菫程な小さき人に生まれたし

【新生面】今日2月21日は「夏目漱石の日」だそうだ。あす22日は「猫の日」で、何だかうまくできている。ともかく110年前の1911(明治44)年のその日、漱石は当時の文部省に、文学博士号を辞退する手紙を書いた▼「小生は今日迄[まで]ただの夏目なにがしとして世を渡つて参りましたし、是[これ]から先も矢張りただの夏目なにがしで…」。世俗の名利にとらわれない漱石先生の、言葉を換えればへそ曲がりの性格をよく表す話▼熊本時代の漱石の名句に〈菫[すみれ]程な小さき人に生まれたし〉がある。博士号の辞退にも通じると指摘したのは、先に亡くなった半藤一利さんだ。人の真価は「肩書や地位や財産や学歴なんかにあるのではない。漱石はこの句でそういいたかったのである」(『漱石・明治 日本の青春』)▼コロナ禍で市井の誰もが懸命に世の中を支える今、頭を離れない菅義偉首相の言葉がある。「最終的には生活保護」。高名なテレビキャスターは「ある意味正論」とうなずいた。そうだろうか▼社会保障政策で生活保護が担う「救貧」と、年金や社会保険の「防貧」を区別できない無理解は置く。気になるのは、突然の収入減などに戸惑い困窮する人々を見下ろす目線である。自らや身内は絶対に渡らない川の向こうを眺めるような▼近代日本の傑出した巨人である漱石は、同時に一人の生活者として生きた。「小さき人」に注ぐまなざしは日差しにも似て温かい。県内で初の感染者が確認されてちょうど1年たつ。去年より過ごしやすい春になーれ。(熊日新聞・02月21日 09:19)

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 「菫程な小さき人に生まれたし」もっとも好きな漱石の句です。この句をどう読むかは、読み手の自由です。それを認めたうえで、ぼくはぼく流の感じ取り方をしてきました。その一端は後程に。他には、「あるほどの菊投げ入れよ棺の中」です。これは若くして病死した大塚楠緒子への手向けの句です。いい句だな、死者への哀切の想いがなんともさわやかに、しかも悲しみを湛えて菊の花に託されているのでしょう。あるいはこの死者は、漱石にとっては特別の人だった。そういうことを含めて、ぼくはずっと感心ばかりしてきたのです。この句を詠んだ数年後に漱石は死去します。楠緒さんとの一瞬の出会いと別れについて、漱石は以下の文中に、実に淡々と書いています。

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「私がまだ千駄木にいた頃の話だから、年数にすると、もうだいぶ古い事になる。
 或日私は切通きりどおしの方へ散歩した帰りに、本郷四丁目の角へ出る代りに、もう一つ手前の細い通りを北へ曲った。その曲り角にはその頃あった牛屋ぎゅうやそばに、寄席よせの看板がいつでもかかっていた。
 雨の降る日だったので、私は無論かさをさしていた。それが鉄御納戸てつおなんど八間はちけんの深張で、上からってくるしずくが、自然木じねんぼくを伝わって、私の手をらし始めた。人通りの少ないこの小路こうじは、すべての泥を雨で洗い流したように、足駄あしだの歯にかかきたないものはほとんどなかった。それでも上を見れば暗く、下を見ればびしかった。始終しじゅう通りつけているせいでもあろうが、私の周囲には何一つ私の眼をくものは見えなかった。そうして私の心はよくこの天気とこの周囲に似ていた。私には私の心を腐蝕ふしょくするような不愉快なかたまりが常にあった。私は陰欝いんうつな顔をしながら、ぼんやり雨の降る中を歩いていた。


日蔭町ひかげちょう寄席よせの前まで来た私は、突然一台の幌俥ほろぐるまに出合った。私と俥の間には何のへだたりもなかったので、私は遠くからその中に乗っている人の女だという事に気がついた。まだセルロイドの窓などのできない時分だから、車上の人は遠くからその白い顔を私に見せていたのである。
 私の眼にはその白い顔が大変美しく映った。私は雨の中を歩きながらじっとその人の姿に見惚みとれていた。同時にこれは芸者だろうという推察が、ほとんど事実のように、私の心に働らきかけた。すると俥が私の一間ばかり前へ来た時、突然私の見ていた美しい人が、鄭寧ていねい会釈えしゃくを私にして通り過ぎた。私は微笑に伴なうその挨拶あいさつとともに、相手が、大塚楠緒おおつかくすおさんであった事に、始めて気がついた。
 次に会ったのはそれから幾日目いくかめだったろうか、楠緒くすおさんが私に、「この間は失礼しました」と云ったので、私は私のありのままを話す気になった。
「実はどこの美くしいかたかと思って見ていました。芸者じゃないかしらとも考えたのです」
 その時楠緒さんが何と答えたか、私はたしかに覚えていないけれども、楠緒さんはちっとも顔をあからめなかった。それから不愉快な表情も見せなかった。私の言葉をただそのままに受け取ったらしく思われた。
 それからずっとって、ある日楠緒さんがわざわざ早稲田へたずねて来てくれた事がある。しかるにあいにく私はさい喧嘩けんかをしていた。私はいやな顔をしたまま、書斎にじっと坐っていた。楠緒さんは妻と十分ばかり話をして帰って行った。
 その日はそれですんだが、ほどなく私は西片町へあやまりに出かけた。
「実は喧嘩をしていたのです。妻も定めて無愛想でしたろう。私はまた苦々にがにがしい顔を見せるのも失礼だと思って、わざと引込ひっこんでいたのです」
 これに対する楠緒さんの挨拶あいさつも、今では遠い過去になって、もう呼び出す事のできないほど、記憶の底に沈んでしまった。


