やむにやまれず手をあげる、川淵さんでしたが

【水や空】バレンタインデー 自分には縁のない話、と諦め半分なのに、なぜかグズグズしている放課後の教室。と「ねえねえ」と女子に声を掛けられる。えっ、ボク?。来た? ところが、女子の言葉には続きが-。「ねえ、○○君呼んできて」。あ、はいはい▲などなど壮絶なぬか喜びの記憶とともにある日付…そんな“元・男子”も多かろう。女子は女子で、渡せずじまいのあの日の小さなチョコレートのことを思い返してみたり。きょう14日はバレンタインデー▲もともとの由来は-。「士気が下がる」と兵士の結婚が禁じられた時代の古代ローマで、恋に落ちた兵士と娘たちをひそかに結婚させ、皇帝の怒りを買って殉教したバレンチノ司祭の処刑日がこの日。バレンタインは司祭の名の英語読み▲時は流れて「男性にチョコを贈ろう」と菓子メーカーが東京のデパートで女性向けのキャンペーンを展開したのは1958年のこと。調べ物の途中で「恋愛の主導権を女性の手に」の意図が込められていた、との説も目にした▲ちょっと待った。女性から告白するのは“この日限定”なのか、それは変だ。いやいや、きっとそんな時代だったのだ…と、改めてあれこれ考えるのは「女性蔑視発言」の余波だろうか▲きょうは日曜日で、学校はお休み。教室のぬか喜びは少なめかもしれない。(智)(長崎新聞社・2021/2/15)

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 こんな日があるとは知らなかったとまでは言いません。でも、それはぼくには無関係だったとは言えますね。この島の土の上にはいたるところに「人骨」が埋まっているといいたいほどに、どこを掘ってもお墓の跡やその名残がみられます。それと同じように、一年三百六十五日、どの日をとっても何かの「記念日」があるでしょう。人によっては「サラダ記念日」もあれば、「タピオカの想い出」と重なる日がある。結婚を決めた日もあれば、失恋の暗い思い出のひもあるはずです。だから、西洋のはるか昔の司祭さんの命日であることと、この島の誰彼が騒ぎ立てなければならないのとは本来無関係であるのです。しかし、そこは目端が利くというのか、商魂たくましいというべきか、ウランカナの商人がいわく因縁をでっちあげて「バレンタインデー」なる日を捏造したのです。算盤とバレンチノ、でした。

 記念日を設置?したのが六十三年前とのことですから、ぼくが物心つくまではなかった。一向に関心を持たないでぼくは年齢を重ねてきたし、関心を持たれないで、つまり異性に無視されて老齢を重ねたということでもあります。しかし、このあたりで商売人につきあうのを止めたらどうかと、余計なことを言いたくもなります。ある元総理大臣に言わせれば、この世には「女と男」しかいないとしつつ、ちらっと、いやなんだかそうでもないらしいということを小耳にはさんだから、発言は支離滅裂になったのです。「放言」のついでに後継を指名したが、その指名された御仁が「体罰容認」実践家だったかどうか、とにかく「体罰はいいものだ」派でしたから、ただちに「辞任」(就任していないのに、辞任というのはマジックだ)した。

 川淵三郎氏の“会長就任が白紙”、ネット炎上で掘り起こされていた「大失言の数々」 2021年2月12日 16時5分  週刊女性PRIME《体罰は悪だと一方的に決めつけるのではなく、このままいくと道を踏み外すかもしれないという子供には、親が先生が鬼気迫る形相でやむにやまれず手をあげることもあるだろう。そこには人間同士の魂と魂のぶつかり合いがある》(2019年7月4日)

 とまあ、ちょっとしたつぶやきが、「人権モード」にひっかりましたというのですか。高齢にして、世間に向かって「つぶやく」「ささやく」というのはたいしたものだし、それをとやかく言いません。ぼくだって、こんないい加減な「自主トレ」をいいわけにした駄文で、川淵はアカンと書いているのですから、彼とはぼちぼち、五十歩百歩です。でも「魂と魂のぶつかり合い」というなら、互いが体罰の応酬をしろというのですか、そうじゃないでしょ。いざという時に、殴っていいのは「親や教師」というのは解せませんね。昔の発言をほじくり返されるのも、有名税ということですかな。どんな種類のものでも、ぼくは「税金」は取られれたくない。

 バレンタインデーが、飛んだ方向に曲がりましたが、でも、ぼく(右利きです)には、フックはあってもスライスはないんです、きっとフックです。世の中は世知辛くなったというのか、とにかくあらゆる面で「寛容」が薄れ、薄れ失われて、法律や声の大きい方に靡きがちになっています。けっしていい傾向だとは思われません。それではどうするか。誰かが誰かにチョコを送るという、悪しき商慣習もここでは効力を発揮できていないようです。風潮、世情は正しいとは限りません。でもみんなでまちがえれば、誰もそれに気が付かない。全体の中に自分を置かないことです。

 「恋愛の主導権を女性の手に」取り戻す、いや獲得するのがこの日だけかという疑問、とにかく何でももうかればいいという商売の話ですから、まじめに考えることもありませんよ。「老人の日」「父の日」「防災の日」と、勝手な理屈で勝手に記念日を作るから、わけがわからなくなるのですが、今どきの人間はとにかく「宣伝」に弱い。特に大きな宣伝会社には目も当てられないくらいに。すべての分野が「無条件降伏」状態を強いられているのか、喜んで従っているのか。それは、「女性差別」とは別次元で、この島は、たった一社(D通)によって、死命を制せられているのです。五輪問題も、すべては、この独占支配体制から派生しているといってもいいくらいです。

 「ねえねえ」と女子に声を掛けられる。えっ、ボク?。来た? ところが、女子の言葉には続きが-。「ねえ、○○君呼んできて」。あ、はいはい====コラム氏は何も気づいていないのかしら。いや、先刻承知で、こう書いた。この女子のひどい仕打ちに対して、一言あってしかるべきと。ここには女性の男性に対する「差別的言動」は不問にされる傾向があるのですが、その理由は男が女に寛容であるのではなく、男社会の中で育ってきた「男の優位性」が言わせているのです。「壮絶なぬか喜び」という語、これをコラム氏はどんな想いで使われたか。不穏当な言葉づかいですね。それは、きっと受けねらいだったとは言うまい。

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ユーミンは男の味方バレンタイン   朝倉晴美

若返るバレンタインのチョコ食うて        塩路五郎

バレンタインデー出がらしの茶をすする     浜麻衣子

 この手の句作品は、おしなべてしっくりきません。無様な、と言いたいくらいです。カタカナが季語になっていない(馴染んでいない)からか。それにしても、こんなものまで詠み込むのだから、俳句つくりもなかなか大変です。

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投稿者:

dogen3

「上を思えば限りがないと、下を見て咲く百合の花」になれるものなら、という想いです。それこそ、「高嶺の花」ですが。「昨日は俗人 今日は僧、生涯胡乱(うろん)これがわが能」と自称した一休さんは、一面では「相当な人物」だったと、歳をとるとともに思わされています。