道心ある人を名づけて、国宝と為す

【正平調】〈ゆうびんですよ/ゆうびんですよ/たのしそにして/朝ねの家へ/ひなたのゆうびん/くばられた〉。まど・みちおさんの詩「お日さまゆうびん」の一節だ。こんな郵便が届いたなら、その1日は幸せだろう◆この詩に名前をもらった古書店が姫路城の近くにある。「おひさまゆうびん舎」は5坪余りの小さな店ながら、絵本や児童書の品ぞろえはピカイチ。学校の先生や親子連れ、本の好きな人々が集う◆子どもたちに絵本の読み聞かせ活動をしていた窪田泰子さんが店を始めたのは2011年3月。程なく東日本大震災が起き、自粛ムードで街から人が消えた。こぎ出したばかりの小舟は、いきなり嵐に見舞われてしまう◆お客の来ない店で一人、窪田さんは考えた。「日の当たっているところに届いた日なたの郵便は気づかないかもしれない。だけど陰ったときにそこにある。そんな本を手渡していけたなら」◆10年を迎えたこの春もまた、世はコロナ禍という日陰にある。こんな時こそ優しい物語が、心励ます言葉が、人間には要る◆本屋さんだけでなく、どんな仕事の人だって、子どもにだって、ふさいでいる誰かに語り掛けることはできるはず。私たちも温かな贈り物のような「ひなたのしんぶん」を手渡していけたなら。(神戸新聞・2021・3・16)

 <絵本や児童書を中心に扱う古書店「おひさまゆうびん舎」(兵庫県姫路市本町)が今月、開店から10周年を迎えた。店主の窪田泰子さん(49)は「コロナ禍などで『もうやめたい』と思うことも多かった。続けられたのはお客さんや出版社から励ましてもらえたから」と振り返った。(以下略)>(https://www.47news.jp/localnews/prefectures/hyogo/5940805.html)

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 このコラム氏は女性であると、ぼくは読みました。特に女性と男性の間に区別をつけるわけではありませんが、コラム全体の雰囲気から、そのような感じがあふれていたのです。あるいは男性が書いたのかもしれません、それでもこんな暖かい風が吹くような文章を書くなら、その人は男性・女性の枠(これをジェンダーと言っていいでしょう)を越えているといいたくなります。ぼくは小さいころから、家庭でどんな教育を受けてきたか、ほとんど思い出せません。勝手にしなはれ、と親から放任されていたとも言えますが、それがぼくには幸いしました。取り立てて優れたものを持っていませんが、人を羨ましく思わない、自分の脚で立て、それぐらいは言わなくても・言われなくても、親子の付き合いのなかで学んできたといってもいいでしょう。

 「男の子やろ、泣いたらアカン」ろか、「男らしくせなあかんで」などと、親から言われたのかもしれないけれど、その規矩が少しも残っていません。小学三年だったか、男の教師(日露戦争の日本海海戦の話ばっかりを聴かされたと思う)が教室の正面の壁に「らしく」と書いて貼ったのが忘れられない。説明を受けたのでしょうが、まったく記憶にはない、なんという奇妙な言葉だろうと、長い間、学校を卒業してからも、ずっと思い続けていました。アッと、気づいたのはどれくらいのときだったか。多分二十歳はとっくに過ぎていました。「らしく」というのは「男らしく」「女らしく」というのだとわかった時には、愕然としました。なんということだったか、今でもその「愕然」の気分が忘れられません。ぼくのジェンダー学の始まりでした。この世には男と女しかしないのかどうか、男とか女とかいうのは、何ものなのか。「らしく」という言葉を体が受け付けなかったということでしょう。今でも正答を得ているのではありません。

 だから、(という必然性はありませんが)勉強はできなかったし、しなかった。学校とも適当に、つまりは距離(間というか)を置いてつきあっていました。教師も嫌いでした。二十歳を過ぎて、心を入れ替えて何事かを始めたのではありませんでしたが、自分の脚で立つ、自分の脚で歩く、自分の頭で考える、借り物はするけれども、それを自分のものとは錯覚してはならないと、強く戒めてきたように思うのです。ものを学ぶというのは、他人の考えを自分のものとすり替える、自分のもののように見せかける。そんなことでは断じてないということは心底から分かるようになりました。反対に、学校というところは、おおむねこの「錯覚」を信じ込ませるところではなかったか。ぼくが、その錯覚を自分に許さなかった、一番の理由は「勉強しなかった」からです。教師の言うことや、誰かの言ったことを真に受けない、いったんはどんなものでも疑ってみる、疑いから何事かが始まる、そんな自分流の学習ができるようになったという意味です。これは頭の能力を測るとされる、学校の成績とは全く無関係です。

