何謂平常心。無造作、無是非、無取捨、無斷常、…

《馬祖道一禪師語錄》道不用修,但莫污染。何為污染?但有生死心,造作趨向,皆是污染。若欲直會其道,平常心是道。何謂平常心?無造作,無是非,無取捨,無斷常,無凡無聖。經云:非凡夫行,非聖賢行,是菩薩行。只如今行住坐臥,應機接物,儘是道。道即是法界,乃至河沙妙用,不出法界。若不然者,云何言心地法門,云何言無盡燈!一切法,皆是心法;一切名,皆是心名。萬法皆從心生,心為萬法之根本。經云:識心達本源。故號為沙門。

 對迷説悟、本既無迷、悟亦不立。一切衆生、從無量劫來、不出法性三昧。長在法性三昧中、著衣喫飯、言談祇對。六根運用、一切施爲、盡是法性。 … 汝等諸人、各達自心、莫記吾語。 (迷に対して悟を説くに、本より既に迷の無ければ、悟もまた立たず。一切の衆生、無量劫より、法性三昧を出ず。長く法性三昧中に在り、着衣喫飯、言談して祇に対す。六根の運用、一切の施為、尽く法性たり。 … 汝等諸人、各々自心に達して、吾が語を記する莫かれ。)

 若欲直會其道、平常心是道。何謂平常心。無造作、無是非、無取捨、無斷常、無凡無聖。經云、非凡夫行、非聖賢行、是菩薩行。只如今行住坐臥、應機接物、盡是道。(若し直ちに其の道を会せんと欲すれば、平常心是れ道たり。何をか平常心と謂わん。造作なく、是非なく、取捨なく、断常なく、凡なく聖なきなり。(維摩)経に云う、凡夫行に非ず、聖賢行に非ず、是れ菩薩行なり、と。只だ如今の行住坐臥、応機接物、尽く是れ道たり。)

++++++++++++++

● 馬祖道一(709年-788年)ばそどういつ=中国、中唐期の禅僧。漢州(かんしゅう)(四川(しせん)省)什邡(じゅうほう)県の出身で、俗姓が馬氏のため馬祖と通称される。州の羅漢寺(らかんじ)に投じ、資州処寂(ししゅうしょじゃく)(648―734)の下で出家し、益州長松山、荊南(けいなん)明月山などで修行した。ついで南岳懐譲(なんがくえじょう)に師事し、「南岳磨磚(なんがくません)」の話によって心印を得、建陽(けんよう)(福建省)仏迹巌(ぶっしゃくがん)で開法した。その後、江西省の新開寺、龔公(きょうこう)山、開元寺などに住して宗風を挙揚し、湖南の石頭希遷(せきとうきせん)と並び称された。馬祖やその門人たちには口語による説法の記録が多く伝わり、後世の膨大な禅宗語録出現の契機となった。788年2月1日、泐潭(ろくたん)の石門山宝峰寺で示寂した。1966年『馬祖禅師舎利石函(かん)題記』が石門山で出土発見された。「(日本大百科全書(ニッポニカ)の解説)

● 南嶽懐譲(677‐744)=中国,唐代中期の禅僧。大恵禅師,観音和尚ともいう。陝西金州の人。姓は杜。荆州玉泉寺で弘景より律をうけ,同学坦然とともに嵩山(すうざん)で恵安に参ずるが,さらに曹渓慧能を訪うて,〈什麼物か恁麼に来る〉と問われ,〈説似一物即不中〉と答えて,印可された。後年,南岳に化を振るい,弟子に馬祖道一を出す。滅後ただちに建てられたという常侍帰登の碑は早く失われたが,別にのちに張正甫が選する〈衡州般若寺観音大師碑銘幷序〉が,《唐文粋》その他に収められている。(世界大百科事典 第2版の解説)

〈南嶽磨塼(なんがくません)〉(『景徳伝灯録』巻五(大正蔵五ー国訳一切経和漢史伝部一四)

 南嶽懐譲禅師は、姓は杜氏、金州の人なり。(中略)……唐の先天二年、始めて衡嶽に往きて、般若寺に居る。開元中に沙門道一なるもの有り。即ち馬祖大師なり。伝法院に住して常日坐禅す。師、是れ法器なりと知り、往きて問ふて曰く。大徳、坐禅して什麼(なに)をか図(はか)ると。一曰く。作仏を図(はか)ると。師、乃ち一塼(いっせん)を取り、彼の庵の前の石上に於いて磨す。一曰く、師、什麼をか作(な)すと。師曰く、磨して鏡と作さんと。一曰く。塼を磨するも豈に鏡と成すことを得んやと。師曰く、坐禅、豈(あ)に成仏を得んやと。一曰く。如何なるか即ち是なると。

