最低限度の生活を保障するとともに,…

【余録】「健康で文化的な最低限度の生活」(柏木ハルコ著)は、新人ケースワーカーを通して生活保護の実態を描いた人気漫画だ。新型コロナウイルスの感染拡大で、生活保護制度が改めて注目されている▲昨年末以降、田村憲久厚生労働相が「生活保護を受けることは国民の権利だ。迷わず申請してほしい」と異例の呼びかけをし、話題を呼んでいる。窓口で申請させないようにする「水際作戦」が問題になってきたからだ▲制度の源流は1874年の「恤救(じゅっきゅう)規則」にさかのぼる。貧困の救済は「人民相互の情誼(じょうぎ)」により、それでも救済できない「無告の窮民」に限って、米代換算の現金を支給すると定めた。慈恵的な救済である。国の責任や国民の権利が明文化されたのは戦後になってからだ▲漫画では、母子家庭の支援に悩むケースワーカーに、母親の心情を思いやるよう医師が諭す場面がある。「生活保護を受給してることに対する自責の念、『働け』っていう世間のプレッシャーもあるだろう」▲生活保護を受けることに後ろめたさを感じさせる風潮には、明治以来の制度の歴史も影響していよう。コロナ対応は国の歴史や文化を映し出す。だが、どうにもならなくなった時、一時的に税金に頼って暮らすことは当然の権利だ▲誰であれ税金の世話にならずに生きることはできない。「税金を利用している比率の多寡が、人と人とを分断する尺度であってよいのだろうか?」。みわよしこさんの著書「生活保護リアル」の言葉が重く響く。(毎日新聞・「余録」2021/01/31)

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 法の建前は素晴らしいが、実態は悲惨というのは、いくらでもあります。なぜそうなるのかという原因や背景にはさまざまな理由や事情があるでしょう。一般的な物言いをすれば、法を悪用する人間が絶えないから、その法律までも「胡散臭い」とみられてしまうことです。その典型は「政治資金規正法」です。この法律を作ったのは国会であり、法の適用を受けるのは国会議員です。分かりやすく言えば、泥棒が「泥棒をしてはいけない」「こんな時は泥棒になる」という、法を作ったことになります。つまりは「泥縄」です。

 《「泥棒を捕らえ縄をなう」の意から》事がおこってからあわてて対策を立てたり準備をしたりすること。「泥縄の試験勉強」「泥縄式」(デジタル大辞泉)法網をかいくぐるという破廉恥な芸当は、ですから議員さんにとってはお手の物。自家薬籠中の物というわけです。うまくかいくぐれなければ、法を変えるだけだという了見で「政治家」をしているんだから、手に負えないね。同じことですが、税金は、ぼくに関していえば、可能な限り払い(収め)たくないものの代表です。いずれは、その多くがいかがわしいところに使われるのですから。政治家の金も、政治献金を除けば大半が税金です。その税金で銀座や六本木で飲み食い、「陳情」相談などという目御目で、湯水のごとくに捨てられているのですから、一円だって取られたくない。

 さて、生活保護の問題です。「申請して受給するのは、国民の権利」だと、今頃、こ災厄の最中で厚労大臣がさも「したり顔」「お為ごかし」で答弁するなどというのは茶番であるし、荒唐無稽な政治ショーですよ。お言葉に甘えて、申請すると、あの手この手で、申請受付を拒否する算段に奔走するのが(一部の)役人(窓口)です。本来なら受給されるはずのない、受給資格のないものが堂々と受給している場合があるかと思えば、これしか生活の方途がない人には届かない。こんな行政の役人も、政治の本筋を外れた政治家の悪逆を見ているから、悪行の最近に感染したに違いない。受給は恥ずかしいことと、控えさせる役人が能吏だと褒めそやされる風潮もあります。税金は「みんなのために」という性格の金員です。特定の個人や団体が、うまい汁をいつでも吸って、底なしの「税金泥棒」をしているのです。泥縄」はいたるところで確認できるのが、ぼくたちの社会の実態です。開催不可能な五輪に数兆円、コロナ対策に名を借りた、特定企業への税金授与事業に何兆円。その他、数知れない名目で、特定の企業や個人に莫大な国費が費やされているのです。毎年毎年、何十年にもわたって、さ。

 国有財産の払い下げに際して、どんなにえげつないことが起こっているか。この問題に触れると、きっとぼくの腹の虫が騒ぐ。虫唾が走る。気分がすこぶる悪くなるので外に出て深呼吸する必要があります。ぼくが言いたいのは、本当に必要な政策に必要な税金を回すという、政治や行政のイロハをいつでも言い募らなければならないという、話にならない段階で、この島の政治行政のレベルがとどまってしまっている。歯ぎしりしたくなるどころの騒ぎではありません。(ぼくは数少ない経験から学んでいたので、驚きはしませんでしたが、ここにきて「国会議員」は「我々は選ばれた存在だ」、国民一般とは異なる範囲の「別種国民なのである」という矜持というか、能のない鷹のように牙や出歯をこれ見よがしに見せびらかしているのです。裸で街中を括弧しているのに、その醜状・醜態が見えていないんですね。

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● 政治資金規正法=政治家や政治団体、政党に、政治活動に必要な資金を提供すること。もともと、政治資金は、個人が拠出する会費や党費のような資金によってまかなわれるのが本当であるが、わが国では、個人が政治に金を提供する習慣はあまりなく、政治団体の会員や政党の党員が少ないため、企業・労働組合からの寄付(政治献金)に依存する割合が多い。ことに、政権を掌握し、国家・公共財政資金散布の鍵(かぎ)を握る政党は、有力会社を中心に、企業や財界から公式に一括もしくは個別に巨額の寄付を受けるほか、有力議員などへの寄付も少なくなかった。原理的にいえば、企業の政治献金が会社に利益をもたらさないとすれば、企業に損害を与えたとして、担当役員は特別背任罪を構成するはずであるし、会社に利益をもたらすことについて期待の蓋然(がいぜん)性があると容認されるならば、すでに汚職を肯定することになるのである。(日本大百科全書(ニッポニカ)の解説)

