若いころから、ぼくはプラトンの著作をよく読みました。もちろん、翻訳を通してでした。一時期ギリシャ語を齧ったこともあったのですが、中途半端ではとても歯が立たないと直ちにやめた。邦訳でじゅうぶんに満足したのでした。今回はその一部を紹介がてらに考えてみたくなりました。テーマは「生きることについて」という茫漠としたものです。驚くべきか、二四〇〇年も前に生きた人が書いたものです。
<死を恐れるのは誤りだ。それは知恵をもたないことについて知恵をもっていると偽っていることにほかならない。なぜなら死を知っている者は誰もいないからだ。>(「毒杯」を飲むソクラテス)⇓

《…カリアスよ、とわたしは言ったのです。もし君の息子が、かりに仔馬や仔牛であったとするならば、かれらのために監督者となる者を見つけ出して、これに報酬を払って、息子たちを、しかるべき徳をそなえた、立派な者にしてもらうことができるだろう。またそういう監督者は、誰か馬事や農事に明るい者のうちに見つけることができただろう。…実際、とにかく、もしわたしが、そういう知識をもっているのだとしたら、自分でも、それを栄えあることとして、さぞ得意になったことでしょうからね。しかしまちがわないでください。わたしはそういう知識を、もってはいないのですから、アテナイ人諸君》(「ソクラテスの弁明」)(参考文献「プラトン全集」・岩波書店刊)

馬を人間の好みに仕立て上げる人を調教師(breeder of racehorses・競走馬のブリーダー[飼育者])と言います。(料理をする人は調理師)馬や牛にかぎらず犬猫にもブリーダーが大流行です。それらはすべて、当の動物の本性(個性)を伸ばす・育てるというよりは、自分好みに作りかえるという方が当たっています。とするなら、さしずめ、学校の教師は「人間のブリーダー」と言うことになります。それをソクラテスはカリアスに語ったわけです。
『ソクラテスの弁明』と並んで、ぜひとも読んでいただきたいのが『国家』です。
《それなら、もし以上に言われたことが真実であるならば、われわれは、目下問題にしている事柄について、次のように考えなければならないことになる。すなわち、そもそも教育というものは、ある人々が世に宣言しながら主張しているような、そんなものではないということだ。彼らの主張によれば、魂のなかに知識がないから、自分たちが知識をなかに入れてやるのだ、ということらしい―あたかも盲人の目のなかに、視力を外から植えつけるかのようにね》(『国家』518 B~C)
《ところがしかし、いまのわれわれの議論が示すところによれば、ひとりひとりの人間がもっているそのような[真理を知るための]機能と各人がそれによって学び知るところの器官とは、はじめから魂のなかに内在しているのであって、ただそれを―あたかも目を暗闇から光明へ転向させるには、身体の全体といっしょに転向させるのでなければ不可能であったように―魂の全体といっしょに生成流転する世界から一転させて、実在および実在のうち最も光り輝くものを観ることに堪えうるようになるまで、導いて行かなければならないのだ。そして、その最も光り輝くものというのは、われわれの主張では、〈善〉にほかならぬ。そうではないかね?》(『国家』518 C~D)

《それならば、教育とは、まさにその器官を転向させることがどうすればいちばんやさしく、いちばん効果的に達成されるかを考える、向け換えの技術にほかならないということになるだろう。それは、その器官のなかに視力を外から植えつける技術ではなくて、視力ははじめからもっているけれども、ただその向きが正しくなくて、見なければならぬ方向を見ていないから、その点を直すように工夫する技術なのだ》(518 D)
「人間の徳」とはなにか?
ソクラテスにとって「人間の徳」というものは国家によって決められたもの(規範)などではなかったし、まして教育とはそれを上手に教えるテクネー(技術)ではなかったのです。彼の最大の関心事は、そもそも「人間の徳」はなにかを探求することであり、もともと国家の必要や要求によって作られた「公認の徳」(世の常識・通念)そのものを根本から疑うことにあったわけです。

