穏やかな天候と豊作祈願、北秋田市で「雪中田植え」

今年の稲の作柄を占う秋田県北秋田市の小正月行事「雪中田植え」が15日、同市綴子の大太鼓の館駐車場で行われた。田に見立てた雪に、苗に見立てた稲わらと豆殻の束を植え、豊作を祈願した。JA秋田たかのす青年部(岩谷政崇部長)の主催。
新型コロナウイルス感染防止のため、参加者は田植え役を除きマスク着用を徹底した。/ 田植え役は青年部員の亀山春樹さん(23)=同市栄=が担当。すげがさとみのをまとい、1・8メートル四方の雪の田んぼに稲わら16束を丁寧に差し込んだ。最後に、田の神への目印となるわらぼうきを逆さにして中央に立て、料理と酒を供え豊作を祈った。
雪に差した稲わらの状態で今年の作柄を占う「雪中稲刈り」は2月1日に行う。稲が実ったように適度に傾いていれば豊作。直立していれば実の入らない「不稔」、倒れていれば風水害による「倒伏」で、それぞれ凶作とされる。/ 田植え役を初めて務めた亀山さんは「穏やかな天候が続き、豊作になることを願って植えた」と話した。/ 雪中田植えは戦後一時途絶えたが、地元農家が1983年に復活させた。その後、合併前の旧綴子農協(現JA秋田たかのす)青年部が引き継ぎ、毎年行っている。岩谷部長は「コロナ禍で開催できるか心配だったが、無事に行うことができて安心した」と話した。(秋田魁新報「電子版」・2021年1月16日載)

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●雪中田植(読み)せっちゅうたうえ 【田遊】より 「…それも修正会(しゆしようえ)の法会が民俗行事化したものに付随する場合が多い。芸態は,自家の門田(かどた)に初鍬を入れて簡単な唱え言をするものや(春田打,春鍬),わらや松の小枝を苗に見立てて田植の所作を模す簡単なもの(雪中田植),身振りや会話を主に演劇的に稲作工程を進める所(静岡県三島市三島大社の御田打祭,愛知県設楽町田峯の田楽,奈良県明日香村飛鳥坐神社の御田など),唱え言を主にして象徴的身振りを加える所(静岡県森町小国神社の田遊祭,長野県阿南町新野の雪祭)など多様であるが,いずれも歳神(としがみ)や氏神の感染呪術による秋の実りを期待することに変りない。東京都板橋区徳丸の田遊(2月11日)では唱え言と模擬動作を組み合わせて一年の稲作工程を演じるが,太鼓の表面を田面,餅を鍬,松葉を苗などに見立てるなど,実際の農具は使用しない。…」(世界大百科事典内の雪中田植の言及)

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今ではその由来も定かでなくなったり、縁起とはおそ異なる「民間伝承まがい」の年中行事となってしまったものがほとんど。まあ、春や秋の祭礼に「お御輿」を軽トラックに載せてアスファルトの道を巡回するようなものでしょう。それをとやかく言うのではありません。まがりなりにも、由来(伝承)を尊重しようとする心持が、先祖霊とつながっていると自分自身で確認するのに必要な作業だと考えていい。宮中での「田植え」「稲刈り」もまさに廃れ切った農事の成れの果てであるともいえるわけです。このような風習を観て(実施して)、ぼくたちは何を感じられるか、それもまた今では深く問われなくなりました。

秋田や山形ばかりではなく、各地でそれぞれの幻影の尻尾をつかむような「年中行事」がほそぼそと、過去とは一本の糸でつながれています。ぼくは二十歳前までは関西に住み、それ以後は関東暮らしを続けてきましたので、東西の「文化」(生活習慣)の違いに、いまもって馴染めないものがあります。人間もまた「文化の産物」だとするならば、「異文化交流」だの「文化多元主義」だのと言ったところで、そんなに簡単にはいかないものだと実感しています。互いの違いをまず認めるということが難しい。料理の味付けや食事のマナーなどはいずれ混淆してしまって、その差も消えてゆくのは目に見えていますが、仮に、夫婦が東と西の産だったらどうします。

なかなかうまくいきませんね。ぼくはかれこれ半世紀、今のかみさん(いえ、前のかみさんはいない)と暮らしていますが、年々歳々融合する親和性より離反する危険性を痛感しながら、綱渡りのような人生を送ってきました。彼女は江戸そだち、ぼくは京都でしたから、言葉遣い(交際)がまずかみあわない。「なんなのよ」に対して「なんでやねん」と、長調と短調のちがいというか、正調と破調というか、ボケと突っ込みというか、とにかく交わらない。平行線は永遠に交わらないと学校で習いましたが、この夫婦は「平行線」であり「閉口」でありますね。非ユークリッド数学なら、どうなるか。

割れ鍋に綴じ蓋といいます。「破損した鍋にもそれ相応の蓋があること。どんな人にも、それにふさわしい伴侶があることのたとえ。また、両者が似通った者どうしであることのたとえ。[補説]「綴じ蓋」を「閉じ蓋」と書くのは誤り。「綴じる」は縫い合わせるの意で、「綴じ蓋」は修繕した蓋のこと」(デジタル大辞泉)似通っているということは、似て非なりという意味ですね。他人と比べて五ミリの違いが決定的だというようなことをフロイトだったかが言いましたが、一ミリの違いが一メートルにもなるのが「似たもの同士」です。似ているというか、違っているというか、どちらに重きを置くかという哲学の問題になります。コップに水が半分も、というか、半分しか、というか。ものは言いよう、考えようですが、そのもとになる下地が異なる「文化」で養われていると、なかなかその差が埋まらないのです。
半世紀の「狐と狸」だとは思いませんが、いつでも喧嘩をしながらの五十年でしたね。雨降って地固まると言いますが、年々、雨は激しくなるばかり。やがて豪雨に見舞われるか。異常気象の時代に共に暮らすというのも、スリルがあるし、至難の業に近いんですね。実感、実感、また実感です。段々、殺気を帯びてきそうなのでこのあたりで止めておきます。

若いころ、ぼくは柳田国男さんたちの「民間伝承」「地方(じかた)研究」「民俗学」などと称されるものの仕事にかじりついていた時間が長くありましたから、「雪中田植え」や「どんど焼き」「左義長」(右写真)などなど、小正月に纏わる慣習(風習)に大いに興味を持ちました。(●小正月=陰暦の1月15日、またはその前後数日の称。小年(こどし)。二番正月。若年(わかどし)。デジタル大辞泉の解説)それもこれもすでに半世紀の昔ですから、「伝統」がかろうじて維持されるというものの、火事場の消火後の水蒸気の蒸発みたいな、まるで痛ましい姿かたちだという、なさけない感想を持つほかなくなるのです。そんなことなら、いっそなくすればいいじゃないかとも、想ったり。しかし、どんなに変貌を遂げようと、続けていれば、心持もまた古代人のレガシー(legacy)に重なって来たり。あるいは憑依なんてことが生じないとも限りませんしね。
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