元総理だったとかいう人の「発言」が物議をかもしています。いわく「女性差別」の失言だという。「謝罪会見」を偶然見ましたが、下らん人間の下らん言い訳に終始していました。弁解とか言い訳というのは、「本当に思っていたことを言ったただけなのに」という気味が非常に強い。差別発言というの、殆んどが確信をもってなされた発言です。これは、ぼくのつたない経験から学んだことです。言ってはいけないのに、ついつい言葉が滑ってしまったというのは「失言」でしょ。<make a slip of the tongue>この表現が当たります。本当は言ってはいけないのに、口(舌)が滑ったというのです。言うことは間違いだが、つい言い間違えた、それが「失言」です。失言とは、他者から指摘された時の表現です。
つまらない発言に目くじらを立てたくないというのは、ぼくの感想ですが、それでも一言しなければと愚考したのは、簡単な理由によります。森某が犯したのは「放言」であって、それは「失言」なんかじゃないということです。どっちだっていいじゃないかというなら、それは奇妙な言い草だし、聞き捨てなりませんね。「言うべきではないことを、うっかり言ってしまうこと」(デジタル大辞泉)、これは失言です。言い方を誤った、表現に適切を失したという話だからです。言ってはいけないのに、思わず口走った。
この森某の発言はどうでしょうか。「これが言いたかった」というくらいに確信をもって「言い放った」、つまりは「放言」です。「他への影響などを考えずに、思ったままを口に出すこと。無責任な発言」(同上)、これは「放言」です。「放言」でしかないし、あるいは「暴言」と言っていいかもしれない。(「礼を失した乱暴な言葉。無礼で、むちゃな発言」)暴言と失言を同等に扱うのは「暴言」に近いでしょう。ぼくはいくつもの記事を見ましたが、殆んどが「失言」です、それで問題を終わりにしています。
この御仁は「放言壁(癖)」で有名でした。なぜそうなのか、いろいろな理由があるでしょうが、こういう輩が総理大臣になれるという「永田町(政界)」に原因があると思われます。詮索は止めておきますが、まじめに、真摯に国家社会のために国民の生活と命のために「政治」を執行するための大黒柱となる地位、それが総理大臣であると、露とも考えていない連中が選んだというところに、永田町の奇怪な雰囲気や習俗が充満しているのです。(密室の「五人組」が選んだ、こいつ(森)ならおれたちの利益を害しないという確信で)いつからこんなにひどくなったか、この不誠実極まりない人物が座ってはいけない「ポスト」に座った、座らされた、それが今に至るまで続いているとすれば、かれこれニ十年にもなる期間、国民を踏みにじるための政治が行われていたということでしょう。(しかも、彼が選ばれたのは、「現総理(当時)」が意識を失って昏睡しているベッドサイドでの談合においてだった)
こんなにわかりやすい「放言」を、わざわざ「失言」と取り違えている、わざと混同している、報道にも開いた口がふさがりません。これも流行りの「忖度」なんだろうか。あるいは、「失言」の方が「放言」よりも罪が軽いとでもいうのか。「言ってはいけないことを言ってしまう」のは「無知」「蒙昧」だからです。だから、それは許せるというのではありません。「無知」であることは話にならないほど、許せないことですから。だから「謝る」「謝罪する」しか方法はないのです。知りもしないのに、余計なことを言ってしまった。「ご免なさい」と。しかし「放言」は違う。(当たり前の感覚なら、言うべきでないことを)知っていながら「信念をもって発言する」、誰も言えないだろ、と。それを以て、自分は偉いと思われるはずだという程度の認識をひけらかしているのです。これを「撤回」「謝罪」で終わりにできるでしょうか。その証拠に、森某は「確信していることを言ったまでだ」「女がいると面倒だ」ということを常日頃から苦々しく思っているから、素直に「謝罪」も「撤回」もできない、言えば弁解になっているのがその証拠です。その「弁解」も敵意を多分に含んでいるから、始末に悪い。底なしの「無知」「無能」でした。謝ります、といえないという「無知」の人間に特有の往生際の悪さを、ぼくは感じてしまう。