 楠緒さんが死んだという報知の来たのは、たしか私が胃腸病院にいる頃であった。死去の広告中に、私の名前を使って差支さしつかえないかと電話で問い合された事などもまだ覚えている。私は病院で「ある程の菊投げ入れよかんの中」という手向たむけの句を楠緒さんのためにんだ。それを俳句の好きなある男がうれしがって、わざわざ私に頼んで、短冊に書かせて持って行ったのも、もう昔になってしまった。」(「硝子戸(ガラスド)の中(ウチ)・二十五」)(「朝日新聞」1915(大正4)年1月13日~2月23日)

● 大塚楠緒子=小説家,歌人,詩人。東京生れ。本名,久寿雄。1890年,少女時代から竹柏園に入門,佐佐木弘綱,佐佐木信綱に師事。小説《離鴛鴦》《空薫(そらだき)》,また日露戦争に対する女性の心情をうたい,与謝野晶子《君死に給ふことなかれ》とともに反響をよんだ新体詩《お百度詣で》など。樋口一葉のあとを継ぐ女流作家と期待されたが,早世したため,十分にはその才能を開花させることができなかった。文体に,夫の友人夏目漱石の影響が著しく,その恋人だとの一説があった。その漱石の手向けの句〈有る程の菊抛げ入れよ棺の中〉は有名。(百科事典マイペディアの解説)

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 ぼくは子規も好きだし、漱石も大好きでした。若いころはなによりも、誰よりも漱石のものを読んだ。そこから何か特別のものを得たのではありませんが、いつも胃潰瘍を病んでいるような仏頂面の「●●先生」が現実の漱石とかぶさって、ぼくには隣のおじさんのように、親しくも痛々しくも思えたりしました。その点で、同年の子規はもっと「青年」だったような、若々しい感じを、ぼくは持った。子規が三十五、漱石は五十で亡くなったのだから、とても若死にだったという想いが残りました。明治以降の「青年」のもっとも爽やかな友情がそこには溢れていたのでした。友人とか友情ということを考える際、いつでもこの二人を思い出したりするのです。

 菫程の小さき人に生まれたし この句はいろいろな読み方ができる句です。ぼくにはこれという正解めいた解釈ができませんが、仮に「小さき人に生まれたし」と漱石自身が念じたのだったら、どうでしょうか。おそらくこの句は彼の三十歳ころの作だとされています。博士号辞退の十年ほど前、彼は国から「イギリス留学」を命じられています。けっして望まなかったのは彼が書き残しているとおりですし、滞英中には重度のうつ病状状態に悩まされ、苦しい思いをしたのでした。ここでも、漱石は留学中の青年たち(池田菊苗。味の素の発見者、早矢仕有的。丸善という書店の創業者)に救われたのです。世間で生きていくというのは、漱石のような人付き合いのうまくない人にとっては苦痛・苦悩以外の何物でもなかったでしょう。だから、自分は生きている、そっとしておいてほしいという気分がここに表れているととらえることもできます。

 また、この時妻の鏡子さんは身重だったので、生まれ来る子どもに託した、漱石の人生観(置かれたところで咲きなさいということだったか)でもあったと指摘されもします。まあ、句を詠む人と、それを読む人では、同じ句でも違って受け取られるのは当然だといえるし、作者自身だって、時間がたてば、どういう心境で詠んだか、曖昧になるのはうなずけます。解釈も時とともに変化するのです。

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 もうかなり前になりますが、一時期、ぼくは熊日新聞を熱心に読んでいたことがありました。水俣病問題、ハンセン病裁判などの記事に、熊日はまことに熱心な姿勢をとっていたからでした。今でもそれはなくなっていないとは思いますが、何せ、新聞に対するぼくの関心はきわめて薄弱になりましたので、確かなことは言えません。どうして熊日か。それにははっきりとした理由があります。(ここではでは触れません)若いころ、ぼくは横井小楠について、小さな原稿を書いたことがありました。徳富兄弟や熊本バンドについて調べたこともありました。どういうわけだか、熊本については親しみを抱いていたのです。漱石の熊本時代もなにがしかの影響がありそうです。ぼくが音楽や世間を学んだ先輩は旧制熊本高校卒業の耳鼻科の医師でした、旧制時代の思い出をたくさん聞かせてもらった。

 というわけで、熊本を手がかりにこの島の近代化を語ることが出来るのではないかと、空想を巡らせていた時代がぼくにはあったのです。そこから漱石(1867-1916)に思いを馳せ、大塚楠緒子さんにも久しぶりに触れてみたくなったのでした。当時、漱石は楠緒さん(1875~1910)に思いを抱いていたという噂がしきりでした。真偽は定かではありませんが、漱石の親友と楠緒さんは結婚します。この「感情」は、漱石の小説のエピソードになったとしても可笑しくはありません。

 たった百年前に、「新生」「開化」を始めたこの島社会が、その後にたどった道筋はどんなものであったか、実に唾棄すべき事態の連続であったのですが、漱石が存命であったら、「菫」などはおろか、生まれてこなければよかったといったかどうか。人生に意味があるかないか、それをここで断言することは、ぼくにはできませんが、でも薄々はだれもが気づいているのです。人生に意味なんかあるものか、と。そう言い切ってしまうのはあまりにも自他に可哀そうに過ぎるから、そうは言わないだけなんですね。「菫程の…」人生なら、すこしは生きてみようかと、ぼくも思わないではありません。でも「末は博士か大臣か」という方向は先ず目指さない、そんな方向に目を向けることさえ汚らわしいと、ぼくは見ていたし、幸いにか、そんな生き方は内臓感覚で忌み嫌っていました。しかし、なにがなんでもそんな生き方をと、願いに願う人々もいるのが世間です。

