私たちらしく生きられる社会に…

 同性婚訴訟違憲判決 「家族」変わる布石に 彼女と「ふうふ」 親も認めた

 同性婚を巡る訴訟の原告の1人で、札幌市の20代女性は、パートナーの30代女性と共に原告席に座り、判決を聞いた。「憲法に違反する」との言葉を聞くと涙があふれ、手で覆った。「私たちらしく生きられる社会に近づけるかもしれない」

(判決後の記者会見を終え、手をつなぎ合う札幌の女性原告の2人 ➡)(中川明紀撮影)

 13年前、インターネットの掲示板を通じてパートナーと出会った。周りに同性愛者であることを打ち明けられず、「仲間」に出会えたと感じた。「すがるような思い」で告白した。/ 傍らにはいつもパートナーがいてくれ、就職に合わせて同居を始めた。休日が合うことは少なく、料理の作り置きをし合うのが日課。「明らかに『ふうふ』であり、家族だと思う」/ 同性カップルゆえの差別や障壁には何度もぶつかった。高校時代、信頼していた教師に「彼女ができた」と報告すると、「早く別れて(男性と)結婚しないと幸せになれない」と言われた。中古マンションを購入する時、共同名義でローンを組むことができなかった。

 制度の枠組みから外れ、「いない存在」とされてきた現状を変えるため原告になったが、思わぬ変化も生んだ。高校2年の時、両親に同性愛者であることを気づかれた。両親は泣き、自分を受け入れることを拒んだ。理解してほしいと何度も対話を持ちかけたが、耳を傾けてくれなかった。/ 裁判が始まったころ、原告になったことを告げた。両親は「そこまで本気と思わず、理解してあげられなかった」と謝った。毎回の裁判をニュースで確認し、送ってくれる食材は1人分から、2人分になった。/ 2カ月前、母親からの荷物に添えられた手紙には初めて、パートナーの名前が触れられていた。「涙が止まらなかった」/ 全国初の違憲判決となったが、「今日がスタート」と思う。パートナーも「声を上げられない人にとって、一筋の光になってほしい」と期待を込める。女性は願う。「『本当の自分』を言えない人はまだたくさんいる。この日が開かれた社会に向けた第一歩になってほしい」(岩崎あんり)(北海道新聞・電子版・03/18 )

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 時代は動いています。法や制度は、その動きに歩調を合わせているのか。いろいろな視点から見れば、「同性婚」を国が認めるか否か、さまざまな意見があり得ます。今回の判決は、そのような問題に思い切った一石を投じたものと、ぼくは評価しています。社会組織というものは、多様な価値観や意見を有する個々人をある一定の範疇に閉じ込めてなり立ちます。さらに言えば、「社会」とは「規範の大系」であるとも言えます。一例を「学校制度・組織」について考察してみます。

 学校組織にはいろいろな地位(あるいはポスト)が存在します、その地位やポストに、そこに参加している多様な個人を制度に基づいて位置付けるのです。例えば、教員の地位、そこには校長や教頭、主任や平教員などが存在します。それぞれの地位には、一種の社会的役割や期待が付与されています。校長らしさ(職位への期待)ということについては、一定の了解が社会集団から得られています。それを一般的には規範というのでしょう。その規範から外れる(逸脱する)と、校長の地位にあるものは批判され非難されるし、場合によっては処分もされるのです。これは他の教員の身分についても、あるいは生徒という枠組みに位置づけられる子どもたちに対しても「規範」が強いられることになるのです。

 校長としてふさわしくない、生徒としてあるべき姿ではないなどと、社会的な批判を受ける根拠になるのは「規範」です。しかしながら、このの「規範」そのものは、常に時代によって変化します。というより、時代状況に応じて、「規範」を変更する必要が生まれているとも言えます。規範の一例として「校則」をあげてもいいでしょう。時代状況に著しくそぐわないものが残存しており、時にそれが大きな関心や問題視されることはよく経験します。たんなる「校則」ではなく、社会観や価値観の一つの代表例・具体例として校則が問題視されるのです。いわゆる「きはん」というものをせいていするものは、多くの場合は権力者です。学校の場合は教員です。子どもが従わなければならない理由はどこにあるのでしょう。

 この「規範」というものを男や女という性別に示されている価値観(それも社会通念です)として理解することもできます。男らしさ、女らしさは。時代や社会によって多様な変化を被ることはいつでも起こりえます。このような性に関する規範を根拠にして「結婚」制度というものが整えられ、「仮定」というのもが制度化されているのでしょう。それも今はかなり危なくなっていますが。「規範」は変化してきます。この性別・性別役割に関しても、永遠に変わらない、不易であると考える理由はないはずです。ただ、社会構成員の中において、どの程度の構成員がその変化を認めるかによって、事情は異なってきます。男と女という性別、あるいは結婚についての社会通念(あるいは「規範」と言っても構わない)は、これまで以上に社会集団内の価値観の変化、あるいは他の社会集団(国の内外の他集団)の影響も受けるのです。

