別に仔細なし、胸すわって進むなり(「葉隠」)

【談話室】▼▽「罹患(りかん)率の減少」「重症者死亡者の減少」と評価する一方で「無効なるべし」「認む可(べ)き効なし」と見解は分かれた。「スペイン風邪」で1919~20(大正8~9)年に接種された「ワクチン」の効果の総括である。▼▽内務省衛生局が後に刊行した報告書「流行性感冒」は当時の実情を記す。インフルエンザのパンデミック(世界的大流行)に際し、政府は国民に接種を奨励する。希望者は激増し「ワクチン」は不足したが、全国で464万人、うち県内では27万5千人が予防接種を受けた。▼▽新型コロナのワクチン接種に備えて県は「総合本部」を設置した。実施主体の市町村、医師会、医療機関などと連携し、体制整備を急ぐ。3月上旬には医療従事者、同下旬には65歳以上の高齢者と接種の対象を順次広げる。政府は一般の人の接種開始を5月ごろと想定する。▼▽大正9年2月5日付本紙は、山形市の「注射場」施設が「日々一千名を下らざる盛況」で市民が「黒山の如(ごと)く」押し掛けたと報じる。当時の「ワクチン」の効能には疑問符が付いたが、疫病の猛威を前にして予防接種に寄せられる期待は100年の時を経ても不変のようだ。(山形新聞・2021/01/21付)

【談話室】▼▽十分な兵力が確保できず補給も難しい。計画段階からの懸念は的中した。敗戦の前年、日本陸軍が展開したインパール作戦である。ところが戦況が悪化しても上層部は精神論を振りかざす。「断シテ行ヘハ鬼神モ避ク」▼▽東京五輪の大会組織委トップ、森喜朗さんの職員向け新年挨拶(あいさつ)に往時の軍令をつい連想した。「考え込んだり、たじろいだり、心の中に多少の迷いがあったら全てに影響する。あくまで進めていかないとならん」。新型コロナの影響は気力で振り払え、ということだろうか。▼▽ただし感染拡大が止まらず、五輪開催への懐疑が広がっているこの時期、精神論だけで世の共感を得ることはできないだろう。その点、河野太郎行政改革担当相が韓国紙に先頃述べた言葉は腑(ふ)に落ちた。「ワクチンがあるからこそ五輪も可能なので、確実にやっていきたい」▼▽現状に欠かせない対策を見極め、着実に実施する。言い換えれば作戦と兵站(へいたん)に十全を期してこそ、勝利の女神はほほ笑む。河野さんはワクチン接種に関して政府全体の調整を担うことになった。現実を直視しながら命を守り、五輪も見据える。難局に処する手腕が問われる。(2021/01/20付)

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 スペイン風邪のパンデミックは今から百年前でした。インド領「インパール作戦」の大愚挙は今を去る八十年前。今回の「新型コロナ」の大感染も、国民にとってはなんとも間の悪い時期に当たったものだと、「令和」人の不幸を嘆いても始まりません。「談話室」で論じあうにはあまりにも深刻なテーマですが、ぼくの経験では、二日連続の「いいね」というコラムにはまずお目にかかれなかったのですから、こちらは幸運であったと感謝しておきます。

 新型コロナ対策の「切り札」と目されているワクチン。果たして目論見通りにうまく行くかどうか。まずそれはあり得ないという予想が先に立つ。これまでのさまざまな「全国一律」事業で政府が打ち上げたものがスムーズにいったためしはないどころか、いたるところにトンビがうまい汁(油揚げ)を狙っており、みすみす「税金」を浚われてきたのを見せつけられているのです。島全体でワクチン接種、いったいこれをどうこなすのかと案じていたのですが、なに、例の「D通」なる鬼神が「一時の業務休憩」を終了して、やおら登場・再登場となるのでしょう。この手のロジステッィクならお手のもの、俺達にしかできないのだから、どれだけ甘い汁を吸っていると非難されようが、結局は泣きつく先は「俺っち」という話です。島の「中抜きさん」、なんじゃらほいという進行ぶりです。