 人間(にかぎらず、すべからく生命ある存在)は「小さきもの」なんです。どんなに大きく見せようとしても「小さきもの」が実像なんです。それを錯覚して、名利を得れば、自分は大きくなるし、世間も大したものだと評価してくれると信じているのかしら。名こそ惜しめというときと、名を成すという場合の「名」は同じか違うか。そもそも名とは何だ。「菫」は自分から「菫」と名乗るのではありません。この場合は、菫ではない人間(植物好き)がつけたに違いありません。でも「人間」だけは、自分で「人間」と呼ぶんですね。これは実に奇妙です。人間界に「人間以上の人間」がいて、これが人生の意味や価値を決めるのだとするなら、そんな「人間界」からおさらばしたいですね。どうやら、人間の世界には「上・中・下」、あるいは「松・竹・梅」などの序列があるのだそうです。最上位に位置する人間は「偉い」と自分では思っているだろうし、ひょっとしたら、それ以上に他人がそう考えてくれていると、錯覚しているのではないですか。

 それにしても、嘘しか口にしない(できない)生き方とはいつ、どこから蔓延し始めたのでしょうか。きっとたくさんあるのでしょうが、その一つは学校時代であったことは確かでしょう。成績競争を抜きにしたら、学校はなり立たないなら、そんなのは学校ではありません。やがて、それが嘘だと自他に見抜かれていながら、平気で(あるいは恐る恐る)嘘をついてしまう。自分を守りたい、自分の地位や名誉や利益を守るためなら、嘘であれ何であれ、構うものかという必死の生き方をせざるを得ない「人生」とは、いったい何なんでしょう。ここにも、「生きる意味」の有無の問題が顔を出しています。自分で意味がある(ない)と判断してしまう。副おういう判断は往々にして世間の判断でもあるのですが。

 見たり聞いたりしただけで悲しいのは、自分に対してさえも嘘をつかざるを得ないという、隠しようのない偽りに自分を賭けていることです。 

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 きょうはVIPが私と共に議長を務めました

NZ国会議長、議員の乳児に授乳し議事をさい配

(ニュージーランド国会のトレバー・マラード議長が乳児に授乳しながら議事を進行した/Trevor Mallard)

(CNN) ニュージーランド国会で21日、トレバー・マラード議長が議場の議長席で同僚議員の生後1カ月の乳児に授乳などしながら議事進行をさい配する一幕があった。/ ボトルで授乳する写真をツイッター上に掲載。「議長席は通常、議長が使用するが本日は大物の賓客が着席した」とも書き込んだ。

乳児はタマティ・コフィー議員の子息で、産休休暇を終えた父親も議長席のそばに控えた。/ 議長が乳児をあやす模様はビデオ映像にも収められ、合間に議員の発言時間が切れたと警告を発し、乳児がこれに同意するかのようにのどを鳴らす場面もあった。/ ソーシャルメディア上には議長とコフィー議員の行動をたたえる意見が即座に投稿された。「ニュージーランドは小さな国であるかもしれないが、世界に大きな教訓を与えた」などの書き込みがあった。/ また、多くの議員も議長の振る舞いを支持する考えを示した。

同国では昨年、アーダーン首相の出産や産休が国際的に注目された。在職中の国家指導者が出産するのは過去30年で初の事例だった。/ 地元のCNN系列局ラジオ・ニュージーランドによると、同首相やパートーナーの男性は昨年9月、自らの子どもを国連総会に同席させ、話題を集めてもいた。首相は「現実的な決定だった」との理由も明かしていた。/ 世界的に見て自らの子どもを政府庁舎などへ連れて来るのは多くの国で異例。アフリカ・ケニアでは最近、幼児連れの女性議員が議場から追い出されてもいた。ただ、英国やオーストラリアの国会に赤ちゃんを同席させ母乳を与える例なども出始めており、潮流の変化を示唆している。(CNN・2019.08.22 Thu posted at 18:48 JST)

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GETTY IMAGES 国連総会の会合に長女とパートナーを連れて出席するニュージーランドのジャシンダ・アーダーン首相=米ニューヨーク、2018年9月24日

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(時事通信社 議員らに取り囲まれて赤ちゃん同伴をやめるよう説得される熊本市の緒方夕佳市議。2017年11月、熊本市議会に7カ月の赤ちゃんを連れて出席しようとしたが、周りの議員らに取り囲まれて批判を浴び、同伴を断念)(その後、緒方市議は厳重注意を受けた。この出来事がきっかけになり、熊本市議会では会議規則が変更され、乳幼児などが議会に入れないように明文化された)

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議長は自身のTwitterで、その時の様子を報告。  「通常、議長席は議長のみが座るのですが、きょうはVIPが私と共に議長を務めました」とジョークを交え、コフィー議員①とパートナーであるティム・スミス氏に③、新たな家族の誕生を祝うコメントを添えた。本会議場に同席した議員たちも、次々と祝福。労働党と閣外協力をする緑の党のギャレス・ヒューズ議員は、「議事堂に赤ちゃんがいるのは素敵だ」と伝え、本会議場で息子を抱き上げるコフィー議員の写真をツイートした。

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 ニュージーランドは、この島に比してもいろいろな意味では小さな島国です。かなり前から、ぼくは大学時代の友人が永住していることもあって、この国には親近感を持っていました。昨年来のコロナ禍では、アーダーン首相の下、果断な政策を実施しており、もっとも感染予防・阻止においては成功した国だとされてきました。昨年の秋に、この問題が報道された時も、ぼくはびっくりするというよりは、おそらく人間の集団がまとまって生活していく、その方向性を指し示している風景であると受け止めました。法的な結婚よりも「パートナー」との共同生活を営むスタイルが定着しており、事実婚が法律婚に比べて、さまざまな不利益を被ることはまずありません。総理大臣が事実婚(現在もそうかどうか、まだ確認はしていません)であり、その子を国会につれてくるのに、なんの問題も生じないというところに、ぼくは賢い選択が行われていると感心したのです。

