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作家の井伏鱒二さんの短文に「三好達治」がある。ぼくは、繰り返しこの短文を鑑賞してきた。列島の南北にさかんに雪が降り続けている情景を、いろいろな感情を交えて眺めているうちに、この文章が記憶の底から甦ってきました。
「三好君は見事な詩人であつた。かういふ詩人の冠に私はなるべく手を触れたくない。ここでは責をふさぐために故人の詩を一つ二つ寫してみたい。初期の詩集のなかに「雪」といふ有名な二行詩がある。
太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。
次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。

いつか三好君は(私が陸軍徴用でマレーに行くとき)この藥を一粒か二粒、水筒に入れると水の消毒になると言つて、クレオソート丸の大瓶を餞別にくれた。その時の話だが、三好君の「雪」の詩の「太郎」は四歳ぐらゐだと思つていいかと私が聞くと「うん、それでもいいよ」と言つた。「すると次郎は、二歳ぐらゐか」と聞くと、「君はそんな餘計なことを聞いて、次郎はあのとき寝小便してゐるかと聞きたいんだらう」と言つた。それにしても、「太郎」は四歳ぐらゐ、「次郎」は二歳ぐらゐがいい。私は今でもさう思つてゐる。夜の青い鳥も眠つてゐるやうな感じがする。(以下略)」(井伏鱒二『文士の風貌』所収。福武書店、1991年)
「夜の青い鳥も眠つてゐるやうな感じがする」という把握に、ぼくは強烈な印象を持った。たった二行の詩、だから簡単だとは決して言えませんね。太郎と次郎は兄弟なんだろう。あるいは母親が寝かしつけているのかもしれない。そこにしんしんと「雪」が降り積もっている。雪は音もなく降る、まるで予定されているような、静かさとどこから降りてくるのかと地上に積まる。その重厚さたるや、凍てつくような底冷えを肌身に感じさせるたびに思い知らされるのです。よく考えると、「太郎の屋根」「次郎の屋根」と、何か別々(の家・棟で)に寝ているような気がしますが、どうだろうか、同じ部屋の、一つ布団で寝ている兄弟に、三好さんは、あえて「太郎の屋根」と「次郎の屋根」と詠んだのか。

二人の幼子がぐっすり寝ている部屋の天井近くで(だと思う)、「夜の青い鳥も眠ってゐる」と感じ取った、井伏さんの直観に、ぼくは腰を抜かさんばかりに驚いたのでした。二人の幼子が深く眠っている、その寝姿をじっと見ているうちに、夜の青い鳥も眠ってしまったようだ。「ここに、わたし(青い鳥」がいるんだよ」と言い聞かせながら。
そして、いまなお日本海側の各地に猛烈な寒波が襲来して大雪を降らせている。そこでは「太郎」や「次郎」のように眠るわけにもいかず、「お休みよ」と、寝かしつけてくれる母もいない。夜を徹して除雪作業に忙しく働く人、食料などを配り歩く人、その他、ここにも日常を閉ざすことを許さない、多くの人間たちの営為があるのです。どこかにいる気配がない、青い鳥はどこにいるのか。明日は都心でも降るそうだ。

ことさらのように、四万十の写真を高知新聞から借りたのは、そこが親父の故郷だったというだけのことでした。中村という地には一度しか行ったことがありませんが、何か懐かしい気分が雪のように降って来たのです。「雪ふりつむ」のはいいけれど、雪下ろしや除雪をしなければならないほどの雪は、どうか勘弁してほしい。
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さらに井伏さんの、先の文章の続きです。
「私は餞別にもらつたクレオソート丸では重寶した。シンガポールに入城して水道が出るようになつてからはともかくも、輸送船のなかでも行軍中でも必ず水筒に一粒か二粒か入れて置くやうにしてゐたので、安心して水が飲めた。飲むたびに「太郎を眠らせ」といふ詩を思ひ出してゐた。
もう一つ「桐の花」といふ詩。
夢よりもふとはかなげに 桐の花枝をはなれて ゆるやかに舞いつつ落ちぬ 二つ三つ四つ 幸あるは風に吹かれて おん肩にさやりて落ちぬ 色も香もたふとき花の ねたましやその桐の花 昼ふかき土の上より おん手の上にひろわれぬ
戦後、新宿ハーモニカ横丁の「道草」で、、何かの話のついでに、「桐の花」は終はりに行くにつれて受身になつて来るから花が生きて来るんだと私が言つた。すると、三好君が「こら、書いた本人に説明するとは何ごとだ」と怒りだした。赤い顔をして本當に怒つた。
どうも私を子供あつかひにしてゐたやうだ。」(産經新聞、昭和四十四年四月八日)
「桐の花」は『艸千里』所収で、中田喜直さんによる曲があります。「歌をください」に入っている。
「子供あつかひにしてゐたやうだ」という井伏さんの、三好達治票がなんとも面白いと、ぼくはそこから井伏さんの人間性を見る思いがしたのでした。「童心」というのかしら。
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