がんばろう、その後、湯ったりくつろごう

 阪神・淡路大震災26年 祈り、歩む、1・17

 1995年1月17日に起きた阪神・淡路大震災から、17日で丸26年を迎えた。発生時刻の午前5時46分に合わせ、神戸市中央区の東遊園地など各地で追悼行事が開かれ、人々は亡くなった大切な人たち、失ったものに思いをはせた。(神戸新聞・2021/1/17 12:45)

 歳月は人を待たず、「年月は人の都合にかかわりなく刻々に過ぎ去り、瞬時もとどまらない。〔陶潜‐雑詩十二首〕」(精選版 日本国語大辞典の解説)何事によらず、幸も不幸も、忘れがたい思いが強ければ強いほど、気が付けば、あっという間に過去に消えてゆくようにも思われます。まさに光陰矢の如しというべきか。その昔、物理学者の寺田寅彦さんは「天災は忘れた頃に来る天災は忘れられたる頃来る)」と言ったそうです。いかにもそうだと思われていた時代の逸話でした。忘れる間もなく、いや応接に遑もないくらいに、間断となく「天災」も「人災」も生じて止まないのが現代です。その意味は、身寄りのない衆生が災害に遭うタネは、いたるところ、まるで地雷原の地雷の如くに仕掛けられているというべきかもしれない。

 この二十六年、ぼくには無関係でありましたとは言えない、いくつもの因縁がありました。亡くなった方もおられたし、大切な人を亡くされた知人もいた。何をするかという術を持たないからこそ、ひたすら祈るほかになかったという二十六年でした。「あの災害に遭ったのは、ぼくだった」という否定できそうもない壮年が年々、強くなるのです。また古いところに逃げ込むようですが、時間の経緯を越えて、ぼくたちが感じる、時に寄せる感受性は変わらないといいたいのです。「歳月不待人」とはどういうことか。

人生無根蒂 飄如陌上塵
分散逐風轉 此已非常身
落地爲兄弟 何必骨肉親
得歡當作樂 斗酒聚比鄰
盛年不重來 一日難再晨
及時當勉勵 歳月不待人

●陶淵明=陶潜(読み)とうせん 365―427とうせん タウ‥とうせん〔タウ〕陶潜 Táo Qián 中国,東晋,宋の詩人。字は淵明。若くして官についたが,《帰去来兮辞》を賦して彭沢(ほうたく)の令を退いた後,官界の汚濁をきらって田園に閑居した。隠士的相貌(そうぼう)の裏に人生体験や政治的抱負を秘めた理想主義的自然詩を書く。自然詩人の先駆として,後世に与えた影響は大きい。他に《桃花源記》など。《陶淵明集》5巻がある。(百科事典マイペディアの解説)

 陶淵明なら「帰去来辞」をまず。ただ今の島社会のお役人たちの風体というか風貌にも、この詩の役人はどこか似ているような気がしないでもありません。ぼくの知り合いにも「中央官庁」のお役人さんである人がたくさんいます。それぞれが、原寸(等身)大かあるいは三倍台の「こころざし」を持っておられるだろうし、その思いのたけを果たして、いつの日にか「故郷に錦を」を目指しておられるのだろうと、ぼくは推察します。マットウな仕事をして、少しでも他人のために、困苦している人のためになりたい、その志操の高からんことを、ぼくは切願します。

 陶淵明の語る「田園」は、おのが家宅であり里輪の内であったともいえます。まだまだ、「国破れて」という惨状ではなかったかもしれない。だから、すべてを放擲するには及ばなかった。ひるがえって、我が邦の「田園」はどうか。ただでさえ荒れ果ててきたのに、耕作放棄地を生みだせば「金員」が降ってくるという、狂気の政策誘導でいやがうえにも荒れて、荒らされてしまった。どこから手を付ければいいのか。種子も種苗も、まさに枯れなんとしている。だれが、この荒廃に手を貸したのだろうか、と問わねばならぬ。

帰去来兮。田園将蕪、胡不帰。
既自以心爲形役、奚惆悵而独悲。
悟已往之不諌、知来者之可追。
実迷途其未遠、覺今是而昨非。
舟遙遙以輕颺、風飄飄而吹衣。
問征夫以前路、恨晨光之熹微。(以下は別稿にて)

