不届き至極に思し召され候

 【越山若水】江戸時代、罪人に処罰を下すとき罪の軽重に応じて使う言葉が決まっていた。「不束(ふつつか)」はちょっとした間違い。「不埒(ふらち)」は道理に外れてけしからぬことで、手鎖以上の刑とされた▼もっと厳しいのが「不届き」で、追放刑以上の重罪に相当する場合に使われた。さらに「重々」「至極」という加重語があり、最上位は「不届き至極」。これは藩主への反逆など死罪に処すべき極刑を表す。いずれの用語も判決の末尾に書かれ、罪人に言い渡される▼分かりやすい歴史解説で知られた故山本博文さんは「不届き至極」の事例を自著で紹介している。会津藩(現福島県)の武士長井九八郎は、財政再建策として藩札の発行を提案した。しかし簡易な木版印刷ゆえに偽札が横行。貨幣価値は暴落し国中が大混乱に陥った▼藩主の下した決断はこうだ。藩札発行で武士も庶民も大変苦しんだ。その罪は軽くなく「不届き至極に思(おぼ)し召され候(そうろう)。御成敗仰せ付けらるべく候へども、切腹仰せ付けらる」。本来は斬首に値するが、それは許し切腹を命じる―。つまり自分で責任を取れということ▼総務審議官当時、菅義偉首相の長男らから高額接待を受けた山田真貴子内閣広報官が、体調不良を訴え辞職した。一連の問題は首相がらみの官民癒着が疑われる。先の判決のように、詰め腹を切らされたわけではないが、何とも後味の悪い決着である。(福井新聞・2021/03/02)

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 ・不束= 気のきかないさま。行きとどかないさま。不調法。「不束な点はお許しください」 太くて丈夫なさま。「いと大きやかに、―に肥え給ひつるが」〈宇津保・蔵開上〉 太くてぶかっこうであるさま。「指の―になるを厭 (いと) ひて」〈浮・禁短気・三〉 風情がなく、下品であるさま。無骨。「山賤 (やまがつ) の焚 (た) き木を負へる如くなる、いかにも―なる我が身に」〈仮・竹斎・上〉

 ・不埒= 道理にはずれていて、けしからぬこと。また、そのさま。ふとどき。「不埒極まる振る舞い」「不埒なやつ」 要領を得ないこと。埒のあかないこと。また、そのさま。「後は二人ながら涙をこぼし―なりしに」〈浮・五人女・四〉

 ・不届き= 配慮・注意の足りないこと。不行き届き。「万事不届きのないよう注意する」 道や法に背いた行為をすること。また、そのさま。「不届きな所行」「不届き者」(以上はデジタル大辞泉)

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 時代は下って、今日ただ今、この島の法律、ことに刑法はいかがでしょうか。もちろん明治期にできたものが基礎となっていますから、なかなかお上の威光・意向が響き渡っている風に、ぼくなどには見えます。さらに、今では立法府などというように、国会において、選良などと言われたことも嘗てあった「議員さん」が法律を作る建前になっています(その多くは官僚任せになっているのですが)。いかにも「泥縄」というようにも見えますが、いかがですかね。もちろん、地方自治体には条例などの制定もありますが、基本は国会で決めます。となると、作る側には甘く、守らせる側には厳しくなるのは当然であるとも言えます。

 ここでは法律問題は脇に置いておきます。法律以前の問題があまりにも、人民を苦しめていないかどうか。法の下の平等といいますが、どこの国の話かと言いたくなります。もう触れたくもありませんが、あまりに理不尽きわまる事件だったので、すこしだけでも礫(つぶて)を投げたくなったのです。役人と政治家、政治家と業者、業者と役人と、この汚職のトライアングル(三角形)は歴史始まって以来、延々と続けられて来たのではないでしょうか。ずいぶんの昔、芸術大学の教授が業者からヴァイオリンの弓をもらって、職を失ったということがありました。詳細はバカバカしくなるので止めますが、要するに、金力には、自称芸術家も勝てなかったという、世に喧しい、いつも通りのパターンです。

 ぼくはこの演奏家を聴いたこともないし、時間があったからと言って興味を持つようにもならなかった。よく言われるように、「地獄の沙汰も金次第」ならぬ、クラシックの世界も金次第だった。このヴァイオリニストはまだご健在です。なお、彼が業者からもらった「弓」の代金は八十万円だった。加えて弟子たちに業者を紹介した仲介料として数千万円(一説では二千万円とも)の賄賂をもらったとされる。この大学は国立だったため、彼は収賄の罪に問われ、「1985年4月8日東京地裁懲役1年6月、執行猶予3年の有罪判決が下り、同日、東京芸術大学から懲戒免職処分を決定される」(Wikipedia)大変な騒動でした。

