明けゆく空の気色、昨日に変はりたりと

 さて、冬枯の気色こそ、秋には、をさをさ劣るまじけれ。汀の草に紅葉の散り留まりて、霜いと白う置ける朝、遣水より煙の立つこそ、をかしけれ。年の暮れ果てて、人ごとに急ぎあへる頃ぞ、又無く、哀れなる。凄まじき物にして、見る人もなき月の、寒けく澄める二十日余りの空こそ、心細きもの物なれ。御仏名、荷前(のさき)の使ひ、立つなどぞ、哀れに、やんごとなき。公事ども繁く、春の準備(いそぎ)にと取り重ねて、催し行はるる様ぞ、いみじきや。追儺より、四方拝に続くこそ、面白けれ。晦日(つごもり)の夜、いたう暗きに、松ども燈して、夜半(よなか)過ぐるまで、人の、門叩き、走り歩きて、何事にか有らん、事々しく罵りて、足を空に惑ふが*、暁方より、さすがに音無く成りぬるこそ、年の名残も心細けれ。亡き人の来る夜とて、魂祭る業は、このごろ都には無きを、東の方には、猶、する事にて有りしこそ、哀れなりしか。

 かくて、明けゆく空の気色、昨日に変はりたりとは見えねど、引き替へ、珍しき心地ぞする。大路の様、松立て渡して、華やかに嬉しげなるこそ、また哀れなれ。(「徒然草」第十九段)(島内裕子校訂・訳 ちくま学芸文庫版)

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「あわただしい歳末風景や、大晦日と元旦を一続きの切れ目のない、流れとして描く。早朝の都大路の風景に、無事に巡ってきた新しい年を言祝ぎ、季節の循環を改めて認識する」(島内裕子)

 この章段を愛でる人はたくさんいるようです。理由は人それぞれでしょうが、大晦日と元日が連続した時間でしかないのに、あたかも行く年来る年のバトンタッチが瞬時に行われ、同時に、人々の心の切り替えもまた一続きの時間の中で、微妙に行われる。その物・心両面の微妙な連続と非連続の様子が、いかにも事々しくなく表現されているからでもあるでしょう。

 ぼくは、何事もなくこの年の交替を夢の中で過ごしました。朝の四時、例によって「ラジオ深夜便」で、一人の男性(九十三歳)の語りに、「こんな人もいるのだなあ」と、こころを洗われたような気になりました。これこそ、「果報は寝て待て」というのかしら。彼は結婚六十三年をへて妻を亡くされた。一歳違いの兄さんと妹さんというべく、元銀行の同僚同士の夫婦でした。こんな夫婦がいるのだ、しかも六十数年変わらずに続いたと、ぼくは卒倒しそうになりかけながら(寝ているのですから倒れない)、その話に引き込まれていった。イチカワケイイチさんと言われた。妻の死後、ほとんどなす術もなく暮らしていたが、何かのきっかけで、気を取り直した。そして、生前の妻の遺品整理に立ち向かったそうです。

 ここでイチカワさんは「感謝離」という語(漢字が違うかもしれないが、ぼくにはそのような意味に受け取れました)、それを何度も使われていた。着るもの、履物、使ったもの、すべての品々に妻を見ながら、「付き合ってくれて、ありがとう」という感謝の気持ちが、遺品を通した「彼女との出会い」の中で淡々(ではなかったでしょう)と湧き出てきた様を語られていた。さらに「代謝離」(という漢字だったか、後日確かめたい)、「断捨離」などと簡単に捨てられなかったからこそ、人も物もすべては「新陳代謝」だから、遺品も「代謝離」じゃないかと気が付いたといわれるのです。このようなイチカワさんの経験が新聞の「読者の声」に掲載され、大きな反響を呼んだそうです。(たしかアサヒだったか)この記事がさらに広がり、「映画」にまでなったという。(ぼくはまだ観ていません、当然ですが)

 人知れず、時間の長短はあろうが、人が出会い、別れるという、寄せては返す波の如き交わりの中で生涯を送る人がどれほどいるのでしょうか。ここにこそ、ひとりひとりの歴史があり、さらに人間の歴史、人類の歴史があるのだと、ぼくは痛感したのでした。歴史は、なにか書物になったり、記録されたものでしかないというのではありません。故人が生前に使っていた「お茶碗」一つ、「一膳の箸」、そこにも歴史を紡ぐ糸があるし、あるいは着物の切れ端にさへ、個人の想い出が宿っていると感じられれば、そこには紛れもない歴史が生まれているのです。若いころに、著名な文学者が「歴史は想い出だ」といったことに、ぼくはいたく感動したことを今でも忘れないでいる。遺品(想い出)から「事物の存在」の確かさを再確認するに至る、それが歴史です。(これは「遺跡の発掘」とは、すこしニュアンスは異なるでしょう)

 床の中で聞いた「深夜便」は、「他者に知られない歴史」には光や温かみがいつでも「想い出」を介して甦るということを伝えてくれたと思います。(さらに、続きがあって、起床後、西日本新聞をネットで開いたら、そこに、野見山暁治さんの写真と溢れる仕事への情熱が語られていました。たくさんの事を教えてくださった画家です。野見山さん、本日元旦には、百歳になられました)(誠実を貫くのは至難ですが、そのように生きていきたいね)

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「不要不急」 それでも芸術の力信じ… 満100歳迎えた野見山暁治さん

 大正、昭和、平成、令和と四つの時代を生き抜いてきた画家の野見山暁治さんが1日、満100歳を迎えた。コロナ禍で不要不急とされた芸術に向き合い続けた人生。「今の日本は忙しい。人情や友愛、慈しみの心が薄れてしまった」。そう嘆きつつも、芸術の力を信じ、変わらぬ情熱で絵筆を握る。/ 1920年12月17日(戸籍上は翌年1月1日)、福岡県穂波村(現飯塚市)生まれ。東京美術学校(現東京芸大)で学び、満州(現中国東北部)に出征。12年間の在仏を経て東京芸大で教え、2014年に文化勲章を受章した。洒脱(しゃだつ)な随筆でも知られ、戦没画学生の作品保存に尽くしてきた。現在は都内で暮らし、福岡県糸島市で毎夏過ごす。(以下略)(2021/01/01 06:00西日本新聞)

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投稿者:

dogen3

「上を思えば限りがないと、下を見て咲く百合の花」になれるものなら、という想いです。それこそ、「高嶺の花」ですが。「昨日は俗人 今日は僧、生涯胡乱(うろん)これがわが能」と自称した一休さんは、一面では「相当な人物」だったと、歳をとるとともに思わされています。