「正に、日本モデルの力を示した」と虚言症の総理

 春永に【有明抄】春の日永に夕暮れを歩けば、葉桜が日一日と増えてゆく。〈ひとは生涯に/何回ぐらいさくらをみるのかしら/ものごころつくのが十歳ぐらいなら/どんなに多くても七十回ぐらい/三十回 四十回のひともざら/なんという少なさだろう〉。茨木のり子さんは詩「さくら」に書いた。そんな大切な一回を、また今年も見送っている◆いつかまた…能狂言では別れ際「いずれ春永(はるなが)に」というあいさつが交わされる。春が訪れのんびり日が長くなったら再会しましょう、と。冬が去って明るい季節になれば愛憎も好悪も、あらゆる人間的感情がご破算になる。自然な時の流れを、くすりにも希望にもした古人の知恵がほの見える言葉である◆きょうから新年度。路上に散った桜の花びらをよけながら、新しい職場へと急ぐ姿もあるだろう。社会人の一歩を踏み出す若者たちにとっては、コロナ禍で厳寒の就職活動をくぐり抜け、ようやく迎えた春である。〈押しひらくちから蕾(つぼみ)に秘められて万の桜はふるえつつ咲く〉松平盟子。早咲きにしろ、遅咲きにしろ、いつか時は訪れる◆葉桜が来年また花をつけるころ、私たちは笑い合えているだろうか。会いたい人に気兼ねなく会える日は戻っているだろうか。時の流れはいまも、くすりであり希望でもある◆「いずれ春永に」―祈るような思いで、筆をおく。(桑)(佐賀新聞Live・2021/04.01)

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 数日前に、茨木のり子さんの「さくら」に触れたばかりでした。大変に好まれている詩であることがわかります。桜との出会いと別れを、強烈な印象(イメージ)で書かれた詩であるからでしょうか。それはともかく、この「有明抄」氏は、「春永」という珍しい言葉を使われていました。なあに、珍しくもなんともない言葉で、「君だけが知らないのだ」といわれるかもしれません。と同時に、それを敷衍して「自然な時の流れ」を「くすりにも希望にもした古人の知恵」とも言われています。ホントかしらという、かすかな戸惑いがぼくにはあります。春だから、すべてが一新されるというのでしょうが、冬から春になると、人間の感情が好転するというが、どうしてですか。そう言いたい気持ちは分かりそうですが、春が来たからと「そうは問屋が卸さない」でしょ。愛憎も好悪も、すべての人間の感情がご破算になると、願いたいという時もあれば、実際に念じている人もいるでしょう。でも、です。もしそういうことなら、何も苦労も苦悩もしなくていい。いずれ「春永に」と気長に待っていれば事足りるのですから。棚からボタ餅か、待ては海路の日和ありか。

○ 春永(はるなが)=〘名〙① 昼間の長い春の季節。多く年の初めを末長くと祝っていう語。日なが。永日。永陽。《季・新年‐春》※俳諧・犬子集(1633)一「春永といふやことばのかざり縄〈親重〉」② (多く「に」を伴って副詞的に用いる。春の、日の長い季候になったらの意から) いつかひまな時。またの機会。※天理本狂言・米市(室町末‐近世初)「我人、いそがわしい時分じゃ、いんではるながに、おりゃれと云」(精選版 日本国語大辞典の解説)