 師曰く。人の駕(が)するが如し。車、行かずんば車を打つが即ち是なるや、牛を打つが即ち是なるやと。一、対ふること無し。師、又曰く。汝、坐禅を学ぶとや為(せ)ん、坐仏(ざぶつ)を学ぶとやせん。若し坐禅を学ばば禅は坐臥に非ず。若し坐仏を学ばば仏は定相(じょうそう)に非ず。無住の法に於いて応に取捨すべからず。汝、若し坐仏せば即ち是れ仏を殺す。若し坐相を執すれば其の理に達するに非ずと。一、示誨(じかい)を聞くや、醍醐(だいご)を飲むが如し。(国訳一切経史伝部一四)

###################

 「只だ如今の行住坐臥、応機接物、尽く是れ道たり」、日常普段の振舞い、行動のことごとく、あるいは「機に応じ物に接す」ること、時宜にかなうような起居、これらはすべて「道である」という。「汝ら諸人、おのおの自心これ仏なり。この心すなわちこれ仏心なりと信ぜよ。達磨大師、南天竺より中華に至り、上乗一心の法を伝えて、汝らをして開悟せしむ」自分の今を外にして、何か仏の救いを得ようとするのは、間違いです、自分の心がすでに仏心なんだから、そのように馬祖は言う。それをどう受け止めるか。

 何かを分かった風にぼくは言うのではありません。信心とか仏心、あるいは宗教心と言いますが、実にうるさいことですね。お経を知らなきゃ、お経を挙げなきゃ、けっして救われないという「宗派」があるのかもしれません。これこれのお布施を出さなければ救われませんよ、あなたはこんなにたくさん寄進したからきっと救われる、そんな教派もあるでしょう。実にいやな話です。金のあるなしで救済の有無がきまるというのは。若いころ、ある教会の神父に「信者になりませんか」と試験を受けるように勧められて、驚嘆したことがありました。教会の外に救いなしと、彼は言ったに等しかったと思ったからです。 

 馬祖道一を好んで読んできたり調べたりしたのは、経典なんか、座禅なんか、という彼の姿勢や態度が好ましかったからにすぎません。もちろん、言葉だけを表面的に受け売りするのも、見当は違うはずだという感覚はあります。しかし、あまりにも細かいところに問題を閉じ込めるような、宗教・仏教論の常に対して、ぼくは関心をずっと失ってきました。

 あまりにも有名になり過ぎましたが、「南岳磨磚(なんがくません)」とは、実はなにが示されているのか、そんなに簡単に分かろうとするのは危険だと、ぼくには思われても来ます。南岳懐譲が近くに住んでいた馬祖を訪ねたら、彼は座禅をしていた。「大徳、坐禅して什麼(なに)をか図(はか)ると」「大将いったい何をしようとして、座禅を組んでいるのか」と訊いた。「仏になろうとしているのだ(悟りを開きたいからだ)」と。そこで、懐譲は傍にあったレンガをつかんで磨きだした。

 「一塼(いっせん)を取り、彼の庵の前の石上に於いて磨す。一曰く、師、什麼をか作(な)すと。師曰く、磨して鏡と作さんと。一曰く。塼を磨するも豈に鏡と成すことを得んやと。師曰く、坐禅、豈(あ)に成仏を得んやと」そんなレンガを磨いて、何をしようというのか。これで鏡を作ろうとしているのだと言ったら、馬祖は、「それで鏡ができますか、変なの」といったので、すかさず返したことばが「坐禅、豈に成仏を得んやと」、座禅して仏になれるんかね?

 「迷に対して悟を説くに、本より既に迷の無ければ、悟もまた立たず」といわれた言葉を考えたい。「本より迷いが存在しないなら、悟りも立てようがないじゃないか。生きとし生けるもの(衆生)は、いつでも、法性三昧の外にでなかった。いつでも法性三昧であって」、そんな日常生活の中で生き死にしてきたのです。ここで「法性」というのは、「ありのまま」、つまりは仏性でもある、ということです。正邪善悪を備えたままで生きている、それが衆生の有様です。それをわざわざ、全否定するところに、仏心や仏性があるというのは錯覚であり、気迷いであると、ぼくは考えてきました。

(「ほっ‐しょう【法性】=仏語。すべての存在や現象の真の本性。万有の本体。真如。実相。法界。ほうしょう)(デジタル大辞泉)

 そして、平常心是道なり。「びょうじょうしんぜどう」と読むそうです。どう読もうと、構わないのではありますが、要するに、常の心持、日常の気持ちである。喜怒哀楽、悲喜こもごも、愛憎半ばする、これらはすべて、ぼくの心持です。泣いたり笑ったり、怒ったり恨んだり、なんとも忙しいことかぎりなしですが、これが「びょうじょうしん」ですし、これを別にしてぼくの心持もなければ、生活もないのです。

