百年一日、学校は「心停止」に気づかないんだ

 「明治から今まで、ずっと勉強というのは、成績をあげ、受験して、競争して、競争に勝つか負けるかという、競うもの、争うものとして考えられてきた勉強です。言葉を学ぶということさえ、そうした競争である勉強の一つであり、論語も、シェイクスピアも、競争のなかで学ばれたわけです」

 この文章は、これまでに何度も引用してきた詩人の長田弘さん(1939-2015)の「今、求められること」という短い文章からのものです。この島社会に学校というものが制度として作られたのは明治五年でした。それ以前にも藩校や郷土の学校、さらには私塾など、いたるところに多くの種類の学校類似の組織や制度がありましたが、そこにおける教育には大きな差異があり、学校とは名ばかりというものがほとんどでした。したがって「学歴」を誇るというような今風の学校歴尊重主義は生まれる気づかいはなかった。

 明治の新国家をほとんどが青年期にあった人たちが創建したのは事実であり、その後の国の方向を決めたのも彼・彼女等でした。明治建国期はどこまで続いていたか。いろいろな考え方がありますが、一口でいえば、「日露戦争(明治三十七年、八年)」期までだと言えます。二十世紀の初頭です。それ以降は、青年たちが作った制度によって国の組織が固まり、教育に限定して言えば、帝国大学が頂点に立つ教育・学校階梯が徐々に力を持つようになるのです。いわゆる大学入学・卒業がそれ以降のキャリア形成に大きな力を持つ時代に入った。どの大学に入るか、そのためにはどの高校に、というように、今でも毎年のように見られる「受験競争」が学校の水準(正常な機能というべきか)を大きく制約することになりました。上に引用した長田さんの文章はその事情を説明しているとも読めます。試験でいい成績を取るための「勉強」の、向かうところ敵なしの横行です。 

 「けれどもこれからやってくるだろう、子どもがどんどんすくなくなってゆくだろう社会において変わらざるをえないのは、そのような勉強というもののかたちです。学ぶということが、勝つため、あるいは勝てなかったら負けてしまうような、競争のための勉強とは違ったかたちをもつことができなくては、先がなくなってくるからです」

 この文章が書かれたのは二十年以上も前のことです。少子化時代の到来はそれ以前から予想されていました。今でも大学受験競争が批判されますが、ぼくに言わせれば、受験競争などという風潮はもう終わっているのです。欲を言わなければ、誰だって、どこかの大学に入れる、「全入時代」もずっと以前に指摘されていました。ごく少数の大学に受験性が固まるという傾向は否定できません。しかし、それが解消するのも時間の問題です。ほとんどの学生は「大学教育」の実態を見せつけられてきたし、そんなことのために高い授業料を払ったという経験を経てきたのです。さらに言えば、日本の大学卒業生を終身雇用や年功序列の賃金体系で吸収してきた「企業」が、この先も同じような吸収装置ではあり得ない事態が来てしまったのです。だからこそ、「勉強」というか、福沢諭吉の語でいえば「学問」は、本来求められていたと考えられる目的や意義に回帰せざるを得なくなったのです。そのことを、長田さんは、ぼくが言おうとする観点とは別の方向で述べておられます。さらに引用を続けます。

 「というのは、他人と競争する。他人と競争して、他人に勝つ。あるいは負ける。そのように勉強というものが、つねに他人を確かめる、他人との距離を確かめるようにして行われてきたということがあります。しかし、子どもがだんだんすくなくなってゆく社会では、他人に勝つために勉強する必要より、もっとずっと必要なのは自分を確かにするためにする勉強であり、自分を確かめる方法としての勉強がいっそう求められます」

 自分と他人との距離を確かめる「勉強」、成績の差を比較することで「優劣」を決める学校教育の役割は終了したと言ってもいいでしょう。そもそも学校の機能や役割をこそ、時に及んで、根底から問わなければならなかったのです。それを怠ってきた結果、学校がその機能をもっと効率よく発揮することが出来た社会的機能や経済的要請がもう終わってしまったのです。だからこそ、「自分を確かめるための学問」が求められる時代に入っているのだという指摘は、当たり前に過ぎるように、ぼくには思われるのですが、残念ながら、大半はその事態を直ちには受け入れられないままで時を凌いで来たのです。無視したのか、気が付かなかったのか。

 学校の成績(試験の点数)が他者よりも一点でも高いことを必死になって願うという狂気染みた「勉強」の必要性が失われてしまった。自他の違いは「教育経験」の違いとも言えそうですが、中身は問われないままに、成績や偏差値、あるいは学歴でしか評価されないと勝手に判断してきた「錯覚社会」が、ここにきて、「錯覚からの覚醒」を求められているのです。他人との差は身長や体重もありますが、五キロ重いとか、五センチ低いと言っても、それがどんなことを表わしているのか、人はその程度の価値尺度には気づいているのです。ところが、試験や成績の一点、二点については、あきらめがつかないというのか、優劣感情を持たされてしまっているのか。自分はあの人には成績では勝っている、でもこの人には負けていると、二十歳を過ぎた青年諸君が、本気で考えたというなら、この若者が棲息する社会・集団はとっくに終わっていると言えますね。二十一世紀開始後二十年を経ずして、この島社会はこれまでの遺産も何も食い潰してしまったのです。その責任のかなりの部分は「学校教育」に帰するのではないでしょうか。

 他者との優劣を確かめるためには、驚異的に機能してきた学校制度が、はたして「自分を確かめる方法」としての教育(学問)を生みだせるのか、これまでとは学校や教育の目的も方向も、根本から変えなければ、変わらなければ、何事も新規に始められないのではないか、それをぼくは断言してもいいと考えている。「全員集合-前にならえー気をつけ―休め」などという号令が一切通用しない学校を、いかにして作り出すことが出来るか。「学校に行かないで、学ぶ方法(不登校で学ぶ方法)」、子どもが学校に行かなくても学べる、そんな学校をどのようにして想像できるのか、先ずそこから試してみたい。その次に、実際にそれをどのようにして見付けられるか、それがぼくたちの喫緊の課題となるはずです。「飛ぶ教室」はぼくの中で、悠々と、あるいは健やかに活動中なんですね。

 下の写真をつらつら眺めています。捨てるものは何一つない、自然界に余計なものはなにもないのです。そのことを土に触れながら、存分に学べる、この島の学校は、自然界にこそ実在していたということを、この素敵な看板が教えてくれています。(この項つづく)

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投稿者:

dogen3

「上を思えば限りがないと、下を見て咲く百合の花」になれるものなら、という想いです。それこそ、「高嶺の花」ですが。「昨日は俗人 今日は僧、生涯胡乱(うろん)これがわが能」と自称した一休さんは、一面では「相当な人物」だったと、歳をとるとともに思わされています。