権力のダシに使われるばかりの五輪です

【河北春秋】 「ナチスの五輪」。1936年に開かれたベルリン大会はヒトラーが国威発揚の舞台として利用したことで知られる。レニ・リーフェンシュタール監督は記録映画『民族の祭典』『美の祭典』で、映像作家としての地位を不動のものにした▼大戦後に戦犯として裁かれた彼女が生前、ノンフィクション作家の沢木耕太郎さんのインタビューで反論している。「当時の私は国際主義の信奉者。政治宣伝は行っていない」▼ヒトラーとの懇ろな関係をうわさされたこともあるが、その発言からは映像のプロとしての強烈な自負がのぞく。とはいえ、映画は結果的にナチスに花を持たせることに。奸智(かんち)にたけた為政者は「平和の祭典」をうたう五輪をてこに、世界征服の野望を膨らませていった▼この人の場合はどうなのだろう。「人類が新型コロナウイルスに打ち勝った証し」として東京五輪を実現すると強調する菅義偉首相。征服の対象はウイルスだが、感染の収束は見通せず国内外で慎重論が拡大する▼疫病がまん延する前は「復興」が東京五輪の枕ことばだった。建前上は消えていないけれど、なぜか後景に押しやられた印象だ。時代状況と無縁な五輪などないが、開催意義の上書きはむしろ焦りの表れか。「政権浮揚」という裏書きが透けて見える。(河北新報・2021年02月09日)

●リーフェンシュタール(英語表記)Riefenstahl, Leni 1902―2003Leni Riefenstahlドイツの映画監督,写真家。ベルリン生れ。バレリーナとしてM.ラインハルトに学んだ後,山岳映画に主演し監督も手がける。次いでヒトラーのもとでナチス党大会の記録《信念の勝利》(1933年),《意志の勝利》(1934年),1936年のベルリンオリンピックの記録として,第1部《民族の祭典》,第2部《美の祭典》からなる《オリンピア》(1938年)を監督。これらの作品にみられる民族的英雄主義を賛える映像的技法は,ドキュメンタリー映画の金字塔であると同時に,ナチス宣伝映画の基本的なスタイルとなった。〈ヒトラーの愛人〉〈第三帝国のセックス・シンボル〉などと呼ばれ,第2次大戦後は4年間収容所生活を送る。《低地》(1954年)を製作した後は写真家として活動し,スーダンのヌバ族の写真集《ヌバ》(1964年)が話題を呼んだほか,水中写真も発表している。(百科事典マイペディアの解説)

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●オリンピズムの根本原則

  1. オリンピズムは肉体と意志と精神のすべての資質を高め、 バランスよく結合させる生き方の哲学である。 オリンピズムはスポーツを文化、 教育と融合させ、 生き方の創造を探求するものである。 その生き方は努力する喜び、 良い模範であることの教育的価値、 社会的な責任、さらに普遍的で根本的な倫理規範の尊重を基盤とする。
  2. オリンピズムの目的は、 人間の尊厳の保持に重きを置く平和な社会の推進を目指すために、人類の調和のとれた発展にスポーツを役立てることである。
  3. オリンピック ・ ムーブメントは、 オリンピズムの価値に鼓舞された個人と団体による、 協調の取れた組織的、普遍的、恒久的活動である。その活動を推し進めるのは最高機関のIOCである。活動は 5 大陸にまたがり、 偉大なスポーツの祭典、 オリンピック競技大会に世界中の選手を集めるとき、 頂点に達する。 そのシンボルは 5 つの結び合う輪である。
  4. スポーツをすることは人権の 1 つである。 すべての個人はいかなる種類の差別も受けることなく、オリンピック精神に基づき、スポーツをする機会を与えられなければならない。 オリンピック精神においては友情、 連帯、 フェアプレーの精神とともに相互理解が求められる。
  5. オリンピック ・ ムーブメントにおけるスポーツ団体は、 スポーツが社会の枠組みの中で営まれることを理解し、 政治的に中立でなければならない。 スポーツ団体は自律の権利と義務を持つ。 自律には競技規則を自由に定め管理すること、 自身の組織の構成とガバナンスについて決定すること、 外部からのいかなる影響も受けずに選挙を実施する権利、 および良好なガバナンスの原則を確実に適用する責任が含まれる。(「五輪憲章」より)

