厳しい追及があってこその、深い反省です

 【正平調】方方さん。中国語では「ファンファン」と読む。武漢市に住む女性作家だ。1955年生まれ。そのブログ「武漢日記」を1億人が読んだという◆昨年のちょうど今ごろ、1千万人が暮らす大都市は殻を閉じた。新型コロナウイルスの感染拡大に伴う都市封鎖である。動きを止めた街で何を思ったのか。1月25日から書き始めた日記は、日本語版でも出版された。心に残ったくだりを紹介しよう◆食べ物をどうやって調達するか、市民はどう助け合ったか、病院の実情はどうか。普段の出来事をつぶさに書きながら、彼女の言葉は時に、やいばのようになる。切っ先が向くのは政府や官僚らの姿勢である◆たとえば、福祉施設で感染した高齢者が相次いで亡くなったと聞いて。「国の文明度を測る基準」は、ビルの高さ、車の速さ、爆買いや勇ましい軍隊などではなく、「弱者に対して国がどういう態度を取るかだ」◆感染がなぜこれほど広がったか、情報をもっと公開すべきだ。疑問点を市民で書きとめ、迅速な調査を政府に求めよう。なぜなら「反省と追及はセットである。厳しい追及がなければ、深い反省もない」から◆近くの国の過ぎ去った話ではない。緊急事態宣言下、私たちが日々向き合っていることだと、読みながら思う。(神戸新聞・2021・1・24)(蛇足 「読みながら思う」というよう他人行儀ではいけないんじゃないですか。書きながら、書きながら、わが島の「惨状に一人立つ」という、記者の気概がいりますね。一読者として、率直な愚想・愚念をを謝す)

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 いったい、目の前で何が起こっているのか。誰もが眼前の事実として経験している事柄です。それを書き留める役割を社会から委託されているのが新聞であるとするなら、果してこの社会の新聞報道はその役割を十分に果たしているか。それがこの何十年とは言わないが、すくなくとも十年にわたって問われ続けて来た。この隣国の一作家の記録にいち早く飛びついたのがほかならぬマスコミ、殊に新聞であったとなれば、なおさら自らの果たすべき職務に忸怩たるものがあるからだといいたいんです。言いたいことではなく、言わねばならぬことを、どれだけ言おうとしているか、誰もがそれを知っていて、その事実を隠す。明らかにしない理由は何か。一例として、この危機のさなかに「五輪」開催をうんぬんすること自体が不真面目であるし、当たり前に考えれば、直ちに「中止」を報道するべきではないか。ところが英米の新聞が書いたから、それを「外電」としてで伝えるだけ。(他人の✖✖で相撲を取るの類、自分でやれよ))その姿勢の裏を読めというのか、ちがうと思う。島の四大紙とか言われるものがことごとく五輪組織員会の「スポンサー」に納まっている一事を見れば、なにをか、いわんや。ただただ、呆れるばかり。

●●● 2020年東京大会 新聞4社がオフィシャルパートナーに決定

 東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会と新聞4社は1月22日、東京2020スポンサーシップ契約を締結し、読売新聞東京本社、朝日新聞社、日本経済新聞社、毎日新聞社がオフィシャルパートナーに決定した。契約カテゴリーは新聞。/ 同スポンサーシップは「一業種一社」を原則とするが、同カテゴリーについては国際オリンピック委員会と協議の結果、特例として複数の新聞社が共存することになった。(以下略)(「電通報」(2016/01/22)(https://dentsu-ho.com/articles/3620)(後日、北海道新聞が参加)

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 隣りの「大国」が人民民主主義の国ではない、独裁権力の国であることをぼくたちは知っている。これまでさまざまな暴力による人民への弾圧をくりかえしてきた。今また、同じことをしている。香港における弾圧は、なおつづいている。このようなさなかに、「コロナ感染」が爆発した。その少し前には一人の医師が「警戒・警告」を発したが、当局は治安を乱したという理由で拘束した。(その後、事態の真相のいくばくかが明らかにされると、一転して「英雄」視されるようにと、もちあげた。事程左様に、権力者はどんなものでも、自らの権力維持や拡大に有用であればしゃぶりつくす。反対に有害と判断すれば、全体重をかけて「一匹の蟻」でさえも踏みつぶそうとする。<「国の文明度を測る基準」は、ビルの高さ、車の速さ、爆買いや勇ましい軍隊などではなく、「弱者に対して国がどういう態度を取るかだ」>と、当たり前の人間尊重の価値を、方方さんは述べている。それが気に食わないのは、どこの権力者も「人間尊重」は「己の人権」のみ、人民の権利は「蹂躙すべし」とすり替えて、憚らないのです。どんなに小さな声でも、図星をつくとなると、それを沈黙させようと権力者はあらゆる手段を使う。それを放置すれば、堤防の決壊をまねくと、本能で知っているからです。

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 1年後も続く「武漢日記」たたき 作家の方方さん、記録大切さ訴え

 【北京共同】新型コロナウイルス対応で封鎖された中国湖北省武漢市の生活を記録して国際的な反響を呼んだ地元作家、方方さん(65)は、中国の暗部も描いた「武漢日記」を発表したことで封鎖から1年が経過した今でも、愛国主義者らの攻撃が続いていると明らかにした。それでも記録を残す大切さを訴えた。/ 23日で封鎖1年を迎えるのに合わせ共同通信の書面取材に答えた。今月、世界保健機関(WHO)の国際調査団が武漢入りしてから攻撃が強まったという。当局から海外メディアの取材に応じないようくぎを刺されており「当面、取材を受けるのはこれで最後」とした。(東京新聞・2021年1月23日)(共同通信)(右上・「武漢日記」の作者、方方さん)

