

河北春秋 暮れに演じる落語家が多く、ベートーベンの交響曲第9番にちなんで「落語の第九」と言われる演目が『芝浜』。何人もの落語家による録音が残されている中で、立川談志さんのものが人気だ▼談志さんのCDも何種類かあり、いずれ劣らぬ名演ぞろい。少しずつ人物描写が違っているようだが、本人をして「落語の神様が降りてきた」と言わしめたのが2007年12月18日の高座。その様子はDVDやブルーレイで見られる▼腕はいいが酒好きで、稼ぎがよくない魚屋の勝五郎。女房に叱られて嫌々ながら商売に出掛けるが…。粗筋を書くのはヤボだろう。知っている人には屋上屋を架すことになるし、知らない人にはいわゆるネタばらしになってしまう▼歴史小説家の童門冬二さんは「えー、落語というものは人生のケーススタディーのようなものでして」と語っている。童門さんの『人生で必要なことはすべて落語で学んだ』という本にある。では、名作・芝浜が語り掛けるものは何だろう▼伝説の口演から4年後、喉頭がんで亡くなる談志さんは、すでに声が出にくくなっていた。「人間というものはネ、何と言ったって働く喜び、働ける喜びが必要なんだよ」。声がかすれ気味の熱演を見ていると、そんなメッセージが伝わってきそうだった。(河北新報・2020年12月28日 06:00)
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この雑文・駄文には、あらかじめ何を書こうかなどという計画はもちろんありませんし、ふっと思いついて書くという「気ままな暇つぶし」の繰り返しです。「暇つぶしで忙しい」という、間尺に合わない明け暮れですな。詳細に立てられた「リハビリのプログラム」にはインストラクターがいるのでしょうが、小生のものは「自主トレーニング」で、その時の気分でやったりやらなかったり、実にいい加減なものです。まるでぼくの「人生」そのもです。他人からとやかく言われることはなにものにもよらず、いやなことでしたし、それを「児童・生徒・学生」時代を一貫して貫こうとしてきたのですから、本人は言うの及ばず、教師たちには不評を買ってばかりでした。



無計画がキモ、いい気なものですが、時には、こんなことも書いちゃおうかと準備して書き置くことも、次のネタとして保存しておくこともごくたまにはあります。じつは昨日(27日)がそうでした。とっておきのネタ)を仕入れて、さあ行商に出かけようかろ、天秤を担ごうとしたら、「かご」には何も入ってないという始末。いったいどうしたんだろうと思案しましたが、消えたものは出てこない。結構いいネタだったんだがと、(まあ、逃がした魚の類です)気を取り直して書こうとしているのが、この駄文です。数日前、近所の郵便局へ「税金」の振り込みに行って、一箇所は済ませて帰宅した。別口の振り込みを忘れてしまったことに気が付いたのですが、役所からの支払票がみあたらない。(なにかと「物忘れが重なり、やがて暮れ行くわが末路」というような塩梅です。

湛山さんが書いていた小さな文章をワードで書き写したのですが、それを消してしまった。どこへ行ったか、杳として行方が見つからない。もちろん「湛山氏の原物」はありますから、それをもう一度復元(書き写す)のは簡単ですが、いまはしない)テーマは「もの忘れ」「記憶違い」「度忘れ」がひどくなったという自覚はあります。この「自覚」が失われれば、やることなすこと、常に新鮮ですが、別の言い方をすれば、「過去」がないという話。それでもいいじゃないかという思いもしますが、之では他人とは付き合えないのは当然ですね。

「度忘れ」という表現はどうでしょう。「度」はどういうつもりで頭に来ているのか。「[名](スル)よく知っているはずの物事をふと忘れてしまって、どうしても思いだせないこと。胴忘れ。「知人の名前を度忘れする」」(デジタル大辞泉)「度」は「胴」だというのですね。「胴忘れ」を引くと「度忘れに同じ」と来ます。これぞ、辞書ですな。こんな矛盾というか、いい加減さを気にしないようにならなければ、「私は辞書です」と啖呵は切れないようです。
「銅の摂取量が多いシニア世代の女性は、物忘れが多いことが明らかになった。東京医科歯科大学大学院医歯学総合研究科茨城県地域産科婦人科学講座の寺内公一氏らの研究による結果で、詳細は「Food Science & Nutrition」7月1日オンライン版に掲載された。」(https://diamond.jp/articles/-/250764)
それで「銅忘れ」とは、いかにも出来過ぎですね。どうでもいいけど。「胴忘れ」です、問題は。(いずれ暇な折に調べておきます)

本当は落語で年越し、主題は「芝浜」のつもりでした。面倒になりましたので、後刻廻しにします。今は亡き、ぼくの友人の奇人だった麻生芳伸さんをしのびながら書こうと考えています。この人は、実に変わった人だったな。懐かしくも、そぞろ悲しみが襲い来るような気もします。
そこで、一茶です。なぜか? 唐突がぼくの信条になっているのです、「おらが春」。
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問ていはく、いか様に心得たらんには、御流儀に叶ひ侍りなん。答ていはく、別に小むつかしき子細は不存候。たゞ自力他力、何のかのいふ芥もくたを、さらりとちくらが沖へ流して、さて後生の一大事は、其身を如来の御前に投出して、地獄なりとも極楽なりとも、あなた様の御はからひ次第あそばされくださりませと、御頼み申ばかり也。如斯決定しての上には、「なむ阿みだ仏」といふ口の下より、欲の網をはるの野に、手長蜘の行ひして、人の目を霞め、世渡る雁のかりそめにも、我田へ水を引く盗み心をゆめゆめ持つべからず。しかる時は、あながち作り声して念仏申に不及、ねがはずとも仏は守り給ふべし。是則、当流の安心とは申也。穴かしこ。
ともかくもあなた任せのとしの暮 五十七齢 一茶

文政二年十二月廿九日
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何時でも、ぼくには年末も年始もなく、「普段通り」を通そうとしてきました。本年は、「コロナ禍」であれば、なおのこと「いつも通りで、今年も暮れる」となります。どういうわけか、ぼくには少々「晴れ着魔」的なところがあるというか、「天邪鬼」と言った方がぼくの性情に近いのかもしれませんが、ことさらに騒ぎ立てることに歯向かいたい、背きたいという傾向が著しくあります。困ったことではありますが、直しようもなく、ここまで歩いてきました。一茶という俳人は、「一筋縄」ではいかない、ほとほと手を焼くような生き方をした方でした。「1本の縄。また転じて、普通のやり方。尋常一様の手段。」というのが「一筋縄」(デジタル大辞泉)ですね、まったく筋が通っているんですけど、こんがらがって一本というじつに韜晦を絵にかいたような人間だった。だから、ぼくは好んだのです、ただし、ある一面を除いては。「一面」はここでは書かない。友人の想い出を書き、「芝浜」を語り、世情を呪うというより、虚仮にして、「一筋縄」ではいかない明け暮れを確かめたいですね。(これから郵便局へ行き、昨日の失せ物を探してきます、あってもなくても構わないが)
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