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 期日を一年延期した、東京五輪も半年後に迫ってきましたが、ここにきて、なにかと騒々しい事態が巻き起こっています。そもそも、五輪はいろいろな意味で政治的・商業主義的な催し物になりきっており、それに参加する選手たちの大半はプロです。上に示した「五輪憲章」に見られるような「オリンピズム」というものが失われて久しい。それを無視して、嘘っぱちの五輪精神というところに、今日の五輪問題のまやかしがあるのでではないか。政治的な意味を除いて、五輪の存在価値はなくなったように、ぼくには思われてきます。

 

 36年はベルリン(ヒトラー)、40年は日本(東条英機)、44年はローマ(ムッソリーニ)と、まさに日独伊三国同盟が、五輪史のなかでも、固く結ばれていた時代でした。戦争の惨禍が終わった時点で「幻の五輪」は順番通りに開催された。ぼくには「幻の東京五輪」の記憶はありませんが、その歴史を実地に辿った経験があります。競技場などを建設するために、住まいを追われ、生活を奪われたたくさんの人民がいました。今回の五輪開催でも同じ問題が生じています。それも含めて、五輪と「政治権力」は密接不離であり、権力の象徴として、「五輪精神」をとことん利用し、それを土足で踏みにじって来たのです。「マエハタ、ガンバレ」という実況中継のアナウンサーの絶叫が耳について離れません。忌まわしい記憶の一つです。前畑秀子さんに文句を言うのではありません。

 五輪と政治というかかわりでいえば、その典型は1936年に開催された「ベルリン五輪」でした。「民族の祭典」という標語を掲げたこと自体、五輪精神の死を明示していました。五輪記録映画も話題になりましたが、そこには「国威発揚」がいかんなく発揮され、五輪どころか、権力のすべてが顕彰され、民族主義の「不滅性」が謳歌されたといってもいいでしょう。今でも、政治力なしでは「五輪」開催は不可能です。ナチに続いて、1940年、日本は東京五輪を開こうとしました。ベルリンにつづいての「民俗の祭典」です。この時は日中戦争拡大の影響で中止されたのでした。その1940年(昭和15年)は皇紀2600年に当たっていた。「邦国の開闢以来、2600年」という「祝賀すべき」年に当たっていた、と受け止められていた。

 64年の東京五輪時、ぼくは東京にいました。テレビ放送をしていたので、いくつかの競技は見た記憶はありますが、殆んど印象に残っていません。「東洋の魔女」と名付けられた女性たちが戦ったバレーは何年も経過した後の映像で見たのですが、「俺についてこい」という監督の言葉や野蛮な練習ぶりには目を向けられなかった。

 そもそも、競争相手を打ち負かすとか、敗亡を喫するということ自体、ぼくは大嫌いでしたから、五輪が鮮明に印象付けられることはなかった、こんな言い方は誤解されるのですが、余計な解説は付けない。世界規模を誇るような五輪などではなく、それぞれの競技における大会は無数にあるのですから、そちらに任せれば済むものをというのが、ぼくの考えです。競争は尊いとか、勝負に勝つための努力は美しいというような、捻じ曲げられたげられた「覇権主義」はぼくの選ぶ所ではありません。

