
【余録】「寒(かん)の内に雪がたくさん降ると、その年は豊年」「寒に霜の多い年は夏日照りがある」――昔のことわざだ。寒の内、寒中は小寒の初めから大寒の終わりまでの約30日間、1年で最も寒いとされる時季である▲ことわざによれば、昔の人は寒の内の天気にその1年の気候が表れると考えていたらしい。この考え方にもとづいて、東北地方では寒中の天候の推移から、1年の気候の変遷を読み取る「寒試し」と呼ばれる天気予測も行われた▲夏の冷害が飢饉(ききん)に直結した昔、冬ごもりの暮らしの中でその年の天候を占う人々の気持ちの切実さには胸を打たれる。そして今、寒中とも重なり合う約1カ月間のステイホームの暮らしが今年1年間を左右するコロナ禍の冬となった▲おりしも今冬3波目の強烈な寒波に襲われた「寒中」の列島である。宮城県の古川など全国20地点で観測史上1位の冷え込みを記録し、日本海側の降雪も続いて富山市では35年ぶりの大雪となった。雪にはきょうも警戒が必要という▲寒の内は春からの1年の仕込みの期間という考え方は、人の成長や進境についてもあった。武道や芸事に寒稽古(かんげいこ)、寒(かん)復習(ざらい)があるのも、寒中の試練こそが春の飛躍をもたらすという発想ゆえだろう。今なら受験生の心境に近いだろう▲人のあらゆる営みをのみ込むコロナ禍が、感染拡大の続く各地で人々に強いる冬ごもりである。やってくる春に私たちは新たな暮らしのサイクルを起動できるのか。その答えが仕込まれる寒中の試練の日々だ。(毎日新聞2021年1月10日 東京朝刊)
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(旧暦と新暦などについて、いずれ愚考の幾分かを記すつもりです。この島社会で新暦(太陽暦)が採用されたのは明治(太陰暦・旧暦の)5年12月3日で、その日が新暦では明治6年1月1日とされました。二つの暦の間には時間差が生じており、それが徐々に大きくなるという不都合があるために、いくつかの工夫を凝らしてきました。(月が地球を一巡するのは29.53日、12か月で354日、地球が太陽の周りを回るのに365日を要する。「旧暦」は「新暦」より11日短くなる計算です)まあ、暦におけるコペルニクス的転換(欧化政策)を認めに結果、旧慣・旧習が時とともに季節外れになるという(悲喜交々の)事態が生じてきたのです。例えば、本年一月二十日は「大寒」ですが、旧暦では十二月八日でした。その後に次ぐ「立春」も新暦では二月三(四)日ですが、旧暦では十二月二十二日となる。暮れのうちに「立春」というのも奇妙ですが、これは潤月を加えて一年を十三か月として調節などをしたのです。細かいところはさて置いて、旧歷と新暦の時間差を考慮しないと、明治(新暦採用)以前の文芸作品・食に伴う味覚や年間行事(には限りません)などの季節感を味わうことは難しくなる。「冬のうちに春は来にけり」その一例になるかどうか、いくつかの俳句を例題にして考えてみるのも一興ではないでしょうか。
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本日は、一月(睦月)十七日、ことのほか寒々しい年明けのつづきのような寒気が漂っています。まるで春の柔らかな日差しを思わせる好天気もありますが、気鬱のせいか、それさえもまた、歓迎したくない寒さの前触れとも取れなくはないのです。新春は五日が「小寒」でした。「寒の入り」ともいいます。やがて二十日には「大寒」となり、如月の四日が立春、つまりは「寒の開け」です。この一か月ほどが「寒の内」で、年のうちでも最も寒い季節というのが相場でした。旧暦では「小寒」は十一月二十二日、「大寒」は十二月八日となります。「立春」は十二月二十三日。つまり、文字通り、「立春」が来て、ようやく春を迎えるという感覚でした。今とはずいぶんと季節感が異なってしまったのも致し方ないとも言えますが、先人の俳句などを見ると、この感覚の溝はどうしようもないくらいに大きくなっていることが分かります。(どうでもいいことですが、ぼくはかなり昔から、旧暦愛好者でした。それとは無関係に「旧漢字」の利用者でもありました。理由は単純、古い文書や文章を読む機会が多かったからです。しかし、その煩雑・煩瑣なことは言を俟ちませんでした)
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しら梅に明る夜ばかりとなりにけり 与謝蕪村

《 天明三年(1783)十二月二十五日未明、蕪村臨終吟三句のうち最後の作。枕頭で門人の松村月渓が書きとめた。享年六十八歳。毎年梅の季節になると、新聞のコラムが有名な句として紹介するが、そんなに有名なのだろうか。しかも不思議なのは、句の解釈を試みるコラム子が皆無に近いことだ。「有名」だから「自明」という論法である。だが、本当はこの句は難しいと思う。単純に字面を追えば「今日よりは白梅に明ける早春の日々となった」(暉峻康隆・岩波日本古典文學大系)と取れるが、安直に過ぎる。いかに芸達者な蕪村とはいえ、死に瀕した瀬戸際で、そんなに呑気なことを思うはずはない。暉峻解釈は「ばかり」を誤読している。「ばかり」を「……だけ」ないしは「……のみ」と読むからであって、この場合は「明る(夜)ばかり」と「夜」を抜く気分で読むべきだろう。すなわち「間もなく白梅の美しい夜明けなのに……」という口惜しい感慨こそが、句の命なのだ。事実、月渓は後に追悼句の前書に「白梅の一章を吟じ終へて、両眼を閉、今ぞ世を辞すべき時なり夜はまだし深きや」と記している。月渓のその追悼句。「明六つと吼えて氷るや鐘の声」。悲嘆かぎりなし。》(清水哲男)