 ワクチンが「特効薬」ならぬ「切り札」となるのかどうか、ぼくには分かりませんが、これまでの数々の「薬害」の惨状を見てみると、簡単には喜べないのです。ワクチンに頼るより、まず感染しない予防の徹底しか手はなさそうです。いやそれが最良の方法だというばかりです。いったい、このワクチンなるものに、どれほどの税金が投入されようとしているのか。かすかに維持しているわが元気も失せるように思われます。

 インパール作戦については、語る言葉もなければ気力もない。いったいこんな無謀を敢えて犯そうとするのは、理由があるはずですが、おのれ一個の名誉のためだとしたら、泣くに泣けず死ぬに死ねない、兵士や哀れ、です。牟田口廉也だけが有名になったのですが、このような、蛇蝎すべき上官は戦時はもちろん、平時にも事欠かないし、やることなすこと、すべてが自らの利害に直結しているのです。「一将功成り万骨枯る」どころの話ではありません。一将の功といったところで、「五人前も食べられるか」という類の話です。

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 戦死やあわれ
 兵隊の死ぬるやあわれ
 とおい他国で ひょんと死ぬるや
 だまって だれもいないところで
 ひょんと死ぬるや
 ふるさとの風や
 こいびとの眼や
 ひょんと消ゆるや
 国のため
 大君のため
 死んでしまうや
 その心や(以下略)
 (竹内浩三「骨のうたう」)(右上写真・牟田口廉也中将)

● 牟田口廉也(レンヤ)(1888-1966)昭和時代前期の軍人。明治21年10月7日生まれ。昭和12年盧溝橋(ろこうきょう)事件のとき,支那駐屯歩兵第一連隊長として現場で指揮。18年第十五軍司令官。インド進攻による戦局打開をはかり,19年インパール作戦を実施。補給無視の無謀な用兵により,参加将兵10万の半数をうしなった。陸軍中将。昭和41年8月2日死去。77歳。佐賀県出身。陸軍大学校卒。(デジタル版 日本人名大辞典+Plus)

● インド北東部,マニプル州中部にある同州の州都。マニプル丘陵中の盆地に位置。イギリス領となるまではマニプル王国の地。現在は交通,工業の中心地で,米,トウモロコシなど農産物を集散し,手織物,手工芸品を産する。イギリス統治時代からの軍事上の要地で,第2次世界大戦では日本軍がインパール攻略作戦を実施して町を包囲したが,イギリス・インド軍に大敗。インパールカレッジ,空港がある。人口 19万 6268 (1991) 。(同上)

 牟田口は佐賀の出。山本常朝の「葉隠れ」と言いたいんですが、どうですか。彼は最後まで生き延びた、戦後も生きた。部下を見殺しにした、責任を部下に擦り付けた、これを武士道とは言わないでしょうね。ぼくは「武士道」は好かないし、「武士」もあまり褒められたものじゃないと思っています。「武士道といふは死ぬ事と見付けたり」というのは、「部下が死ぬ事と見付けたり」だったのかもしれない。それは徹底した「観念論」なんです。「道」はすべからく「実践」だと、ぼくは思いたくなりますが、頭の中では、それは違うでしょう。ここではこれ以上言わないが、実践から離れれば、物事は精細・精緻に、あるいは美麗、優美になるのは必然です。「絵に描いた餅」「理路整然」などと、どこまでも進んでいくのが「観念論」です。

 以下の記事の中でも、平時の戦士気取りが「観念論」「神風待望論」を披歴している様子が見られます。いったん決めたら「その通りにやる」と断言するのが肝心、ブレないのが肝要。つまりぎりぎりまで引っ張る作戦の展開でしかないけど、そこからどれだけの「犠牲」が生まれるかは考えの中にない。「インパール」がここにある。それもこれも、自らの果たすべきだった「責任逃れ」でしかないんですよ。

