
被災10年、初日の出に歓声 福島の沿岸部、「平穏な1年を」
(福島県いわき市の四倉海岸から見られた初日の出=1日午前7時2分)
東京電力福島第1原発事故により一時全町避難となった福島県浪江町で1日、川沿いを約5キロ歩いてゴールの請戸海岸で初日の出を迎える行事が開催された。10年前の東日本大震災の津波で壊滅的な被害が出た海岸に、雲間から朝日がのぞくと約200人の参加者は歓声を上げた。 行事は震災前に始まった「あるけあるけ初日詣大会」。朝日は当初雲に隠れたが、隙間からのぞくと参加者が「やっと見えた」とうれしそうに写真に収めた。 甚大な津波被害に遭った同県いわき市の四倉海岸では、同市の会社員高島仁美さんが初日の出を拝んだ。「昨年はコロナで大変だったので平穏な1年を祈った」と話した。(中日新聞・2021年1月1日 16時24分 (1月1日 16時47分更新) )

(福島県浪江町請戸地区の海岸から、初日の出を眺める人たち=1日午前7時7分)
原発事故発生の二年後、ぼくはこの四ツ倉海岸に立っていました。この写真で見る限りきれいになっている様子が見て取れますが、当時は惨状そのままに、荒れた海でした。今も汚染されたままだといわれています。真夏だったように記憶し知恵ます。群馬県から知り合いの車に乗せていただきながら、海岸に着きました。また請戸の地は、ぼくの友人(都内の理髪店主)の母上の故郷だった。原発事故直後、彼から請戸の話を伺ったことを昨日のように記憶しています。
やがて十年を刻みます。「十年一昔」というが、それはどういう意味を含んでいるのでしょうか。あるいは「十年一日」ともいいます。こちらは何を示そうとしているのか。似たようでもあり、まったく異なるような二つの言い草を、人は(ぼくも含めて)器用に使い分けているのではないでしょうか。使い合わけする、どんな理由があるのでしょうか。相馬の先輩から「賀状」を頂きました。「年相応に、元気」とありました。すでに「卒寿」を迎えられたのだろうか。あるいは、その直前であるかもしれません。長寿、それも健康で、ひたすらそのことを祈るのです。
色々の雲の中より初日出 (漱石)
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