さびしさは私の胸ふかくこびりついて、

   散歩           中学一年 平美沙子          
  あんまり淋しかったので、私は一人で散歩に出た。どこをどう歩いたのか分からないうちに、海岸に出ていた。砂浜に腰を下ろしながら向こうの海を見ると、月の光に美しく光っている。私はいつの間にか故里のことを思い浮かべていた。今頃母は何をしているだろうかと思うと悲しくなって来る。つぎつぎに懐かしい思い出をたどっていると、いつか涙が出る。私はたまらなくなって、「お母さん」と大きな声で呼んでみた。答があろうはずはない。波が静かに寄せる音がするだけだった。私は淋しさをまぎらすために、月見草を摘んでは海に投げた。小石を拾っては投げた。でもさびしさは私の胸ふかくこびりついて、どうにもならない。かえって益々さびしくなるばかりである。漁火(いさりび)もさびしげに揺れていた。月もさびしげに私を照らしているようだった。私はいつまでもいつまで  も月を見ていた。(「愛生」一九五〇・八・五) 
   思ひ出                               A・I
  
  月の晩
  窓にもたれて
  唯ひとり
   青い星
   遠い山の上
  唯ひとつ
  故郷の
  山の藁屋を
  思ひます
  母さんと
  泣いて別れた
  月の晩
  母さんの
  細いまつげが
  濡れていた
  松風が
  サワサワ窓に
  寒くなる    (「愛生」一九三七・八・一) 
  夜の空                                       (小六N・M美)

  夜の空はしずかだ
  夜の空は星がまたたいている
  一等星は青々と美しくかがやいている
  この夜の空をながめるとかなしくなった
  黒い雲がスーと通る
  その雲はお母さんのようだ
  お月さんがはんかけだ
  くらい夜もみんな明るいようだ
  宇宙はどんなだろう                             (「多磨」一九六〇・七・一) 

 本日はいくつかの作文や詩をご紹介します。いったいだれがつくったのか。おわかりでしょうか。「愛生」は「長島愛生園」の、「多磨」は「多磨全生園」の文芸機関誌だといえば、そうですね、ハンセン病療養所に収容されていた子どもたちの作品です。ここにもそれぞれの人生があり、生活がある。その人生や生活を言葉に託した、もう一つの「生活綴方」だといえば、どうでしょうか。ひとつひとつの作品には言いしれぬ「ふるさと」への憧憬があります。懐かしくも悲しい「ふるさと」の思い出。言葉にさえも表せない懐かしい父や母。共同体から棄てられるということは、そこで交わされていた言葉を奪われることを意味しますが、新たな共同体での言葉回復の営み。

  (ハンセン病家族訴訟 差別を生んだ国の罪認める・琉球朝日放送 報道制作局  2019年6月28日

 この地におけるハンセン病の問題は、いまだに課題として残りつづけています。裁判によってもなお、政治的な過ちを是正できないままで、多くの罹患者の権利が放置されてきたのです。病気について、医学的な道によって、誤った治療や、それに基づいた隔離政策を国家がつづけたために長い間、多くの罹患者が耐えられない苦痛を味わされてきたのです。良心的な看護者や医者による記録も多く残されましたが、それが両親に根差したものであるだけに、いまからみると、言いようのない苦痛を、読む側も舐めるのです。そのような文献として、神谷美恵子著『生きがいについて』『小川雅子著「子島の春」など。

 この問題について、いずれていねいにその歴史や厚生政策などを含めた問題点を述べてみたいと考えています。

●ハンセン病(レプラ)(読み)はんせんびょうれぷら(英語表記)Hansen Disease, Leprosy

[どんな病気か] ハンセン病は、らい菌の感染によっておこる慢性感染症です。らい菌は、皮膚、粘膜(ねんまく)、末梢神経(まっしょうしんけい)、目を好んでおかしますが、その毒力は弱く、感染しても発症することはまれです。また、後述する多剤併用療法によって現在、世界中で患者数は減少しつつあります。日本のハンセン病患者数も年々減少し、2007年5月末現在、全国のハンセン病療養所の入所者数は約2890名になりました。新患者の発生数は年10名以下です。これに対し、在日外国人の新患者数が毎年10名前後発生しており、注目されています。これまでハンセン病患者は、強制隔離(かくり)を骨子(こっし)とした「らい予防法」により管理されてきましたが、96年4月1日に同予防法は廃止され、「らい」という病名も「ハンセン病」と読みかえることになりました。今後の課題は、ハンセン病への偏見や差別の撲滅(ぼくめつ)、ハンセン病の教育、在日外国人のハンセン病患者への対応、らい予防法廃止後の対策です。

(神谷美恵子)