 これを「人権」という観点から見れば、どうなるか。社会的に男・女という性別は区分されており、それぞれの区分(性別役割)に相当した認識や行動が求められてきたのですが、男と女性しか存在しない、結婚は男と女の間でしかなり立たないという、現実社会の価値観(通念)が動かしがたい障害になっていると(くると)、その妥当性を疑い、新たな価値観を求めようとする人が存在するようになるのも事実であります。しかし、圧倒的に少数者である当事者によって、その社会規範とでもいう枠組みを切り崩すことは至難の業でありましたし、そのために筆舌に尽くせない苦悩を経験されてきたのです。

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 この問題について重要な役割を果たしてきた「マリフォー」のHPからの、状況に関する理解の一助になるのではないかと思われますので、、その主張の一部を引用しておきます。(https://www.marriageforall.jp/marriage-equality/)(一般社団法人MarriageForAllJapan – 結婚の自由をすべての人に) 

 同性婚ができなくて困ること

日本では、法律上の性別が同じ2人は、結婚ができません。
日本で同性どうしで愛しあうことは自由で、犯罪にはなりません。
「愛しあうことが自由なら、別に結婚できなくてもいいじゃない」と思われるかもしれません。
けれども、結婚できないと困ることが、実はたくさんあります。

結婚していないと認められないこと

  • CASE 1  相続できない! 家を追いだされる!?パートナーが亡くなったとき、結婚していれば、遺言がなくても、パートナーの財産を全く相続できないということはありません。でも、結婚していなければ、遺言を残しておかないと、どんなに長く一緒に生活していたとしても、まったく相続できません。パートナーが所有している家に住んでいたときには、家から出ていかないといけなくなるかもしれません。
  • CASE 2  同じ国で暮らす 資格をもらえない外国人のパートナーは、男女なら結婚していれば、日本人の結婚相手として日本にいる資格をもらえます。 しかし、同性どうしの場合、結婚ができないので日本人の結婚相手として日本にいる資格をもらえません。 日本で仕事などをしていれば、それを理由に日本にいる資格をもらえることもありますが、失業してしまうと資格がなくなるので、安心できません。 同性どうしの場合、一緒の国で暮らす資格をもらえず、愛し合っているのに一緒にいられないことがあるのです。
  • CASE 3  命にかかわるような時 そばにいられないパートナーが病気や怪我で意識不明になったとき、結婚していれば家族としてパートナーのようすを見守ったり、医者から話を聞いたりできます 。しかし、同性どうしだと家族扱いしてもらえず、いちばん大切な人のようすを見守れなかったり、医者から話を聞けなかったりすることがあります。 同性のパートナーだとダメという法律はないので、病院がOKさえしてくれればいいのですが、「法律上の家族ではないから」との理由で許されないことがあるのです。 結婚して法律上家族になっていればすんなり認められることが、同性カップルの場合は結婚することができないため、認められないかもしれないという不安がつきまといます。
  • CASE 4  子どもを育てていても 赤の他人になるパートナーが産んだ子どもを親として一緒に育てていても、自らは「親権者」にはなれません。 そのため、病院で「法律上の親を連れてくるように」と言われてしまうことがあります。 法律上の親が、遺言で未成年後見人を指定せずに亡くなってしまった場合、遺された法律上の親ではないパートナーは、子どもとの法的な関わりがないので、ずっと育ててきた子どもと関われなくなってしまう可能性があります。

この他にも、さまざまな状況で、同性カップルは不利になることがたくさんあります。

<当法人は、結婚の自由をすべての人に保障するための訴訟、立法その他法的活動を支援し、もって、すべての人が、そのセクシュアリティ(性のあり方)にかかわらず、個人として尊重され、自分らしく生きることができる社会の実現へ向けて、広く一般市民や企業に対して、セクシュアル・マイノリティ(性的少数者)にかかる理解を促進するための社会教育事業及び啓発活動を行う。>(同法人HPより)

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 今回の判決は、長い間の社会観念を打破する、ほんの一歩をしるしたにすぎませんし、それにも関わらず、これに対する反作用が強まることもじゅうぶんに考えられます。ブログを、ここだけで終わらせず、機会あるごとに、この問題の諸相をていねいに考えていきたいと思います。「結婚は両性の…」という時、それは男と女を前提していました。そこが、根本から問われたのです。

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投稿者:

dogen3

「上を思えば限りがないと 下を見て咲く百合の花」になれるものなら、という想いです