きらめき揺れつつ 星座はめぐる

 
 冬の星座は、明るい星がたくさんあり、1年中で最もにぎやかな星空だといってもいいでしょう。さらに、冬は乾燥して、空気が澄み切っているため、とても星空がきれいです。
  
 オリオン座 / オリオン座は冬の代表的な星座で、南の空に見えます。「冬の星座の王者」と呼ばれるにふさわしい見事な星座です。明るい4つの星が作る四辺形とその中央で輝く3つの星は、実に安定した形を構成していて、冬の夜空でひときわ目立ちます。/  ギリシャ神話では、狩人オリオンの姿だといわれています。目印は、オリオンのベルトの位置に輝く3つの星の並びです。この星の並びは、「三ッ星」と呼ばれています。この星座には、1等星が2つあり、オリオンの右肩で輝いているオレンジ色の星がベテルギウス、左足で輝いている青白い星がリゲルです。/ オリオン座には有名なオリオン座大星雲(M42)があります。M42は、望遠鏡で見るとボーっと雲のように見えます。ここは、星が生まれてくる場所です。
 おおいぬ座 / オリオン座の左下に、ひときわ明るく輝く星があります。これがおおいぬ座のシリウスで、全天で一番明るい星です。シリウスとは、「焼き焦がすもの」という意味です。/ この星座は、ギリシャ神話ではオリオンの猟犬の一匹だといわれています。
  
 こいぬ座 / こいぬ座の中ですぐ目につくのは、1等星のプロキオンと3等星のゴメイザだけです。プロキオンとは、「犬(おおいぬ)の前の星」という意味で、おおいぬ座のシリウスより少し先に昇ってくることからこの名前がついたようです。
  
 冬の大三角 / オリオン座のベテルギウス、おおいぬ座のシリウス、こいぬ座のプロキオンを結んでできる三角形を冬の大三角形といいます。
  
 おうし座 / オリオンの三ツ星を結んで右上に延ばしていくと、おうし座の目に輝く赤い星アルデバランにぶつかります。この赤い星を先頭に、いくつもの星々が小さなVの字に並んでいます。これがおうし座の目印で、おうしの角にあたります。/ この星座は、大神ゼウスが変身した姿だといわれ、東のオリオンの方へ2本の角を振りかざす牡牛の姿になっています。/  牡牛の肩の部分に、肉眼で6つばかりの星がかたまっているのが分かります。これは、プレアデス星団(M45)といい、日本では古くから「すばる」という名で知られています。双眼鏡を向けると、大小百数十個もの星がきらめいていて、息を呑むほどの光景です。これらの星は、まだとても若い星なのです。(http://www5b.biglobe.ne.jp/~saturn/astronomy/winter.htm) 

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 星座に興味を持ったことはありませんが、時々、夜空を見上げる習慣のようなものはあります。この「冬の星座」という唱歌には昔(学生時代)から興味を持っていました。なにより、この詞はどういう背景があって書かれた(作られた)のか、一度は調べてみなければと思っていたのでした。堀内敬三という人には面識がありませんが、あるいはどこかですれ違ったかもしれません。思い当る節がありますから。略歴にもありますが、彼は一種の「怪物」「傑物」ともいうべき存在で、たくさんの事をやり、最後は音楽に関心をいだきつづけた人です。太田黒元雄氏や目黒三策氏と「音楽の友社」を作ったりしました。ぼくは若いとき(二十五歳ごろ)、太田黒、目黒両氏にお会いしたことがありました。その関係で堀内敬三さんには関心を持続させていたのです。

 この唱歌の詞を繰り返し読んでみる(歌ってみる)、「地上に降りしく 奇しき光よ」「ものみないこえる しじまの中に」「オリオン舞い立ち スバルはさざめく」「無窮をゆびさす 北斗の針と」と、にわかには理解できませんでしたが、凍てつく真冬の夜空のきらめきを肌で感じることが出来るような、詞(ことば)の星雲だと、へんてこな印象(感想)を持ったのでした。これまでの学校唱歌にはまったく異質なメロディと歌詞に、ぼくは魅了されてきたのでした。欧風というのでしょうか。ハイカラとでもいうべきか。珍しい雰囲気を醸していました。今でも、これを口ずさむと、涙腺が緩みがちになるのは、どうしたことでしょうかね。

 堀内さんは、今もある「浅田飴本舗」の御曹司だった。なお、その友人の太田黒元雄さんの父親は現東芝の経営(芝浦製作所時代)に携わっていた。とてつもない裕福な生活を送り、その暇に飽かせて、この島の「音楽文化」興隆の礎を築いたのでした。この二人(にかぎらないが)は、とてつもなく博覧強記でしたし、ぼくは大いに刺激されてきた。あるいは、ちょっとばかり「憧れ」が混じっていたかもしれない。 

●堀内恵三=昭和期の音楽評論家 音楽之友社会長。生年明治30(1897)年12月6日 没年昭和58(1983)年10月12日 出生地東京・神田 学歴〔年〕ミシガン州立大学工科〔大正10年〕卒,マサチューセッツ工科大学大学院〔大正12年〕修了 主な受賞名〔年〕NHK放送文化賞〔昭和25年〕,紫綬褒章〔昭和34年〕,勲三等瑞宝章〔昭和43年〕 経歴“浅田飴”で有名な浅田飴本舗の三男として生まれる。中学時代から作曲や訳作詞を手がけ、大正5年大田黒元雄と音楽と文学社を結成、評論や訳詞に筆をふるう。6〜12年米国へ留学、機械工学を修める。帰国後、東京放送局(現・NHK)に入り、洋楽主任として洋楽放送の確立や用語統一などに尽力。昭和10年松竹蒲田撮影所音楽部長、日本大学教授。また音楽ジャーナリズムの必要性を感じて音楽之友社を設立した他、22年日本音楽著作権協会設立の発起人を務め、40年同会長。NHKラジオ番組「音楽の泉」「話の泉」の名解説、名解答者のほか、慶応義塾の応援歌「若き血」や「蒲田行進曲」の作曲、ジャズソング「アラビアの唄」、オペラ「カルメン」などの訳詞でも有名。わが国における西洋音楽の普及・組織化に大きな影響を与えた。著書は「音楽五十年史」「音楽の泉」「ヂンタ以来」など。(20世紀日本人名事典の解説)

●冬の星座=日本の唱歌の題名。作曲:ウィリアム・ヘイス、作詞:堀内敬三。発表年は1947年。歌いだしは「木枯らしとだえて さゆる空より」。2007年、文化庁と日本PTA全国協議会により「日本の歌百選」に選定。(デジタル大辞泉プラスの解説)

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投稿者:

dogen3

 語るに足る「自分」があるとは思わない。この駄文集積を読んでくだされば、「その程度の人間」なのだと了解されるでしょう。ないものをあるとは言わない、あるものはないとは言わない(つもり)。「正味」「正体」は偽れないという確信は、自分に対しても他人に対しても持ってきたと思う。「あんな人」「こんな人」と思って、外れたことがあまりないと言っておきます。その根拠は、人間というのは賢くもあり愚かでもあるという「度合い」の存在ですから。愚かだけ、賢明だけ、そんな「人品」、これまでどこにもいなかったし、今だっていないと経験から学んできた。どなたにしても、その差は「大同小異」「五十歩百歩」だという直観がありますね、ぼくには。立派な人というのは「困っている人を見過ごしにできない」、そんな惻隠の情に動かされる人ではないですか。この歳になっても、そんな人間に、なりたくて仕方がないのです。本当に憧れますね。(2023/02/03)