胎内の動きを知るころ骨がつき

 コロナ禍の「サラ川」

【水や空】勤め人ならば、時に同僚や仕事相手とぶつかることもある。おうおう、上等じゃないの…とは、今では聞かれない口上だが、苦笑いを誘うこんな一首がある。〈おお、おお上等じやないのと言ひかへし机たたけば机は硬い〉島田修三▲言い返した後、たたきつけたこぶしはジンとしびれたに違いない。大見えとは相手を前にして切るものだが、近頃はそんな場面もまず見られないだろう。仕事での非対面のやりとりが浸透している▲自宅など、職場から離れた所で仕事をする「テレワーク」が勧められ、働く人に新たな悲喜劇が加わった。〈会社へは 来るなと上司 行けと妻〉。板挟みらしい。

「暁を抱いて闇にゐる蕾」

 きのう発表された「サラリーマン川柳」の上位100句は、働き方や生活の変化を詠んだ作品が多い▲〈コロナ禍が 程よく上司を ディスタンス〉。部下にとっては「上」との今の距離感がいい感じなのだろう▲上司といえば敬遠され、新人といえば「今どきの若者」としてぼやきの的にされる。サラ川(せん)の定番だが、今回は職場の上下関係を詠んだ作品が少なかったという。距離感の表れだろうか▲昔の優秀作に〈ただでさえ無礼な部下の無礼講〉というのがあった。職場であれどこであれ、距離を置くことが重んじられるいま、一句の風景はほほ笑ましくも、どこかほろ苦い。(徹)(長崎新聞・2021/1/28)(左は鶴彬記念の百日紅植樹)

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 もう今年で35回目だそうです。ある「生保」主宰の「サラリーマン川柳」。時代の波や風潮、あるいは時節や世相を色濃く詠みこんで、いたく人気者になってきました。ぼくもときには、抱腹絶倒というか、お腹がよじれるほどに笑い転げたものですが、それも近年は稀になりました。なぜだろうかと考えると、それだけ時代や人情が世知辛くなってきたということの証明にもなるのでしょう。だからこそ、よけいに笑い転げたいのですね。そんな暢気なことをやっていられるかと怒られそうですが、やはり、余裕ですね、しんどい時こそ、深呼吸です。その一呼吸が「川柳」になるのではないですか。

 昨年の優秀句100句のなかの10句のみを出しました。なんとも真面目というか、実直というか、破天荒の面白みがないのは、いいことかよくないことか。ぼくにはにわかに判断はできません。それがサラリーマンのたしなみであり、川柳の「サラ性」なのでしょう。激しく会社を呪い、上司を忌み嫌うのは、まったくやり切れないし、「会社あっての自分」なんだというところから川柳は生まれているのです。だからかどうか、読み方によっては、愛社精神が横溢している句が多いようにも思えてきます。余り会社に「自分をあずけない」「濃厚接触」は避けるがいいのかもしれませんが。

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 優秀100句はこちら(2020/9/17~10/30までの分、百首のなかから「10句」を)

1、リモートで 便利な言葉 “聞こえません!” (リモートの達人)

2、「出社日は 次はいつなの?」 妻の圧 (在宅ワークマン)

3、テレワーク いつもと違う 父を知る (秋乃アキ)

4、倍返し 言えぬ上司に 「はい」返し (ギレン総帥)

5、激論も パジャマ姿の 下半身 (王様の耳)

6、十万円 見る事もなく 妻のもの (はかなき夢)

7、密ですと ますます部下は 近よらぬ (急いで待て)

8、抱き上げた 孫が一言 密ですよ (白いカラス)

9、コロナ禍が 程よく上司を ディスタンス (大舞剛人)

10、YOASOBIが 大好きと言い 父あせる (テンビ)

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 「サラ川」で、ことさら不満があるわけではありません。それで結構、世は人情の様変わりに遭遇して、また一回転するものでしょう。このままの「さわやかで」「のどかで」「緩やかで」「癒し系で」、この先も一貫するとは限らないし、反転、激しく時代を打つ撥が、あるいは深い怒りや悲しみに掴み取られて、ぼくたちの心をえぐらないとも限りません。そんな川柳に身命をかけた青年がいました。鶴彬さん。啄木に憧れを抱いたというほどですから、その性向はいかなるものであったかがわかりそうです。早くに川柳に魅かれ、徐々に激しい社会批判の勢いを増していきます。やがて治安維持法で検挙、獄中に拘束されて、若くして病死しました。

