寒暖計と橙と地球儀と、これ我が病室の蓬莱なり

【越山若水】あら玉の年のはじめの七くさを籠(こ)に植ゑて来(こ)し病めるわがため―明治期の文学者、正岡子規が結核を患っていた晩年の歌だ。新年に七草の籠をもらった喜びと感謝の意を詠んでいる▼子規の随筆集「墨汁一滴」に収められる。新聞の「日本」に明治34(1901)年に連載され、この歌を含む随筆は1月17日付だった。病床の子規は七草籠の様子を細やかに描写することで感謝の気持ちを表したのだろう▼「病牀六尺」でも七草籠に触れており、「かかる気の利いた贈物(おくりもの)は江戸では昔からあつたものと見える」と記す。

 あすは七草。福井市出身の民俗学者で成城大名誉教授の田中宣一さんは、無病長寿を願ってあつものにした7種の菜を食べるのは古く中国にあって、日本では平安時代の初期のころからだという▼七草の種目は地域や時代で異なってはいるが、「春の七草」(有岡利幸著、法政大学出版局)によれば、江戸時代の「年中故事要言」が名前「せり なずな ごぎょう はこべら ほとけのざ すずな すずしろ」を羅列し最後に「これぞななくさ」と結び和歌風に整えた。このため覚えやすく順番も変更なく現代まで引き継がれることになったともいう▼七草は病身の子規に贈られたことでも分かるように栄養分が豊富で、七草がゆは栄養補給、薬膳食でもあろう。七草がゆを食して、コロナ禍の邪気も払いたい。(fukuishinbun on line・2021年1月6日 午前7時20分)

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 病める枕辺に巻紙状袋など入れたる箱あり、その上に寒暖計を置けり。その寒暖計に小き輪飾をくくりつけたるは病中いささか新年をことほぐの心ながら歯朶の枝の左右にひろごりたるさまもいとめでたし。その下に橙(だいだい)を置き橙に並びてそれと同じ大きさほどの地球儀を据すゑたり。この地球儀は二十世紀の年玉なりとて鼠骨の贈りくれたるなり。直径三寸の地球をつくづくと見てあればいささかながら日本の国も特別に赤くそめられてあり。台湾の下には新日本と記したり。朝鮮満洲吉林黒竜江などは紫色の内にあれど北京とも天津とも書きたる処なきは余りに心細き思ひせらる。二十世紀末の地球儀はこの赤き色と紫色との如何に変りてあらんか、そは二十世紀初はじめの地球儀の知る所に非ず。とにかくに状袋箱の上に並べられたる。

枕べの寒さ計に新年の年ほぎ縄を掛けてほぐかも (一月六日)

 一月七日の会に麓のもて来しつとこそいとやさしく興あるものなれ。長き手つけたる竹の籠の小く浅きに木の葉にやあらん敷きなして土を盛り七草をいささかばかりづつぞ植ゑたる。一草ごとに三、四寸ばかりの札を立て添へたり。正面に亀野座といふ札あるは菫の如き草なり。こは仏の座とあるべきを縁喜物なれば仏の字を忌みたる植木師のわざなるべし。その左に五行とあるは厚き細長き葉のやや白みを帯びたる、こは春になれば黄なる花の咲く草なり、これら皆寸にも足らず。その後に植ゑたるには田平子の札あり。はこべらの事か。真後に芹と薺とあり。薺は二寸ばかりも伸びてはや蕾のふふみたるもゆかし。右側に植ゑて鈴菜とあるは丈三寸ばかり小松菜のたぐひならん。真中に鈴白の札立てたるは葉五、六寸ばかりの赤蕪らにて紅の根を半ば土の上にあらはしたるさま殊にきはだちて目もさめなん心地する。『源語』『枕草子』などにもあるべき趣なりかし。

 あら玉の年のはじめの七くさを籠に植ゑて来し病めるわがため(一月十七日)(「墨汁一滴」岩波文庫版)

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 七草がゆを食べなくなって、どれくらいたつだろう。小学生のころ、よく家の傍の原っぱなどで「春の七草」を摘む習慣があった。なんでもない生活の区切りのようないわれや慣習には、それなりにはっきりとした理由や背景があったのです。毎日、毎年の生活から消えていった「慣習」「習慣」「しきたり」にはどんなものがあったか。それを懐かしむ気持ちはまったくないが、日常がすっかり貧弱になってしまったという気分は残っている。いずれ封建遺制だといわれてしまえば、過去をすべて否定、あるいは放擲してしまわなければ、過去の「遺物」退治は止むことがないだろう。過去の否定は、自分の身のいくばくかの否定でもある。かくして、新しい習慣や慣習は、たちまちのうちに古くなり、埋め合わせの必要も感じなくなり、いつしか時代の波にさらわれて、世塵の藻屑と消えてゆく定めである。