 子連れの議員が国会において質問する際、議長がベビーシッターを引き受けるというのは、さすがにこの島国(NZ)でも話題になったといいます。その議長の授乳中のスナップはさまになっていませんか。熊本市議会の場合を見てください。男性議員が難癖をつけて、子連れ入場(登院)を阻止し、女性議員を追い出したのです。この緒方議員はその後、のど飴を口に入れたまま登壇したという廉で登院停止を食らっています。さらにはビーチサンダルをはいたり、議長席への黙礼廃止を敢行しては、他議員から批判や非難をされている。なにかと形式にばかりこだわって、うるさいことだし、国会をはじめ、地方でも、時代おくれの甚だしいのが議会ですね。問題は議会に於ける議論の内容だし、法律や条例の中身です。そんな当然のことをやっていないからこそ、ネクタイがどうだとか、赤ん坊は連れて来るなとか、丸刈りはいけないとか。ヘンテコオンパレードです。永田町の議事堂内では「灰皿」が八十余もあるそうです。国民に禁煙を喧しく言いながら、罰則規定をも作りながら、自分たちだけは治外法権だという、文字通り、痴害封建ですね。

 屑のような(いや、屑そのものだね)議員のことを言うと虫唾が走りますから、これ以上は止めておきますが、それにしても、ニュージーランドの議会の到達地からは何周遅れなのですか。この島国(NZ)はまた、五輪にアスリートのいくばくかは参加しないと決めたといいます。いいことですね。何よりも人命大事ですからね。

●ニュージーランド=新西蘭(読み)ニュージーランド(英語表記)New Zealand 南太平洋にある国。オーストラリアの南東方にある。北島・南島および付属島群からなる。首都ウェリントン。牧畜が盛ん。社会保障の進歩した福祉国家。国土は山がちで、最高峰は標高3754メートルのクック山。1642年オランダのタスマンが発見、のち同国の一地方名ゼーラントにちなみ命名。1840年英国の直轄植民地、1907年独立し英連邦の一員となる。先住民はポリネシア系のマオリ族。人口425万(2010)。(デジタル大辞泉の解説)

●アーダーン首相=John Campbell asked, “what is it you want to do?”. I replied.I want this government to feel different. I want it to feel like we are truly focused on everybody. I want people to feel that it is open and it is listening, and it is going to bring kindness back in everything we do. I know that all sound curious, but to me, if people can see that they have an empathetic government, I think they will truly understand when we are making hard calls that we are doing it with right goal and right focus in mind. That’s the feeling I want this government to create.(2017年に首相に就任した際に受けたインタビューの答えです)

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 原子炉建屋水位については現状では有意な変動は…

 原子炉格納容器の水位30センチ以上低下 福島第一原発1、3号機で 震度6弱の地震の影響か

 東京電力は19日、事故収束作業を続けている福島第一原発(福島県大熊町、双葉町)の1、3号機で、原子炉格納容器内の水位が30センチ以上低下し、1日数センチのペースで続いていると発表した。13日夜に両町で観測された震度6弱の地震の影響で、10年前の事故で損傷した部分が広がり、原子炉建屋内に漏れ出る量が増えているとみられる。

 炉内には事故で溶け落ちた核燃料(デブリ)が残っており、冷却のため1時間3トンの注水を継続。注水量を増やすことを検討している。原子炉の温度や、周囲の放射線量に変化はない。/ 東電によると、1号機で15日から、3号機で17日以降に、それぞれの格納容器内の温度計の一部で測定温度が低下。温度計が水につかっていないと判断し、水位低下と結論付けた。/ 温度計の位置から、1号機で1.9メートルの水位が40~70センチ低下し、3号機も6.3メートルあった水位が約30センチ下がったとみられる。/ 1~3号機では10年前に起きたメルトダウン(炉心溶融)で、格納容器に複数の損傷を確認済み。デブリなどに触れた水は損傷部分から建屋内に漏れ、高濃度汚染水が発生している。(小野沢健太、福岡範行)(東京新聞・2021年2月19日 21時17分)

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福島第一原子力発電所 1,3号機原子炉格納容器(PCV)の水位低下について

                              2021年2月19日
                                東京電力ホールディングス株式会社

 原子炉格納容器水位、温度等のパラメータを監視していたところ、2月18日に1号機の原子炉格納容器水位に低下が見られたことから、他のパラメータを確認したところ、1号機において2月15日以降、3号機において2月17日以降に原子炉格納容器温度計の一部に低下傾向が見られました。/ このため、2月18日に関連パラメータを評価していたところ、本日(2月19日)、1,3号機ともに原子炉格納容器水位が低下傾向にあると判断しました。/ なお、原子炉圧力容器底部温度、格納容器ガス管理システムの放射能(希ガスモニタ含む)、敷地境界のモニタリングポスト及びダストモニタ、構内ダストモニタに有意な変動は認められていないことから、外部への影響はないと判断しています。/ 地震後の点検において、原子炉注水設備のパラメータ及び目視点検では異常が確認されておらず、原子炉への注水は適切に行われていることを確認しており、原子炉格納容器水位低下の要因としては地震による原子炉格納容器損傷部の状況変化も考えられるが、今後もパラメータを注視して監視していきます。/ 原子炉建屋水位については現状では有意な変動は確認されていないが、パラメータの詳細評価及び監視を行っていきます。

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 東電が地震計の故障を半年以上放置、福島第一原発3号機で 13日の地震記録できず

 東京電力福島第一原発3号機の原子炉建屋(右)=福島県大熊町で(➡) 