競争に勝ったから「日の丸」というのはなんですか。壇ノ浦か二〇三高地の戦いですかね。自軍や国家を背負っているということ自体、スポーツとは根っ子を違えていませんか。当時の東京五輪のマラソンで、三位になった選手が、その後に自殺し、大々的に報道されたこともありましたが、とても違和感を感じました。(選手にというよりは、報道の仕方に、感じました)東京五輪の「記録映画」もつくられましたが、ぼくは敢えて見なかった。その監督にぼくは嫌悪を抱いていましたから(いまでいえば「パワハラ」の権化のようでした。多くの映画監督にはこの手の醜聞はつきものでした。ぼくが映画嫌いになった一因かも)。「国威発揚」をこれでもか、と総力を挙げて、五輪を美化しようとししたのではなかったか。

 おそらく、今回も、仮に実施されれば、ある監督(この島のリーフェンシュタールになるのかしら)が記録映画を残すのでしょうが、ぼくは見たくありません。(体制翼賛)という風潮にはぼくの柔な脳細胞がついて行かないんですね。映画や新聞が政治の「宣伝」材料に使われることにもっと問題意識を持たなければと、ぼくは、たった一人で強く感じているのです。現実の状況は相当にひどいものだとみていますが、もっとひどくなることは請け合いです。

 今回の五輪開催は、ぼくのなかではあり得ませんが、これまでに使った二兆を超える税金は戻ってきません。こんなえげつない権力の「いいとこどり」「人民からの収奪」はこれで二回目ですから、きっともう一回はあるのでしょう。「二度あることは三度ある」少なくとも、人民一人当たり、三万円を略奪されているのですよ。

 【余録】東京湾の埋め立て地の一角に東京都江東区の枝川地区はある。「十畳長屋」と呼ばれるトタン壁の住宅が昔の面影をわずかに残している。1941年、当時の東京市が、周辺に住む在日コリアンを強制移住させた▲40年の開催を目指した東京五輪の関連施設をつくるのが目的だった。日中戦争で五輪は幻に終わったが、市は住民の反対を押し切って計画を進める。ゴミ焼き場のハエに悩まされる土地に1000人を超えるコリアン街ができた▲住民は助け合って暮らした。45年3月10日の東京大空襲。総出で消火し、下町が焼け野原となる中で、枝川は焼失を免れる。そこへ押し寄せたのは被災した大勢の日本人だ▲「東京のコリアン・タウン 枝川物語」(「江東・在日朝鮮人の歴史を記録する会」編)に証言が残る。

「(被災者は)何千人じゃないかなー。みんなで炊き出しをやって助けたんですよ、握り飯やどぶろくを出してね」。住民は食べ物や着物を惜しまず与えた▲下町には関東大震災の時に多くの朝鮮人が虐殺された過去がある。虐殺はあったのかと問われた小池百合子都知事は「さまざまな見方がある」と明言を避けた。日本人に虐げられてもなお、空襲の被災者に手を差し伸べた枝川の住民がいたことを思わずにはいられない▲枝川の街から運河を一つ越えれば、五輪開催で開発に沸く豊洲地区だ。五輪を控えて小池知事が掲げる「ダイバーシティー」とは、国籍や性別に関わらず、人の多様性を尊重する社会を意味している。(毎日新聞・2017年9月10日 東京朝刊)

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 この枝川地区にある朝鮮学校に、ぼくは若い人たちと何度か通ったことがあります。この枝川の隣に「五輪選手村」となる予定だったマンション群が林立しています(晴海地区)。

 「フクシマ復興五輪」という荒唐無稽、かつ不誠実極まりない、現実を無視した政治メッセージを掲げて五輪誘致を果たしたのは、いくつもの犯罪容疑を持つ、前の「嘘つき総理」だし、「人類がコロナに克った証」の五輪開催をとほざいているのが、現「虚言癖強面恐喝総理」でした。利権や賄賂で泥まみれにされてしまった東京五輪。きっぱりと中止を内外に明言しなければならない、それがいまです。(本日は「春秋」で始まり「余録」ならぬ、「余禄」で終わるという下卑た落とし噺になるという塩梅です。五輪誘致から幾春秋、今では「余禄」こそが、五輪の最大の開催理由に成り下がりました。膨大な税金・寄付金が行方知れずになりにけり、です。)

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