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 ワクチンなし、観客なし、選手なし、それでもやる。「やるといったら、やる」「えらいだろ」という「玉砕」の愚。「開く、開く」と、何を血迷っているんでしょうか。

 いろいろと入る情報からすれば、どうもワクチンは五輪開催には間に合いそうもないという。「ワクチンなし」でも開催と言い切る関係者も出てきました。悲愴というか、滑稽というか。(「7月23日の開会式まで間もなく半年になる中、武藤事務総長は、開催都市の東京に緊急事態宣言が出た日本を含め、新型コロナウイルスの感染者が各国で急増していることに国民が「不安」を感じていると認めた。しかし、ワクチンの接種を選手や観客に義務化せずとも開催は可能だと強調し、感染状況が改善すれば世論の風向きも変わるはずだと話した。」(AFP,JIJI・01/20)

 ([東京 22日 ロイター] – 東京五輪・パラリンピック組織委員会の武藤敏郎事務総長は21日、ロイターとのインタビューで、半年後に迫った7月の大会について、中止や再延期になる可能性を否定した。どの程度の観客を入れて開催するかは3─4月に判断することになると語った。/ 武藤氏は「延期が具体的な検討課題になったことはない。中止もそうだが、延期もない。7月にやることは1年前に決めてずっと準備をしてきた」と強調。「どのように実行するのか、というのが我々のミッションだ」と語った。)(https://jp.reuters.com/article/muto-oly-idJPKBN29R0CW)

 「ワクチンがあるからこそ五輪も可能なので、確実にやっていきたい」「ワクチンの接種を選手や観客に義務化せずとも開催は可能だ」同じ事態を眼前にして、言っていることが正反対です。しかし、どこかぼくたちの知らないところでは、同じ話になっているのかもしれない。政治家の言語表現は裏があるし、裏には裏があるし、またその裏がある。要するに、無茶苦茶だというほかない。「最後までやるつもりだった」という格好をつけているんですね、敵(コロナ)より早く「白旗」を挙げたといわれたくないための作戦。「インパール作戦」ならぬ、「インペール作戦」(自分たちの責任を隠蔽する)だろうね。悪知恵、つまりは、これを「奸智(wiliness)(virusと似たようなものか)」というのです。「インパール平原には草木は無尽蔵。日本人は草食人種だから、いくらでも戦える」といったのは、無駄口だった。

 ここで最も肝要なことは、無謀な作戦は撤回し、「戦争」をしないことです。今の状況でいうなら、「無条件で五輪中止」(ぼくは、今や「五輪」開催は所期の目的を終了した、人民を出汁にして、うまい汁を吸うやつのためでしかないんだといいたい。いまさら、それを開く意味を見出せないと愚考しているので、永久中止だといいたい)二週間かそこらで大枚の税金(三兆円ともいわれる)を無駄遣いすべきじゃない。(左上はインパールにある「戦争記念館」)

 「バカな大将、敵より怖い」と、ぼくたちはいまだに「満州事変」や「インパール作戦」の只中の「捕虜」になっているみたいです。牟田口中将は、最晩年に「(インパール作戦の無謀な展開について)あれは私のせいではなく、部下の無能さゆえに失敗した」とくりかえし述懐した。「東京五輪が中止になったのは、俺たちのせいではない、莫迦な国民のせいでそうなった」と組織委員会のMたちがいうのは、もう見え透いています。「戦死や哀れ」「バカな大将、敵より怖い」なんでもいいから、とにかく、一刻も早く中止、「貴重な戦力・戦費」を「コロナに集中」すべし。歴史から学ぶというのはどういうことかを、だれであれ学ぶ必要があります。

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投稿者:

dogen3

「上を思えば限りがないと、下を見て咲く百合の花」になれるものなら、という想いです。それこそ、「高嶺の花」ですが。「昨日は俗人 今日は僧、生涯胡乱(うろん)これがわが能」と自称した一休さんは、一面では「相当な人物」だったと、歳をとるとともに思わされています。