れんあい【恋愛】特定の相手に対して…

【滴一滴】ユニークさで知られる新明解国語辞典らしい語釈の一つだろう。「他の全てを犠牲にしても悔い無いと思い込むような愛情をいだき…」。「恋愛」のことである▼昨秋の9年ぶりの改訂で、その対象が「特定の異性に対して」から「特定の相手に対して」に変わった。他にも「相合傘」の語釈は「男女が一緒に差す」から「二人が一緒に差す」になり、「アイライン」は「女性が」の主語がなくなった▼いずれも社会の意識が変わったことを映したに違いない。そうした変化から同性カップルに対する区別を解消すべきだという要請が高まりつつあるとして札幌地裁は先日、同性婚を認めないのは違憲との判決を下した▼原告が訴える問題は、より現実的だ。パートナーの法定相続人になれない、緊急手術の署名ができない、職場での福利厚生を受けられない。そんな不利益をなくすように求めている▼法整備だけで解決することではなかろう。他の地裁で争われる同様の訴訟での判断に注目しながら、性の多様性がさらに知られ、当事者が相談などをしやすい社会を目指したい▼改訂された新明解には、性的マイノリティーの総称であるLGBTなどの語釈が加わった。その理解を普及させ、社会の寛容さを広げていくことは性的少数者ばかりではなく、多くの人が暮らしやすくなるのにつながる。(山陽新聞デジタル・2021年03月20日)

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「考える辞書」宣言

国語辞典の語釈は、実は、辞書によってずいぶん違いがある。  

どのような国語辞典が、単なる言葉の意味や使い方を知るだけにとどまらず、自分の考えを展開する起点となり、深化させる道具となる辞書であるのか。それは、日常の言語生活において使われる、言葉の使用例を徹底して調べ尽くした上の、深い思索の結果としての語釈をほどこした辞書である。言い換えれば、「考えている辞書」が「考える辞書」の前提なのである。 

辞書は、引き写しの結果ではなく、用例蒐集と思索の産物でなければならぬ。

1972(昭和47)年の初版の「序」から約半世紀の間、『新明解国語辞典』は、あるべき辞書の姿を追い求め、日本語を見つめ続けてきた。

「生活は言語によって支えられ、われわれの思考と内省は言語によって深まる ――第四版序文より」とあるように、より正確かつ厳密に言葉をとらえる方針を堅持してゆくためには、時代とともに変容する社会の変化にもしっかりと対応してゆかねばならない。  

今回の改訂も、まさにそのように行われた。(【特設サイト】https://dictionary.sanseido-publ.co.jp/smk8/)

註 第八版は、2020年11月19日(木)に公刊されました。

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 「新明解」はぼくの好きな辞書です。ある時期までは「広辞苑」一点張りでしたが、そのうちに、辞書に対するぼくの理解が大いに変化したのです。よく教師から、「辞書で意味を調べろ」といわれました。でも辞書に出ているのは、ある人(たち)の「説明」「解説」です。「意味」はこうであるなどと、断定的に言われるはずのものではないのです。その証拠となるのが、本日の「コラム」の内容ではないかと、ぼくは考える。まず世間(社会)において、ある言葉が使われ、それが通用する、それは今までになかった利用法だったら、辞書には必ず改定作業がつきものですから、その都度追加訂正されるのです。辞書には完成はないでしょう。辞書は、ささやかな権威(あるいは方向)というのか、ちょっとしたヒントに満ちているのが好ましいと、ぼくは考えています。

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 さて、余計なことであり、いまさら水を差すような言動は慎まなければなりませんが、過日の札幌地裁の判決は、裁判所の判断として確定したものではありません。これからまだ、原告側が「違憲状態が放置されたままであることは容認できない」と控訴する予定であることが明かされていますが、もう一方の当事者である国側が、判決内容を受け入れないことも考えられますので、さらに裁判は続きます。他の裁判の判決も、大いに関心がもたれます。この地裁の判決を大事にしてもらいたいと、痛切に永うものです。

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 同性婚訴訟「画期的判決」でも弁護団が控訴する理由

(⇦ 札幌地裁前で「大きな一歩」とするバナーを掲げる弁護団と支持者ら)

同性婚を求める複数の同性カップルが起こした訴訟で、札幌地裁(武部知子裁判長)は3月17日、同性婚を認めない今の法制度を法の下の平等に反し違憲とする判決を出した。/ 原告側の「結婚の自由をすべての人に」北海道訴訟弁護団と、同訴訟の全国弁護団連絡会がこの日、「画期的な判決」とする声明を連名で出した。

一方、損害賠償請求そのものは棄却されたうえ、「国会が立法義務を果たさず違憲状態を放置して改めようとしない現状の違法性を明らかにすることにより国会に速やかな立法措置を促す必要がある」として、控訴する考えを示した。/ この裁判は、札幌、東京、福岡など全国5カ所で計29人(うち1人は死去)が起こしたもので、各地の弁護団が連携して訴訟を進めている。(以下略)【BuzzFeed Japan/伊吹早織】(3/17(水) 19:42配信)

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 本日は「新明解国語辞典」の宣伝のためのブログではありません。ぼくには好き嫌いがあり、それを隠しませんけれども、何かを一方的に持ち上げたり、持ち下げたりするという趣味はないつもりです。「新明解」は、まさに明解すぎるくらいに、まっとうに正直に、言葉の使われ方に具体的な解釈を施してきたといえるし、その点でぼくは言葉を考える際の大きな視点を与えられた。この辞書から与えられた言語感覚錬磨のお礼をしたかっただけです。「意味」ではなく、「解説」だ、それに徹するだけでも見上げたものです。加えて、数年に一度という早い段階の改定作業も実に好もしいと、ぼくは感じているのです。

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投稿者:

dogen3

「上を思えば限りがないと、下を見て咲く百合の花」になれるものなら、という想いです。それこそ、「高嶺の花」ですが。「昨日は俗人 今日は僧、生涯胡乱(うろん)これがわが能」と自称した一休さんは、一面では「相当な人物」だったと、歳をとるとともに思わされています。