守りたいものはあるか

昭和二十九年法律第百六十五号 自衛隊法(自衛隊の任務)

第三条 自衛隊は、我が国の平和と独立を守り、国の安全を保つため、我が国を防衛することを主たる任務とし、必要に応じ、公共の秩序の維持に当たるものとする。(中略)

3 陸上自衛隊は主として陸において、海上自衛隊は主として海において、航空自衛隊は主として空においてそれぞれ行動することを任務とする。(以下略)

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(図表は「令和元年度「防衛白書」から)

 今時の「自衛官募集ポスター」いろいろ。知人や友人、あるいは縁者に、自衛官がいますので、常々、自衛隊の活動などには深い関心を持っています。あるいは「感謝」と言ってもいいくらいに、自衛隊の災害救援・復旧活動などには頭が下がる。自衛官募集ポスターが行政関係の役所などに張り出されていたのを何度も見ていますが、こんなに色鮮やかな、驚くほど開放的な「女子キャラ」であふれかえっているのは寡聞にして知りませんでした。「定員」を満たすための隊員募集が大変であるとは聞いていましたが、それにしてもよくぞここまで派手に「アニメ」調を導入したものだと、驚愕し感心するばかりです。はたして、これで定員が満たされたのか、狙いは的中したのでしょうか。あるいは、実態は「非難殺到」だったのではなかったか。集め李ためには手段は構わぬ、そんな心意気がポスターの背後から透けて見えそうです。

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 明治四年に設置された帝国陸軍以来、山あり谷ありというべきか、花も嵐も踏み越えて、時にはあたら無謀な戦陣を張ったがために、多くの犠牲を方々でうみだしたのであり、その責任や保障問題をあいまいなままにして、いつの間にか、国民をも欺きながら、今日ある姿にまで「自衛隊」という防衛かつ戦闘軍は履歴を重ねてきました。近年は、軍隊があれば国防は大丈夫という時代ではありません。いつ何時、どこからどんな攻撃兵器が飛び込んでくるかわかったものではなくなりました。「冷戦時代」には、核拡散というのか、核武装競争が熾烈に展開された結果。そこにつぎ込む戦費(核軍備開発費用)に耐えられなくなるほどに、愚かな競争が続いた結果、「冷戦」はいったん集結、雪解けを迎えたといわれましたが、やがて選手交代、(冷戦時再来の)数歩前段階の、新「熱戦」時代が始まっているとも言われます。米中間がそうなのでしょうが、二つの大きな国に挟まれて、この小さな島はどこに歩を進めたらいいのか。

 よく「備えあれば憂いなし」と言われます。ホントにそうか。ぼくはむしろ、「備えあるから、憂いあり」「備えあれども、憂いあり」だと考えています。(仮想)敵が新たな武器を開発し、それを使う準備をしているとどこかから連絡が来れば、防衛庁は宗主国に相談し、言い値で「古くて高額」の武器を購入する(させられる)。「武器の爆買い」と言われる現象がこのところずっと継続しています。おそらくこの競争(意識)に自制能力はないのですから、さらに無理を重ねることになります。

 自衛隊という「軍隊」の定員は法令できめられていますが、このところ定員割れを起こしています。したがって、自衛隊員募集に拍車がかかっているのです。あの手この手で、隊員集めに狂奔しているともいえます。この「アニメキャラ」もその一方法でしょう。これで誰を狙っているのか、ぼくには判然としませんが、きっと大きなターゲットがあるのでしょうし、このような「キャラクター好き」が軍隊向きかどうか、それもぼくにはわかりません。いずれにしても、この案内によって、どれだけ効果があったのか、明らかにしてもらいたいものです。

 小なりと雖も一国の防衛には軍隊が必要です。この島国は不幸で無残な歴史を持ってしまった結果、「自衛隊という、軍に有らざる軍隊」(詐称・自衛隊)を拡張せてきました。この数年の「防衛庁関係予算」も拡大の一途を続けています。純粋に国防のためだなどとは、殆んど信じられていないのですから、無駄な防衛費の拡大増加というべきでしょう。このほかに、「後年度負担」という借金の支払いもあります。誰が見ても、この島防衛軍はアメリカのATMであり、防衛費において、顕著にその機能が発露しています。島ですから、大陸とはつながっていません。四囲は海です。大海の孤島とはいいませんが、いったい、この海岸線をいかにしてに防衛するのか、制空権は他国が握っています。アニキャラで集まったとされる隊員で、はたしてよく防衛任務を果たし得るのか。

 徹底した対話外交というのは、取るに足りない政治手法でしょうか。こんな狂気じみた軍事大国(米中ロ)の谷間に咲いた「白百合」(という譬えはふさわしくないことは自覚しています)が、(自国防衛に徹するために、防衛力を強化するという荒唐無稽の愚作で)どうして軍事大国を向かい打つ能力を発揮できるのか、無手勝流を信条として生きてきた年寄りには、はるかに理解を超える愚問であり、珍問です。防衛費は膨張し、人民は疲弊し、政官業は私腹をさらに、これ見よがしに肥やしています。政治家無能島の人民や憐れ。

 静な夜口笛の消え去る淋しさ(喜多一二(かつじ)二四年「北国柳壇」)(後年、鶴彬と改名・1909-1937)

 ここで、ぼくは「防人」を想起します。なぜだかよくわかりません。この島を防衛するために、主として東国から募られた兵士たちは、はるか九州の地に赴き、朝鮮半島からの襲撃に備えたという。千数百年前の兵士たちの多くは妻帯者だったかもしれないし、父母を故郷に残したままで任地に出かけざるを得なかった。残してきた妻子や父母への別離の辛さを詠う、その調べにはけっして「アニメキャラ」に感じられる明るさやルンルン気分は微塵もなかったと思うのです。変われば変わる、世の習いですね。それにしても「防衛」「国防」「敵基地攻撃」「安全保障」「集団的自衛権」などと、狂気が空虚を孕んで、勇ましい言葉が氾濫しているわりには、この島の現実は「チャラい チャラい」というほかありません。それでも、一方では「国防」を声高く叫ぶ勢力が跋扈し、己の存在をこれ見よがしに主張する、それに政治が便乗しているとさえ思われる風潮をどう受け止めたらいいのか。

奈尓波都尓 余曾比余曾比弖 気布能比夜
伊田弖麻可良武 美流波々奈之尓
(なにはつに よそひよそひて けふのひや
いでてまからむ みるははなしに)

知々波々我 可之良加伎奈弖 佐久安例弖
伊比之気等婆是 和須礼加祢豆流
(父母が 頭掻き撫で 「幸(さ)くあれ」て
言いし言葉(けとば)ぜ 忘れかねつる)

○ さき‐もり【防=人】 の解説《「崎 (さき) 守 (もり) 」の意》古代、筑紫・壱岐・対馬 (つしま) など北九州の防備に当たった兵士。663年の白村江 (はくそんこう) の戦い以後制度化され、初め諸国の兵士の中から3年交代で選ばれ、のちには東国出身者に限られるようになった。その後数度の改廃を経て、延喜(901~923)のころには有名無実となった。(デジタル大辞泉)

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投稿者:

dogen3

「上を思えば限りがないと 下を見て咲く百合の花」になれるものなら、という想いです