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●法治国家=行政および司法があらかじめ議会の制定した法律によって行われるべきであるという法治主義による国家。すなわち全国家作用の法律適合性ということが法治国家の本質とされたのであるが,その際,イギリス法の「法の支配」 rule of lawと違い,行政および司法が国民の代表機関たる議会によって制定された法律に適合していればよいという形式的側面が重視された結果,法治国家論は,法律に基づきさえすれば国民の権利,自由を侵害してもよいという否定的な機能を果し,法や国家の目的,内容を軽視する法律万能主義的な傾向を内包していた。第2次世界大戦後,西ドイツはこの点に反省を加え,立法,行政および裁判を直接に拘束する不可侵,不可譲の基本的人権を承認し,これを確保するために憲法裁判所を設置して,これに法令の憲法適合性を審査する権限を与えた。日本の場合も,憲法は裁判所にいわゆる法令審査権を与えている (81条) 。このようにして,行政,司法が単に法律に適合しているという形式面のみならず,その法律の目的,内容そのものが憲法に適合しなければならないという原則が確立され,それによっていわば法治主義の実質的貫徹が期されている。(ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説)

 以上のように、一つの事典では説明されていますが、その法律を作る議員の正体を見逃していてはどうにもならないのが、この島政治の実情です。「電源三法」という法律を起案したのはある一人の政治家でした。この法律がどんなに国家(政治家や役所の官僚)や企業に都合よく作られているかを知れば、ぼくたちは感心することはあっても怒りを起こすことはないのではないですか。何処まで行っても企業(に乗っかっている政治行政)の利益を最優先するという悪徳哲学で貫かれており、そこには人民の幸福安寧は一顧だにされていません。今の今になって、遅まきながら、この法律の趣旨が国益(というなの個人益)や私企業(実態は国営企業)の利益擁護を死守しようとしてきたかがわかります。

 生活保護法の趣旨はどうか。「受給は権利」と大臣は言う。その権利を行使しようとすると、さまざまな障害が発生する。「扶養確認」などということも言われます。少し前に、話題の芸能人(よしもと所属)が芸能活動で稼いでいるのに、「尊属が生活保護を受給」と叩かれていました。政治資金で「愛人を」という女性国会議員もいました。そんな輩は例外で、大半は法の趣旨に照らして問題はありませんともいえる。でも、たとえ少数でも、悪例という「例外」は認めるべきではないともいえるのです。

 この問題の一番のポイントは、限られた財源である税金は「いつでも有効に使う」という、当たり前の態度を崩すべきではないということです。それに尽きます。「税金を利用している比率の多寡が、人と人とを分断する尺度であってよいのだろうか?」というのは、生活の大半が「生活保護」などのように税金で賄われているということを指して言われたのなら、政治家はどうか、国会議員の歳費はすべて税金です。それで「恥ずかしい」「他の国民に対して申し訳ない」という心持を持っている議員は皆無だといっていい。私たちは「国会議員です」から、コロナ禍においても「給料は減らされません。満額戴きます」とぬかしたのは前総理でした。今や介護や医療で「保護を受けている」人がどれだけいるというのか。生活保護の「保護」というところに焦点を当てて、法の趣旨をとことんまで理解できるようにするのが、政治行政の仕事であります。

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● 生活保護法=昭和25年法律144号。同名の 1946年の法律に代わるもので,生存権の理念に基づいて,国が生活困窮者に対しその困窮度に応じ必要な保護(→生活保護)を行ない,最低限度の生活を保障するとともに,その自立を助長することを目的とする。社会保障法の一つ。保護は要保護者の申請に基づいて開始されるが,資産調査を実施したのち世帯を単位としてその要否,程度が定められる。保護の実施機関は地方公共団体の長である。保護の種類は生活扶助,教育扶助,住宅扶助,医療扶助,介護扶助,出産扶助,生業扶助,葬祭扶助の 8種で,医療扶助と介護扶助を除きすべて金銭給付を原則とする。ほかに救護施設,更生施設,医療保護施設,授産施設,宿所提供施設の 5種の保護施設がある。保護費用の負担率は,保護費と保護施設事務費および委託事務費については 4分の3,保護施設の設備費については 2分の1を国が負担し,残りは都道府県および市町村により一定比率で支弁する。(→救貧制度,公的扶助)(ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

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投稿者:

dogen3

 毎朝の洗顔や朝食を欠かさないように、飽きもせず「駄文」を書き殴っている。「惰性で書く文」だから「惰文」でもあります。人並みに「定見」や「持説」があるわけでもない。思いつく儘に、ある種の感情を言葉に置き換えているだけ。だから、これは文章でも表現でもなく、手近の「食材」を、生(なま)ではないにしても、あまり変わりばえしないままで「提供」するような乱雑文である。生臭かったり、生煮えであったり。つまりは、不躾(ぶしつけ)なことに「調理(推敲)」されてはいないのだ。言い換えるなら、「不調法」ですね。▲ ある時期までは、当たり前に「後生(後から生まれた)」だったのに、いつの間にか「先生(先に生まれた)」のような年格好になって、当方に見えてきたのは、「やんぬるかな(「已矣哉」)、(どなたにも、ぼくは)及びがたし」という「落第生」の特権とでもいうべき、一つの、ささやかな覚悟である。(2023/05/24)