[原因] らい菌は桿菌(かんきん)の1つで、結核菌(けっかくきん)と同じ抗酸菌(こうさんきん)の仲間です。チール・ニールセン染色法で赤く染まりますが、培養しても増殖しません。感染経路はおもに皮膚や粘膜(ねんまく)の傷で、菌自体の感染力は弱いものの、家族内に病人がいると菌との接触が濃厚になり、感染しやすくなります。

[症状] らい菌は、おもに末梢神経と皮膚に病巣をつくります。そのため、知覚まひ(温・冷・痛・触覚まひ)、末梢神経肥厚(ひこう)、神経痛などの神経症状がおこります。また、指が曲がったり、顔面神経の運動まひもおこります。

 菌におかされた組織から、つぎのように分類されます。

■らい腫型(しゅがた)(L型)らい菌に対する抵抗力が弱く、病巣組織内でらい菌が多数増殖しているものです。黄褐色から赤褐色の多少湿った発疹(ほっしん)や隆起した結節(けっせつ)が全身に左右対称性に現われます。好発部位は顔で、頭髪、まゆ毛、まつ毛の脱毛もおこります。重症では、顔の変形がおこります。

■類結核型(るいけっかくがた)(T型)病巣内での菌の増殖が末梢神経組織内だけに限られるものです。赤褐色の乾いた紅斑(こうはん)が生じますが、紅斑の中心は、多くはふつうの皮膚の色をしています。

■その他の病型L型とT型の中間の境界群(B群)と、頻度は低いのですが、未分化群(I群)があります。

[治療] 一般の感染症として、外来治療が主体となり、入院・隔離されることはありません。薬物治療が中心で、ジアフェニルスルホン、リファンピシン、クロファジミンの併用療法が行なわれます。3剤は、オフロキサシンとともに保険適用薬剤です。これまで療養所に入所していた患者さんは、国の保護を受け、入所したままで治療が続けられます。病状が進んだ人にみられるさまざまの変形などは薬剤では治らず、整形外科、形成外科的治療が必要です。(家庭医学館の解説)

(小川正子)

●らい予防法(読み)らいよぼうほう ハンセン病 (らい) の発生を予防するとともに,患者の隔離,医療,福祉をはかり,それによって公共の福祉の増進に資することを目的とした法律。 1907年制定の癩予防法を 53年に改正,らい予防法 (昭和 28年法律 214号) として公布された。ハンセン病は,その治療に著効のあるサルファ剤が合成されてから不治ではなくなったが,ハンセン病に対する社会的偏見はなお根強いものがあり,同法は特にそこに意を用い,総則3条で「何人も,患者又は患者と親族関係にある者に対し,不当な差別的取扱をしてはならない」と強調し,施行規則において,医師の患者届出義務と秘密保持につき細かく規定していた。しかし,患者の隔離に対する批判の高まりから,96年4月廃止された。なお,療養所に入所中の患者の生活を保護する経過措置がとられている。(ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説)

● 北条民雄=(読み)ほうじょうたみお [生]1914.9.22. 朝鮮,京城(現ソウル)[没]1937.12.5. 東京 小説家。父は陸軍経理下士官。生後まもなく母と死別し,徳島県の母の実家に養われた。その後,養家の農業にたずさわり結婚もしたがハンセン病発病のため離別 (1933) 。自殺を決意して所々を転々とし東京東村山の全生病院に入院 (34) ,『間木老人』 (35) を川端康成に送って認められた。『いのちの初夜』 (36) はハンセン病患者がみずから書いた本格小説としてセンセーションを巻起した。ほかに『癩院受胎』 (36) ,『癩家族』 (36) などがある。(ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説)

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投稿者:

dogen3

 毎朝の洗顔や朝食を欠かさないように、飽きもせず「駄文」を書き殴っている。「惰性で書く文」だから「惰文」でもあります。人並みに「定見」や「持説」があるわけでもない。思いつく儘に、ある種の感情を言葉に置き換えているだけ。だから、これは文章でも表現でもなく、手近の「食材」を、生(なま)ではないにしても、あまり変わりばえしないままで「提供」するような乱雑文である。生臭かったり、生煮えであったり。つまりは、不躾(ぶしつけ)なことに「調理(推敲)」されてはいないのだ。言い換えるなら、「不調法」ですね。▲ ある時期までは、当たり前に「後生(後から生まれた)」だったのに、いつの間にか「先生(先に生まれた)」のような年格好になって、当方に見えてきたのは、「やんぬるかな(「已矣哉」)、(どなたにも、ぼくは)及びがたし」という「落第生」の特権とでもいうべき、一つの、ささやかな覚悟である。どこまでも、躓き通しのままに生きている。(2023/05/24)