百聞は一見に如かず、かね

“時止まる”寒さ 高さ65m「扁妙の滝」凍結

寒波で凍った扁妙の滝。山中に冬限定の光景が現れた=神河町根宇野(→)

 今季一番の寒波が到来する中、兵庫県神河町根宇野(みよの)、笠形山(939メートル)中腹にある「扁妙の滝」が凍結した。高さ65メートルから流れ落ちる水が凍り付き、芸術作品のように輝きを放つ姿にハイカーらが見入っていた。(小林良多)(*「へんみょうのたき」)

 姫路・西播地域は7~10日にかけ、各地とも最低気温が氷点下5度前後まで下がる日が続いた。9日には上郡で氷点下10・3度と観測史上1位を記録した。

 笠形山の麓にある施設「グリーンエコー笠形」によると、滝は昨年末に氷結し始め、8日から一気に広がった。加東市の男性(44)は「時が止まったかのよう。自然の力に圧倒される」と感じ入っていた。(神戸新聞・2021/01/11)

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 名瀑と言われるものが各地にありますが、ぼくはほとんど行ったことがない。要するに、「観光地は、どうもいけません」という人間です。もちろん、観光地の見物が皆無であるというつもりはありませんが、たいていは誰かに連られ・誘われて行ったとか。何でも自分から望んでは行かなかったというのです。山に登っていて、突如、小さな滝に出会うという場面は数知れずありました。(それはまるで僥倖ですね。堪能するまで観ています)ぼくは写真機をもって出かける人間でもありませんから、「想い出の何枚」なんていうものもありません。もちろん、この笠形山の滝にも行ったことはありません。でもこんな写真程度で、ぼくはじゅうぶんに堪能するんですね。この滝の、冬季以外の名瀑ぶりがあります(左上)(これはジャランの案内から拝借しました)。

 もう何十年も前に茨城県の「袋田の滝」(左と右下の写真)を観に出かけてたことがあります、かみさんと。カメラを持たないで。冬ではなかったと記憶しています。「まあ、こんなものかな」という程度の感想がようやく生まれてきました。観光地化しているところは、宣伝効果が出過ぎているのか、金儲け主義が勝ちすぎているのか、聞くと見るでは大違いというところがありますね。ほとんどがそうじゃないのかな。あまり行かないから、確かなことは言えませんが。「百聞は一見に如かず(Seeing is believing.)」という俚諺は、これも、うまく誤解されていますよ。「聞く」より「見る」方が勝るんだというようですが、ぼくはそうは思わない。「一見」に値打ちがあるというのは、その前提になる「百聞」があるからなんだといいたい。「百聞」とは何か。「一見」が曇っていることはいつでもありますよ。その曇りを防ぐためには「百聞」が不可欠だということ。「目があるから見えると、言ってはいけない」というのがベルグソンのいつもの言でした。

 ところが今では、その一見ですら、カメラに代用させています。使ったことがないのでぼくにはわかりませんが、誰も彼もがスマホでやたらに写真を撮りますね、それはどうするためなんですか。何のために撮るんですかね。撮ったという手ごたえが大事なんでしょうか。それとも、単なる癖か。海外旅行に行った人から、土産話をよく聞かされることがありました。どこにいったんですかと聞くと、「ちょっと待って」とスマホや写真をとりだして「ここに行ったんだ」と。聞いていて、アホくさくなりました。演奏会へ行った人に「どうでした」とたずねると「いま、録音機を取り出すから」みたいなもので、自分の感覚(耳や目)をじっくり、ちゃんと、通していないんですね。だから、それは経験になっているかどうか、とても怪しい。

 インスタントな時代、なんでも即席・即座の手間暇抜きの時代が、想像を絶する速さで進行中です。なんでそんなに急ぐんですか、という問いを発する暇もないほどの猛烈ぶりです。当方はそれに抵抗する気はありませんけれど、その仲間になる気が毛頭ないんですね。SNSやツイッターなど、これがないと今風ではありませんという風潮ですが、どうぞお好きなように(As You Like.)、とお手軽があらゆる領域に侵入しています。アメリカの「小心大統領」は、搭乗の初めから「すべてが囁き」でしたが、度を越したと判定されて、アカウントは永久停止とか。この忙しい最中に、物議が醸されています。政治もお気軽、人間関係もお気軽、仕事もお気軽、…、世は挙げてお気軽です。お気軽でなければ、現代社会じゃないよという、時代の風波に抗っても仕方がありません。コンビニとインスタ(コンスタ)、これが人間の心情を害し、人間性に破綻をきたす病理だと思われるし、かかる病理現象がいたるところで、着々と進んでいるのでしょう。なに、構うものかと、「コンスタ人類」は意に介していないんですね。やがて「臍を噛む」時が来るね。いや、もう来ているか。(箱根の山で「干物」に「蒲鉾」を売る人がいるから、買う人がいるんだ。写真左上)

 観光地嫌いは京都にいたせいでしょう。高校生くらいまでは、嵐山に毎日のように出かけていましたが、ここが観光地だろうかと思うくらい、見学する人間はほとんどいなかった。同級生の家族が「土産物店」をやっていたが、どうして生活しているんだろうと不思議に思ったりした。今では実に手広く店を広げている知り合いもいます。半世紀以上も前のことでしたが、もちろん、当時でも他所からくる人が存在していたんでしょうが、まったく目立たなかった。自然の景観・風景や神社仏閣で「金儲け」が流行りだしてからが、堕落の始まりだったようです。荒れ野の一軒家に鉄道線路が敷かれたように、モノの値段は莫迦上がりし、人間の品性はバカ下がりしたのでした。

 もう何年前になりますか、京都で「観光税」を寺社に課そうと大騒動が持ち上がりました。金の亡者が考え出したのが「宗教行為」という嘘でした。広間に小さな机をいくつか並べ、それに墨と筆をおいて、詐欺を働き、脱税を謀ったんです。観光客に「写経」をさせる風を装ったところが続出した(右写真は知恩院)。ぼくは、それがきっかけで、すっかり京都嫌いになり、観光地嫌いになった。いずれ、近いうちに「渡月橋」を歩くのに、通行税をとるようになるでしょうね、地域の観光業者の集まり(団体)がさ。なにも、京都に限らないし、観光先進地では、とっくにやっているでしょうけど。観光地のコンビニ化が進行中で、ついには「統廃合」が起こるんじゃないでしょうか。そして、すべてはご破算になり、一から出直し。島全体がそのようになりそうです。

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投稿者:

dogen3

「上を思えば限りがないと、下を見て咲く百合の花」になれるものなら、という想いです。それこそ、「高嶺の花」ですが。「昨日は俗人 今日は僧、生涯胡乱(うろん)これがわが能」と自称した一休さんは、一面では「相当な人物」だったと、歳をとるとともに思わされています。