おのれを知るを、物知れる人といふべし

【地軸】 ミトン 英北部スコットランドの漁師のセーターは、編み目が詰まり風を通しにくい。ラトビアの手袋ミトンは、女性が求婚相手に同意を伝えるときに贈る。世界には、さまざまな模様や用途の編み物がある▲機械化が進む以前は、農家や漁師の副収入として作られることも多かった。第2次世界大戦時には、モールス信号のように暗号を編み込む手法でスパイ活動にも使われたという。社会的、政治的な役割も歴史に刻まれている▲先月のバイデン米大統領の就任式では、サンダース上院議員が身につけていたミトンが話題となった。茶色を基調とした毛糸製で、普段着のような服装と相まって式典の席で目立った▲このミトンは、セーターやペットボトルを再利用した手作りで、支持者の女性からのプレゼントだった。サンダース氏の写真はインターネットで急速に広がり、関連グッズも登場。売り上げは180万ドル(約1億9千万円)に上り、慈善資金として活用される▲サンダース氏は、昨年の大統領選で民主党候補者を選ぶ予備選を戦い、若者を中心に支持を集めた。格差是正や気候変動対策などを訴えてきた人物らしいエピソードといえるだろう▲編み物は完成させるのに時間と労力がかかり、自然と作り手の思いがこもる。大統領就任という再始動の場で注目されたミトン。あらわになった米社会のほころびを、ひと目ひと目編み直していく。そんな象徴にもなるといい。(愛媛新聞・2021年2月5日)

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ミトン(英語表記)mitten 一般には親指だけが分離したいわゆるふたまた手袋。毛糸,毛織物,革,防水布などでつくられ,防寒,スキー,登山などに用いられる。指ごとに分離した手袋 (グラブ) の原型とされ,古代から武装や労働用として使われた。指なしの長手袋をさすこともある。(ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説)

バーナード・“バーニー”・サンダース(Bernard “Bernie” Sanders、1941年9月8日 – )は、アメリカ合衆国の政治家。無所属のバーモント州選出のアメリカ合衆国上院議員(2期)。2016年アメリカ合衆国大統領選挙では、長年統一会派を組んでいる民主党に入党し、予備選挙に立候補した。同選挙でヒラリー・クリントンに敗れた直後離党し、再び無所属となったが、民主党はサンダースを民主党上院議員執行部の「有権者対策(アウトリーチ・票田の拡大)委員長(英語版)」に任命し、民主党執行役員の任を担うこととなった。上下両院を通じて無所属議員としてアメリカ史上最長のキャリアを継続している。2020年の民主党予備選挙にも出馬したが、ジョー・バイデンに敗れた。(wikipedia)

 この島では「老害」がとみに話題にされています。話題の主が「元総理」というのだから、よほどこ島社会では人材が払底しているということの証明になりそうです。この駄文のテーマは「ミトン」です。この種の手袋は外国にもあって、なにかと珍重されているようですが、この島には足袋用の「ミトン」があった。今でもあるのでしょうが、外国人には珍しいものとされていました。また職人が履く地下足袋も便利で、履き心地もよろしい。ぼくは、最近は履かないけれど、長年の浴衣などの着物愛好者でしたから、下駄に足袋は必需品でした。手袋はめったに着けないけれど、足袋は数足持っています。足にしっくりして、靴下とは違った肌感覚がいいんですね。

 サンダースさんは七十八歳。今回の予備選にも立候補しましたが、バイデン氏に勝てませんでした。しかし彼に対する若者の支持は決定的・絶対的で、それほどに政治家としては抜群の信頼度を有しているという存在であると、ぼくは見てきました。その思想や姿勢は「社会主義」とも言われ、あのアメリカには似つかわしくないという評判ですが、決してそうではないでしょう。個人から始めるか、国家が個人を覆いつくすように政治を考えるか、その違いが分かれ目です。もっといえば、「人権感覚」があるかないか、それが政治の最も重要なテーマになってきているというのです。そのバーニーは前回の大統領選にも出馬し、ヒラリー・クリントンに席を譲った。その時にも、高齢を問題視され、なにかと物議をかもしたのですが、どうも、アメリカでは「高齢者」に対しては意外に尊敬心がないように、ぼくには見受けられるのですが、実際はどうか。

 以下に、一年前の記事を引いておきます。

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「時給15ドルの最低賃金を」 前回大統領選では旋風

 「民主社会主義者」を自任し、若者世代から絶大な人気を集める、バーモント州選出の革新派上院議員。前回大統領選では事前の予想を覆して「バーニー旋風」を起こし、クリントン元国務長官と民主党候補の座を最後まで争った。

「トランプと正反対のやり方で勝利」サンダース氏が自信

 バーモント州で何度も選挙に落選後、1981年に10票差で市長選に当選。90年に連邦下院議員、06年に上院議員に転進した。議員としては米国では珍しく無所属を貫くが、民主党と一緒に行動することが多い。

 政策では公的国民皆保険や時給15ドルの最低賃金制度、公立大学無料化などを打ち出す。以前は急進的すぎるとされていたが、現在は多くの民主党候補が歩調を合わせている。課題はむしろ、その中でどのように存在感を発揮するかだ。また、トランプ氏よりも高齢で、昨年10月に動脈閉塞(へいそく)で手術を受け、選挙戦を一時中断。健康不安も残る。(毎日新聞・2020年1月29日 14時00分)