 東京電力は22日、福島第一原発3号機原子炉建屋内に設置した地震計2台がいずれも故障していたにもかかわらず、修理せずに半年以上放置していたため、今月13日深夜にあった震度6弱の地震データを記録できていなかったと明らかにした。/ 原子力規制委員会の検討会の場で、東電側が地震の影響を報告した際に説明。東電は地震後の記者会見や公表資料で、地震計の故障に一切触れず、それ以前も公表していなかった。

 福島第一廃炉推進カンパニーの小野明・最高責任者は検討会で、「貴重なデータを取れるチャンスを逃し、反省している」と謝った。/ 東電によると、地震計は2020年3月、3号機原子炉建屋の最上階5階にあるオペレーションフロアと1階に、1台ずつ設置。1階の地震計は、設置4カ月後の7月に雨による水没で故障し、同年10月にはもう1台が別の原因で壊れた。/ 東電広報担当者は22日夕の記者会見で、「対策を施したものを設置する予定だった。故障後すみやかに復旧する必要があった」と釈明した。3号機の地震計は、事故時に水素爆発を起こした建屋の耐震性を検討するために「試験的に設置した」と説明した。/福島第一原発では1~6号機原子炉建屋の地下階に地震計が設置されていたが、津波で浸水した1~4号機の機器は動いていない。(小野沢健太)(東京新聞・2021年2月22日 17時40分)

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 東京電力、3号機「地震計」故障放置 昨年把握、修理対応せず

 東京電力が、福島第1原発3号機の原子炉建屋内に昨年設置した2基の地震計が故障していたにもかかわらず、修理などの対応を取らずに放置していたことが22日、分かった。このため本県沖を震源とし最大震度6強を観測した13日深夜の地震の揺れのデータを記録できておらず、公表もしていなかった。原発事故から3月で丸10年となる中、依然として危機管理と情報公開の両面で東電の対応に不備がある実態が浮き彫りになった。

 原子力規制委員会が22日に開いた特定原子力施設監視・評価検討会の会合で、東電が規制庁からの質問に答える形で明らかにした。/ 規制委は、炉心溶融や水素爆発を起こした第1原発1~4号機のうち、劣化が進む3、4号機原子炉建屋への地震の影響を確認する重要性を指摘。これを受け、東電は昨年3月の同会合で地震計を設置する方針を報告し、3号機原子炉建屋の5階「オペレーティングフロア」と1階の計2カ所に地震計を取り付け、4月から運用を開始した。しかし、1階の1基は昨年7月の大雨で水没、10月には5階の1基の計測データにノイズが入る故障が起きた。東電は故障を把握していたが、「ノイズ発生の原因分析に時間がかかった」として放置していたという。/ 会合にオンラインで参加した検討会外部有識者の蜂須賀礼子さん(大熊町商工会長)は「東電は危機管理ができていないと感じる」と一連の対応を批判した。

 東電は今回の地震について、6号機の震度計で測定したデータから、1~4号機への影響を分析すると説明。第1原発構内では、放射性物質トリチウムを含む処理水を保管するタンク約20基がずれているのが見つかっており、東電はタンクが密集する場所への地震計の設置も検討するとした。/ 東電の小野明福島第1廃炉推進カンパニー最高責任者は「貴重なデータを取れるチャンスを逃したのは大いに反省すべき点だ。震度計の設置を急いで検討し、なるべく早い段階で設置計画を説明したい」と述べた。(福島民友新聞・2021年02月23日 09時55分)

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 今回の地震における原発設置地域の事故や過失は多岐にわたっています。汚染水タンクが50基超がずれてしまった、汚染水が漏れた。あるいは上の事故等によって、原因が解明されるという道筋は付けられていません。最悪の場合は再び、水素爆発を起こし、被害が甚大になる危険性が想定されますし、再び汚染地域の除染を行わなければならない羽目になる。それでは終わらないまま、自然環境に甚大な被害を及ぼすことになります。今回の地震によって、いくつかの点で原発地域に生じた事故が確認されたのですが、それはおそらく十年前にも生じていたことを明らかにするものだと思います。津波ではなく、地震による初期被害が、のちの原発の爆発事故を起こしたのは疑う余地がないのです。

 この期に及んで、五輪開催を企んでいるのはなぜか。原発でどんな事故があっても、原発を使い続けるのはなぜか。それと重ねて考えるのですが、青森の核燃料再処理工場稼働を頑なに止めないのはなぜか。このように見れば、権力側の原発政策には異様な執着や執念が感じられてきますが、その理由や背景は何か、この問題を抜きにしてはなにも理解されないのが、この島における原子力利用問題なんですね。少しばかりの資料を基にした原稿がたまってきましたので、原発事故発生、十年を目前にして、そのいくばくかを記録に残したいと考えています。再びの原発事故は防げないかもしれませんし、六ケ所村の再処理工場に大きな事故が生じれば、福島以上の甚大な被害を地球規模で起こすことになるのは間違いありません。

 ただ今政治・経済の「中心地」「震源地」で起こっていることに目を奪われている間にも、着々と原子力政策は深く静かに(一見すると)潜航して行われています。劣島の原発開発はまた、原子力兵器の全島配備に直結しているのです。中国の台頭、北朝鮮の暴走、あるいはロシアの野望などという政治的地理学をを視野に入れながらというよりは、それを喫緊の課題としての原子力政策、原子力発電強行であります。原発続行は原子力開発問題なんですね。アメリカからは、まず離れられない靭帯に絡めとられているこの島の春弥生です。

