
【筆洗】雪の中のツルが長い首をすっぽりと羽の中にしまい込み、凍ったようにじっと動かないで、片足で立っている。そんな姿を写真などでごらんになったことがあるだろう。「凍鶴(いてづる)」という▼<身一つに耐へて凍鶴眠りけり>永井東門居。防寒の知恵なのだろう。ツルの体温は四〇度と高く、ああしているとそれなりに温かいのかもしれぬが、微動だにせず風雪に耐える孤独な姿を見れば、こちらが凍えてくる▼どうやら、われわれが再び「凍鶴」になる番がやって来た。新型コロナウイルスの「吹雪」が強まるなか、政府は東京など一都三県に二度目の緊急事態宣言を発令する。不要不急の外出は控えるよう求められている。気うつだが、あの瑞鳥を習い、なるべく動かず、耐えるしかあるまい▼二度目である。最初の緊急事態宣言下での教訓を生かしたい。あの時、気分の重かったのは流行語にもなった「自粛警察」か。無論、自粛は大切だが、それを守らぬ人や感染者を必要以上に非難し、攻撃するような振る舞いだけは控えたい。人には事情がある。吹雪の中、自分の心まで冷たくしてはなるまい▼期間は二月七日までという。延長もあり得るが、この期間の辛抱がやがて実を結び、感染拡大に歯止めがかかると信じ、落ち着いて、日々を過ごしたい▼<凍鶴が羽ひろげたるめでたさよ>阿波野青畝(あわのせいほ)。春。羽を広げる日は必ず来る。(東京新聞・2021年1月8日 )

凍鶴の一歩を賭けて立ちつくす 山口青邨 去年の鶴去年のところに凍てにけり 水原秋櫻子 身一つに耐へて凍鶴眠りけり 永井龍男 凍鶴に冬木の影の来ては去る 富安風生
●凍鶴(いてづる)=〘名〙 寒気の中にじっとたたずんでいる鶴。霜の鶴。霜夜の鶴。《季・冬》※新春夏秋冬(1915)〈松根東洋城選〉冬「凍鶴や花紅ゐの室の外〈松浜〉」[補注]「をだまき綱目‐下」に、「凍鶴(トウクハク)こほりたるつる也」とある。(精選版 日本国語大辞典の解説)
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このところ、まったく外に出歩かなくなりました。せいぜい、近所(といっても十キロほどの距離)のスーパーに買い物に行くくらいです。もちろん車で。寒さとコロナと老齢と、このように三拍子揃ったら、家にして、よしなしごと(猫の世話、駄文綴り、庭の掃除、洗濯三昧などなど)をなすより手はないという塩梅です。「凍鶴」は、近年はお目にかかりませんが、もう七十年も前に、京都にいたころ、家の近所だった広沢の池(右下写真)によく来ていました。もちろん、池は氷が張り、一面スケートリンクのような水平面だった。そこには冬鳥がやってきて、わずかばかりの隙間から池中に首を突っ込んでいたり、氷の上を滑っていたりと、それなりの風物だったように思います。小学生だったから、そんな風流心もなかったが、今から思えば、そんな気分になっていたかもしれないといいたいのです。

今冬はことのほかに寒いという気がします。ぼくは意外と寒さには絶えられる方でしたが、如何せんこの年齢では、あまりな強がりを言わないことにしています。「年寄りの冷や水」などと言いますが、その多くは誤解によって、曲げられて使われています。老人のくせに、若者と張り合うなんて、「年寄りの冷や水」だなどというのは、意味不明ですね。「老人が冷水を浴びるような、高齢に不相応な危ない行為や差し出がましい振る舞いをするのを、警告したり冷やかしたりしていう言葉」(デジタル大辞泉)
いつもお手軽に愛用している「大辞泉」ですが、これはいただけない。「冷や水を浴びる」とはどういうことか。「冷水摩擦」ならわかりますが、「冷水を浴びる」というのは、いまなら寒中水泳とでもいうのでしょうか。寒風吹きすさぶなか、手が切れるような「冷水(本物の)」を浴びせられれば、凍え死んじゃいます。偽物(の冷水)でも、本物以上に鋭意な「冷水」(横やり・邪魔だて)を浴びせる時代でもあります。とにかく、気を付けたいね。
こういう解説があるのですが、ぼくもこちらに与しますね。もちろん、もう少し調べるつもりですが。

● 年寄りの冷や水=老人が若者のように元気にふるまったり、年齢にふさわしくない無理をすることのたとえ。そんなことをすると後がたいへんと心配したり、冷やかしたりするときにいう。
[使用例] マ、楽にしておくんなさい。八十一にもなって、木取りだ、仕事の指図だなんて年寄りの冷や水さ。カゼをひいちゃってね、伜のやつが心配してひるから寝床におしこまれて退屈してたとこなんです[斎藤隆介*職人衆昔ばなし|1967] [使用例] せっせと体力づくりにはげみ、というときこえはいいが、オナカの出ないように年よりのひや水ともいうべき鍛練にいそしんでいるのは、いやらしい心がけと申さねばならぬ[田辺聖子*女の長風呂|1973]
[解説] 「冷や水」を冷たい水を浴びることと解するのは誤解です。冷たい飲用水をさし、比喩的には年寄りにふさわしくない行為を象徴しています。
江戸は神田上水や玉川上水が整備され、市中では水道の水を飲むことが多かったようですが、夏は水がなまぬるいので、江戸後期には甘味料などを加えた冷や水売りが盛んになりました。当時のいろはかるたの絵札には、この冷や水売りや冷や水を飲む老人の姿が描かれています。若者は流行の冷や水を好んで求めましたが、老人には湯冷ましがよいとされ、冷や水を飲むのは年齢にふさわしくないと顰蹙をかったものでしょう。ことわざの用法としては、老人を気づかったり冷やかしたりするほか、みずから年齢相応の行為ではないことを認めて、自嘲ぎみに使う場合もあります。
なお、このことわざの初出は江戸中期の「尾張俗諺」で、「京師通諺」(「京師」は都の意)とされていますから、元来は京都で使われていた表現のようです。(ことわざを知る辞典の解説)