(なずな)

 自分が今ある自分である、その相当な部分は「過去の自分」の重量によるのです。これを歴史というのでしょうが、この島にも遥かにかすむが如き、遠い過去から連綿として(と、今では思われますが、歴史の断絶だの、時代錯誤などどいわれて、過去とは異なった地平に見えることも時にはある)現在に至った時のつながりがあるのです。今ある者の姿には、それがどんなに些細なことであって、きっと理由は自浄がある筈で、それを訊ねるのが歴史(過去)の研究でしょう。その昔は民俗学とよばれたり、地方研究などと称されもしましたが、それらはすべて、今日では文化人類学とまとめられています。

(ごぎょう)

●七草がゆ=七種とも書く。春の七草と秋の七草とがある。春の七草は「芹 (セリ ) ,薺 (ナズナ ) ,御形 (おぎょう,ごぎょう。ハハコグサ ) ,はこべら (ハコベ ) ,仏座 (ほとけのざ。現在のコオニタビラコ ) ,菘 (すずな。カブ ) ,蘿葡 (すずしろ。ダイコン ) ,これぞ七草」と称し,この7種を早春 (正月7日) に摘んで刻み,餅とともにかゆ (七草粥) に炊いて食べると万病を防ぐといわれた。延喜年間 (10世紀頃) から朝廷で儀式化し,それが民間でも今日まで伝えられてきた。秋の七草は『万葉集』の山上憶良の歌(「秋の野に咲きたる花を指 (および) 折り,かき数ふれば七種 (ななくさ) の花」「萩 (ハギ ) の花,尾花 (ススキ ) ,葛花 (くずばな。クズ ) ,瞿麦 (なでしこ。カワラナデシコ ) の花,姫部志 (オミナエシ ) また藤袴 (フジバカマ ) ,朝がお (あさがお) の花 (現在のキキョウと考えられる) 」により伝承されている。古来初秋の草花として数え上げられたものということができる。(ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説)

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 よく見れば薺花咲く垣根かな 芭蕉     

 君知るや三味線草は薺なり 正岡子規

 「よく見れば」の句は、ぼくがもっとも愛でている芭蕉句です。よく見なければ、それを見分けることが難しいという、ぺんぺん草。この薺(なずな)は、一名ぺんぺん草、あるいは三味線草などともいう。「雑草」などと総称して、除草剤で一網打尽に仕留めようと、まるで親の仇のように嫌われている者も「七草」の中にはあります。「万病」に効くというのですから、仇や疎かに「雑草」などということは禁止しなければならないでしょう。「名のない草花」などという、いい加減な括り方のも、自分が知らないだけなんですね。名もないというものは、どこにもないんです。必ずなずけられています。命名するということは、そのことによって「世界」が広がることですから、草花に限らず、ぼくたちは、あらゆるものの名を覚えることで「身の周り」を拡張するんでしょう。特に「人名」などはその典型です。

 今日は久しぶりに「七草がゆ」などをと願っていたのですが、雑文の上だけに終わりました。米国の暴動の衝撃は、春の七草を賞味する機会を奪いました。暴力を教唆し、選挙の結果を覆そうとしたのが「現職大統領」だったという点では、極めて異常な出来事だった。当然のように「強制辞職=罷免」などという動きが出てきました。これで何事もなかったとするなら、その後遺症は測りがたいものになるはずです。(この島の元総理問題)に関しても同じことが言えます。犯罪を不問に付すならば、その反動はとてつもなく大きいものとなるでしょう。(いずれ彼のなした「政治)についても検証する必要があります、アベノミクスのでたらめのかぎりは、日銀を完膚なきまでに解体した、その罪は「万死に値する」ものです。無責任が島の財政金融を破壊したのですから、たいへんな事態でしたし、その落とし前は、遠からずつけなければならないでしょう。中央銀行が民間企業の主要な株主になるという破天荒なことが、白昼看過されてきたんですね。

 というわけで、今回は、七草に始まり、トランプとトランペットの二重奏が、如何にえげつない腐敗と堕落をもたらしたかという、後味の悪い駄文の成り行きとなりました。かくして、一月七日は暮れてゆきます。(右上写真 こういう亜流が跳梁跋扈しているのが「いま」です。なかなかの「役者」「政治家」ですな)

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投稿者:

dogen3

「上を思えば限りがないと、下を見て咲く百合の花」になれるものなら、という想いです。それこそ、「高嶺の花」ですが。「昨日は俗人 今日は僧、生涯胡乱(うろん)これがわが能」と自称した一休さんは、一面では「相当な人物」だったと、歳をとるとともに思わされています。