 報道に接する限り、今回の地震による福島第一原発への影響は、まあ大したことはあるまい、ちょっとした事故のようだ、そんな程度のとらえ方しかできないようになっています。果たして実際の危険性はどうか。ぼくには、原発は再爆発の寸前にあると思われるのです。必要以上に人民の恐怖心を煽るのはよろしくありませんが、大したことはないと言ってすましているのはさらに危険ではないでしょうか。原子炉を一本の瓶に例えると、すでに十年前の地震でこれにはいく本かの割れ目がはいっています。そのために汚染水が垂れ流されているのです。したがって、冷却のための水を常に注入し続けなければならないのです。

 その上に、今回の地震でさらに亀裂が入ったとみられます。それがどの程度のものか、誰にも確認できません。事故を起こしている原子炉に接近することは不可能だからです。しかし水漏れが生じており、それを放置しておけば、燃料棒(デブリ)は、ふたたび水素爆発を起こし、放射能汚染の危険性があることはわかっているのです。水位の低下はその事実を示しています。漏水した分量の水を注入しななければ、原子炉が危険状態から、更に一歩先に進んでしまうのです。現状が維持されるとして、さらに地震が襲えば、確実に亀裂は深くなるばかりでしょう。最高度の危険性に福島原発は曝されているのです。ぼくたちもその危険歳からは逃れられないでいます。

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 人間において正しいのは心臓でもなく、…

 《彼(ソクラテス)は他人のように、また他人と一緒に考える。そしてそのことさえも彼は他人に知らせる。「そういうのは君だ」これこそ産婆術のもっとも驚くべき言葉である。「産婆術」は自分からではなく、他人から観念を引き出して検討し、量り、最後に、それが通用するか否かを決定する。…私たちに欠けているのは、普遍的なものを完全に信ずることである。どんなに小さな思想にも、普遍的なものを否定する思想にさえも、普遍的なものの現存を知る。私たち自身がソクラテスにおけるこの現存にあずかるなら、私たちはプラトンを理解できるだろう。…本当のソクラテスは先ず恐れない人であり、満足する人である。富がなく、力がなく、知識がなくて満足している。しかしこの疑う人には、それ以上のものがある。疑いは既に強い精神のしるしであり、そこには普遍的に考えることが保証されているように、外面的な善や人の意見に無関心であることは、すべての証拠に先立って、大きな決意のしるしである》(アラン)(左は高田博厚作アラン像)

 《正しい国家において正しいのは軍人でもなく、職人でもなく、法官でもなく、国家が正しいのであり、それと同じように、人間において正しいのは心臓でもなく、腹でもなく、頭でさえもなく、人間が正しいのである。その意味で、国家と個人は同じ正義を分有すると言える》《人間を見て、人間が正しいのは機会や外的な関係によるのではなく、その人間の中の固有の正義により、その人間のさまざまな力の調和によるという観念をつくろうではないか》《正しい行為、明らかに正しい行為であっても、君がもし、内面的に正しいのでなければ、君はそれを正しく行うことはできない》(アラン)

 まるで 古証文のように、アランの文章を二つばかり出してみました。ここから、ぼくたちはいくつものことを考えられると同時に、もっとも大事なことはなんであるかを知ることが出来ます。ソクラテスの母親はお産婆さんだったといいます。子どもを取り上げる人でした。生まれてくる子が無事であるか、あるいはお産が難しいかを見極める技術を持っているのが産婆さんであり、その技術を産馬術と言ったのです。

● 産婆術(読み)さんばじゅつ(英語表記)maieutikē ソクラテスの対話の方法には,消極的側面であるソクラテス的反語エイロネイア eirōneia (→アイロニー ) と,積極的側面としての産婆術が知られる。前者は対話の相手からロゴス (論説) を引出し,無知の自覚,アポリアへと誘い込むソクラテス一流の無知を装う態度であり,後者は相手の提出した論説や概念規定を,質問を重ねることにより吟味しつつ当人の意識していなかった新しい思想を産み出させる問答法である。彼はみずから知恵を産む力はないが,他の人々がそれを産むのを助けてその知恵の真偽を識別することはできるとして,自己の活動を母ファイナレテの仕事であった産婆になぞらえて,これを産婆術と呼んだ (プラトン『テアイテトス』) (ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説)

 「テアイテトス」を一度でもお読みになった方はお判りでしょうが、この本は知識論であり、ドクサの吟味こそが教育の核心だとも言っているのです。「疑いは既に強い精神のしるしであり、そこには普遍的に考えることが保証されている」という部分に、ソクラテスの方法の核心があります。どんな問題も「おかしい」という疑いから生まれます。何の問題・疑問も感じなければ、どんなものも、目の前を素通りしてしまいます。誰もが疑わない、常識。通念と言われていることこそ、最も激しく疑ったのがソクラテスだったといわれています。

 歴史上のソクラテスは真偽も定かでないような人であり、まるで霞か雲の中にいるような存在でしたが、さいわいに、プラトンが師の言葉を残してくれました。大小無数の「対話編」がそれです。対話というのは、ソクラテスが親しい誰彼に対してなされた「対話」を指します。対話が進む、対話を交わす、それがどういうことを言うのか、どんなものでもいい、一冊の対話編をお読みになれば、一目瞭然とします。

 国家にあっても個人にあっても、それらが正しいのはたった一つの理由によるのであります。国家が正しいのは政治家でも官僚でも軍人でもなく、「国家が正しい」からです。同じように、一人の人間が正しいのは「その人間の中の固有の正義により、その人間のさまざまな力の調和による」ということを信じられるほど、人間は勇気がある存在なのだとアランは言います。若いころ、ぼくはアランにすべてを教えられたと思っていたし、今に至るまで、人間の固有の美しさを、ぼくはアランを通して学んできました。この島社会や世界各地の悪の連鎖を見せつけられるにつけ、固有の正しさを持った個人というものをしきりに求めたくなるのです。