もっと言うなら、この御仁が会長職についている組織が、これまでの五輪開催準備にどれだけの税金を使い、これからさらにいくら使うつもりなのか。ほとんど使いたい放題です。当初の発表では、開催費用は「七千億円」だった。すでに二兆円超が使われ、さらに一兆ともいわれる金が投入されるという。会計報告は一切なし。これだけ税金投入事業の主であるという責任意識がまったくないのだから、手に負えない。即刻辞職、「首にする」、いや「首に縄をかける」べきであると言いたいほどです。五輪がどんなに出鱈目な金の使い方で、開催できない状況の中でありながら、ひたすら引きのばしを謀っています。こんな無残な五輪組織委員会の暴走についても、マスコミはまったく口をつぐんでいます。森某と同罪じゃないですか。「謝罪会見」において、質問した中に「全国紙」記者は一人もいなかった。 JOC(この組織の前会長は五輪誘致に絡んで賄賂を使ったという疑いがまだ晴れていない。現会長は、JOC委員会の(事態を弁えない)「女性発言」で困っていると森某に訴えたから、この差別発言が生まれた)も文科省(スポーツ庁)も、東京都も組織委員会自体も、一言あってしかるべき、意や猫の首にじゃなく、森某の首に縄をかけるべきであるのに、まったくシラを切っている。嵐が過ぎるのを待っている。スポーツとはいかにもかけ離れた態度だ。なんとも、情けなくはありませんか。それに輪をかけて酷いのIOC、この組織は、もういりません。無用の組織です。
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芸のない話ですが、また「徒然草」を持ちだします。高野山の偉い坊さんが京都にやってくる途中、細い道で馬に乗った女とすれ違った。その女の馬子が馬をうまく御さなかったので、上人が乗った馬を堀の中に蹴落としてしまった。その時の上人の怒りに駆られた、悪口雑言がすごかった。本性下品が剥き出しになった。下品(げぼん=げしょう)とは、下劣ということで、それを衣で隠していたというのでしょう。
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「聖いと腹悪しくとがめて、「こは希有(けう)の狼藉かな。四部(しぶ)の弟子はよな、比丘(びく)よりは比丘尼(びくに)はおとり、比丘尼より優婆塞(うばそく)はおとり、優婆塞より優婆夷(うばい)はおとれり。かくのごとくの優婆夷などの身にて、比丘を堀へ蹴入れさする、未曽有の悪行なり」と言はれければ、口ひきの男、「いかに仰せらるるやらん、えこそ聞き知らね」と言ふに、上人なほいきまきて、「何といふぞ。非修非学の男」とあららかに言ひて、きはまりなき放言(ほうごん)しつと思ひける気色(けしき)にて、馬ひき返して逃げられにけり。/ 尊かりけるいさかひなるべし。」(「徒然草」第百六段)
「四部の弟子」とは「4種の仏弟子。比丘 (びく) ・比丘尼・優婆塞 (うばそく) ・優婆夷 (うばい) 。四衆」(デジタル大辞泉)を指す。つまり、身分が低いくせに上位の比丘の乗った馬を蹴落とすとは、「未曽有の悪行なり」と怒り心頭に達した。森某も、この上人のようではありませんか。女のくせに、男の中に入ってきて、ペラペラ話をする、時間の無駄を考えないとは、身の程知らずめと、言ったと受け取れます。「なんとおっしゃいます。ちっとも言われることがわかりません」といわれたが、さらに言い募って「上人なほいきまきて、『何といふぞ。非修非学の男』とあららかに言ひて」と。ここではっと我に返ったかどうか。いったい俺は何を口走っているんじゃと「きはまりなき放言(ほうごん)しつと思ひける気色(けしき)にて」、馬を引いて逃げ帰ったという。余りにも出鱈目な悪口だと気づいたのは上人であって、森某とは違う。
「尊かりけるいさかひなるべし」というのは兼好さんです。喧嘩は事実ですが、いかにも「尊いいさかひ」であったとするのです。罵りを発している音声が自分の耳に届いたのでしょう。小人は恥ずかしくなり、そこにいたたまれなくて逃げてしまった。「俺は発言を撤回して、謝罪までしてやった。文句あっか」と元総理。間違いだらけのちっぽけな自分を後生大事にするのもいい加減にした方がいいね。
「バカは死ななきゃ治らない」と呻ったのは広沢虎三師した。
