…愚かにして慎めるは、得の本なり

 兼好さんの時代(1283?-1352?)、鎌倉末期から南北朝にかけて、いったいどのような社会相だったか、今となっては皆目わからないというべきでしょう。源平の興亡から武家が起こり、やがて時代は大きく変転する、そのような時代相のうちに兼好さんは生きた。上位の貴族ではなかったが、それも「身分制」社会の貴族階級の末端に位置して、青年の志を持って、人並みに出世を願ったでしょう。思いがならず、儚くも遁世の身となったが、けっして世俗への帰属意識までは喪失しようとはしなかった。つまりは根っからの「世捨て人」にはなれなかった。かれの後半生の履歴がよくわからないのも、あるいは兼好自身の生き方の流儀によるものだったかもしれない。およそ三十歳で出家し、五十歳ころに『徒然草』を執筆、七十年を生きて、人生を終えた、まあ一口に言ってしまえば、彼はそんな生涯に身を宿したのでした。

 「徒然草」の章段の多くに、これは遁世者流のものの見方、観察などとはとても見えないものが含まれているのは、兼好という人の実人生が活写された部分であるともいえるのです。ぼくは、素人なりに、その特権を使って、まことに勝手に読んでいますし、それで何自由もないのです。研究者に列しようとするなら、仕方なく殺さなければならない「奔放さ」や「牽強付会」も、素人だからできるというものです。専門家は、そこへ行くと、窮屈至極であるのは致し方ないし、それはぼくの性に合わないというばかりです。

 というわけで、今回は、プロとアマ、「素人と玄人」に関する兼好さんの意見を聞くことにします。

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 「万(よろづ)の道の人、たとひ不堪(ふかん)なりと雖も、堪能(かんのう)の非家(ひか)の人に並ぶ時、必ず勝る事は、弛み無く慎みて軽々(かろがろ)しくせぬと、偏へに自由なるとの等しからぬなり。

 芸能・所作のみにあらず。大方の振る舞、心遣ひも、愚かにして慎めるは、得の本なり。巧みにして恣なるは、失の本なり」(「徒然草」第百八十七段)(既出)

””

● 堪能=(「 仏語。よくたえ忍ぶ能力。 深くその道に通じていること。また、そのような人や、そのさま。たんのう。」デジタル大辞泉)

 「どんな分野でも、かりに(技能が)十分ではなかったとしても、堪能(かんのう)の人に素人は勝てない、さすがに玄人だけの事はあるということになる。「必ず勝る事は、弛み無く慎みて軽々しくせぬ」、どんなときにも緊張感を失わないし、物事に軽はずみな態度を取らないのである。勝手気ままな人間とはそこが違う。どんなことでも振舞いやこころ遣いも、愚直で慎重なのだ。これが得る所のもととなる。上手だけれど、勝手気ままなのは「失う」もとになる。それが成功と失敗の分かれ目であるというのです。

 アマチュアとプロフェッショナル、これに関しては、いくつものことが指摘されそうです。素人の意見として、今日は、いよいよ「プロとアマの距離」は、限りなく近くなっていると感じさせられることがたくさんあります。スポーツでも芸術でも、どれがプロでどちらがアマか、見た目にはよくわからない場合が少なくないと、ぼくは感じています。もちろん、まったく比較を絶して、あからさまに巧拙が現れ出る分野もたくさんあります。だから、兼好さんの指摘はその通りと、先ずは認めたうえで、これでも玄人なのか、これで飯を食っているのか、と目も耳も疑いたくなるケースがやたらに目につくのです。

 これを言うと、差しさわりがありますが、遠慮なく言ってしまうと、政治家、官僚、教師などなど、枚挙に遑(いとま)がありません。余談ですが、まだ若いころ、ぼくは頼まれて雑誌に原稿を書いたことがありました。その際、編集者が勝手に、ぼくの肩書を「評論家」なんかにしていたのを友人が見咎めて、「それで生活している(食っている)」ならいいけど、「評論家は可笑しいぜ」と注意してくれました。その通りで、以後、そんな肩書を使わなくなりましたし、肩書が必要な仕事はしなくなりました。終生、人生の「素人」を以て任じていこうと決意したのです。

 玄人とかプロというのは、それで「飯を食う」という人を指して言うのでしょう。飯を食う、生活の糧を得るには「弛み無く慎みて軽々しくせぬ」ことが肝要というより、必須の条件となるでしょうし、「大方の振る舞、心遣ひも、愚かにして慎めるは、得の本なり」という兼好さんの指摘通りです。「得の本」とは「生活の糧をえる本」であるとも言えます。奥義を窮めるとも、いっていいでしょう。