 「普遍的に考える」「人間の中の固有の正義」というのは、どのようなことを指しているのでしょう。何処までも問い続ける志を失わないで、この問題を考えていきたいですね。哲学というのは、ぼくにとっては、生き方の流儀です。生き方そのものなんです。「君はどのように生きているのか」今の瞬間に、ぼくはそのように問われているのであり、それに自分流に応えているのです。

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 名利に使はれて、静かなる暇無く、…

【水と空】恐怖接待? 「ネーミングの妙」は時として、不祥事にも当てはまる。深夜、公費を使ってタクシーで帰宅する国家公務員らが、運転手から酒やおつまみ、商品券を受け取るという問題がかつてあった▲「タクシー居酒屋」という造語をご記憶の方も多いだろう。運転手は携帯番号を職員に渡す。高額のチケットを切ってくれる客を“お得意さま”にしようと、接待に手を尽くす。13年前に問題化した▲さかのぼって23年前には、大蔵省(現財務省)の職員が民間からしゃぶしゃぶ店で接待されていたのが明るみに出た。そのネーミングはおくとして、これを機に、利害関係者との付き合いは国家公務員の「倫理規程」で厳しく縛られていく▲全くもって古めかしく、言語道断の「接待漬け」と言うほかない。菅義偉首相の長男が勤める放送事業会社による接待問題で、総務省は「利害関係」があると見なして職員11人を懲戒処分などにする▲倫理規程そっちのけの接待に、ひょいと乗っかる公務員の気が知れないが、心に恐怖と忖度(そんたく)があったのは想像がつく。「菅さんの息子に呼ばれて断ったら、わが身はどうなる…」と▲首相は長男が関係していたのを認め、陳謝した。「恐怖接待」か「威光接待」か、いずれにせよ「国難」と呼ばれるこの局面で、国民はしかめっ面をさらにしかめている。(徹)(長崎新聞・2021/2/23)

【小社会】包み隠さず 日本には大切な物を紙や布で包む文化がある。行きつけの店は焼き菓子を買うと、必ず店員さんが聞いてくれる。「お包みはどうなさいますか」。安い品でも上等な物を買う気分になる。▼別の店では逆の体験をした。手土産を買おうとしたら、「ご自宅用ですか」。包んでほしいとは言いづらくて困った。せめて「贈り物ですか」と尋ねてほしい。その点、「お包みはどうなさいますか」には気遣いがある。▼包むのは中身の保護だけでなく、見えにくくする、つまり隠す目的もある。贈り物も中身が見えない方が受け取りやすい場合が多い。包むという行為自体が気遣いなのかもしれない。作家の幸田文さんはエッセーで「『包む』には庇(かば)う心がある」と述べている。▼これはいい意味での庇いだろうが、世の中には包み、庇われては困るものがある。菅首相の長男らによる総務省幹部接待問題。長男は放送事業会社に勤務しており、同省も利害関係者と認めている。接待を受けた職員は10人を超えるという。▼どんなやりとりがあったのか、勤める会社に特別な計らいはなかったのか。権力者に近い人物が優遇されたり、周囲が忖度(そんたく)したりして行政がゆがめられた疑いは安倍前政権でも問題になった。うやむやにはできない。▼きょうは「ふろしきの日」でもある。日付の数字が「つつみ」と読めるかららしい。関係者は包み隠さず、国民の納得のいく説明を。(高知新聞・2021.02.23)

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 「出処進退」という語がありました。もちろん、今でも言葉はありますが、それが滅多に使われなくなったのはなぜか。文字どおりに所・処を得ることがなくなったからです。使う場がなくなったのです。出所も進退も、ある特定の人の特定の地位への登用と、そこからの引き際を言い当てたものでしょう。「出処進退」は、一義的には「出て官途にあることと、しりぞいて民間にあること。役職にとどまることと役職を辞すること。身の振り方」(デジタル大辞泉)を指して言われました。「官途に就く」は役人・官僚になることを指します。この島にも官職があり官僚がいるのは当然です。しかし、その官僚の大半がと言っていいくらいに、話にならないほどの「立身出世(魁の功名争い)」至上主義に染まりきっているのです。官途について、なんとか金持ちになりたい、できればちょっとでも権力を好き放題に使いたいという輩はいつの時代にもいたのですから、今でも蔓延っているのに何の不思議もないというべきか。「腐るのが権力」さ。

 「位人臣を窮める」という語が盛んに使われてきたのですが、今の官僚に即して言えば、事務次官になることです。官僚序列のトップ。またかなり以前には、「末は博士か大臣か」かという映画が作られたことがありました。博士も大臣も、人臣の高位にあることを明示していて、そこに人生というか生きがいを懸けるというのでしょう。物悲しくなるような話じゃないかと、ぼくには思えます。要するに、階段の早登り競争です。他人よりも高い段に、より早く上るのが勝ちというなら、まるで雛祭りの「雛壇」の序列比べです。より高くというのが、誰もの願いだとは思いません。いささか競争心が強いのは育ちや、それによる性格に基づくのでしょうが、なんとも嫌になるのは、学校教育がその競争心をいやがうえに煽って来たのです。まだ煽っている学校や教師がいるんじゃないかな。

 これを政治家の問題(側)としてみるとどうなるか。やはり出処進退は容易ではないことがわかります。というより、莫迦や屑が挙って政治家になりたがるし、類は友を呼ぶという譬えで(同病相憐れむではない)、どうしようもない連中が永田町という島の住人になっているのであり、そこに棲みつくには「莫迦の資格」や「嘘つきの証文」が必要とされているのです。何よりも自分の利益を追求する点において人後に落ちないこと、「情けは人の為ならず」を地で行くだけの心がけの持ち主であること。税金は「自分の懐」に入るものという盗人魂の持ち主であることなどなど、こういった厚顔無恥の人物でなければ政治家にはなれないし、ならない。その政治家に塗(まみ)れるのが官僚です。だから、同じ穴の狢(むじな)なのだといいたいところですが、「狢」には申し訳ないのでそうは言わない。「同じ穴の人間(似た者同士)」で、「持ちつ持たれつ」が政・官の靭帯となっているのです。これに業者(が絡めば「悪のトライアングル(政官業)」は完成します。三竦み状態が「政治の常態」なんですね。

