氷を解すべき温気胸中になくして、…

 長野・木曽 氷のカーテン 厳冬アート

 長野県御嶽山の麓、木曽町三岳の西野川沿いに、巨大なつららが無数に連なる「白川氷柱群」が現れている。崖からしみ出した伏流水が凍った冬の風物詩で、多い日には百人ほどの観光客が訪れている。

 高さ五十㍍、幅二百五十㍍の絶壁を氷柱が覆う姿は、まるで「氷のカーテン」。冷え込みが厳しい今冬は、例年より二週間ほど早い昨年十二月の下旬から少しずつ大きくなり始めた。(東京新聞・2021年1月25日 23時24分)

●氷柱(つらら)=垂氷とも書く。屋根に積もった雪がとけてしたたり落ちるとき,氷点下の気温のために軒下にできる氷の柱のこと。とけた水の量と気温によって,長さ数cm以下の小さなものから,地面にとどく大きなものまである。屋根の上でとけた雪は軒先からしずくとなって落ちるが,気温が低いと落ちる瞬間に凍ってしまう。次にやってきたしずくも同じ過程を繰り返し,しだいに太く,長いつららになる。とける量が多いと石筍のように下からも氷が盛り上がってきて,屋根から地面までつながることもある。(世界大百科事典 第2版の解説)

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 このところの低温で、庭一面に「霜柱」が立っています。小さいころに、通学の折、霜柱のできた道(舗装されてはいなかった)を踏みしめながら歩いたことを体が記憶しています。今朝も「ゴミ出し」(六時半)に行ったとき、近くの木々に霜が吹きつけられていて、あるいはこれが「樹氷」になるんじゃないかと愚かなことを想像していました。三十年ほど前です。山形の蔵王にスキーに出かけたことがあります。二月半ば過ぎだったか。ゲレンデの頂上から、「樹氷」の間を滑り降りた時の爽快な気分も、今は懐かしい思い出となりました。決して上手な滑り方ではありませんで、先ずは直滑降一本やりの乱暴なスキーぶりでした。(左上・霜柱)

 この「氷柱」という言葉を見たり聞いたりすると、ぼくは尊徳さんを連想します。金次郎としてあがめられて、劣島の学校の玄関前で銅像にされてしまった人です。ぼくの通った小学校にもありました。薪を背負って、本を読んでといういで立ちでした。その尊徳さんの語るところを、弟子の福住正兄が書きとめた「二宮翁夜話」を熱心に読んだことがあり、そこに「氷」だの「氷柱」などが出てきました。第二話の初めの部分を引いておきます。

六二 翁曰、大道は譬(タトヘ)ば水の如し、善く世の中を潤沢(ジユンタク)して滞(トヾコホ)らざる物なり、然る尊き大道も、書(シヨ)に筆(ヒツ)して書物と為す時は、世の中を潤沢(ジユンタク)する事なく、世の中の用に立つ事なし、譬(タトヘ)ば水の氷りたるが如し、元水には相違なしといへども、少しも潤沢せず、水の用はなさぬなり、而て書物の注釈(チウシヤク)と云物は又氷に氷柱(ツラヽ)の下りたるが如く、氷の解(トケ)て又氷柱(ツラヽ)と成しに同じ、世の中を潤沢せず、水の用を為さぬは、矢張(ヤハリ)同様なり、扨此氷となりたる経書を、世上の用に立んには胸(キヨウ)中の温気を以て、能解(トカ)して、元の水として用ひざれば、世の潤沢(ジユンタク)にはならず、実に無益の物なり、

 氷を解(トカ)すべき温気(ウンキ)胸(キヨウ)中になくして、氷の儘(マヽ)にて用ひて水の用をなすと思ふは愚の至なり、世の中神儒仏の学者有て世の中の用に立(たタ)ぬは是が為なり、能思ふべし、故に我(わガ)教は実行を尊む、夫経文と云ひ経書と云、其経と云は元機(ハタ)の竪糸の事なり、されば、竪(タテ)糸ばかりにては用をなさず、横(ヨコ)に日々実行を織(オリ)込て、初て用をなす物なり、横に実行を織(オ)らず、只竪糸のみにては益(エキ)なき事、弁(ベン)を待たずして明か也 (巻二 六十二)

 読んで文の如し。余計な注釈はいらない。そんな仕業こそが「氷柱」だと尊徳は言うのです。この指摘は気に入りました。ぼくは、何でも世の信奉者がするように、彼を崇め奉ることはできませんでした。彼の言うところを素直に取り入れ、つたない歩行の支えになるかもと、我流で読みこんできただけでした。「氷を解(トカ)すべき温気(ウンキ)胸(キヨウ)中になくして」という表現に、若く無知だったぼくは、引き付けられてしまったといっておきます。そんなに情熱家でもありませんし、尊徳教の信者でもありませんでしたから、まあ、いずれの時代にも自分の頭で考え、自分の脚で歩いた人、またそうしようとした人々がいたという実感がぼくに生まれれば、それで十分でした。これまでに何回か、「夜話」を読んできました。