 今時、接待や賄賂をもらったくらいで有罪判決を受けるなどというのは、先ず珍しいというか、政治家や官僚の犯罪に対して、驚くほど人民は寛容になっていると思いませんか。大臣室で賄賂をもらっても恬として恥じないばかりとか、それを犯罪として、関係者は訴えないし、訴えても検察は訴状を受け取らないという、まことに凄まじい事態が目につきます。総理大臣が天下周知で犯罪を犯しても、手が後ろに回らない。「不届き至極」と行かなくなった理由はどこにあるのでしょうか。皆が政治家になって、気が付いたら怖いものがいなくなったからでしょう。すべては役人、上には弱くて、下には強い役人になった。それにしても、役人の賄賂好みは天性のものです。

 「役人の子はにぎにぎをよく覚え」「泥棒を捕えてみれば我が子なり

 政治家も役人も、更には社長さんたちも、なんとも世継ぎの稼業のようになっているのか、二世、三世ばかりが目立つのですから、「にぎにぎ」もお手の物なんでしょう。今回の内閣広報官とかいう女性官僚の件について、「やったことはよくないけど、一人だけ辞めさせられたのは、お気の毒だ」とか、「総理の息子がいなければ事件にならなかったし、辞職もなかったのだから、可哀そうだ。責任は総理にあるのだ」という、びっくりするような同情論がしきりです。これが「野党」とか言われる議員たちからも聞こえてきます。ぼくは、今どきの永田町には与党も野党もない、みんな与党だと言っています(共産党を除いては)。よってクダンノゴトシ、です。腑に落ちないというより、莫迦も休み休みに言えと言いたいね。罪を犯したかどうかわからないから、ただ飲み、ただ食いですね、それを「事件」として裁判に持っていくのが当たりまえじゃないですか。

 なんの魂胆も邪心もなく官僚を高額で接待するお目出度い業者はいないし、無条件で高額接待してくれる業者の誘いに乗っかるというおぼこで厚顔な官僚なんかどこを探してもいない。という点ではこの御仁は擦れっからしだという意味です。(《「すれからし」の促音添加》さまざまな経験をして、悪賢くなったり、人柄が悪くなったりしていること。また、その人。すりからし。》デジタル大辞泉)どんな家庭に育ち、どんな学校で学んだのか遊んだのか。氏より育ちとも言います。大した狡知者ではないですか。ぼくは同情もしなければ、庇いたてもしない。「男勝り」か「女丈夫(じょじょうふ)」だったか。(《「じょじょうぶ」とも》気性が強くしっかりしている女性。女傑。》」(同上)心根が美しくないことだけは確か、だね。

 こんなふざけた事件に大騒ぎをしている裏側で、身の毛のよだつ恐ろしい事態が深く進行しています。遠からず明らかになるでしょうが、気が付いた時には手遅れという、いつもの現象です。ぼくたちは、世上のすべてに寛容になったのか。あるいは、怒りなどという情念がそもそも奪われてしまったのか。

 最近どこかで触れましたが、「由(よ)らしむべし知(し)らしむべからず 」を、無条件で受け入れてしまったんじゃないですかね。黙って権力者に従えばいい、そんな腑抜けの社会になったのかもしれません。社会的公器などというもの自体が、強いものに靡いたんです。草木も靡く、権力に。ゲップが出そうですよ。

 「《「論語」泰伯から》人民を為政者の施政に従わせることはできるが、その道理を理解させることはむずかしい。転じて、為政者は人民を施政に従わせればよいのであり、その道理を人民にわからせる必要はない。」(同上)

 どこで覚えたのか、ぼくは「不届き千万」という怒声をいつでも発してきました。今もまた、更に大声で発したいね。屑どもめ、不埒であろうよ。まことに不届き千万だ」とね。しかし、こんなバカなことしたところで「留飲」は下がるハズもないんですが。

雛祭る 都はづれや 桃の月  蕪村    ・雛二つ 桃一枝や 床の上  子規

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投稿者:

dogen3

「上を思えば限りがないと 下を見て咲く百合の花」になれるものなら、という想いです