 コロナ禍は、さらに悪化しながらしばらくは続くはずです。ぼくの勝手な予想ではまだ二、三年では終わらないと考えています。この一年は「コロナ禍」の助走期間であって、本番はこれからだという気になります。無為無策の政府や行政の幹部連中の振舞いを見ていれば、時間は過ぎていくばかりで、そこには「くすりにも希望にも」ならない、独り占めの、自己中心のエゴイズムだけが蔓延っているのです。腐り切った政府や自治体の幹部たちは「ワクチン」を早々と接種しているに違いありません。「わが身大事」というのは、こういう輩の哲学であり、信条ともなっているのです。ワクチンが万能であれば、彼や彼女たちは「一安心」でしょう。しかし、決してそうではなさそうです。第一、抗体の有効性がどれだけ持続するか、まだわかっていないというし、それならば、ある期間内に、くりかえし接種しなければ安心できないのです。自前でワクチン開発を放棄している島にとって、何度も接種はまず不可能です、順番待ちの庶民は。高熱があっても「病院へ行くな」と触れ置いて、仲間が無症状でも即入院ですという、汚い手口でこの島社会を食い物にしているのです。

 今から百年前の「スペイン風邪」(インフルエンザ)(1918-1919)は、およそ二千五百万人の死者が出たといわれています。(今回のコロナ禍では、その十分の一程度です。4月1日現在)「史上最悪のインフルエンザ」の著者であるクロスビーは「インフルエンザ」の本当の怖さは、感染者数の天文学的拡大によって、それに劣らず驚異的な死者数が圧倒されてしまって、事態の背景に退いてしまう、「みんなが罹り誰も死なない」、その程度の、致命的ではない感染病だと軽んじられる点に存すると警告する。この「スペイン風邪」に匹敵する感染病に、ぼくたちはただいま襲撃されているという実感を、ぼくは持つ。容易に変異する、変幻自在のウィルスの威力に加えて、この危機状況を利用して「私腹を肥やす」算段しかしていない政官業のトライアングルが鉄壁の布陣を敷いているからです。

 註 「世界全体の推定感染者数は世界人口の25-30%(WHO)、または世界人口の3分の1、または約5億人とされる。当時の世界人口は18億人から20億人と推定されている。世界全体の推定死者数は1700万人から1億人と幅がある。1927年からの初期の推定では2160万人。1991年の推定では2500~3900万人。2005年の推定では5,000万人からおそらく1億人以上。しかし、2018年のAmerican Journal of Epidemiologyの再評価では約1700万人と推定されている。死者数を国別で見ると、特に甚大な被害を受けたのはインドで1200~1700万人、アメリカ50~85万人(CDCの推定では67万5000人)、ロシア45万人(別の研究では270万人)、ブラジル30万人、フランス40万人以上、イギリス25万人、カナダ5万人 、スウェーデン3万4000人、フィンランド2万人、等となっている。これらの数値は感染症のみならず戦争や災害などすべてのヒトの死因の中でも、最も多くのヒトを短期間で死亡に至らしめた記録的なものである」

 「日本では1918年(大正7年)4月、当時日本が統治していた台湾にて巡業していた真砂石などの大相撲力士3人が謎の感染症で急死。同年5月の夏場所では高熱などにより全休する力士が続出したため、世間では「相撲風邪」や「力士風邪」と呼んでいた。その後、1918年(大正7年)8月に日本上陸、同年10月に大流行が始まり、世界各地で「スパニッシュ・インフルエンザ」が流行していることや、国内でも各都道府県の学校や病院を中心に多くの患者が発生していることが報じられた。第1回の大流行が1918年(大正7年)10月から1919年(大正8年)3月、第2回が1919年(大正8年)12月から1920年(大正9年)3月、第3回が1920年(大正9年)12月から1921年(大正10年)3月にかけてである。当時の人口5500万人に対し約2380万人(人口比:約43%)が感染、約39万人が死亡したとされる。有名人では1918年(大正7年)に島村抱月が、1919年(大正8年)に大山捨松、竹田宮恒久王、辰野金吾がスペインかぜにより死去している。第1波の患者数・死亡者数が最も多い。第2波では患者数が減少する一方、致死率は上昇している。第3波の患者数・死亡者数は比較的少数であった」(Wikipedia)(ここに示されている感染者数や死亡者数については、大きな幅を持って、いくつもの数値が挙げられています。あくまでも参考資料として引用しておきます)