この解釈については多言を要しないと思います。身罷る直前の「白梅に託した命のかぎり」、そこに蕪村の無念を読み取る業は、そばにいた人にしかつかみ得ないものだった。ぼくは蕪村のファンでもありましたから、たくさんの作を知っていますが、はたして月渓のような理解というか、核心をつかまえていたかどうか、まことに怪しいものです。
一輪を五つにわけて梅ちりぬ 鶯の声遠き日も暮にけり 鶯や茨くぐりて高う飛ぶ 水にちりて花なくなりぬ岸の梅 うぐひすの啼やちいさき口明て
思い付きで選んだ蕪村の五句。「しら梅に…」とどこがどう違うのか。句の余韻が伝わるまで読むこと、それにつきますね。くっきりと記された印影が、これらの五句ではすっかり消えているというふうにも、読めば読めますね。ここまでくると、わが想像力の貧困が恨めしくなるのですが、だからこそ、松村月渓のような人がいるという有難さをしみじみと感じるのです
「明六つと吼えて氷るや鐘の声」。悲嘆かぎりなし。(「明六つ」は今の午前六時か。)

●与謝蕪村=江戸中期の俳人,文人,画家。摂津国の生れ。本姓は谷口,のち与謝と改める。俳号,宰鳥,落日庵,夜半亭など,画号,子漢,春星,謝寅など。江戸で早野巴人(夜半亭宋阿)に俳諧(はいかい)を学ぶ一方,文人画に精進し,巴人死後,北関東,奥州方面に10余年の流寓の生活を送った。1751年に上洛したころには,俳諧より画業に心を寄せており,以後晩年にいたるまで絵画修行に努めた。その後一時丹後与謝に住み,画業に専念。季節感の把握にすぐれた南画や俳画,気迫に富んだ水墨画を描き,池大雅とともに日本文人画の大成者とされる。大雅との合作《十便十宜》ほか多数の作品がある。俳諧には1766年ころから再び情熱を傾け,太祇,召波らと句会を続け,1770年2世夜半亭として巴人を継承して宗匠の列に加わる。芭蕉を崇敬し,蕉風の復興に努め,天明俳諧を確立。門弟几董(きとう)の編になる《あけ烏》は蕉風復興の宣言であったが,以後蕪村とその門は活躍を続け,〈蕪村七部集〉に結実した。蕪村にはまた《春風馬堤曲》《澱河歌》などのすぐれた自由詩的作品もあり,《夜半楽》に収める。他に句日記《新花摘》など。(百科事典マイペディアの解説)(註 この「解説」には触れられていませんが、蕪村の母堂は京都丹波の国・与謝郡の出と言われています)
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太陰暦も太陽暦も、人間が考案した「自然との交際法」でした。今でいえば、明治の砌(みぎり)、世界標準(global standard)に迫られて暦法を変更したのも「文明開化」という外圧をしのぐ便法だったとも言えます。だが、カレンダー(表紙)は変えられたが、それまでのカレンダーをなり立たせていた「文化(農事)」(中味)は置き去りにされました。その結果、暦と季節との間に大きな齟齬が生じて今に至るというわけです。そうなると、どういう事態になるのか。「春は名のみの 風の寒さや」と、カレンダーを詰(なじ)るのか、実際の季節を恨めしく思うのか。どちらにしても、不定愁訴が募るばかりという状況に見舞われるのでしょう。見ると聞く(読む)とは大違いと、何かに文句を言いたくなるのですね。

加えて、近年は「地球温暖化」の悪影響とされている高温・暴風・豪雨化の波状攻撃が例年この島を急襲します。年々、この攻撃は激化の一途をたどっている。迎える陣地は手もなく降参ばかりしています。これまでは。この島の気候は「温帯」などと言われていたが、今や「亜熱帯」か、盛夏には「熱帯」と見まがう異常気象がつづいています。島の北方の地にもバナナや椰子の実が育つという。柳田国男さんや島崎藤村さんは、この事態に遭遇して、はていかなる「椰子の実」を作ろうとするだろうか。これもまた、この島だけの問題でもなく、地球規模の眼前の難題であるというほかないでしょう。さらに加えて、COVID-19の異様な猛威に逼塞を余儀なくされている「地球市民」です。
このどさくさにまぎれて、あちこちであらぬ画策を弄している輩が後を断ちません。暦通りの季節から、さらに外れに外れて、ぼくたちはどこに行こうとしているのか。ガソリン車を電気車に変えても、もう手には負えないところにまで来てしまったようです。地球の南北が反転する・した、のでしょうか。
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