梅は咲いたか桜はまだかいな

 (雪が舞う中で咲き誇る元善光寺の白梅「善心光梅」=17日、飯田市)

 梅咲く元善光寺 飯田で競う紅白の彩り  飯田市座光寺の元善光寺で白梅の木「善心光梅(ぜんしんこうばい)」が見頃を迎え、近くの紅梅と競うように咲いている。17日、花は強い風に乗って吹き付ける雪を受け止めていた。/ 善心光梅は高さ5メートルほど。樹齢は推定150年とされ、一般から愛称を募り名付けらて参拝者に親しまれている。花の直径は3センチほどと大きめで、外側の花びらはピンク色なのが特徴だ。今季は例年より早く、1月初旬に咲き始めた。/ 住職の本多秀道(しゅうどう)さん(46)は「境内はロウバイも咲いて彩りを増してきた。桜へとつながっていきますね」と話していた。(信毎web・2021/02/18 09:15)

 (⇦青空に黄色の花が映える元善光寺のロウバイ=3日午前11時12分、飯田市座光寺)(同上・2021/02/04 09:14 ) 

● 元善光寺=御 縁起 起推古天皇十年に信州麻績(おみ)の里(現在の飯田市座光寺)の住人本多善光(ほんだよしみつ)公が、国司の供をして都に上がった時に、難波の堀にて阿弥陀如来様にめぐりあい生まれ故郷へお連れし、お祀りしたのが元善光寺の起源です。
その後、阿弥陀如来様の御告げにより芋井の里(現在の長野市)に阿弥陀如来様を御遷しすることになった時、再び御告げがあって「毎月半ば十五日間は必ずこの麻績の古里に帰り来て衆生を化益せん」との御誓願を残されました。そもそも善光寺の名は善光公の名を以って付けられたものです。
御詠歌「月半ば毎にきまさん弥陀如来、誓いぞ残る麻績の古里」とある様に、古来長野の善光寺と、こちら飯田の元善光寺と両方お詣りしなければ片詣りと云われております。(https://motozenkoji.jp/)

  梅は咲いたか、桜はまだかいな。こんな洒落た端唄を若いころには口ずさんででいました。いわゆる「俗曲」というのかしら、何人かの名人上手が活躍していた時代も、今ではすっかり跡形もなく消えてしまいました。ぼくは経験したことはありませんが、おそらくお座敷でしっとりと三味線を弾きながらの贅沢なお遊びだったと思われます。今なら同伴出勤かなんかに形を変えてしまい、まことに味気ない、即物的な無風流そのものですね。どちらにしても、ぼくには未知の世界でした。

梅は咲いたか 桜はまだかいな
柳ャなよなよ風次第
山吹や浮気で 色ばっかり
しょんがいな
浅蜊(あさり)とれたか 蛤(はまぐり)ャまだかいな
鮑(あわび)くよくよ片想い
さざえは悋気(りんき)で角(つの)ばっかり
しょんがいな
柳橋から小船を急がせ
舟はゆらゆら波しだい
舟から上がって土手八丁
吉原へご案内 (江戸端唄・「梅は咲いたか」)

 歌詞の中身はさすがに、謎ですね。梅・桜・柳・山吹と、春の名物が並んでいます。浅利・蛤・鮑・さざえなどと、うまいものが横一線です。柳橋から吉原まで、屋根船で繰り込もうという算段だか魂胆だか。新内などが、街角から聞こえてきそうです。清元、端唄、小唄などなど、花街の伴奏曲でもあり、今でいうところのクラブやバーなどの専売だったのかもしれません。昭和も三十年ころまではまだかすかに余韻が残っていたように思われます。いずれにしても、ぼくには無縁の世界でした。

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飯田には何度か行きました。まあ野暮用だったので、お寺にも神社にも出かけないで済ませました。長野は山登りで盛んに通いましたが、それ以外ではたのまれて不味い話をするためでした。講演などというものは、めったなことではしない方がいいに決まています。そのついでに梅や桜を愛でるというのは果報そのものではないでしょうか。ぼくは、梅でも桜でも、咲いていればどこでもいいんです。観光地はきっと御免被ることにしてきました。花を見るより、雑踏にもまれるようで、まことに興醒めしたからです。人混み、人だかりはとにかく嫌いでした。だから、だれもいないような山の中の桜、あるいは誰も来ない神社の梅に出会うことを仕合わせと感じるようにできていたのです。(左上は元善光寺)

 拙宅にも、一本の梅の老木があり、息も絶え絶えですが、今年も少しばかり咲いています。白梅ですが、樹齢何年になるのだか、とにかく消えかかっている。老残の身というやつですね。まるでわが生のようで、見るのも痛々しい。

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 忘るなよ 藪の中なる むめの花  松尾芭蕉

 散るたびに 老ゆく梅の 木末かな  与謝蕪村

 梅さけど 鶯なけど ひとり哉 小林一茶

 梅散て 苔なき庭の 夕寒し  正岡子規

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投稿者:

dogen3

「上を思えば限りがないと 下を見て咲く百合の花」になれるものなら、という想いです