 「今こそ(役人を辞め)、帰郷するがいい、これまで(の生き方)は間違っていた」「心機一転する時だ」と、いつでもどこにでもいる、誠実に気付いた一人の官僚の物寂しい心象風景である。一廉の人物になって、我が世の春を謳歌したいという、それが大志であれば、誰も邪魔はしない。しかし、いつしか心は肉体の奴隷になる、初志を誤ったことも我知らず、むなしい時間を過ごしてしまった。余りにも凡庸なとらえ方ですが、ここに、もう一人の兼好や長明がいるようでもあり、いやいや、彼我の差は比べるべくもないほど遠いというべきなのか。帰去来の方は世の中(出世)に見切りをつけた人、わが邦の「無用者」は、世の中との縁を切れなかったのです。ともかくまあ、ぼくは漢文の教師じゃないから、いらない講釈は止めておきます。

 家を空けている間に故郷は荒れ放題となった。それにもかかわらず、嵩にかかって、しかし天災は人災をも巻き込んで、驚天動地の災厄をもたらす。しかもなお、そこから地を這うようにして立ち上がる、そのエネルギーはどこから出てくるのか。ぼくにはこの人力・人智の出どころは「謎」です。人生というものは「七転び八起き」などというけれど、どこまでもあきらめない、人生からは撤退しないという気概や気力が備わっている、そんな人間が数多存在しているに違いない。それを知るだけでも勇気のいくばくかを得た気になるのです。情け知らずの世の中にあって、「情けは他人の為ならず」というかすかな緊張を保つ「琴線」をどなたも持っているに違いない、たがいの「琴線」にふれあいながら、その響きあいに誘われて、ぼくたちは命を存(ながら)えるべしという選択を果たすのでしょう。辛いけれども、温かい、この二つながらの「琴線」が奏でる音色に励まされて、気が付けばもう二十六年であり、まだ二十六年であったのだ。その感情を重ねて、更に犠牲者への想いを深めるのですね。


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函館にサルの温泉、極楽でござる

(⇦ 温泉に漬かり、目を閉じてくつろぐニホンザル=12日午後、北海道・函館市熱帯植物園)(註 「漬かる」とは、このおサルさんたちは「漬物」のようだというのかしら。記者さんへ質問です)

 北海道函館市の湯の川温泉街にある市熱帯植物園で、飼育中のニホンザルが温泉に漬かるイベントが開催中だ。目を細めてゆったりとくつろぐ愛らしい姿が来園客に人気で、5月5日まで見られる。/ 近くの源泉から引いた湯をためた約18平方メートルの湯船で、サルは肩まで漬かり、毛づくろいをしたり、腕をだらんと伸ばしたりとリラックスした様子。近くで見学する来園客が餌を持つと、温泉の中から盛んに手をたたいてアピールした。/ イベントは1971年から毎冬開催している。同園のサル約60匹のうち、温泉好きは8割ほど。湯加減にうるさく、41〜42度に保っているという。( 共同通信 | 2021年1月12日(火) 17:11)

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 片や「がんばろう 1.17」があり、こなた「くつろごう、1.12」です。ぼくには他意はない。がんばったら、その後で寛(くつろ)ごう。寛いだ後には、また頑張ろう、という人生(猿生)、あざなえる縄の如し、という、睦月は寒の内、島の南北に見られた一構図でありました。(「みなさん、失神してません」⇒)

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投稿者:

dogen3

 毎朝の洗顔や朝食を欠かさないように、飽きもせず「駄文」を書き殴っている。「惰性で書く文」だから「惰文」でもあります。人並みに「定見」や「持説」があるわけでもない。思いつく儘に、ある種の感情を言葉に置き換えているだけ。だから、これは文章でも表現でもなく、手近の「食材」を、生(なま)ではないにしても、あまり変わりばえしないままで「提供」するような乱雑文である。生臭かったり、生煮えであったり。つまりは、不躾(ぶしつけ)なことに「調理(推敲)」されてはいないのだ。言い換えるなら、「不調法」ですね。▲ ある時期までは、当たり前に「後生(後から生まれた)」だったのに、いつの間にか「先生(先に生まれた)」のような年格好になって、当方に見えてきたのは、「やんぬるかな(「已矣哉」)、(どなたにも、ぼくは)及びがたし」という「落第生」の特権とでもいうべき、一つの、ささやかな覚悟である。(2023/05/24)