテ敢テ一身ヲ以テ利害ヲ計ラズ。故ニ斧鉞ノ誅ヲ冒シテ以テ聞ス情切ニ事急ニシテ涕泣言フ所ヲ知ラズ。伏テ望ムラクハ

聖明矜察ヲ垂レ給ハンコトヲ。臣痛絶呼号ノ至リニ任フルナシ。

明治三十四年十二月 草莽ノ微臣田中正造誠恐誠惶頓首頓首 

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「 陛下不世出ノ資ヲ以テ列聖ノ余烈ヲ紹ギ徳四海ニ溢レ威八紘ニ展ブ。億兆昇平ヲ謳歌セザルナシ。而モ輦轂ノ下ヲ距ル甚ダ遠カラズシテ数十万無告ノ窮民空シク雨露ノ恩ヲ希フテ昊天ニ号泣スルヲ見ル。嗚呼是レ聖代ノ汚点ニ非ズト謂ハンヤ。而シテ其責ヤ実ニ政府当局ノ怠慢曠職ニシテ」と、

率直無比に正造は直訴した。ただちに、正造は逮捕拘束されましたが「狂人が馬車の前によろめいただけ」と、即日釈放された。「狂人扱い」というのは権力者の常套手段でしょう。今なら、さしづめ「変わり者」だから「触らぬ神に祟りなし」という取り扱いです。沖縄でも福島でも、時の為政者の仕打ちに抗議する人民が後を絶たないにもかかわらず、刺激をしないように、時がたてば問題は消えるという、もっとも不実な態度で対応するのが、この島の政治史に繰り返し書かれてきた「権力無慈悲」の状態でもあったのです。

 「汚染水」の海洋投棄はどうなるのか。原発が設置されているところでは、世界の至る場所で「海洋投棄」されているのだから、なんの問題もないというのです。それでも不満を言うものには「はした金」をつかませればいいと、その程度の問題としてしか見ていないのです。

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投稿者:

dogen3

 「名もなく貧しく美しく」、ぼくにとって、それは生きる姿勢(流儀)の理想型ではありますが、現実には「名もなく貧しく醜悪に」、せいぜいがそんなところでしたね。「美しく」どころではなかったけれど、「名もなく貧しく」は断固として一貫してきたと思う。とても自慢できませんがね。