「日本人」という枠を超えた人がいる社会

〈日本人〉とは何だろうか?

「日本民族、日本語、日本国家、この三つに属しているのが日本人だ。そういう感じは私にもある。そのことが、おおまかに言って現状に事実としてあたっているという考えももっている。だが、そうではないということも、私は自分の底のほうでやはり知っている」

「うまれた時、いや、その前から、私は言語にさらされていた。私はそれを日本語とは知らなかった。その時私は、日本の国民であることも知らなかった。私が日本民族という種族であることももちろん知らなかった。日本国家、日本民族、日本語の網の目は、そのころまだ私にはかかっていなかった。私ははじめからそこにとらえられていたわけではなかった。その記憶を、私はあとになってほりおこして自分のものにするようになった」

「生涯の最初の時期の、日本人のわくの前の記憶をいくらか今も自分の内部にとどめていることは、私にとって、自分の思想をつむぐ時の導きの糸となった」

「日本国家の形がきまり、国定の日本語の型(国語学者・亀井孝の言う「天皇の国語」)がきまり、日本民族とはこういうものだという(学問的根拠にとぼしい)公式説明でつくられた日本人の外にはみだした人びとに、私は心をひかれた」(鶴見俊輔「日本人になる前」、鶴見俊輔座談『日本人とは何だろうか』晶文社)

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 このブログまがいの雑文録の「表紙」に当たる所に、いくつもの鶴見さんの文章を引いておきました。彼はむずかしいことを、優しい言葉遣いで書き残されましたが、だからといって、その内容な決してやさしくはありません。

 「日本民族」「日本語」「日本国家」という三点セット、三段重ねのお重は、そっくりそのまま「日本人」というものの内容を証明するかのように考えられてきましたが、今ではそれは大いに疑わしいものになりました。もちろん、いつの時代でもそれは疑わしい、怪しいものだったのですが、明治以来の学校教育が、わざわざ総力を挙げて「三段重ね」のお重の中に「日本人」を取り込んでしまおうとしたんでしょうね。一億一心、一糸乱れず、こんな恐ろしい「標語」が飛び交っていた時代を経験してきたのが、この島社会でした。ところが、当たり前ですが、そんな標語に取り込まれてたまるかという人々が次々に生じてきたのです。だからこそ、それを消去するために国家は権力を行使して、異議申し立てを封鎖してしまおうとしたのでした。「長い物には巻かれろ」「寄らば大樹の影」「親方日の丸」などと言って、異論や異質を加工(メッキ)することに躍起になってきたのが学校教育の歴史でした。

 いまでもなおぼくは、一人ひとりの個人を〈日本国語・日本民族・日本国家〉という三段のお重に収納するための教育、それが私たちの社会の実相だという思いに駆られています。みんないっしょ。だれもみんな「ふつう」、「人並み」がいいと、目立たない生き方をそれでも社会集団は求めてきます。「個性の尊重」と「多様性の重視」。いったい、ちがいを際だたせるのか、ちがいを殺すのか。それとも両方なのかという問題ですね。

 《子どもたちが何か欲しいとき、「みんなもってるよ」という。だけど、その「みんな」というのは、まずたいていはクラスで二、三人くらいだといいます。「みんな」「人は誰でも」といった言葉でいうと、いかにもそのように、またそのようでなければならないみたいにおもえるというふうな物言う術にたいして、へんだという留保をのこしておかないと、「私」と、「人は誰でも」「みんな」とが、だんだん見分けもつかなくなっちゃいます。そうでなくても、言霊のさきわう国柄だから、言葉にたいしてよくよく「私」をむきあわせてゆくことができないと、言葉がすぐ旗になっちゃうのです。(中略)

 …十人十色という言葉をおもいだしたい。わたしたちはそういういい言葉をもってるはずなんです。じぶんにとってのいま、ここというのは、「いまはこういう時代なんだ」というような、みくだす物言いによっては、けっしてみえてこないだろう。わたしはそうかんがえています。そうではなくて、じぶんにとって他に代わってもらえないものは何かという、一人ひとりの側にあるその何かのなかに、一人のわたしにとってのいま、ここというのはあるんだ、と》(長田 弘)

わたしとみんな。わたしはみんなと同じ。みんなのなかにいるわたし。そうして、わたしの居場所や出番がなくなるのでしょう。わたしが消えるとして、さて、もとのわたしはどこに行ったのか。こんなへんてこな、かくれんぼみたいな人生ゲームが学校教育では重宝されてきたのでしょうね。ぼくは学校時代をはるかの昔に経験しましたから、今はどんな状況になっているのかという点については、確かなことは言えません。しかし、あいかわらず「みんないっしょ」というような、本来あり得ないような、一人一人の在り方が大事にされているというのとは反対の方向に向かっているのであり、そのような「あり方」を優先させることに特化しているような気もするのです。

 わたしとあなた、ここから「社会(集団)」は始まるのですが、それぞれがももっている違いをこえて(消して)、「われわれ(わたしたち)」という架空の像の中に二人を閉じ込めようとする。「わたしたち」という関係は「わたしとあなた」からなり立つのに、その二人によって、あらたな「わたしたち」という一つの人間あり方をつくるというように、人間の関係が錯覚させられているように思われるのです。国民を代表して、学校を代表して、などと言いますが、その表現を用いて、何を言おうとするのか。すべてが一人に集約されるということはありそうにないのですが、そういうふうになったという錯覚を強いてきたし、今でもそこから自由ではないように、ぼくは見ているのです。「わたし」と「あなた」は、別人格だというのは、いっしょになる筈がないということです。別の言い方をすれば、同じではないし、違いがあるということでしか、自分を確かめられないのです。

 今も残る「日本人」という枠組み、それを軽く超えようとする人たちもいる社会、そのひとたちが「日本人」の枠を広げてくれるような生き方をしていく中で、いまもその「枠」に縛られた人々も解放されるという事態が生まれる、それをぼくは期待していますね。固定は限界を迎えるし、そこから流動がうまれる、そんな交流や交換がたえず行われる社会の方向を目指したいね。国境を超えてやって来た、言語の枠をはみ出して住みつき、未知の歴史を生きた人として、この島にやって来た人たちが、この島に住みついていろいろな交際が行われる時代が確実に始まっています。学校や教室がその交換・交際・交渉の一つの舞台になることを、ぼくはずっと願っているんだね。

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投稿者:

dogen3

「上を思えば限りがないと、下を見て咲く百合の花」になれるものなら、という想いです。それこそ、「高嶺の花」ですが。「昨日は俗人 今日は僧、生涯胡乱(うろん)これがわが能」と自称した一休さんは、一面では「相当な人物」だったと、歳をとるとともに思わされています。