季節はめぐる、人情は変わらず、世情も不易だ

 この一年以上、社会のさまざまな仕組みや組織が内側からも外側からも、否応なしに変化を強いられてきました。第一の要因は、人との接触を避け、可能な限りで外出を避けることからしか防御できない「感染病」のゆえでした。素人の見立てでは、まだ数年はかかるといわなければなりません。教室に集まって「学習・勉強」するのがすべてのような学校は大きな「被害」を受けたし、まだその軛(くびき)から逃れられていません。個々人がテレワークならぬ「テレスタディ」を余儀なくされたのです。それで救われた子もいるでしょうが、多くは学習の遅れを気に病むことになっていないかどうか。

 極端な言い方に聞こえますが、いやでも従来の学校教育は、その形を変えざるを得ないと考えました。今回の疫病の発生と流行によるだけではなく、もうこれまでの学校教育成立の社会的経済的条件は消えようとしています。大半が高校や大学に行く時代が続きましたが、そのほとんどは「就職」のためでした。あらゆる学校教育はその先の学校への準備教育であり、大学の存立基盤は卒業生が社会に出る(就職などをして生活の資を得る)そのための手段でした。しかるに、そのためには「社会人」として、立身出世(身を立て、世に出る)が成立する時代や社会状況が必要でしたが、今はどうでしょう。大学進学率は高止まりと言ってもいいでしょう。あるいは中途退学者の数を考慮すると、大学進学は経済的には利に合わないということになっているのかもしれません。もちろん、このような状況でも大学志向は根強いものがありますが、半世紀前のように「受験・進学戦争」といわれる事態はすでに終わったようです。

 これまでも同じような「寝言」を、ぼくはまるで「ミミズの戯言」のように繰り返してきましたが、もう一度、同じような「戯言」を言っておきます。大学はすでに役割を終了した。タレント養成や堕落した官僚など、あるいは他人の目を盗んで利ザヤを得ることが「商売」だと誤解しているような社会的位置(企業など)に卒業生を送り込んでいるのですから、これまではいくらかは評価しないでもありませんでしたが、もはや、これまでのような「就職の階段」としての大学の目的は潰(つい)えたといいたい。いずれにしても、現実にぼくたちが毎日なんとか暮らしている社会の状況は、近年に見たことのないほどに「腐敗堕落」した事態にあるといえそうですし、それを立て直すセクターが残念ですが、どこにも見当たらないようなのです。「優良企業」という、あるいは「一流大学」とか「名門高校」といわれる意味がぼくには皆目わからなかったのですが、ある時期から「多分、こういうことなんだ」とわかりかけてきました。「優良」や「一流」や「名門」とは、他者と比較して、相対的に優位であると自己評価する、しかし評価を絶して優れている者には太刀打ちできない、その程度の「優性意識」でしかなかったのでは、というのです。狭い世界の(お山の大将というか、女王」というのでした。村で一番、そんなこといって何になるんですか、ぼくはいつでもそんな風な、斜めからの冷たい視線を投げかけていました。

 この狭い島国で「一流大学」というのは構わないが、それは周囲何キロの範囲にのみ有効なものだとすると、恥ずかしいことですね、そんな「一流意識」は持たない方がいい。昔の家制度では本家があって分家があった。それは家督を維持するための知恵でした。今日は本家や分家というものは存在しませんが、意識の上では消えていません。「名門」に関しても同様です。ぼくの管見では、「一流」や「名門」とされる人や組織ほど、何者かに比較して「悪いこと」をするという印象を持ちます。議会でウソをつく、公文書を棄てる、賄賂は自由にやり取り放題、見つかっても悪びれない。ぼくの小さな胸の中に、政治権力者ほどに、ぼくという小人は悪事を働かない、働けないという気分があります。さらに言えば、同じ嘘や悪事を働いても、それは公的な立場に立つ人ほど重く裁かれれる必要があるという感情もあります。

 つまらない前置きはこれくらいにして(ながくなるかもしれない)「教育再定義」の始まりの一歩を記したいのです。

 教育を再定義してみる

 「学ぶ」=「勉強」というふうに多くの人は考えています。この二つは同じかどうか。同じようでもあり、違うようでもありますね。たとえば、「学ぶ」ということについていえば、数学を「学ぶ」と数学を「学ばせられる」ではなにかちがう。なにがどのようにちがうのか。このような問題を丁寧に考えたい。「勉強」という言葉を聞いて、どんなイメージが湧くか。ちょっと窮屈な感じがしませんか。ぼくは「勉強」という言葉にあまりよい印象を持てない。だから他人から「君は〈勉強〉ができる」とか「まったく勉強ができない」といわれても一喜一憂したくないんです。言われたことはしょっちゅうでしたが。それでは「勉強」ができるというのはどういうことか。

 「学ぶ」というのはどこか山登りに似ていると思います。自分の足で頂上を目指さなければ、一歩も前に進まない。北アルプスや高尾山に登ったところで、「世界平和」に役立たないし、他人に評価されることなどまずない。だからこそ、山登りはいいのだと、ぼくは経験から「学ぶ」ことがありました。「あんたは偉い!」と褒められたいために登るということがないからです。登りたいから登る、その理由はさらに深いところにあるのです。自分の足で! それが山登りの肝心なところで、他人に誉められようとして山に登る人は、まるでだれかに評価されようとして「勉強」するみたいじゃないですか。「学ぶ」と「勉強」は同じことだといえますか。