 ぼくは幼児の頃から、職人さんといわれる人の仕事ぶりを見るのが、ことのほか好きでした。まずは「大工」さん。一日見ていて飽きませんでした。特に宮大工の仕事には、小さいながらにほとほと感心・感嘆したのを、今でも懐かしく思い出しています。たくさんの職人が、それぞれの作業の仕分けをうまくはかり、つまり段取りを按配し、次第に一軒の家や寺が姿をあらわす、それを眺めていて、「こんな仕事がしたいなあ」とつくづく考えたことでした。あるいは近所の「自転車修理屋」さんに、自分の自転車を持ち込んでは、それを手際よく修理する「親父さん」に敬意を抱いたものでした。少し大きく成ってからは、魚をさばく職人さんにも感心したことがあります。

 というように、あらゆる「職人」の仕事ぶりに感動すらしたのは、「とてもじゃないけど、逆立ちしたって、俺にはできない」という呆れかえるほかない技への賞賛だったと心づいたのです。大学生になってからは、落語や音楽に興味をいだき、わざわざ、今でいうところのライブを楽しみにでかけました。それぞれの「芸」「芸術」が高ければ、心から満足したし、えっ、こんなんで金取るの、というようなものに出会うと、大声で「金返せ」と叫びたくなることもありました。素人と玄人、この差がつとになくなって来たのが、現代じゃないかと、いくつかの職業を見ていて痛感するのです。

 書きづらいのですが、教職・教師はどうですか。プロとアマなどと分けること自体に意味がないのかもしれない。しばしば「負うた子に教えられ」というでしょう。生力学ぶとか、教えられるなどと教師の多くが言いますね。ホントかな。いったし、それはどんな意味で使われるか。大体はわかりますが、なかなか簡単ではないようにも、ぼくには思えます。

 それをこんな風に使っている人がおられました「背負った子どもに浅瀬を教えてもらいながら川を渡る。自分より年少の未熟な者に教えられることのたとえ。[使用例] 子供の中にも、自分を甘やかしているのに気のつかない子供は多くある。最近著しいその実例を見せつけられて、ああ私自身もそれであったと、はじめて思うことが出来た。負うた子供に浅瀬を教えられたのである[羽仁もと子*教育三十年|1950][解説] 教える者と教わる者の立場が逆転することを言ったもので、教訓臭がなく、穏やかでほほえましい表現になっています。(ことわざを知る辞典の解説)

 羽仁さんの言わんとするところを「わかりました」と頷くのはいいんですが、そんなに簡単にわかってはいけないようにも思えてきます。このことを別の角度から考えてみます。「他山の石」とでもいったらどうでしょう。(「他山の石を以て玉を攻むべし」「詩経」小雅・鶴鳴から)

● 他山の石=よその山から出た、つまらない石。転じて、自分の修養の助けとなる他人の誤った言行。(デジタル大辞泉)

 教職という例を持ち出したのは、あるいはまちいだったかもしれません。教師のプロ、プロの教師といっても、ぼくには想像もつかないのですから。反対に、教師は素人でじゅうぶん、変にプロ意識を持たれると、迷惑する子どもが続出するかもしれないからです。素人に徹する、その点においてプロであれ、ということはできるかもしれませんね。人間的な要素を失わない教師、それがプロじゃないかといいたいんですね。教師らしい教師、教職に徹する教師、それはある意味では素人(人間味)から、遠く離れていく状態を指しているようにも思われるのです。

 「万の道の人」といいますが、相手が「人間(精神)」であるのと「物体」であるのとでは、大きな差がありますから、単純に「素人と玄人」などとは言えないということになりそうです。

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投稿者:

dogen3

 語るに足る「自分」があるとは思わない。この駄文集積を読んでくだされば、「その程度の人間」なのだと了解されるでしょう。ないものをあるとは言わない、あるものはないとは言わない(つもり)。「正味」「正体」は偽れないという確信は、自分に対しても他人に対しても持ってきたと思う。「あんな人」「こんな人」と思って、外れたことがあまりないと言っておきます。その根拠は、人間というのは賢くもあり愚かでもあるという「度合い」の存在ですから。愚かだけ、賢明だけ、そんな「人品」、これまでどこにもいなかったし、今だっていないと経験から学んできた。どなたにしても、その差は「大同小異」「五十歩百歩」だという直観がありますね、ぼくには。立派な人というのは「困っている人を見過ごしにできない」、そんな惻隠の情に動かされる人ではないですか。この歳になっても、そんな人間に、なりたくて仕方がないのです。本当に憧れますね。(2023/02/03)