 「何をか平常心と謂わん。造作なく、是非なく、取捨なく、断常なく、凡なく聖なきなり」無理に何かをしようとしない、直ちに良し悪しの判断をせず、えり好みをしない、また断定もしないで、凡人でも聖人でもないままの生活や行い、それが出来れば、「平常心是道」を歩いたというのです。ここで、きっと誤解されると確信します。これが平常心なら、座禅なんかする必要もなければ、ことさらな修行なんて要らないではないか、と。一面ではそうですが、他面では違う。

 「師曰く。人の駕(が)するが如し。車、行かずんば車を打つが即ち是なるや、牛を打つが即ち是なるやと。一、対ふること無し。師、又曰く。汝、坐禅を学ぶとや為(せ)ん、坐仏(ざぶつ)を学ぶとやせん。若し坐禅を学ばば禅は坐臥に非ず。若し坐仏を学ばば仏は定相(じょうそう)に非ず。無住の法に於いて応に取捨すべからず。汝、若し坐仏せば即ち是れ仏を殺す。若し坐相を執すれば其の理に達するに非ずと。一、示誨(じかい)を聞くや、醍醐(だいご)を飲むが如し」

 この部分を繰り返し読んでみます。「牛にひかせた車に乗っていて、車が進まなくなったら、車を打つのがいいのか、牛を打つのが正解か。君はどうする。座禅を組む、あるいは「坐る」などというが、それは座禅を学ぶためにか、あるいは座仏ー仏として座っていたいのかーを学ぶためであるというのか。座禅は座ったり臥したりすることではないだろうし、仏として座るというけれど、仏にはきまった形があるわけもないのだから、仏を捕まえることはできないではないか。座ることにとらわれたり、仏になろうとして座るなら、仏を無にしたことになる」文章の概要は、そのような意味でしょう。右にも左にも、前にも後ろにも行けないところに至った、そのときに、道一は「醍醐」という至上の味を味わったのです。

+++++++++++++++

 生意気を言うようですが、禅には「不立文字」という語があります。浅学を額に入れ込んだようなぼくは、この言葉を使う境地、地点に達しているというのでは断じてありません。いささかもその資格に符合していないことを、誰よりも自覚しているのです。そんなことではなく、これ以上続けるのが、ちょっと面倒になってきたのと、こんなことを文章にするのも馬鹿臭いという気にもなってきました。またどこかで機会を改めて、暢気な気分で雑文を綴りたいと考えています。つまり「平常心」なんです。悟りを開こうが開かなかろうが、食事はするし、睡眠はとります。腹もたつだろうし、慨嘆激しく落ち込むこともあるのです。だから、いったい悟りって何だ、そんな気分ですね。「悟達」という言葉は知っていますが、それを実現しているわけではないのは、言うまでもありません。だから、平常心が道だというが、ありのままで、何か足りないものがあるのですか。そのように「足りない、まだ不足している」と感じないとダメなんだろうね。

*ふりゅう‐もんじ〔フリフ‐〕【不立文字】=禅宗の根本的立場を示す語。悟りの内容は文字や言説で伝えられるものではないということ。仏の教えは師の心から弟子の心へ直接伝えられるものであるという以心伝心の境地を表したもの。ふりつもんじ。(デジタル大辞泉)

● 鈴木大拙(左写真)(1870-1966)=明治-昭和時代の仏教学者。明治3年10月18日生まれ。帝国大学にまなび,鎌倉円覚寺の今北洪川(こうせん),釈宗演(しゃく-そうえん)に師事。明治30年アメリカにわたり,「大乗起信論」の英訳,「大乗仏教概論」の英文出版をおこなう。42年帰国後学習院教授,大谷大教授。英文雑誌「イースタン-ブディスト」を創刊,アメリカの大学でおしえ,仏教や禅思想をひろく世界に紹介した。昭和24年文化勲章。昭和41年7月12日死去。95歳。加賀(石川県)出身。本名は貞太郎。著作に「禅と日本文化」など。【格言など】絶対の威力に生きて責任をもたぬものあり,名を国家と云う(昭和17年西田幾多郎への手紙) (デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説)

_______________________________________

 

投稿者:

dogen3

 語るに足る「自分」があるとは思わない。この駄文集積を読んでくだされば、「その程度の人間」なのだと了解されるでしょう。ないものをあるとは言わない、あるものはないとは言わない(つもり)。「正味」「正体」は偽れないという確信は、自分に対しても他人に対しても持ってきたと思う。「あんな人」「こんな人」と思って、外れたことがあまりないと言っておきます。その根拠は、人間というのは賢くもあり愚かでもあるという「度合い」の存在ですから。愚かだけ、賢明だけ、そんな「人品」、これまでどこにもいなかったし、今だっていないと経験から学んできた。どなたにしても、その差は「大同小異」「五十歩百歩」だという直観がありますね、ぼくには。立派な人というのは「困っている人を見過ごしにできない」、そんな惻隠の情に動かされる人ではないですか。この歳になっても、そんな人間に、なりたくて仕方がないのです。本当に憧れますね。(2023/02/03)