 「教える」ということに関しても事情は同じです。という意味は、十分に考えてみれば、それはけっして自明なものではないということです。たとえば教師の仕事は「教える」ことだというけれど、なにを、どのように、どこまで、なぜ「教える」のかが問題にならなければ、状況は明らかになりませんでしょ。教科書に書かれていることを生徒に「教える」んだ、といっても、「教える」という行為の程度(深浅)というか、どのあたりまでいったら教えたことになるのか。考えなければならないことは山ほどありますね。「教えの庭にも はや」幾年」ですね。

 教育とはなんだろうか。こんな問をそれこそ何十年も続けてきました。その結果、答えは明らかになるどころか、ますます迷いは深まるばかりだといえそうです。「山登り」と同じだと言えますね。登れば登るほど、登山は簡単に楽しめなくなるのです。成功は失敗の因、です。情けない話ですね。「教育」とは読んで字のとおり、「教え育てる」こと。それですめば結構なことですが、なかなかそういうわけにはいかない。身近な生活の中に「教育」問題を考える材料を見つけることから始めたい。その一例として、教育の方法・教授法といわれるものについて考えたいと、次のような教材を用意しました。私たちのほとんどには身に覚えのある経験じゃないですか。「先生は教える人」、「生徒は教えられる人」。これはもう決まり切ったこととされています。はたしてそのような役割分担から、どのようなことが生み出されているのでしょうか。また、このような教育方法のねらいはどこにあるのでしょうか。「職業としての教職」って? 一体、何のための教育なのか? もっと言えば、何で「学校へ行かなければならないのか」と。

 「教える」と「育てる」と。それは車の両輪か?

 「育てる」という行為は「育つ」あるいは「育てられる」という感覚ときりはなせない。たんに言葉の問題だとみられそうですが、子どもを育てる母親が自分はもう育ちきったとみなしたら、その瞬間に彼女は子どもを「育てる」人から、「しつける・管理する」人に変わってしまうのです。子どもも母親も、立つ基盤はいっしょです。教師が自分を「育てる」という感受性を失えば、子どもに対してひたすら「教える」、「与える」「詰め込む」教師になることうけあいです。「教える」と「育てる」はちがう。「育てる」があってはじめて「教える」がなりたつのではないか。「教える」の根底に「育てる」がなければ、どうしても「教育」は強制になるほかないのです。

 それはまだ年端のいかない子どもに自分の考えや価値観を(良かれと考えて)移しかえているに過ぎないのです。親の考え方、教師の世間知を子どもや生徒の頭に植えつけることが教育となっているのです。そのような行為をして「育てる」とはいわない。頭が柔らかいうちに世間の常識を子どもに注入する、それが長い間、この国では「教育」の別名であったのは事実です。「注入主義」の横行です。その結果、どのような事態が社会に、そして、子どもに生じたか。

 家庭からも学校からも「育てる」が放棄され、その代わりに台頭してきたのが「教える」という名の「注入主義」でした。どの学校段階をきりとっても、そこで行われているのは「教師が教え、生徒が聞く」であり、教師の話をどれだけ正確に記憶(暗記)したかが、生徒に問われるのです。小学校でも大学でも教育の質、それを質というのなら、それは少しも変わらない。教える=与える、受けいれる=覚える、それだけが教育の主流となってきたのです。教師はその専門家、有識者です。もうこんなアホみたいな、教育の真似事が通用しない時代に、否応なしに入っているのです。

 何事であれ「育てる」というのは深く相手(対象)にかかわらなければ不可能です。相手かまわずいっせいに言葉を投げつけるような乱暴な行為によってはなにも育てることはできない。にもかかわらず、この国ではひたすら教え続ける「教育」が展開されてきました。その理由や目的はなんだったのでしょうか。西欧なみの近代国家になるためには「教える」装置である学校は必須のものだったのです。別のいい方をするなら、求められたのは国家のための教育であり、個人のためのものではなかったという意味です。ひとりの人間が成長し一人前になる、そのような教育は後回しにされ、なによりも国家本意の教育が優先されたのです。

 この社会に学校制度が作られてから約百五十年です。その間に、いろいろなことが目まぐるしく起こりました。天変地異というのか、人災もそれに劣らず、社会の成員を苦しめてきました。学校制度は天変地異でもなければ、やたらに災害を引き起こすものでもないと断言したいのですが、さて、どうでしょうか。こんなものが存在しなかったら、もっと違った歴史をこの島の人間たちは歩んだことでしょう。(あるいはヒソヒソ声で、それはまるで「自分にとっては、天変地異だった」、という人もいるでしょう、ぼくもその一人かもしれない)

 時は流れ、季節はめぐる。人情も世情もよくもなり悪くもなる、でも、総体は変わりはしない。もう少し、上等の人間になるためには、今の「点取り競争」に終始しているような学校は壊さなければ、そんな教師や生徒たちが出てくる気配がしませんか。ネットが「情報」をまとめて、世界中を瞬時にかけめぐる時代は、あるいは「飛ぶ教室」の出番を作ってくれたのかもしれない。(この項、続く)

__________________________________________

投稿者:

dogen3

「上を思えば限りがないと、下を見て咲く百合の花」になれるものなら、という想いです。それこそ、「高嶺の花」ですが。「昨日は俗人 今日は僧、生涯胡乱(うろん)これがわが能」と自称した一休さんは、一面では「相当な人物」だったと、歳をとるとともに思わされています。