 この島の政治家・官僚の不誠実と言ったら、どこにも見られないほどにえげつないものです。その意味は、「新型コロナウィルス」を不当に軽んじているということです。その延長で「人民の命」を、歯牙にもかけないという悪辣さです。昨年の五月、莫迦で嘘つき、不誠実の見本のような総理大臣が「日本型モデル」と自己評価し、世界に誇れる日本医療の成功とまで嘯いていたのです。嘘つきが言うのですから、本当ではなかったのは現実の数字が証明しています。その結果、惨憺たる被害を招来してしまったのです。死ななくてもいい人命を救おうとしなかった罪は、即、万死に値します。

「我が国では、緊急事態を宣言しても、罰則を伴う強制的な外出規制などを実施することはできません。それでも、そうした日本ならではのやり方で、わずか1か月半で、今回の流行をほぼ収束させることができました。正に、日本モデルの力を示したと思います。
 全ての国民の皆様の御協力、ここまで根気よく辛抱してくださった皆様に、心より感謝申し上げます。
 感染リスクと背中合わせの過酷な環境の下で、強い使命感を持って全力を尽くしてくださった医師、看護師、看護助手の皆さん、臨床工学技士の皆さん、そして保健所や臨床検査技師の皆さん、全ての医療従事者の皆様に、心からの敬意を表します。
 日本の感染症への対応は、世界において卓越した模範である。先週金曜日、グテーレス国連事務総長は、我が国の取組について、こう評価してくださいました。
 我が国では、人口当たりの感染者数や死亡者数を、G7、主要先進国の中でも、圧倒的に少なく抑え込むことができています。これまでの私たちの取組は確実に成果を挙げており、世界の期待と注目を集めています。」(昨年5月25日「緊急事態宣言解除」に際しての「嘘つき首相」の「嘘八百会見」)

「先ほど新型コロナ対策本部を開催し、埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県について、3月21日をもって緊急事態宣言を解除することを決定いたしました。
 これまで、飲食店の時間短縮を中心に、ピンポイントで行った対策は、大きな成果を上げています。1都3県の感染者数は、1月7日の4,277人から、昨日の725人まで、8割以上減少しています。東京では、2,520人から、本日は323人となり、解除の目安としていた1日当たり500人を40日連続で下回っております。病床のひっ迫が続いた千葉県などにおいても、日を追って入院者が減少し、病床の使用率50パーセントという解除の目安を下回り、40パーセント以下となっております。2週間宣言を延長し、病床の状況などを慎重に見極め、判断すると申し上げてきましたが、目安とした基準を安定して満たしており、本日、解除の判断をいたしました。
 これまでの医療、介護などの関係者の皆様の御尽力、国民や事業者の方の御協力に心から感謝申し上げます。」(2021年3月18日「首都圏緊急事態宣言解除」の際の菅利権総理大臣の「記者会見」)

 二代続いて「嘘つき」総理が、何の根拠もなく、「コロナ退治」を明言するという、呆れる外ない、情けない事態をぼくたちは見せつけられています。さらに五輪を何がなんでも開催するという狂気の沙汰を天下に晒そうとしています。人民大衆の生命を最優先で守るという責任意識は皆目見られないのですから、人民の不幸はたとえようもないのです。自分の命は自分で守るというのは、当然ですが、口から出まかせで「私に任せろ」と言わぬばかりの、似非権力者の空虚な発言にさえ、苦悩する人民は縋(すが)りたくなるのです。

 サクラもいい、春永もいい、でも自らの命を無事に存えるための方策はどこにあるのか、それを他人任せにしないためにこそ、専守防衛に専念しなければなるまい。(犯罪そのもの)に手を染めている輩が、最高の権力者の「振り」をし、「それを自認」しているという、未曽有の荒唐無稽と前代未聞のスキャンダルにさらされながら、ぼくたちは、自分の足で立ち、互いに支えあいながら、自らの生活を開いていかなければならないのです。

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