「水屋」という商売があったんですね。ぼくは出くわしたことはないが、落ぐにはよく出てきました。これも志ん生の「水屋の富」にはほとほと感心しましたね。話の筋は省略しますが、界隈で水を売っていた水屋。湯島天神で富を買ったら「千両」当たった。水屋の後釜が決まるのを待ちながら商いを続けていが、…。ぼくはとことん志ん生に学んだといっていい。庶民の喜怒哀楽を、自前の経験を根底に据えて、芸にまで昇華した、そんな噺家だったように思う。飲み水を売りに歩く、お得意が待っている、一日もさぼれない。千両が当たって、春には商売替えだ。もう一息で、というところで、隠していた「大枚」をヤクザなゴロツキにとられる。盗まれてがっくり来るかと思いきや、取られる心配で寝不足になり、やがて病気になった水屋さん、隠し場所からごっそり盗られたことがわかると、「ああ、これで苦労がなくなった」と安心するのです。ここに言いようのない「哀感」がにじんでいます。それを演じる志ん生の心もちがこもっているようでした。「果報は寝て待て」と言いますが、「稼ぐに追いつく貧乏なし」とも言います。ぼくはもちろん、後者の世界に住む人間です。
永井龍男さんの句が冴えています。文学の領域でも「いぶし銀」のような存在だった。燻(いぶ)すというのは、曇りを付けるということでしょ。きらびやかでも華やかでもなく、しかしどこかにただならない才(ざえ)がある、そんな人でしたが、この一句はどうでしょう。「身一つに耐へて凍鶴眠りけり」
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緊急事態宣言だと。聞いて呆れるさ。何度も言うようですが、政治家の言うことは「寝言」、あるいは永田町専用の「符丁」ですから、ぼくたちに伝わらないのは当然です。嘘と坊主は「結ったことがない」というようですが、政治家と書いて「ウソツキ」と読む。この総理は嘘つき大将だな。
「東京で6割を占める経路不明の感染の原因の多くは飲食が原因であると指摘されています」「出勤者数7割減を是非お願いいたします」「これまで学校から地域に感染が広がった例はほとんどありませんでした」「コロナの感染拡大の中でも、我が国の失業率は直近で2.9パーセントです」「1か月後には必ず事態を改善させる。そのためにも私自身、内閣総理大臣として、感染拡大を防止するために全力を尽くし、ありとあらゆる方策を講じてまいります」「御協力賜りますことをお願いして、私からの挨拶とさせていただきます」(「新型コロナウイルス感染症に関する菅内閣総理大臣記者会見」令和3年1月7日【菅総理冒頭発言】)
一月七日に行われた「総理大臣」の「挨拶」だとさ。まるで結婚式か新年パーティの発言みたいだね。これは誰に向けての言葉だろうか。会見の途中を少しばかりつまみ食いしただけですが、これは「全部ウソ」です。指定された記者が質問しました。一か月で効果がなかったら、延長するかと。「もしできなければ1か月ということでありましたけれども、仮定のことについては私からは答えは控えさせていただきたい」「挨拶」のなかで、「1か月後には必ず事態を改善させる」と言っている尻から、ですよ。一か月後は「仮定」でしょうという張り合いもない。記者は追及しない。木偶の坊どもめ。「日程が詰まっているから、これで終了」と打ち切って、彼は秘書官らと「会食」でした、と。「うまくいった」とほくそ笑んでいたかどうか。
馴れあい、じゃれあいに終始している「嘘つき」どもに運命を委ねておいて、ぼくたちはこの災厄を生き抜けるのでしょうか。総理が嘘つきというのは、右代表ですから、なべて政治家は大小を問わず、根っからの嘘つき、これが相場でしょう。だから、すこし正直なのに出会うと、ぼくたちはきっと、ころっといかれるんです。でも、そんな殊勝な奴もしばらくすると、立派に一人前の政治家=嘘つきになる。「権力は腐敗する」んじゃなく、「腐敗するのが権力」というものなんです。トップに座っていても、腐敗しなければ、それは権力を行使しているのではないからです。

右も左も、世界は不毛の荒野です。大統領が暴力集団を唆す、煽る。テロを誘引するような狂気。その直後に、自己弁護という自己保身の連射、その直後にはまた居直り。ぼくたちは凍てつく寒さの中にありますが、身も心も凍てつくのは、寒気・寒波の襲来ばかりではないのです。
「身一つに耐へて凍鶴眠りけり」まず身一つ、です。我が身一つで「耐へて、眠りけり」といきたい。いまは冬眠の時です。
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