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 世のため他人のために一肌脱ごうという心意気には大いに感じ入るぼくですが、それが自分だけのために、という輩には反吐が出ることがあります。口ではなんとでもいえる、世のため他人のためと言いながら、自分をかわいがる、自分だけをかわいがる、それがこの島社会の政治家の大半ではないかと勘繰りたくなるのです。他人の幸せを何よりも大切にしているといいつつ、人身売買並の商売に手を汚している人物を、ぼくたちは信じられない。政治家も人間だというなら、犬でもサルでも人間だということになるのかもしれません。それくらいに、屑ばかりが政治をしたがるんですね、その理由は何でしょうか。

 政治家に聖人君子を望むのではない。八百屋に野菜が並べてある、そんな当たり前の事しか望まない。ごく当たり前の感覚を失わない生き方ができる人間こそ、ぼくたちは必要としているのです。政治家は立派であれ、政治家たるものはこうでなければならない、自分でさえもできもしないことを。政治家に望まない。ここで、バーニ―の政治思想なるものを書いてもいいんですが、あまり意味があるとは思えません。ミトンの手袋をはめて、就任式に臨んだのはいいが、そこだけ空気が他と異なっているような雰囲気が漂っていた。それがいいんですね。礼儀を失していないけれど、バイデンに阿るのではないという姿勢です。周りに支持者ばっかりしか寄せ付けなくなる人間は、もうそれで失格です。太鼓持ちや追従者しか寄り付かないというのは、その人には将来がないことを意味しています。式典の最中で、孤独を託つような風体をさらしているバーニーに、ぼくは若い年寄を見るのです。老いてなお盛んというのとも違う。とにかく、若いんです。

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 「老いぬる人は、精神おとろえ、淡く疎(おろそ)かにして、感じ動く所なし。心おのづから静かなれば、無益(むやく)のわざをなさず、身を助けて愁(うれえ)なく、人の煩ひなからん事を思ふ。老いて智の若き時にまされる事、若くして、かたちの老いたるにまされるが如し。」(「徒然草」第百七十二段)

 「賢げなる人も、人の上をのみはかりて、おのれをば知らざるなり。我を知らずして、外を知るといふ理(ことわり)あるべからず。されば、おのれを知るを、物知れる人といふべし。かたちみにくけれども知らず、心の愚かなるをも知らず、芸の拙きをも知らず、数ならぬをも知らず、年の老いぬるをも知らず、病の冒すをも知らず、死の近き事をも知らず、行ふ道のいたらざるをも知らず。身の上の非を知らねば、まして外の譏(そし)りを知らず。但し、かたちは鏡に見ゆ。年は数へて知る。我が身の事知らぬにはあらねど、すべき方のなければ、知らぬに似たりとぞいはまし。」

 「かたちを改め、齢(よわい)を若くせよとにはあらず。拙きを知らば、なんぞやがて退かざる。老いぬと知らば、なんぞ閑(しづか)に身を安くせざる。行いおろかなりと知らば、なんぞ茲(これ)を念(おも)ふこと茲にあらざる。」

「すべて、人に愛楽(あいぎょう)せられずして衆(しゅう)にまじはるは恥なり。かたちみにくく、心おくれにして出で仕へ、無智にして大才(たいさい)に交り、不堪(ふかん)の座に列(つらな)り、雪の頭(かしら)を頂きて盛りなる人にならび、況んや、及ばざる事を望み、かなはぬ事を憂へ、来らざることを待ち、人に恐れ、人に媚ぶるは、人の与ふる恥にあらず、貪る心にひかれて、自ら身をはづかしむるなり。貪る事のやまざるは、命を終ふる大事、今ここに来れりと、たしかにしらざればなり。」(以上は同第百三十四段)

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 年を取ることは難しくないが、上手に老いるというのは至難の業です。年を取っているから、引き下がれというのではない。奇妙な言い方をするようですが、若い年寄と若くない年寄という、二種の「老人」があるとするなら、いうまでもなく「若い年寄」をぼくは選ぶ。その基準は何か。兼好さんが言うとおりです。「身の上の非を知らねば、まして外の譏(そし)りを知らず」と、言うのですから、何よりもまず「汝自身を知れ!!!!」

 「身を助けて愁(うれえ)なく、人の煩ひなからん事を思ふ」「おのれを知るを、物知れる人といふべし」「すべて、人に愛楽(あいぎょう)せられずして衆(しゅう)にまじはるは恥なり。」ここにもまた、古くて新しい「生き方の流儀」があるのではないでしょうか。それほど、古今東西、うまく(上手に)「年をとる」というのは大きな課題であったことがわかります。酒飲みは「俺は酔っていない」と言いたがるし、年寄は「耄碌なんかしていない」ときっという。危ない兆候です。ブレーキをアクセルと間違えても、シラを切るんだ。ブレーキを踏んだ、ブレーキが利かなかった、挙句に、車に欠陥があったんだと言いぬけようとします。「わが身が手に負えないようになる」前に、自分で始末しなくちゃ。

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投稿者:

dogen3

 毎朝の洗顔や朝食を欠かさないように、飽きもせず「駄文」を書き殴っている。「惰性で書く文」だから「惰文」でもあります。人並みに「定見」や「持説」があるわけでもない。思いつく儘に、ある種の感情を言葉に置き換えているだけ。だから、これは文章でも表現でもなく、手近の「食材」を、生(なま)ではないにしても、あまり変わりばえしないままで「提供」するような乱雑文である。生臭かったり、生煮えであったり。つまりは、不躾(ぶしつけ)なことに「調理(推敲)」されてはいないのだ。言い換えるなら、「不調法」ですね。▲ ある時期までは、当たり前に「後生(後から生まれた)」だったのに、いつの間にか「先生(先に生まれた)」のような年格好になって、当方に見えてきたのは、「やんぬるかな(「已矣哉」)、(どなたにも、ぼくは)及びがたし」という「落第生」の特権とでもいうべき、一つの、ささやかな覚悟である。(2023/05/24)