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 日記が明らかにした事態から一年が経過した段階で、作家が今どのような状況下に置かれているか、ほんの少しですが、伝わってきます。「余計なことをいうな」と、当局から釘を刺されているという。「真実の小さな鍵穴」を閉ざしてはならない、とぼくは真剣に考えている。権力を批判し非難するのは、ぼく(たち)の役目ではない。一人の市民という弱者の良くするところではないのです。それ故に、かかる仕事を人民から委託されている職域があるのです。病気を治療するのが社会的義務とされる医者が存在するように、託された義務が報道機関にもあるはずですし、それを当事者も知っていると思う。だが、それがじゅうぶんに果たされいないのは、自分たちもまた、「権力の一員」であるという、恥ずかしいほど呆れた錯覚があるからではないでしょうか。

 報道機関の「名詞」をかざせば、泣く子も黙ると勘ちがいしているのでしょう。情けないけれど、そのことを即座に否定できないのが、この島の報道機関そのもの。そこに属する個々のメンバーには誠意もあり義務感もあるけれども、企業や機関(組織体)としてそうなっていないところに大きな課題があるのです。組織の腐敗は個々の細胞の死に直結する。組織の腐敗はどこから生まれるか。その理由は何か。言わなくてもわかるはずです。「自己保身」「自己防衛」「自己肥大(増殖)」といった「自尊感情」がとめどもなく膨れ上がってきて、それが(権力側に)うまく出汁に使われて、牙だか批判精神だかを奪われてしまった。果たしてそのことに気が付いているのかいないのか。今、そのような堕落し頽廃した機関車(組織)から飛び降りる人々が五万と出てきたし、その人々がまた、初心に帰って新たな批判精神披歴・開陳の仕事を始めています。ぼくはその方々に深甚の応援を送りたい。無所属万歳、です。「ごまめの歯ぎしり」で結構さ。小は大を射ること、得意の戦法なんです。

 こんなことはこれまでにも繰り返し言ってきたことですから、これ以上の駄弁は止めておきます。この島の報道機関には、権力側に自分も位置したいというあからさまな一念で「頑張っている(我を張る)」ところがあります。それが憲法違反ではない限り一向にかまわない。事実を報道しているかどうかが判断の基準になるからです。それとは反対(権力のすることはすべてOKとはいない、ならない)の立場で、更に批判的な報道を貫こうとする機関があるとは、ぼくには見えないのが残念だし、じつに情けなく思う。ぼくは新聞やテレビをいつでも注視している人間ではありません。むしろ、それを敬遠している言った方がすっきりします。だから新聞やテレビがどんな記事や番組を垂れ流しても構わないというのではない。言うまでもないことで、それぞれが社会から課されている責任を忘れているとみるからこそ、言わなければならないことを言うだけなんだ。持ち場で手を抜くと、迷惑は思わぬ方面にも及ぶからです。

 権力の愚行についても、ぼくは同じ態度を維持したいと考えています。「ごまめの歯ぎしり」というのですか、「力量の足りない者がいたずらにいきりたつことのたとえ。石亀の地団駄。〔諺苑(1797)〕」(精選版日本国語大辞典)歯ぎしりしたいけど、今や義歯です。義歯でも可能なことが何か、ささやかな「日記」を書くことです。男もすなる日記を、我もしてみんとするなり。包み隠さず、言わねばならぬことを表白する。

 それで結構、なんと言われようと、(悲壮感などは微塵ももたないで)、おかしいことはおかしい、ダメなものはダメと、言い続ける、それがぼくの「自主トレ」のメニューになっているのです。ここにいう「ごまめ」とは「小型のカタクチイワシ、煮干し。御健在(ごまめ)の意にあてて縁起物として正月料理に用いられる。おもにあめ煮にするが,だしをとるのにも利用。田作(たづくり)とも呼ばれるがこれは昔イワシが肥料とされたためなどといわれる」(マイペディア)いま、これが拙宅に困るほどある、猫の大好物だからです。その残りを、ぼくら夫婦は時々いただく。

 例えば、コロナ感染者数の報道をみると、国民のいのちを守ろうとする気があるのか、それとも捨て置け、構うなという、棄民の姿勢をあからさまにしようとしているのか、ぼくは、この一年つくづく政府や政治家の汚さを見せつけられてきた。その汚い政治や政治家を「美装」してきたのが報道機関。美装を偽装する作業に社運をかけているのかしら。本日の感染者は何名、重症者や死者は何名などと、累計何名でしたと、何をもって(ごんなわけがあって)こんな愚を繰り返しているのか。それを知ってか知らずか、一向に改めない。さらに言うと、ある邪な意図をもった、明らかに数値のごまかしがあります。改竄ですね。どんなことがあっても「五輪」開催というのですから、それに合わせて状況を作り変える役割を報道機関は嬉々として果たしています。この時、「大本営」は誰であり、どこにあるのでしょうか。政府報道のいたるところに「大本営」はあるのです。官邸記者クラブや内閣記者会、各省庁記者会などといった「小本営」が。いわば分担して人民を苦役死させようと企んでいるのが目に見えます。人間を数値に閉じ込めて、(悪質という点において)恬淡としていられる恐ろしさ。如何にも、如何にも「コロナ死」や哀れ。

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