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【大観小観】▼全国紙の他県の支局長が部下からのセクハラの訴えで左遷されたことがある。同期だという津の支局長が「バカなことをして」と吐き捨てるように言ってから「うちの女性記者に手を出すなんて」と続けた。魅力の問題か、意識が高いということかと戸惑ったことがある▼どちらの含みもあるか。男尊女卑の背景を感じさせもしたが、男社会の中で、女性の先駆者が女というより、人間として強い信念を持って行動し、道を切り開いてきたのはよく知られる▼東京オリンピック・パラリンピック大会組織委員会の森喜朗会長が発言を撤回し、謝罪した。委員の女性枠拡大を議論して「女性がたくさん入っている理事会の会議は時間がかかります」などと述べた。組織委の女性委員は「わきまえておられる」とも発言して、批判が広がっている▼現在の風潮にあえて異論をはさむというのではなく、問題とも思わず発言して問題になるというのが森会長の〝失言〟の特徴だ。委員枠の発言について、謝罪会見では「(男女を問わず)どなたが選ばれてもいい。無理なことはしない方が」の趣旨だったと釈明している▼この論理が事実上、女性を閉め出すことになっていることに気は回らなかったのだろう。女性委員が半数を占める会議に出席することがある。各組織の持ち回りで参加してくる女性の発言はなく、組織の幹部としての委員は男性に劣らず発言し、その都度新たな視点を教えられる▼女性がより鍛えられる構造はそう変わっていないのではないか。元首相のなにげない一言が社会の女性の現状を雄弁に物語っている。(伊勢新聞・2021-02-06)
【河北春秋】仏教では、してはいけない行いを「十悪」と呼ぶ。10のうち、口に関するものは、「綺(き)語」「妄語」「悪口(あっく)」「両舌」と四つもある。綺語はお世辞、妄語はうそ、両舌は二枚舌のことを言う。「口は災いの元」とはよく言ったもの▼東京五輪・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長の口も災いをもたらした。ただし、こちらは十悪にはない「失言」。「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる」などの発言が女性を蔑視し、五輪の理念を否定するのではないかと国内外から批判された▼謝罪して撤回したものの、辞任は否定。記者会見での居直ったような言動からは事の本質と重要性を理解している様子はうかがえなかった。かえって火に油を注いでしまったようだ▼森氏は首相在任中を含め、数々の失言が問題視された。「またか」とあきれた人もいるだろう。だが、海外は森氏個人の問題ではなく、日本が性差別に対してきちんと向き合っていない国だと受け止めている。こちらの方がより深刻ではないか▼森氏は、過去にこんなことも言った。ソチ冬季五輪で、フィギュアスケートの浅田真央さんに対して「大事なときには必ず転ぶ」。「転ぶ」を「失言する」に置き換えると、ご本人のことに。首に鈴を付ける人はいないのだろうか。(河北新報・21年02月06日)
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出てきてはいけない人間がしゃしゃり出ているのが、この島の、特に政治の歴史です。どこまで続くぬかるみぞ。森某を推したのは「前総理」、その後を継いだ「現総理」は家族ぐるみで違法行為三昧です。人を選ぶというのは、なかなか簡単ではないということを、ぼくたちは改めて考えた方がいいという事例にはなるでしょう。現総理は、やがて辞職。森某も辞任。接待を受けた公務員は解職(会食ではない)。接待した方はお咎めなし。さらにコロナは衰退を見せないままで、発表される感染者数は激減の一途。ワクチンはいつから接種できるのか。光明が見えない中で、ぼくたちは、なお手探りで歩を進めるのです。くれぐれも「感染」には注意したい。(この島が世界の中で、まことに恥ずべき政治を続けているというニュースを海外に知らしめたという、この一点で、今回の惨事は「奇貨」になるかもしれません)
(蛇足です。今回の「放言」事件の発端(きっかけ)は、JOCの現会長の讒言にあったと、ぼくは考えます。「組織の女理事の発言がひどい、森会長なんとかなりませんか」と言ったに違いない。「よっしゃ、俺に任せておけ、ぎゃふんといわせてやるから」と親分気を出したのが、そもそもの間違いのもと。「柔道王」の山下は反則負け。ちなみに、女性理事とは、山口香さん、小谷美可子さん、高橋尚子さん。いくら男どもでも、正論ではかなわんでしょう。山下は自分の勝負を審判にまで訴えて、勝てるようにしてくれと、頼んだというのが、ぼくの下司の勘繰りです。失言屋は「gaffe」ともいう)
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