● 鶴彬(読み)つる あきら(1909-1938)=昭和時代前期の川柳作家。明治42年1月1日生まれ。プロレタリア川柳の影響をうけ,昭和3年全日本無産者芸術連盟にくわわる。12年「川柳人」に発表した作品が治安維持法違反にとわれて留置され,13年9月14日獄中で病死。30歳。石川県出身。本名は喜多一二(かつじ)。【格言など】手と足をもいだ丸太にしてかへし(「川柳人」)(デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説)

  高梁の実りへ戦車と靴の鋲
  屍のゐないニュース映画で勇ましい
  出征の門標があってがらんどうの小店
  万歳とあげて行った手を大陸において来た
  手と足をもいだ丸太にしてかへし
  胎内の動きを知るころ骨(コツ)がつき 
  フジヤマとサクラの国の餓死ニュース
  エノケンの笑ひにつづく暗い明日
  税金のあがっただけを酒の水 (以上は鶴彬作)

 「鶴彬川柳」と「サラリーマン川柳」を比べて、何かを言いたいのではありません。どちらの側にも作句の理由や動機があり、それぞれに、その土壌を認めれば、余計なことは言う必要もないのです。あえて、ここに鶴彬さんを持ってきたのは、他でもない、時代は変転し反転して、流転、転変の尽きないのが世情です。幸せの絶頂から急展開で落下しないとも限りません。それだけの条件が揃っているともいえる時代をぼくたちは生きているのです。あえていえば、ぼくは「サラ川」に流れている、そこはかとない弱々しさに(愛社精神か、それはきっと愛国心にもつながるのです)、一抹の危惧の念を否定できないのを認めるものです。そこに鶴さんの存在する理由があるということもできるでしょう。

 「フジヤマとサクラの国の餓死ニュース」「エノケンの笑ひにつづく暗い明日」 これはぼくたちの日常生活ではありませんか。餓死があるから、それを消すためにも、いっそう「グルメだ」「飽食だ」というのではないか。エノケンは戦前戦後の喜劇役者。いまでいえば「お笑い」の人です。そんなお笑いに明け暮れているとばかり思っていたのに、実はその真横に「暗い明日」が控えている。ぼくはこの島社会は3等国か4等国、つまりは先進国争いに加わらない、国力競争から「脱落」「脱退」した社会だと考えています。ようやく、世界の何番目などと気にしないで、人民がそれぞれの生活に喜怒哀楽の源泉を求められる条件がそろってきそうだという期待を抱いています。

 もちろん、政治や経済の方面を見れば、時代錯誤の意識が氾濫しているのは事実ですが、それはごく限られた範囲に見られる狂気の世界でしょう。五輪も万博も、ごく一部の人間たち、それもいろいろな点において「強欲な」輩たちの錦の御旗です。それに税金(血税)を湯水のごとくに使うのは許せないと、ぼくも思います。いずれ、それさえも「沙汰止み」にならざるを得ない状況が来ます。もう来ているのかもしれない。

 修身にない孝行で淫売婦
 凶作を救へぬ仏を売り残し
 みな肺で死ぬる女工の募集札  
 待合いで徹夜議会で眠るなり
 ざん壕で読む妹を売る手紙
 召集兵土産待つ子を夢に見る (以上は鶴彬作)

 サラリーマンが安閑としていられない状況に追い込まれているとき、「コロナ禍が 程よく上司を ディスタンス」と仲間内でじゃれてていいんですか、と言いたくなりそう。この上ない拙作をいくつか。「よしもとのお笑いの顔に闇の皺」「ワイドショー何を見せなくする手柄」「本日は重症者何人死に移り」テレビも新聞も「終わりの中ほど」を過ぎたようです。だから「権力に靡く姿の厭らしさ」が消えないんですね。五輪はご臨終です。川柳の粋とはなにか。ぼくには十分にとらえきれなさそうですが、可笑しみと諧謔と反権力が混然一体となることがあれば言うことはなさそうです。「修身にない孝行で淫売婦」、これをどのように受け止めればいいのか。「待合で徹夜議会で眠るなり」、彬さんがこの現在に呼吸をしているが如くに、現実を活写していませんか。これは鶴彬の凄さなのか、現実政治の堕落の普遍性を指しているのか。

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