死こそ常態 生はいとしき蜃気楼と か?

【正平調】よわいを重ねると、じんわりと心にしみてくる詩だ。茨木のり子さんの「さくら」である。年譜に照らせば60歳代になって書かれた作品だろうか◆〈ことしも生きて/さくらを見ています/ひとは生涯に/何回ぐらいさくらをみるのかしら/ものごころつくのが十歳ぐらいなら/どんなに多くても七十回ぐらい〉◆もっとたくさん見てきたような気がするのに何と少ないことかと、茨木さんは思う。そうか人生で見るのはたかだか数十回かと思えば、この1回も心が弾む。神戸でサクラ開花と、神戸地方気象台が発表した◆数日前、10本ほどのサクラが植わる小さな公園を通ったら、うち1本だけがもう咲き誇って、輝いていた。その下に自転車を止め、生まれたばかりの柔らかい花びらを見上げる年配の女性がいた。みじろぎもせず◆心奪われる色とあらためて思う。茨木さんは〈あでやかとも妖しとも不気味とも〉と表した。原文にルビはないが〈妖し〉は「あやし」か。コロナ禍でこわばった心をもみほぐしてくれそうな色合いでもある◆作品の最後にも触れよう。詩は〈生はいとしき蜃気楼(しんきろう)と〉で終わる。桜吹雪の下、名僧のような心持ちになっての1行という。精いっぱい生きよ生きよ。舞い散るサクラがそうささやくような。(神戸新聞NEXT・2021/03/25)

さくら      茨木のり子

ことしも生きて
さくらを見ています
ひとは生涯に
何回ぐらいさくらをみるのかしら
ものごころつくのが十歳ぐらいなら
どんなに多くても七十回ぐらい
三十回 四十回のひともざら
なんという少なさだろう
もっともっと多く見るような気がするのは
祖先の視覚も
まぎれこみ重なりあい霞だつせいでしょう
あでやかとも妖しとも不気味とも
捉えかねる花のいろ
さくらふぶきの下を ふららと歩けば
一瞬
名僧のごとくにわかるのです
死こそ常態
生はいとしき蜃気楼と

 今朝も午前中に歩いてきました。約二時間程です。ぼくはやみくもに歩くのではないし、運動のために歩くというのでもありません。歩こうか、歩きたいなという気分があって、初めて、歩きだします。天気に恵まれれば歩く。どのみち、愉しく歩ける時間はそんなに多くはないので、気分が滅入らない限り、もうちょっと歩いておこうか、そんな具合に二時間から二時間半ほどを目安に、近傍を歩くのです。毎回いろいろと発見があるといえば大げさになりますし、さすがに自分でもおかしくなりますが、このところ歩くたびに「山笑う」が「山大笑い」「山爆笑」という風情を感じています。いろいろな木々が身の丈に合ったというのか、時節に合わせて若返りの化粧をしているようです。この「なんとなく歩行」の間、おそらく百本は優に超えるだけの桜を見ているはずです。それだけの桜が、それぞれに佇立していて、桜の方から目に入ってくるのです。

 一々数えていませんから、当て推量です。一本一本、目の前や向こうの雑木林の梢に、顔を出していたり。田圃のあぜ道にぽつんと立っていたりします。もちろん、ぼくのように、名もない桜に見とれる酔狂な人は誰もいない。昨日、野良仕事をしているおじさん(と言っても、ぼくより年下だと分かりました。初めて声をかけたからです)百メートルほど離れた雑木林の端っこに佇んでいる大木の桜に目を奪われていたら、耕運機のエンジンを止めて、「何しているんです」と聞いてきた。「向こうに見える桜を見に行きたいのですけど、畑を横切っていいか」と尋ねたら、「構わないよ。でもどこの桜?」と逆に尋ねられた。まったく視野に入っていなかったのです。その人は近所に住んでいて、畑をかなり広くやっておられました。

 桜は好きだ、とほとんどの人は言いますが、どの桜が、どこで見た桜がと、具体的にはなかなか言わないし、言えないようです。あるいは桜の塊を言う場合もあるでしょう。花見なら上野、向島と定番があるようですが、それも桜の山や桜並木を見るのがほとんど。それでどうということはないのですが、ぼくは一本の桜に拘っています。木も人も、同じですね。昔遠くまで出かけて「桜に会いに行った」、そんな経験があります。今なら、歩いている途中で偶然出会う、その桜木がいいなあ、そんな風に感じるのです。何も桜に限ることではない。

 「 よわいを重ねると、じんわりと心にしみてくる詩だ 」とコラム氏は茨木さんの詩を讃える。コラム氏は茨木さんをとても好んでおられるようで、この欄でも、ぼくは数回お目にかかった気がします。感じ方はそれぞれですので、とやかくいう筋合いはありません。敬愛の念を持つ、それは誰にも劣らないと自負しているほどに、ぼくはのり子さんが好きでしたし、彼女の詩も好きでした。そのことについては、どこかで触れておきました。ただ、この「さくら」だけは少し違和感があります。詩人はいったい、どこの桜を見ているのでしょう。場所を特定する必要はないのですが、やはり、この詩でいわれている「さくら」は具体的な土地の、よく知られている「さくら」であるはずです。でもそういった感じがしないのはどうしたことか。どの桜、そんなものはないんだ、桜一般、さくらというものがいいのだというのでしょうか。これは茨木さんの還暦を過ぎたころの作だそうです。