 哲学や教育学などという、埒もない領域の学習を意識して始めましたが、いっかな面白くならなかった。なぜだろうか、と知恵を絞って見えてきたのは、他人が書いたものや言ったことを真に受ける、それが「勉強」だと錯覚していたのに気が付いたのです。これはかなり早い段階で気づきました。そうなると、本は読むけど、赤線を付けないという方法が生まれました。赤線や青線を引けば、読んだような気がしますが、それも錯覚に過ぎないことがわかりました。本は読むけど、読まれないというのかな。辞書は見るけど、真に受けないということです。辞書に出ているのは「意味」ではなく、解釈です、だから幾通りもの解釈や説明が成り立つのです。それなら、自分はどれを取るか。どれに近づくか、それがものを学ぶ基本の姿勢でした。辞書の「意味」を信じてしまえば、それはたった一冊でいいし、それの結果は、恐ろしいことになるのが見えていました。国定教科書はいうまでもなく、国定辞書などあってたまるか、おつしか、そんな気分が育っていました。まあ、落第生、劣等生で生きていくさ、という宣言みたいなものがぼくの脳内にありました。

 窪田泰子さんの事について、何かを書こうとしているのですが、なかなか回り道が遠くなって、そこにたどり着けません。姫路は懐かしいところで、お城にも何回か入ったことがあります。それはともかく、この小さな本屋さん、なんとも言えない雰囲気があるのではありませんか。神戸新聞は「おひさまゆうびん舎」がとても好きなようで、何度もコラムや記事にされています。そのすべてを読んでいるわけではありませんが、どうしてこんなに「おひさまゆうびん舎」が話題にされるのでしょうか。このことがいつも気になっていました。開店して十年、窪田さんは相変わらず窪田さんのままで書店を開いては「おひさまゆうびん」を届けています。「一隅を照らす、此れ即ち国宝なり」、そんな言葉が自然に思い出されてきました。

(「山家学生式」冒頭部分)
国宝とは何物ぞ
宝とは道心(どうしん)なり
道心ある人を
名づけて国宝と為す
故に古人(こじん)の言わく
径寸十枚(けいすんじゅうまい)
是(こ)れ国宝に非(あら)ず
一隅(いちぐう)を照らす
此(こ)れ則(すなわ)ち国宝なりと

最澄・818年・天台法華宗年分学生式(六条式)

 宝とは道心である、道心とは仏心である。道心ある人こそ、国の宝、となります。金銀銅貨、どれだけあってもそれはそれ。「一隅を照らす、此れ国宝なり」と。面倒なことは省略します。この「国宝」論について、どこかで触れましたが、何度でも持ちだしたい姿勢や態度です。「おひさまゆうびん」の配達こそ、まさしく「これ国宝なり」と言えませんか。一隅というのは、足もとでもあり、手もとでもあります。だれかのために照らすのでしょうか、そうでもあるし、そうでもなさそうです。自分の足元、手元を自分で照らすことはできないことなのか。自分で自分を照らせない人が、他人の足元・手元を照らせるわけがないじゃないですか。多くは「灯台」の如く、世の中を照らせ、というのでしょうが、まず自分の足元を照らす、これが肝心かなめだといいたいのです。

 下世話な言い方をすれば、自分の頭の蠅を追えない人が、他人の世話が焼けますかということにもなります。最澄が言ったのはそうではないとも言えます。まず隗より始めよ、自分の頭の蠅を追え、そんなことから、国宝とは、自分のことは自分でする(しよう)というところが眼目ではないでしょうか。他者のための光となれと受け取るのもいいでしょうが、それが過ぎると、どうなりますか。他者への奉仕は「滅私奉公」に連なる道だともいえそうです。余談ですが、英語の表現に<Bloom where you’re planted>があります。「植えられた場所で酒」いや、「…で咲け」というのです。まず咲く、それを見る人が喜ぶ。心が晴れる、気分が明るくなる、一隅を照らす、此れ国宝なり、じゃないですか。咲くとは、弾けること、つまりは笑うことでもあります。愉しくなるのです。笑う門には福来る、と。

 「日の当たっているところに届いた日なたの郵便は気づかないかもしれない。だけど陰ったときにそこにある。そんな本を手渡していけたなら」(窪田さん)

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