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 名利に使はれて、静かなる暇無く、一生を苦しむるこそ、愚かなれ。

 財多ければ、身を守るに貧(まど)し。害を賈ひ、累(わずら)ひを招く媒(なかだち)なり。身の後には、金をして北斗を 拄(ささ)ふとも、人の為にぞ煩(わづら)はるべき。愚かなる人の、目を喜ばしむる楽しみ、またあぢきなし。大きなる車、肥えたる馬、金玉の飾りも、心有らん人は、うたて、愚かなりとぞ見るべき。金は山に捨て、玉は淵に投ぐべし。利に惑ふは、すぐれて愚かなる人なり。

 埋もれぬ名を、永き世に残さんこそ、あらまほしかるべけれ、位高く、やんごとなきをしも、勝れたる人とやは言ふべき。愚かに拙なき人も、家に生まれ、時に逢へば、高き位に昇り、奢を極むるも有り。いみじかりし賢人・聖人、自ら賎しき位に居り、時に遇はずして止みぬる、また多し。偏に、高き官・位を望むも、次に愚かなり。

 智恵と心とこそ、世にすぐれたる誉も残さまほしきを、つらつら思へば、誉を愛するは、人の聞きを喜ぶなり、誉むる人、譏(そし)る人、共に世に留まらず。伝へ聞かん人、またまた、速やかに去るべし。誰をか恥ぢ、誰にか知られん事を願はん。誉れは、また譏りの本なり。身の後の名、残りて、さらに益無し。これを願ふも、次に愚かなり。

 ただし、強ひて智を求め、賢を願ふ人の為に言はば、智恵出でては偽り有り。才能は、煩悩の増長せるなり。伝へて聞き、学びて知るは、真(まこと)の智にあらず。いかなるをか、智と言ふべき。可・不可は、一条なり。いかなるをか、善と言ふ。真の人は、智も無く、徳も無く、功も無く、名も無し。誰か知り、誰か伝へん。これ、徳を隠し、愚を守るにはあらず。もとより、賢愚・得失の境に居らざればなり。

 迷ひの心を以(もち)て名利の要を求むるに、かくの如し。万事は皆、非なり。言ふに足らず、願ふに足らず。(「徒然草」第三十八段)

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 「名利に使はれて、静かなる暇無く、一生を苦しむるこそ、愚かなれ」と、本当に実感して、その愚を避けようとして生きている人は賢者足りうるでしょうね。兼好さんがこのように言うのは、自らがこの「明利」に悩まされたことの何よりの証拠です。達観しているのではないのであって、自分もまた、なんともつまらない、拙劣な人品であることよ、と懺悔しているといってもいいと思う。だから、ぼくは「徒然草」を読みつづけてきたんです。兼好さんは政治家になるには、ちょっと人が好過ぎた。

 「埋もれぬ名を、永き世に残さんこそ、あらまほしかるべけれ、位高く、やんごとなきをしも、勝れたる人とやは言ふべき。愚かに拙なき人も、家に生まれ、時に逢へば、高き位に昇り、奢を極むるも有り。いみじかりし賢人・聖人、自ら賎しき位に居り、時に遇はずして止みぬる、また多し。偏に、高き官・位を望むも、次に愚かなり」と、まるで兼好さんは生存していて、永田町の愚か政治を活写している風情です。さらにいえば、この愚かしい風潮は決して永田町という一角にのみ見られる風物・風景・風俗・風習なのではなく、劣島のいたるところに繁茂している、まるで、取りきれないままに、執拗に生息する「黴菌」浸食の一部始終なんですよ。どんな薬品でも、除菌はまず不可能とみています。

 なろうことなら、黴菌に感染しないように、ひたすら注意する(逃げ回る)、これだけがぼくの生きる術でした。「名利」を求めるというのは、自分から交通事故に遭遇するようなもの、「当たり屋」もどきで、危険極まりありません。まさに自死行為ですね。自分で事故に遭わないようにするのはもちろん、まちがっても巻き込まれないように、それこそがぼくの注意すべき一点でした。

 風呂敷の日、なんとも垢ぬけしない命名ですね。風呂敷の役割はさまざまですが、何よりも「隠す」という機能に尽きます。その伝でいえば、永田町や霞が関に代表されるお歴々の風呂敷マジックは、まさに「カクシゲイ」というべきですな。総理大臣が率先して、「愚かなり」とくるのですから、官僚もまた「次に愚かなり」となります。「迷ひの心を以(もち)て名利の要を求むるに、かくの如し(易行道です)。万事は皆、非なり。言ふに足らず、願ふに足らず」という覚悟というか、人生の行末を決めるかもしれない姿勢や態度をこそ、学校に所属しながら(それに染まらず、抵抗しつつ)、身に着けられるかどうか。一人の生徒がそのような姿勢で、教室を闊歩できることは果たして可能か。教師はよく、生徒の敢行する、その至難の業(難行道)を助けられるかどうか。自分もまた「愚かなり」という自覚から出発することが、そこから抜け出すためには必須の条件となるのです。

 そもそも、「灯台(「東大」に代表される大学をはじめとする諸学校)下暗し」なんだ。自分の足元を照らすこと。手探りで、自分の脚で、無理をしないで、自分の歩幅をそろえて、ていねいに歩くこと、そんな生活ができるといいね、ぼくはいつでもそう願っているのです。遠くを見るな、足元を照らせ。

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