  「さくらふぶきの下を ふららと歩けば  一瞬  名僧のごとくにわかるのです  死こそ常態  生はいとしき蜃気楼と 」、すごいですね、ぼくはそんな風に感じたことはないし、桜の花のにおいや姿にこころ惹かれるのです。「死こそ常態」とサクラに結び付けるのですか、という疑問がわく。散り際の潔さ、それは平田篤胤たちに始まった「さくら組」だけの「死生観」じゃないでしょうが、ちょっとそれを想起させるのは、何故でしょう。ぼくの錯覚、誤読であることを自覚しています。その上で、あまりに桜に事寄せすぎてはいませんかと、「さくら」のおごそかな雰囲気に、いわでもの嫌味みたいなことを口ごもるのです。

 願わくは 花の下にて 春死なん その如月の望月のころ 西行法師

 連想ゲームのように、西行が出てきました。「如月の望月の頃」に西行は身罷りました。それは偶然でしたが、死とさくらが結びつきやすいのはなぜか。あるいは結びつけるのはなぜか。とまあ、茨木んの「さくら」にまるでいいがかりのような小言を言い出してしまいました。西行は、その走りだったかもしれません。とにかく「桜狂い」だったのですから。

○ 西行(1118-1190)=平安後期-鎌倉時代の歌人,僧。元永元年生まれ。佐藤康清の子。北面の武士として鳥羽(とば)上皇につかえ,23歳で出家。生涯の大半を奥州から九州までのさすらいの旅ですごす。花と月の歌がおおく,独自の歌風は飯尾宗祇(そうぎ),松尾芭蕉(ばしょう)らに影響をあたえた。「新古今和歌集」に94首がおさめられている。文治(ぶんじ)6年2月16日死去。73歳。俗名は佐藤義(憲)清(のりきよ)。歌集に「山家(さんか)集」など。【格言など】嘆けとて月やは物を思はするかこち顔なるわが涙かな(「小倉百人一首」)(デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説)

 何度も言います、人それぞれ、どう感じたって構わないじゃないか。それだけのことでしょうね。ぼくも、この先何回、桜が見られるかということを言ったり書いたりしましたが、これも考えるまでもなく、変ですね。チューリップをあと何回見られるなどとは言わないし、菊や桃についてもそんな言い方をしません。どうして桜だけなんですか。異国の方でも桜好きはいますでしょうし、それに全く関心を持たない人もいます。第一、桜が見られる場所は限られているのですから、桜一辺倒ともいうべき、この島の「花は桜木」は世界には絶えて見られない「珍現象」だといいたくなります。(ここで、希代の「桜狂」について話したいのですが、場所がよくないので、別に稿を改めて)     

 「花は桜木 人は武士」と、いつごろから言われたのか。「浄瑠璃 仮名手本忠臣蔵」には出てきますが、いずれ江戸あたりからでしょうか。武士階級の収まりかえった秩序は、ともすれば武士階級の平板化・陳腐化を意味します、戦わない武士が日常あたりまえになるのですから、桜と武士を結び付けて、散り際の美しさ、さらにその潔さ、これこそ武士たるものの「本懐」ともてはやした、嗾(けしか)けた気味があります。言うまでもなく、ぼくは武士なんかじゃありませんから、この「心意気」は御免被りますが。(浄瑠璃・仮名手本忠臣蔵(1748)一〇「花は桜木人は武士と申せども、いっかないっかな武士も及ばぬ御所存」)

 「 死こそ常態  生はいとしき蜃気楼と 」この表現、ぼくにはその意とするところがよくわかりません。茨木さんにしてかかる物言いがあるかと、少し驚きもし、奇怪な印象を持ちもします。これも「さくら」が言わせたとするなら、いかにも「罪」は深いのじゃないですか。「咲いて散る」は、生き物のつねでありますけど、それを「さくら」に引き寄せていうという心理は何なんでしょう。

 「サイタタイタ サクラガ サイタ」というのは小学校読本。いわゆる「サクラ読本」でした。昭和八年からの、尋常小学校一年用国定教科書です。それ以前にもサクラを愛でる気風はありましたけれど、ここに、一気に「サクラ」は劣島の学校教育では「満開」になりました。ぼくが入学した石川県の熊木村小学校の校庭にも「サクラ」は見事に並んでいましたし、ぼくはそれを画に描いた記憶があります。その花びらの色までよく覚えています。このようなまるで忍び寄る桜吹雪のように、音もなくしずかに散り頻る花びらに載せて、学校教育もまた「花は桜木 人は武士」という風儀を育て、「 死こそ常態  生はいとしき蜃気楼」などというウルトラ観念主義を育んだのではないかったか、ぼくは今もその教育の「弊害」を恨みたくなるのです。 さくらを見ると、胸騒ぎがする、そんな風流はないね。

__________________________________________

投稿者:

dogen3

「上を思えば限りがないと、下を見て咲く百合の花」になれるものなら、という想いです。それこそ、「高嶺の花」ですが。「昨日は俗人 今日は僧、生涯胡乱(うろん)これがわが能」と自称した一休さんは、一面では「相当な人物」だったと、歳をとるとともに思わされています。