●二宮尊徳(1787-1856)=江戸時代後期の農政家。天明7年7月23日生まれ。勤倹努力して没落した家を再興。小田原藩家老服部家,藩主の分家宇津家の下野(しもつけ)(栃木県)桜町領,陸奥(むつ)中村藩(福島県)などの再建に尽力。のち幕臣となり,日光領の復興にあたる。門下はその教えをうけて報徳社運動を展開した。「二宮尊徳全集」がある。安政3年10月20日死去。70歳。相模(さがみ)(神奈川県)出身。通称は金次郎。名は「たかのり」ともよむ。【格言など】大事をなさんと思わば小なることを怠らず勤むべし,小積りて大となればなり(デジタル版日本人名辞典)

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 当たり前のように、各地の小学校に置かれた二宮金次郎像。軍国主義の燃え盛る時代状況に「至誠報徳」「報恩」教の教祖に祭り上げられた尊徳の教えが合致させられたのです。時代の「皇民化教育」にさかんに利用され、修身のお手本とされた。薪を背負い、本を読む、なんと物騒な姿だったか。学校に「金次郎像」を設置した経緯もありますが、機会があれば、それはどこかで。

【余録】二宮金次郎(にのみや・きんじろう)像は、かつて小学校校庭の定番だった。まきを背負いながら本を読み歩くこのスタイル、一説によると1891(明治24)年に出版された「二宮尊徳翁」(幸田露伴(こうだ・ろはん)著)に載ったさし絵のイメージが起源だという▲いまの子どもたちも重荷を背負いつつ、勉強に励んでいるようだ。小学生の使うランドセルがここ数年、重くなっている。大手ランドセルメーカーの調査によると、1週間で最も重い日の総重量は6キロにも達する▲ランドセルが重くなっているのは「ゆとり教育」の見直しなどで教科書の分量が増し、大型化しているためだ。小学教科書のページ数は10年間で3割以上増えたとの別の調査結果もある。背中にずしりと重さを感じて通学し、児童の3割が首などに痛みを感じているという。身体への影響も軽視できない▲そんな状況を受けて文部科学省は先月、教材を学校に置いて帰ることを事実上認める通知を出した。「置き勉」と呼ばれる方法で、家庭学習の妨げになるとしてこれまで多くの教育現場で認めてこなかった▲国の通知を受けて「置き勉」を解禁する小学校は増えているようだ。肩の荷が減るのは子どもたちにとって、まずは朗報といえよう。それでも再来年から小学3年生以上で英語が必修化されるなど、教材が増える傾向は変わりそうもない▲全教科を合わせた教科書の総ページ数を増やさないような発想もそろそろ必要ではないか。教室に置かれたままの教材がふくらんでいく光景はいびつだ。(毎日新聞2018年10月21日)

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 わが連想はどこまで行くのか、行方知れずです。「氷柱」から「尊徳」に飛ぶのも何かの仕業です。ぼくも少年時代、「薪」を背負って、生活の足しにしていたことがありました。金次郎に似るべくもなかったのは幸いだったというべきか。本を読んで、薪を背負って、孝行に尽くす子どもは「国の宝」と賞賛された時代のたまものだったというべきでしょう。今日は「余録」にあるように、「薪」とは違った「重荷」を背負わされ登下校する子どもの姿が目につきます。

 ぼくは中学校時代、教科書などを持たないで登校し、時間ごとに隣のクラスの友達から教科書を借りたものです。(家で宿題はしない主義でした。つまり、学校の事は家に持ち込まなかったんですね)何もなしの「手ぶらで学校」を率先していた。それで何不自由もなかった。当然のように、教師に怒られたので、やがて止めてしまったが、きっとぼくは何十年も先取りしていたのだろうと思う。

 今や、ランドセル(カバン)は廃止され、登校も必要なくなってしまい、それに代わって、ズーム授業、オンライン教室の時代が来る。それでさえも一過性の移り行きで、遂には学校も授業もなくなる時代が到来し、仕舞には「学校」があったことすら忘れられれることになる。まるでドラえもんの世界であり、犬や猫(without scools)の世界ですね。「勉強、勉強」というけれど、大事なことは生きていく中で、自ずから学ぶのだという、当たり前の事実に気が付けば、ぼくたちはもっと楽に生きていけるでしょうに。

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 水晶に朝日かゝやぐ氷柱哉(正岡子規)

 隧道の口に大なる氷柱かな(夏目漱石)

 崖氷柱かすかな音に育ちゆく(阿部みどり女)

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