ソクラテスは一人一人にむかって、その人自身の「生活を吟味する」ことを徹底していったのですが、個人のなかにはいつとはなしに「国家公認の徳」(常識や通念・ドクサ)なるものが蓄積(移植)されているのだから、吟味を重ねるに応じて、ついには「公認の徳」そのものを激しく吟味するところまで進まざるをえなかったのです。つまり世間と対峙しなければならなかった。
徳とは何かを求めること、問いつづけること、それこそが「無知からの解放」なのです。これは教育についても同じことです。世の中では「教育とは●だ」「いや、教育は▲だ」と甲論乙駁、まことに喧騒をきわめています。でも、教育は●だ、▲だ、と思いこんだとたんに、それ以外は眼中にないということになります。じつに狭い了見を背負いこんでしまうことになりますし、不幸なことでもあります。
ぼくたちは「国家」の一員であると思っています。でもそれはきわめて不思議な思い込みです。ある地域に生まれれば、その地域が属している集団=国の一員とされるのです。たった一枚の出生届によってです。その反対に、その地域からハズレれば、ある集団の一員ではなくなります。これもたった一枚の紙による届けによります。国家の一員であるというのは、実に単純なことです。それなのに、終生、国家のくびきにとらわれるというのは奇妙でもあり可笑しいことでもあるのではないですか。ソクラテス(じつはプラトンが描くソクラテスは、というべきです)、このような一時的、あるいは刹那的な所属集団に身も心もあずけることの愚かさを指摘し、そこからの解放に自らの身命をかけたのでした。よくいわれたことで、「日本人に生まれる」とされますが、一方ではアメリカ人であることを「選ぶ」とも。人種や民族は選べませんけれども、「国籍」は選択できる。しかしぼくたちは、ほとんどが疑問を持たないままで「日本人」であるという、自己の属性を受け入れてきたのです。

ぼくはしばしば、国籍は「上着のようなもの」だと言ってきました。もちろん、ぼくのように最後まで同じ服を着る人間が圧倒的に多いのです。でも、ときには自ら新たな上着を着ることもあり得ますし、ぼくの友人には何人もが外国製の上着を着用している人もいます。ここで言いたいのは、国家とか地域にあまりにもとらわれすぎると、自由にものを考えたり行動したりすることが出来なくなるという、集団の呪縛にかかるという点です。この「呪縛」「呪い」をソクラテス(プラトン)は「ドクサ」と看破し、そこから解放されることが有徳に生きる不可欠の条件であるとしました。ある人が正しいのは、いろいろな条件や関係において「正しい」からではなく、その人自身の内面において「正しい」からであるといいました。

仮に社会通念や常識にあまりにも強くとらわれると、この内面の「正しさ」を獲得することが出来なくなるのです。集団全員が「正しくある」ということが求められたとしても、「全員が正しい」ということはあり得ないことです。ごく少数の正しい人がいるとしても、それを圧倒的に多数の人間が潰すようにのしかかってくる、それが集団の圧力だと言えるでしょう。ある事柄について、百対ゼロという事態が生じたとしたなら、それは全体主義であり、集団の在り方としては願わしいものではないと言えます。また九十九対一という状況があったとして、九十九人が正しくて一人が間違いであるということを意味しません。逆に「一」の中に正しさ(真理)が宿っているなら、時間をかけていけば、その一は次第に多数になるはずです。民主主義の核心は「小数意見の尊重」だといわれるのも、ここにおいてです。「一」が「多数」になるためには時間がかかります。迂遠な議論(話し合い)がなければ、民主主義は生まれるはずもないのです。ぼくたちの生きている「現実」「社会」は民主主義にとって、どの程度のものなのか、それがいま深く問われているのです。
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さらに、この問題を考えつづけようとしています。ただ今現在、ぼくたちが一時身を置いているにすぎない「国といわれるものの骨組み」が、他を省みない独善的な人々に蹂躙されており、その被害を受けて壊れかけているのですから、なおさら、それ(国が許容する価値観)に縛られることの愚かさに、ぼくたちは真剣に関心を持つ必要があるといいたいのです。そのことを、自らは「人間の教師」であることを否定したとされる、哲学者・ソクラテスから学びたいんですね。(この項は続く)
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